- Amazon.co.jp ・本 (177ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103256250
作品紹介・あらすじ
どんな夜にも光はあるし、どんな小さな窓からでも、その光は入ってくるのだから――。真夜中、解体されゆく家に入りこんだわたしに、女たちの失われた時がやってくる。三月の死、愛おしい生のきらめき、ほんとうの名前、めぐりあう記憶……。人生のエピファニーを鮮やかに掬いあげた著者の最高傑作。
感想・レビュー・書評
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初めて読む作家さん。
昔は女性の作家は少なくて“女流作家”などという、特別な人種みたいに言われたけれど、今はいろんなタイプや年齢の女性が息をするように自然に文筆活動をしていて、女性同士にしか分からない心理を丁寧に描いてくれるから、読む方としても、様々な女に着替えてみることができる。
ありがたいことだ。
この作品の中に名前の挙がる高級ブランドは、バブル期に聞いたことのある物しか分からないけれど、そういうもので武装した女たちの鎧の下の素顔とか、びっくりするような本音もきけて、彼女たちにもまあいろいろあるのだなあ、と思う。
生きてきた途中で多くのことを忘れてしまったり、無意識に失われたものを思っていたり…
幻想と官能の雰囲気に包まれるが不快感はない。
『彼女と彼女の記憶について』
自分が他人にどんな影響を及ぼしたか、または及ぼさなかったか…
『シャンデリア』
いつ落ちてくるかもしれない、落ちてきたって構わない、むしろ望んでいるのだけれど、なかなか落ちてこないものだ。
頭上に不必要に輝くキラキラしたものは、彼女の虚無的生活の象徴でもある。
『マリーの愛の証明』
この世の形ある物、形の無いもの。
形のある物もやがて形の無いものに変わるのである。
確かにあった、と証明できるものは記憶でしかない?
『ウィステリアと三人の女たち』
取り壊される家の持つ記憶。
この短編を含む、この本に登場するいくつかの種の女たちにとって、“赤ん坊”というものは、追い求めてもかなわない物の象徴のようだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
装丁も中身もまずデザイン最高に素敵。いいなと思って読んだけどどこかまだ味わいきってないような気もする。表題作が好き。
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表題作のウィステリアと三人の女たち。
不妊に悩み、ゆえに子どもが授からず夫婦仲も破綻した女性が、真夜中に自宅の前で解体されつつある老女の家に忍び込み、そこに住んでいた在りし日の老女の姿を思い描くというストーリー。おそらくこれは喪の作業を描いた小説ではないかと勝手な解釈。
「喪の作業」は、死別や離れなど、なにかの喪失によって生じる心の穴(悲しみ、苦しみ)を埋める作業のことで、人が生きていくうえで必要なものだろう。だからこそ川上さんの筆致はその過程を実に丁寧に、静謐に描く。
満ち足りた美より欠落を埋める作業は人を創造的に、かつ美しくする。世界中のどの宗教でも祈りの所作が美しいのはそのためだと思う。作品においても住まいやモノや生活、人との関係性が朽ち果て、老いて、壊され、壊れゆく。その過程を想像し幻視する。しかし、それらは祈りに似た敬虔さに満ちていて最後まで美しい。ほんと川上さんは巧い。同時に、小説のなかで何度も言及されたヴァージニア・ウルフの小説の価値を再発見し読み返したくなった。 -
収められている4つの短篇のうち、最初の2つ、
『彼女と彼女の記憶について』と『シャンデリア』はすごく意地悪でかなり悪趣味で、そこが案外小気味よかった。これ新境地じゃないのかな(もっとも、前者はだいぶ前に書かれてるけど)。1日を百貨店で過ごす不労所得ありの中年女を描く『シャンデリア』はハイブランドの固有名詞オンパレードで読む人を選ぶかもしれないが、これに関しては勝手に「選ばれた」と受けとめて、心して読んだ。
『マリーの愛の証明』は、ソフィア・コッポラが映画化しそうなガーリーな雰囲気。「この女子寮って、どんな子を集めた寮なのだろう?」とかいろいろ考えられて面白かったけど、微妙に私の趣味ではなかったかな。
表題作は、黒沢清監督の映像を思い描きながら読んだらすごくはまった。半分壊れた古家とか突然現れる黒いワンピースの女とか。『岸辺の旅』の小松政夫の場面を彷彿とさせた。それと、ウィステリアが愛したイギリス人女性教師が男性言葉をしゃべるところが印象的。
4つとも「女性」性が前面に出ていて、個人的には川上さんが「女性」というより「人間」を書いた小説を読んでみたいけど、とちょっと思った。
2021年追記
「女性」というより「人間」を書いた小説を読んでみたいという2018年の感想。その当時は正直な気持ちだったのだろうが、今は「女性」を書くことが「人間」を書くことなのだとわかる。 -
表題作含め4篇が納められていて、どれも、少し体温の低い肌触りの物語。うつろな自分とうつろな世界を、少し下がった外側から眺めているよう。
記憶の表現や、自分が考えていることをどう表すかの形容が心に残りました。闇と光の描写もよかったなぁ。文章をていねいに読みたいと思えました。 -
内に何かを抱えた4人の女性が主人公の短編集。
独特の感性で書かれていて、読み手を選ぶかも。私は、好きな本だった。4編の中では、シャンデリアが一番爽快だった。 -
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ウィステリアと三人の女たち
川上未映子
自分の本質が姿を現す瞬間とは、いつどんな時だろうか。
自分がどんな人間か、と聞かれた時に、こういう人間ですと言い切れる人は少ないと思うのだ。
この人といる自分、あの人といる自分、一人の自分、大勢の中にいる自分ーーー
みな自分を使い分けて生きているし、これと言った定義ができないのではないだろうか。
ある日突然、知らない自分が顔を出すことだって大いにある。
この小説は、四人の女性の人生におけるエピファニーを鮮やかに描いている。
鮮やかさとは、必ずしも明るい色だけではないと思う。
人の本質というものはなんだろう。
根底にあるもの。それでいてじとっとしていたり、ぬるっとしていてたり、乾いた紙粘土のようにひび割れている部分ではないか。
人の本質が浮き彫りになるのは、胸が引き裂かれるような、どうにもならない、進みたくても進めない、死にたくても死ねない、
そんな絶望だったり抑えきれない欲望だったり、消えることのない悲しみに近い愛を抱いた時に見える物なのではないか?
そんな風に思わせてくれた作品だった。
人の本質は、簡単には現れないからこそ象徴的であり眩しく鮮やかなのだ。 -
4つの短編集。どれも主だった登場人物は女性。最初の二つ「彼女と彼女の記憶について」と「シャンデリア」は女性の心の動きをわかりやすく捉えており読めましたが、「マリーの愛の証明」は届くものなし、「ウィステリア〜」は内なる愛、想いは分かるもののもう一歩のところ。どうも良さが伝わらず。雰囲気、空気としても私は味わえなかったです。合う合わないの問題なのかなあ。
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言葉の並べ方なのか、エピソードの魅力なのか、なんとなく読み始めたのに、ぐっと引き込まれた。四篇の具体的な関連はないが、どれも不意に孤独感、虚しさ、恐ろしさ、愛が漂ってきて胸が締め付けられる。しかも自分の記憶のどこかを刺激するようだ。読後は、しばし物思いをした。
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表題作を含む4編…
どれも女性が主人公で登場人物もほぼ女性
ある意味、全編にわたり
女性と女性による
愛が語られているように感じる。
川上さんの小説は、
内容やテーマ、結末など難解なものも多いが、
言葉の選び方、表現などは秀逸に思う。
自分の中に朧げに浮かぶ感情や行動に
うまく説明をつけてくれる。
例えば…ウィステリアと三人の女たちより。
玄関の呼鈴が鳴らされることを、ほとんど祈りと見分けのつかない力を込めて想像する。
本当は毎日でも手紙を書きたかったけれど、もはや1年に一度カードを送るだけになってしまっている相手の気持ちとのバランスを思うとそういうわけにもはいかなかった。
上手く結論が見出せない小説が
多いながらも、また川上さんの本を手に取るのは
こうして自分の中にある感情を
上手く言葉にしてくれる、
その可能性に期待しているせいかもしれない。