白いしるし

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (166ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103070429

感想・レビュー・書評

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  • 『それまで「あおい」以外で恋愛小説を書いたことがなくて、でも作家はそうしたものも書けないと駄目なんじゃないかと思って、いろいろ模索していたんです。』と語る西加奈子さん。

    “恋愛小説”という分類で括られる作品は多々あります。『あれは…正直言って、電撃的なひと目惚れだった』という運命の瞬間から全てが始まる純愛物語の傑作・村山由佳さん「天使の卵」。”マンションの『ポーチの植込み』から男性を”拾う”という運命の瞬間から”もう♡キュン♡キュン♡しまくり!な恋が始まる有川浩さん「植物図鑑」。そして異色なところでは、『標本にしてもらうと、とっても楽になれる』という標本室を舞台に”永遠の愛”を感じさせる物語が展開する小川洋子さん「薬指の標本室」など、一口に”恋愛小説”と言ってもそれに分類される作品の幅は非常に広いものがあります。

    あなたは、今までにどんな”恋愛”をしてきたでしょうか?私は”恋愛”なんて全くしたことがありません、なんていう人はいないと思います。そう、人の数だけ”恋愛”にも物語があって、あなたとその相手という二人の主人公の物語が確かにそこにあったはずです。作家さんがそれぞれの思いを込めて取り組まれる”恋愛小説”。そこには、当然にその作家さんの”恋愛”に対する考え方、価値観のようなものがしっかりと織り込まれているはずです。そして、読者は自らの経験と照らし合わせながらそんな物語を読むことになります。もちろん、そんな風に読むのは”恋愛小説”だけではないでしょう。でも、”恋愛小説”に好き嫌いが生じやすいのは、読者それぞれが思い描く、”恋愛”というもの自体への考え方、価値観と直結してくるからではないでしょうか?そう考えると、そんな”恋愛小説”に対して書かれたレビューは、その人の恋愛観を見る鏡と言っても良いのかもしれません。

    さて、そんな”恋愛小説”を今までに一冊しか書いたことがなかったとおっしゃる西加奈子さん。この小説は、そんな西さんが『ちゃんと恋愛小説を書こう!』と取り組まれた物語。それは、西さんならではの密度感の濃い表現の中に『ひりつく記憶が身体を貫く、超全身恋愛小説』です。

    『彼に初めて会ったのは、潮田に連れて行ってもらった、彼の個展のオープニングパーティーだった』と振り返るのは主人公の夏目。『女性誌やカルチャー誌で活躍している写真家』、『同郷』で『同い年』という潮田が『気がつけば心の中に、するりと入ってきていた』という夏目。そんな潮田が『夏目が好きそうな絵を描く』とくれたフライヤーを受け取った夏目は、『真っ白い地に、黒いゴシックで、「間島昭史 作品展」という文字』があるのを見ます。『この人、絵描いてるんやろ。』、『絵描く人やのに、フライヤーに絵まったく載ってへんのって、おかしない』と訊くと『あ、ほんまやな』と呑気そうに答える潮田は、『でも、夏目、絶対好きやから』とさらに言います。『私も絵を描いている。とはいえ、それだけでは食べていけない。週に五日ほど、新宿三丁目にあるバーでアルバイトをしながら、なんとか暮らしている』という夏目。そんな絵を『何故か好きでいてくれる』潮田は『夏目の絵も俺好きやけど、こいつの絵も、ほんまに、ええねん。』とそのフライヤーの主の絵を語ります。『今年、三十二歳になった』という夏目は、親からの『結婚しろという催促が五月蝿い』という日々を送っていました。『三十二歳、独身で恋人もおらず、アルバイトをしながら、金にならぬ絵を描いている』という今に『焦る気持ちはある』という夏目。そんな夏目は『真っ青の髪で登校した』高校時代のことを思い出します。『大人しい生徒だった』という夏目の行動に『驚愕した』クラスメイトや教師。しかし、それは『当時の恋人が美容師で、彼の好きなようにさせた』結果論でした。しかし、十八歳の時、『彼は新しい「カットモデル」の元へ去った』という状況に『七キロ痩せ、入学したばかりの美術短大をやめ』、東京へと出てきた夏目。そして、『忘れるのに、結局二年かかった』というそれから。そんな夏目は絵を描き続け『知り合った友人たちと、三人展を開いた』ことをきっかけに潮田と出会いました。そして、そんな潮田から誘われた夏目は会場となるギャラリーへと赴き『間島昭史』の絵と対面します。『しろい。』と『思わず、声に出』したその絵を『富士山。』と咄嗟に思った夏目。『しばらく、その絵を見つめ』、『私ははっきりと、この絵が好きだと思った』という夏目。そして、潮田に『こいつが、まじま』とその絵の主を紹介されます。『私の人生は、失恋の歴史であった』という夏目。そんな夏目が『あかん。胸をつかれた』と、『間島昭史』に惹かれていく、全身全霊で恋に堕ちていく、そんな夏目の恋の物語が描かれていきます。
    
    『ひりつく記憶が身体を貫く、超全身恋愛小説』と紹介されるこの作品。主人公の夏目が写真家の潮田を介して知り合った『間島昭史』にまさしく全身全霊の恋に堕ちていく様が描かれていきます。同じ”絵かき”として、間島を意識するきっかけとなった一枚の絵。『壁一面に、真っ白い大きな紙が貼られていた』というその絵。その絵を見て『白く輝いていた』と感じた夏目は思わず『しろい。』という言葉を発してしまいます。『白い地に、白い絵の具が、すう、と引かれている』という『白』を『辿っていくと、なだらかな弧を描いて上へ伸び、てっぺんのあたりで、きゅう、と、カーブしていた』という線を見て『山の稜線』をそこに見る夏目。『私の絵とは、対極にあるような絵』という一枚の絵、それが『真っ白い富士山。美しい稜線。』という絵でした。そんな夏目は『私はこの絵が、本当に好きだった』と、この作品の全編に渡ってその絵を意識することになります。そして、夏目は『間島昭史』と挨拶を交わします。その時、夏目が目にしたのが、自分の絵に向き直り、絵に触れた』間島の姿でした。『白い絵の具が、ついた、指』を目にする夏目。その瞬間に『あかん。胸をつかれた。』と思う夏目は、『彼が、自分にとってかけがえのない人間になるだろうと思』います。この印象的な場面の描写は、この作品のタイトルである「白いしるし」という言葉を読者に強く印象づけます。一枚の絵で心動かされて…という話はよく聞きます。西さんが描くこの場面は、そんな絵を見てみたいという思いと共に、この作品に『白』という色を強く印象づける役割を果たしている、そう感じました。

    そんなこの作品は、上記した通り『間島昭史』に心を奪われていく夏目の全身全霊を傾けた恋愛が描かれていきます。全編に渡って夏目視点で描かれる物語、『私は』という夏目自身の一人称によって展開される物語は、その内面の激しい描写に読者の心をも鷲掴みにする力を感じます。『「間島昭史」に会ったことは運命なのだと、素直に、疑うことなく思っていた』という夏目。そんな夏目は『あかん、あかん、と、小鬼が私の脳みそを散々叩いたが、結局は野性に勝てなかった。これは運命だ』と『間島昭史』に思いが囚われていきます。『私は彼に会って、自由になった。今までにない充実した時間を、彼が与えてくれている』と感じ、『「間島昭史」は、私にとって、かけがえのない人物になってしまった』と読んでいる側の人間までをも激しい思いに巻き込む内面描写の連続。『超全身恋愛小説』という謳い文句は伊達ではないと感じさせる密度感に溢れる描写が続きます。そんな激しい恋の感情が吐露される世界について、どこかで似たような気持ちになったことがあると思い至りました。そして、読後に西さんのインタビュー記事を読んでなるほどと納得した私。『「あなた」と呼びかける文章で、1行も要らないところがなくて、息苦しくて、美しくて。それを読んで「うわーっ」となって(笑)』と語る西加奈子さんが取り上げられたのは、主人公の激しい内面の描写に読者の心が激しく揺さぶられる島本理生さん「あられもない祈り」でした。『ちゃんと恋愛小説を書こう!』とこの作品に取り組まれたという西加奈子さん。しかし、島本さんとは違うアプローチで『恋愛というよりは失った恋からどう立ち直るかと』いう視点で書いたというその物語。それは確かに島本さんの作品同様に主人公の激しい内面の葛藤が読者の前に晒されるものですが、島本さんの作品と違い、作品のほぼ中間地点で『あかん、身もたへん、と思った』と、思いが一転した後の『失った恋』に対する夏目の心の決着へと向けた物語に移っていきます。しかし、人はそう簡単に割り切れるものではありません。『彼のにおい、皮膚、指。泣いた彼の声。』と『間島昭史』のことを想う夏目。『彼は、圧倒的だった。今もそうだ。彼は私を根底から、さらってしまう。あの絵のように。私はまだ、はっきりと「渦中」にいる。』という囚われの身のままの夏目。そんな夏目の『超全身恋愛』に一区切りをつける瞬間。『失った恋からどう立ち直るか』という瞬間が結末に鮮やかに描かれるこの作品。そんなこの作品では、『間島昭史』の名前がずっと”『』”に入れられる特徴的な記述がなされています。読者としては非常に違和感のある記述です。そんな”『』”が取り払われて、”間島昭史”と”『』”なしで記述される瞬間がやがて訪れます。それは、夏目の心の内の変化を見るものです。これから読まれる方は、是非そんな表記の部分も意識されると西加奈子さんが描かれようとした『超全身恋愛小説』が結末する瞬間、「白いしるし」という書名を付けられた西加奈子さんのその想いが伝わってくるのではないか、そんな風にも感じました。

    『私は太陽に向かっていく話を書きたいんやなって思いました』と語る西加奈子さん。そんな西さんがその想いを込めて描くこの作品は、『三十二歳、独身で恋人もおらず、アルバイトをしながら、金にならぬ絵を描いている』という現実を生きる一人の女性が主人公となる”恋愛小説”でした。そんな今に『焦る気持ちはある』という主人公の夏目が『間島昭史』という一人の男性に心囚われていく、激しいまでに心囚われていく瞬間が描かれるこの作品。『彼そのものになりたかった。彼は私の光だった』という思いの中、『失った恋からどう立ち直るか』という瞬間を見る恋の物語は、まさしく西加奈子さんが描こうとされた『太陽に向かっていく』瞬間を垣間見るものだったのだと思います。

    「白いしるし」。白の絵の具が象徴的に描かれていくこの作品。それは、白く眩しい光を垣間見る夏目の次への一歩を見る物語。それは、まさしく”恋愛小説”の王道をいく物語。西加奈子さんらしい筆力でぐいぐい読ませる、そんな作品でした。

  • 一気に読まさせられる勢いだった。
    出会いの場面から、どんどん深みにはまる心情描写が丁寧。凄く純粋なのだろう。
    避けてきても、又、落ちる。個人的には、その、又、がある若さ、自由な時間、生活が魅力的で眩しく感じた。
    全力疾走する夏目、そして個性が強い登場人物をより理解するには、再読すべきと思ったが、激しさに気力を奪われてしまったので出来ないです。
    芸術家さんは、言葉と同じくらい他の方法で思考、感性を表現するのだろう。

    人との間には、多かれ少なかれ、壁はあるものだと思うが、目の前の大切な人が心を開いてくれる。それでも、少し距離を感じてしまうなーっていう、遠さを表現されていて、夏目の苦しさが伝わった。
    後半に向かい、怖くなりましたが、不思議とエネルギーが湧きそうな。夏目の先に光があるとしか思えない。

  • 最近読書に身が入らず、そのせいなのかこの作品のせいなのか遅々として進まなかったがやっと読了。

    正直重かった。
    登場人物の誰もがエキセントリックな恋愛をしていて読んでて辛い。辛い恋愛を描いた話はいくらでもあるけれどこの作品には共感できない。

    「サラバ!」がとってもよくて、西さんの世界観にもっと触れたくて読んではみたものの選択ミスだったかな。
    あ、でも「サラバ!」に繋がる部分は多かった。
    自分を剥き出しにして他人にさらしてぶつかっていく感じとか。

    フォロワーさんにお勧めされた作品もあるので、次回はそちらを・・・。

  • いまいち掴みきれなくてもやもや。
    その人への好き嫌いがその人の作品への好き嫌いに反映される。芸術やアートが評価されるって、何を生み出したかより誰が生み出したに依存してるということなのかしら。
    でも突如として、そんなの関係なく全て持っていかれる恋愛があって、夏目にとっての間島、美登里さんにとっての瀬田、瀬田にとっての元彼女、間島にとっての種違いの彼女。うまくいくとは限らないのが恋愛ってこと?

  • 絵に触る
    臭い
    恋慕

    恋愛小説で括って良いものか悩みます
    図書館本

  • 「夏目が好きそうな絵を描く。」
    そう言った友人の瀬田に連れられて行った個展で、夏目は『間島昭史』に出遭った。間島の描く絵に圧倒され、間島自身にも強烈に惹かれた夏目。運命的だとすら思った。しかしそれ故に、彼とはふたりでは会わないようにしていた。


    恋の吸引力の強烈さをギュッと濃縮して書かれたお話という印象で、もう私自身忘れ切っていた感情を思い出しながら読みました。
    読みやすさと、先を読みたいという気持ちにさせられたので、あっという間に読み終えてしまいました。
    「出遭う」という漢字表記が気になってしまったのですが、敢えてなのだろうなと思いました。

  • それぞれの想いが報われなくても救われますように
    という言葉が刺さった。
    恋する者の制御できない想いに痛いほど共感した。

  • 失うと物理的に痛みを伴う。いや、失うと思うだけで。そういう恋の只中で、自分の痛みを感じるために思わず手にとってしまった一冊。

    このひとでなくてはならないし、愛されているのに手に入らない恋と。叶わなくてもいいから失えない恋の話。間島と夏目の恋は、間島にも何らかの痕を残しているはずだ。苦しいが、失えばもっと苦しい、そういう渦中で女は意外と自分や相手のことや
    報われない恋だという事実を見抜いている。

    それでも…好きなことはどうしたって好きで。失った後にそれを希望に変えて祈れる夏目は十分にまだ若いのだ。

  • くせになる息苦しさ。

    主人公が好きになった人みたいに、丁寧に言葉を選んでひとつひとつ意味をきちんと込めて話す人を知っている。
    その人がありがとう、と言ったとき、この人はなんて誠実なのだろう、と思って涙が出たのを覚えている。
    その時の感覚がよみがえった。我ながら変で不思議なのだけど強く心を打たれる感動。

    白っていう表現が余りにもぴったりですごい。
    純粋で無垢で美しくて恐ろしくて、近付けるけどどうしても溶けあえなくて、小賢しいようで不器用で危なっかしくて責められなくて、代わりがきかなくて、大切。

    借りて読んだけどこれは買おうと思う。

  • 【あらすじ】
    女32歳、独身。誰かにのめりこんで傷つくことを恐れ、恋を遠ざけていた夏目。間島の絵を一目見た瞬間、心は波立ち、持っていかれてしまう。走り出した恋に夢中の夏目と裏腹に、けして彼女だけのものにならない間島。触れるたび、募る想いに痛みは増して、夏目は笑えなくなった──。恋の終わりを知ることは、人を強くしてくれるのだろうか? ひりつく記憶が身体を貫く、超全身恋愛小説。

    『彼には、誰にも立ち入らせない何かがあった。そのくせ簡単に他人の心に潜りこんでくる彼の無防備さが、私はやはり怖かった。』

    【個人的な感想】
    しっかり1文ずつ噛み締めながら読まないと感情?の表現がわかるようでわからない。
    私はこんなにも心を掻き乱される恋をしたことがないので、読んでいて不思議な作品でした。

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著者プロフィール

1977年イラン・テヘラン生まれ。2004年『あおい』で、デビュー。07年『通天閣』で「織田作之助賞」、13年『ふくわらい』で「河合隼雄賞」を、15年『サラバ!』で「直木賞」を受賞した。その他著書に、『さくら』『漁港の肉子ちゃん』『舞台』『まく子』『i』などがある。23年に刊行した初のノンフィクション『くもをさがす』が話題となった。

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