死んだら何を書いてもいいわ: 母・萩原葉子との百八十六日

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (239ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103168119

感想・レビュー・書評

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  •  子供の頃『蕁麻の家』を読み、あまりに衝撃的な内容で、気になりながらも避けていた萩原朔太郎とその家族。
     大人になり、生きていく上では様々な事柄があると知ってからは、萩原葉子さんのあれからを知りたくなった。でも、恐い。
     そんな時、ふと目が合った本書。
    子の視点から見た葉子さんだが、少し距離を置いて知ることで、恐さは薄れ、彼女のあれからに向き合えそうな気がした。

  • 自らのための備忘録

     萩原朔美により描かれた、母・萩原葉子への弔いの一冊です。
     2005年7月1日に萩原葉子が亡くなり、同年8月16日に遺稿となった『朔太郎とおだまきの花』が出版され、翌月9月28日に「偲ぶ会」の代わりに「出版記念の会」が開かれたと「あとがき」にありました。
     萩原朔美は《本人が一番望んだ出版記念のパーティー。銀色のマジックでサイン出来ないことと、踊れないのが残念ではありますが、まあ、我慢してもらいます》と招待状を出したところ、多くの友人知人や各出版社の編集者たち大勢が出席してくれて《お祝いだからみんな楽しそうにしてくれた》とあり、私はなぜか自分のことのように本当に良かった、萩原葉子はいい人生を終えられたのだと安堵しました。
     孫の朔美から見た祖母・稲子、父・大塚正雄、叔母・明子のエピソードを知ることができ、また貴重な写真を見ることができて感激しました。
     萩原葉子自身についても「一日三枚は書く/書けない時でも二時間は机に坐る」という勤勉な姿や、ダルマに片目を入れてから小説を書き始め、書き終えると両目を入れていたという人となりを知ることもできました。
     さらに、二世スターとも呼ぶべき森茉莉や室生朝子らとの交流や、教師を目指して國學院大學文学部国文科の夜間部に入学した時に担当教員が串田孫一であったという知られざるエピソードは大変興味深く読みました。

     本書でしか知ることのできなかったエピソードのひとつに、萩原葉子が自分でもネコのイラストを描いていたということがありました。
    《ネコというキャラクターは、もちろん「青猫」であり「猫町」だろう。父親の影響以外には考えられない。(中略)/そもそも、イラストを試みるという行為そのものが父親からの影響ではないか。(中略)/そう言えば、母親は『猫町』を他の画家やイラストレーターやアニメーターが描く試みを許さなかった。知らないうちに出版されたものに対しては強い嫌悪感をもっていた。様々な人が様々な解釈によって描いてもいいと思うのに、『猫町』だけは受け入れ難いようだった。あの頑なさは、考えてみれば父親が気に入ったネコのイラストが存在するからなのだ。あの本が文章だけであったのならば、何の問題もなく許諾していただろう。本に親のイラストが入っていたとなると、話は別なのだ。まして自分もネコのイラストは何点も描いている。自分と父親との間に、他のイラストなど介入してほしくなかったのだ。そう考えるととても分りやすい。母親のキャラクターが総てネコだったということもよく分るような気がしてくる。/もしかして、やがて自分のネコのイラストと装幀による『猫町』を出版したいという密かな想いもあったのかも知らない。むしろ、どうしてそういう企画を提案しなかったのか不思議なくらいである。大量のネコのスケッチは、その密かな出版の夢の試みだった。そう考えた方が面白いと私は思うのだ》(p.197~200)

     ところで、本書の最後に萩原朔美が次の文章を載せていて、私が長いこと感じていたことを言語化してくれていて膝を打つ思いでした。
     《私は、さようなら、という言葉が好きだ。もしかすると、日本語として一番好きかも知れない。さようなら。さようである、ならば。別れる時、そうであるならしかたがない、この離別を受け入れよう。さようなら、という言葉の中には、そういう諦念、諦観が入っているから好きなのだ。グッド・バイのように、神とともに、ではないのだ(p.234)

     私は今年の年明けすぐに、公開された映画『天上の花』をきっかけに、萩原葉子を読み始めたのですが、この映画には本書の著者・萩原朔美自身も北原白秋の弟・アルス社社長の役で出演していました。会社が倒産する憂き目に遭うその様子の演技はなかなか味のあるものでした。
     私が高校生になった年、1975年に雑誌「ビックリハウス」が創刊され、この雑誌を持っているとカッコイイという雰囲気がありました。私にとって萩原朔美はなんといってもビックリハウスの編集長でしたが、このような形で再会することができて、感無量です。

  • 一人息子から見た萩原葉子像。森茉莉の親しい友人だったことが頷ける人物像だった。
    彼女の死後、作者が感じた思いは、
    「私には、私の身に起こった重大な出来事を知らせる親はもういないのか」
    「身内の出来事を知らせる人は居なくなったのか」。
    同じように一人娘の私。身につまされる。

  • 祖父のことは母の著書でしか知らない。母はファザコン私小説作家として著名だ。中学の頃から母とは別暮らしなのに、悲鳴のような母からの電話で同居を決意し186日を暮らす。60歳を過ぎてからも自宅のスタジオで踊りに励んだ精力的で自立心旺盛な方も加齢と肉体の病にはかなわない。高齢者の一人暮らしは壮絶な様相を呈している。朔美さんは家の中の整理に終われ、母のしまいこんだ秘密を知る。たった2日の入院であっけなく死んでしまう母。
    親一人・子一人異性の親子関係は複雑。芸術一族としての矜持を持つ母親は重圧的存在だ。
    母の死で素直な母、優しい母、大変だったろう母が心に浮かびあがってくる。
    「親はこどもが出来て親になっていく。こどもは親がいなくなって、初めてこどもを自覚する」それは切ない真理だ。

萩原朔美の作品

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