死んだら何を書いてもいいわ 母・萩原葉子との百八十六日

  • 新潮社 (2008年10月31日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (240ページ) / ISBN・EAN: 9784103168119

みんなの感想まとめ

家族の絆や苦悩を描いたこの作品は、著者の母親である萩原葉子との関係を通じて、文学の背後にある人間ドラマを浮き彫りにしています。読者は、著者が母の死を乗り越える過程を追体験しながら、彼女自身の成長や自己...

感想・レビュー・書評

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  •  子供の頃『蕁麻の家』を読み、あまりに衝撃的な内容で、気になりながらも避けていた萩原朔太郎とその家族。
     大人になり、生きていく上では様々な事柄があると知ってからは、萩原葉子さんのあれからを知りたくなった。でも、恐い。
     そんな時、ふと目が合った本書。
    子の視点から見た葉子さんだが、少し距離を置いて知ることで、恐さは薄れ、彼女のあれからに向き合えそうな気がした。

  • 自らのための備忘録

     萩原朔美により描かれた、母・萩原葉子への弔いの一冊です。
     2005年7月1日に萩原葉子が亡くなり、同年8月16日に遺稿となった『朔太郎とおだまきの花』が出版され、翌月9月28日に「偲ぶ会」の代わりに「出版記念の会」が開かれたと「あとがき」にありました。
     萩原朔美は《本人が一番望んだ出版記念のパーティー。銀色のマジックでサイン出来ないことと、踊れないのが残念ではありますが、まあ、我慢してもらいます》と招待状を出したところ、多くの友人知人や各出版社の編集者たち大勢が出席してくれて《お祝いだからみんな楽しそうにしてくれた》とあり、私はなぜか自分のことのように本当に良かった、萩原葉子はいい人生を終えられたのだと安堵しました。
     孫の朔美から見た祖母・稲子、父・大塚正雄、叔母・明子のエピソードを知ることができ、また貴重な写真を見ることができて感激しました。
     萩原葉子自身についても「一日三枚は書く/書けない時でも二時間は机に坐る」という勤勉な姿や、ダルマに片目を入れてから小説を書き始め、書き終えると両目を入れていたという人となりを知ることもできました。
     さらに、二世スターとも呼ぶべき森茉莉や室生朝子らとの交流や、教師を目指して國學院大學文学部国文科の夜間部に入学した時に担当教員が串田孫一であったという知られざるエピソードは大変興味深く読みました。

     本書でしか知ることのできなかったエピソードのひとつに、萩原葉子が自分でもネコのイラストを描いていたということがありました。
    《ネコというキャラクターは、もちろん「青猫」であり「猫町」だろう。父親の影響以外には考えられない。(中略)/そもそも、イラストを試みるという行為そのものが父親からの影響ではないか。(中略)/そう言えば、母親は『猫町』を他の画家やイラストレーターやアニメーターが描く試みを許さなかった。知らないうちに出版されたものに対しては強い嫌悪感をもっていた。様々な人が様々な解釈によって描いてもいいと思うのに、『猫町』だけは受け入れ難いようだった。あの頑なさは、考えてみれば父親が気に入ったネコのイラストが存在するからなのだ。あの本が文章だけであったのならば、何の問題もなく許諾していただろう。本に親のイラストが入っていたとなると、話は別なのだ。まして自分もネコのイラストは何点も描いている。自分と父親との間に、他のイラストなど介入してほしくなかったのだ。そう考えるととても分りやすい。母親のキャラクターが総てネコだったということもよく分るような気がしてくる。/もしかして、やがて自分のネコのイラストと装幀による『猫町』を出版したいという密かな想いもあったのかも知らない。むしろ、どうしてそういう企画を提案しなかったのか不思議なくらいである。大量のネコのスケッチは、その密かな出版の夢の試みだった。そう考えた方が面白いと私は思うのだ》(p.197~200)

     ところで、本書の最後に萩原朔美が次の文章を載せていて、私が長いこと感じていたことを言語化してくれていて膝を打つ思いでした。
     《私は、さようなら、という言葉が好きだ。もしかすると、日本語として一番好きかも知れない。さようなら。さようである、ならば。別れる時、そうであるならしかたがない、この離別を受け入れよう。さようなら、という言葉の中には、そういう諦念、諦観が入っているから好きなのだ。グッド・バイのように、神とともに、ではないのだ(p.234)

     私は今年の年明けすぐに、公開された映画『天上の花』をきっかけに、萩原葉子を読み始めたのですが、この映画には本書の著者・萩原朔美自身も北原白秋の弟・アルス社社長の役で出演していました。会社が倒産する憂き目に遭うその様子の演技はなかなか味のあるものでした。
     私が高校生になった年、1975年に雑誌「ビックリハウス」が創刊され、この雑誌を持っているとカッコイイという雰囲気がありました。私にとって萩原朔美はなんといってもビックリハウスの編集長でしたが、このような形で再会することができて、感無量です。

  •  詩人・萩原朔太郎の孫にして作家・萩原葉子の一人息子である著者が、2005年に逝去した母の思い出をまとめた鎮魂の書である。

     副題にある「百八十六日」とは、長年離れて暮らしていた母と子が、母の介護のため同居を始めてから、母が亡くなるまでの日数。

     長編というより、母を語った短いエッセイを無造作に寄せ集めたような構成で、盛り上がりには欠ける。全編、淡々とした静謐な筆致で綴られた一冊だ。もっと大仰に、ドラマティックに、あざとい「泣かせ」の場面も入れて小説風に書こうと思えば書けただろうに、著者はあえてそうしなかったのだ。

     しかし、その淡々とした筆致の中に亡き母への敬慕の念がにじみ出ていて、あたたかい印象の好著であった。

     著者が小学校低学年のころに両親は離婚し、以後、著者は母一人子一人となる。同じく母一人子一人の境遇である私は、随所で著者の思いに深く共感した。たとえば、こんな一節がある。

    《母一人子一人の関係は、どうも真っ正直な感情を表に出しづらいのだ。三十代の頃まで、よく人からマザコンじゃないか、と言われた。あなたは私が産み、育てた、と言われたら、息子はぐうの音も出ない。マザコンじゃない息子などどこに居るのかと思った。息子はみんなマザコンで、だからこそ息子はみんな母親に冷淡なのだ。》

     「マザコンゆえに母親に冷淡」――言語矛盾のように見えるかもしれない。「マザコンなら、母親に冷淡にはなれないはずではないか」と。
     しかし、私にはこの一節の行間にこめられた思いがすんなり理解できる。母一人子一人で育ったからこそ、むしろ母親に対する根深い甘えがある。だからこそ、息子はときに母親に対して冷淡にふるまってしまうものなのだ。

     そして、「息子はみんな」母が亡くなったあとで深く後悔する。どうしてもっと優しくしてあげなかったのか、と……。本書も、そのような後悔を綴った一文で幕が閉じられる。
     最晩年、一緒にメガネ店に行った帰り、「あそこで食べて行かない?」と母が食堂に誘った。学生がよく行くような安価な店。しかし、著者はその誘いをことわり、2人はまっすぐ帰宅する。たったそれだけのことを、著者は後悔してやまないのだ。

    《なんであの時、一緒に食堂に入ってあげなかったのだろう。自分の都合だけしか考えない薄情な息子。めんどくさいということだけで邪険に拒絶したことが、どうにもならない自責になって、苛むのである。まさか、数ヶ月後に亡くなるなどととは思ってもみなかったのだ。》
     
     「そんなことをそれほど悔やまなくても」と思うが、ささいなことが深い後悔に結びつくのも、「母と子の絆」の強さゆえなのだろう。
      
     本書は、普遍的な「母と子の絆」の物語としても出色だが、同時に、「大詩人の父をもつ小説家の母」という、きわめて特殊な事例ゆえの面白さにも満ちている。

     萩原葉子とほかの女流作家たちとの交友を綴ったくだりなど、たいそう面白い。
     たとえば、森茉莉や室生麻子(室生犀星の娘で作家)との交友に言及した部分で、著者は次のように書く。

    《父親が文学者の娘は、結婚生活がうまくいっていない場合が多い。
    (中略)
     父親の偉業を周辺から聞かされれば、娘はどんどんイメージを広げて父親を神格化してしまう。逆に夫となった男が凡庸なつまらない男に思えてくる。(中略)イメージの中の父親は現実から遊離して膨張し続ける。一方の夫は、日々の生活そのものだから、逆に矮小化し続けるのだ。離婚は当然である。》

     そして本書は、38歳でデビューした遅咲きの作家であった萩原葉子の、作家としての誕生・成長を、息子の視点から振り返ったドキュメントでもある。重層的な魅力をもつ一書。

  • ふむ

  • 萩原朔太郎の詩が大好きで、大学の時に日本文学の講座の先生から、朔太郎の実態みたいなものを聞かされて大変驚きました。
    なので、いつかは娘さんの本も読まなくてはと思っていましが、ご自身が受けたといわれる虐待等の生々しい描写から読むのを避けていました。
    ならば、孫の方なら大丈夫だろうと思い読みました。

    すごく、読みやすくて面白かったです。幼少期の思い出から介護のために母と同居し、亡くなるところまですんなり読めました。
    やはり、偉大な文学者や芸術家のいる家庭というのはとても大変なのだと感じました。
    例えるなら嵐のようのように周りを引っ掻きまわし、深い爪痕を残してゆく。
    母親の葉子さんの苦悩を一番近くて見ていた朔美さんの苦悩。
    朔太郎の残したものが、こんなにも家族を苦しめていたとは知りませんでした。
    この本を読んで、朔太郎の詩の見方も少し変わってきました。

    また、同居するにあたってお互いの物を大量に捨てるくだりが面白かったです。晩年になり、母の溜め込んだ大量の物をぽいぽいと捨ててゆく描写はコミカルで大変小気味良いです。

    近年、断捨離ブームが高まっているので、興味のある方はぜひご覧下さい。

  • 一人息子から見た萩原葉子像。森茉莉の親しい友人だったことが頷ける人物像だった。
    彼女の死後、作者が感じた思いは、
    「私には、私の身に起こった重大な出来事を知らせる親はもういないのか」
    「身内の出来事を知らせる人は居なくなったのか」。
    同じように一人娘の私。身につまされる。

  • 『劇的な人生こそ真実―私が逢った昭和の異才たち』がおもしろかったので、出た頃には図書館で借りられなかった本をさかのぼって借りてきた。『橋』を読んだあと、こっちもその日のうちに読んでしまった。

    「母親について書こうと思ったのは、やはりあまりに慌ただしい別離だったので、そのプロセスを書き留めないと、なにか終った気がしないからだった。」と、萩原朔美は最初のページで書いている。そして、最後のページで、「書いたことで、私はやっと母親の弔いが終ったような気がしている。」と書く。

    最後の小説になった『朔太郎とおだまきの花』の原稿を編集者に渡したあと、萩原葉子と朔美は次の仕事について話したことがあったという。

    「今の自分のことを書いたら」と朔美は軽く言い、葉子は「じゃあ書いてみる」と、少しは書いたらしかった(葉子の死後、混乱の極みの机の上に書きかけの原稿用紙があったそうだ)。

    喪の作業、という意味もあっただろうけれど、朔美は、母が結局は自分で書けなかった晩年の姿まで、まさに「死んだら何を書いてもいいわ」の言葉どおり書いたんやなあと思った。その作業は当然のことながら、朔美が自分自身を振り返るものでもあって、この本は、母の光をあてながら朔美が自分を書いたものにもなっている。

    思い出して書いてみれば、親のことは本一冊書けるくらい何やかやとあるんかなーと思った。

    (2010/08/01了)

  • 萩原朔美さんが母親のことを書いた本

    『小綬鶏の家』は2人で書いた本だけど、
    この本も同じ空気感
    それでいてやっぱりひとりだからこっそりちょっと寂しくて
    ちらっと出てくる奥さんの話なんかで安心したりして

    自分のことを書かれるのってきっとしあわせな事なんだろうな
    や、自分のことを書いてくれる人がいるしあわせ

  • どんなに親が元気でも、元気だからこそ、80を過ぎたら油断は禁物です。 そして子供がいるということのありがたさ。

  • (200812)

  • 祖父のことは母の著書でしか知らない。母はファザコン私小説作家として著名だ。中学の頃から母とは別暮らしなのに、悲鳴のような母からの電話で同居を決意し186日を暮らす。60歳を過ぎてからも自宅のスタジオで踊りに励んだ精力的で自立心旺盛な方も加齢と肉体の病にはかなわない。高齢者の一人暮らしは壮絶な様相を呈している。朔美さんは家の中の整理に終われ、母のしまいこんだ秘密を知る。たった2日の入院であっけなく死んでしまう母。
    親一人・子一人異性の親子関係は複雑。芸術一族としての矜持を持つ母親は重圧的存在だ。
    母の死で素直な母、優しい母、大変だったろう母が心に浮かびあがってくる。
    「親はこどもが出来て親になっていく。こどもは親がいなくなって、初めてこどもを自覚する」それは切ない真理だ。

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