星座から見た地球

著者 :
  • 新潮社
3.10
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本棚登録 : 403
感想 : 39
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  • Amazon.co.jp ・本 (135ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103247319

作品紹介・あらすじ

この小さい光があれば、物語は消えてしまわない。はるか彼方、地球のどこかで暮らす子供たち。時間は不意に巻き戻る。忘れがたい世界へといざなう、野心あふれる長篇小説。

感想・レビュー・書評

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  • 服がうまく脱げなくてばんざいの状態で動き回るA。
    スカートがふわっとするのがお気に入りのB。
    紙パックに口をつけて飲んで、コーヒー牛乳をこぼしてしまうC。
    兄のおさがりの洋服が不満なD。

    子供のほんの一瞬の表情と感情を思いがけず目撃してしまったみたい。
    ちょっとドキッとする。
    あっという間に失われてしまう時間と命に切なくなる。

    何回も登場するAとBとCとD。
    でもどうも同じ人ではないみたい。
    人ではなくて猫だったり犬だったりもするみたい。

    最初からずっとAは一人の決まった人のことを書いていると思いこんでいて、つなげようとするのだけどつながらない。
    BもCもDも同じ。
    もっとのんびり、1場面1場面を大切に読めば良かったな。
    また忘れた頃に読み直したい。

  • ずっとそっけなくまた落ち着いて語り続けてきた言葉の最後のページをめくると、ずらりと並んだ名前の列を目の当たりにして、こころが締め付けられると同時に急激にふくらんで、粉々にくだけて空へのぼって星座になった。かつてAでありBでありCでありDであった人たち。装丁のすばらしさ。頭がじーんとしている。

  • 淡々とA,B,C,Dで表記された子ども(あるいは動物?物?)の日常が断片的に繰り返し記述されている。
    どこからがAの話でどこからがBなのか。読点のない流れるような文なのに,なぜかその切り替え点がわかる(というか,そうだと勝手に読解しているのか)。文章を読むことについて,いつの間にか身についてしまっている「くせ」みたいなのに気づかされる実験的な文章。

    あのCとこのCは違う子。このDもこのDも全然違う(ようだ)。
    あれこのBはさっきのC? さっきのDの話とこのAの話はとても似ている。
    似ているけど違う。みんなちょっとずつ違うけど似たような日常を送っている。

    文章は淡々とつづく。特別なことは何も起こらない(ようだ)。

    でも、今もどこかでだれかが、じぶんと似たような日常生きて、いつかは死んで、そういうことの繰り返しなんだなぁって、そういうことをじんわり感じさせてくれる1冊だった。

  • いつ
    どこで
    どんな時に読むか

    そういった些細な事で、感じ方がガラッと変わる小説だと思う。

    そして、多分、どのページから読んでも楽しめる。


    こんな小説は他にはないと思う。

  • ふむ

  • 杏のブックガイドから。しかし、これはアカン。とりあえず帯を読んでみて、”読点なし”って書かれているのに『?』ってなったんだけど、まんまその意味で、句点のみで紡がれる物語。にしてもその方針、文章を読みにくくする、という以外の意味はあるの?自分には分からん。その上、内容も何だかよく分からんから、ある意味、二重苦。短い本だから読み通せるだろうって見込みもあったけど、今の自分は、さっさと放り出す方の選択肢を取ります。

  • 星座から見た地球の人たち、
    それは区別なんてほんのわずかで、むしろ区別なんてついてなくて、だからこそ等間隔に、平等で、ひとしい

  • 後半に不思議が解けるのかと思って読み急いでしまったので、もういちどパラパラと辿って終えた。すぐ手放すつもりだったが、ちょっと惜しくなっている。
    帯に「長編小説」とあるけれど、長編小説よりは回り続ける自由詩というか、何というのか…。明らかな繫がりや進行方向がないぶん、何度でも気軽に捲れるのが良いと思った。

  • AとBとCとDの子供たちのそれぞれの視点。

    多分、時系列もそれぞれの年齢とかも憶測でしかわからなくて
    正直、よくわからなかったよー。

    最後まで読めばハッとするような繋がりが見えてくるのかと思ったけど
    最後までよくわからないなあで終わってしまったよー。

  • 何回も読んでる生涯の一冊。詩や音楽に近い。理解するんじゃなく感じるもの。

    「Bが考えてるほど町はせまくなんかないのだ」
    「そしてその時お母さんはかすかにDのことを思い出した」
    こんななんでもないフレーズがものすごく響く。なんでここまで響かせることができるのか考えた。
    この小説、一言で言えば主語が透明。
    普通の小説は「健太」とか「ユカ」とか主人公には名前がついててその名前のイメージでもって頭の中で想像されてる。
    これはアルファベットだからなんかモヤモヤして始まる。2、3行読むと段々形を成してくるんだけど完全にイメージするの前に話が終わってしまう。
    主語が透明だと何が起こるのか?
    必然的に述語とか周りの人の言動の方が主語より強くなる。その強く響いた述語とかが普遍化されて、自分の思い出と響き合う。
    いまいち上手く言えないけどその辺に謎を解くヒントがありそう。

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著者プロフィール

福永信(ふくながしん)
1972年東京都生まれ。京都造形芸術大学中退。
リトルモアの第1回ストリートノベル大賞を短編「読み終えて」で受賞し、1998年にデビュー。
菊地信義によるアクロバティックな横組みの装幀で話題となった短編集『アクロバット前夜』(リトルモア)、
人間ならぬ存在も含む小さな物語集『星座から見た地球』(新潮社)、
知り過ぎた聞き手による対話篇『一一一一一』(河出書房新社)などの小説集のほか、
執筆・構成を担当した展覧会図録『絵本原画ニャー! 猫が歩く絵本の世界』(青幻舎)といった編著も。
2015年早稲田大学坪内逍遥大賞奨励賞受賞。

「2019年 『しんじゅのこ 【限定版】びわ湖真珠 ひとつぶ付き』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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