十一面観音巡礼

  • 新潮社 (2002年10月25日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (256ページ) / ISBN・EAN: 9784103107156

感想・レビュー・書評

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  • (2011.04.07読了)(2011.04.03借入)
    十一面観音を「大辞林」で引いてみると十一面観世音と同じ、と出ており、十一面観世音を引くと以下のように書いてあります。
    【十一面観世音】
    頭上に十一の面をもつ観音。衆生を仏の悟りに到達させるとされる。十一の小面は、正面の三面が慈悲相、左方三面が瞋怒(しんど)相、右方三面が白牙上出相、後方の一面が大笑相、頂上の一面が仏相をそれぞれ現す。本面を加えて十一面とする像をはじめとして、面数も異なる物が多い。

    頭の上に11の顔が乗っている観音像のことを十一面観音と言う、と言うことです。この本は、白州正子さんが、日本各地の十一面観音を訪ね歩いて、土地や信仰、十一面観音について、等、あれこれ書きつづったものです。
    十一面観音は、山岳信仰と強く結び付いているらしく、役の行者の話も割と出てきます。
    物書きの役得でしょうか、寺や神社の管理者を訪ねて、仏像や神像を個別に見せてもらっています。我々だと、拝観料を取って見せているところは、見ることができますが、それ以外のところは、個別に見せてもらうことなどできません。うらやましい限りです。展覧会に持ってきてくれて、見せてくれるので我慢することにしましょう。
    専門的裏付けがあるわけではないので、興味があることについては、専門家の書いた関連書を探して確認するとか、自分の足で歩いて追体験してみるというのもいいでしょう。
    ところどころに、小川光三さんの撮影したカラー写真が挟みこまれています。

    ●仏像の観賞(12頁)
    新築のお堂の中で眺める十一面観音は、いくらか以前とは違って見えた。明るい自然光のもとで、全身が拝める利点はあったが、裸にされて、面映ゆそうな感じがする。いくら鑑賞が先に立つ現代でも、信仰の対象として作られたものは、やはりそういう環境において見るべきである。
    ●秘仏(25頁)
    村には強い信仰が残っており、毎月18日には大勢人が集まって、観音講が催されるという。そんな時もお厨子は開かず、殆ど秘仏のようになっている。信心深い人にとって、仏像を見ることは問題でなく、見たら目がつぶれると信じているに違いない。
    ●長谷寺(29頁)
    ハセは泊瀬、初瀬、長谷とも書くが、いずれも正しい。それは瀬の泊つる所であるとともに、はじまる所でもあり、長い谷を形づくってもいるからだ。が、古くは「三神の里」と呼ばれ、初瀬川を神河といった。
    ●必要な道具(93頁)
    昔は知識慾が旺盛で、周囲の景色など見る余裕はなかった。懐中電灯と、ノートと、虫眼鏡と、その三つを忘れたことはない。が、近頃のように目が悪くなると、懐中電灯も虫めがねも役に立たず、メモを取るのも億劫である。しまいには何もかも忘れるようになり、ぼんやり見物して帰る始末となった。
    ●人間の眼(115頁)
    人間の眼ほど都合のいいものはない。見たいものしか見ないし、要らないものは捨てる。一時「何でも見てやろう」という言葉がはやったが、人間にとって、そんなことは不可能である。
    ●彫刻の衰退(120頁)
    親鸞・蓮如の功績は偉大だが、仏教美術を衰退させたのは門徒である。仏教美術はその時を境に衰えるが、それは別の姿に衣替えして生き延びて行く。お能に、お茶に、工芸品の上に。だが、彫刻だけは何故か復活することがなかった。
    ●大きい理由(146頁)
    十一面観音には、時々このような大作(5m)が見られるが、上原さんのお話によると、それは疫病などがはやった際に、町の中を車に乗せてねり歩いたからで、遠くからも拝めるように、なるべく大きくする必要があった。
    ●立木観音(163頁)
    頭も、手も失われ、全身黒焦げに焼けただれているが、すらりと立ったこのとルソーは、いかにも美しい。地獄の業火に焼かれ、千数百年の風雪に耐えて、朽木と化したその姿は、身を持って仏の慈悲を示しているような感じがする。

    ☆白洲正子の本(既読)
    「いまなぜ青山二郎なのか」白洲正子著、新潮文庫、1999.03.01
    (2011年4月13日・記)

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著者プロフィール

1910(明治43)年、東京生れ。実家は薩摩出身の樺山伯爵家。学習院女子部初等科卒業後、渡米。ハートリッジ・スクールを卒業して帰国。翌1929年、白洲次郎と結婚。1964年『能面』で、1972年『かくれ里』で、読売文学賞を受賞。他に『お能の見方』『明恵上人』『近江山河抄』『十一面観音巡礼』『西行』『いまなぜ青山二郎なのか』『白洲正子自伝』など多数の著作がある。

「2018年 『たしなみについて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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