アニバーサリー

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (314ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103259237

作品紹介・あらすじ

子どもは育つ。こんな、終わりかけた世界でも。七十代にして現役、マタニティスイミング教師の晶子。家族愛から遠ざかって育ち、望まぬ子を宿したカメラマンの真菜。全く違う人生が震災の夜に交差したなら、それは二人の記念日になる。食べる、働く、育てる、生きぬく――戦前から現代まで、女性たちの生きかたを丹念に追うことで、大切なものを教えてくれる感動長編。

感想・レビュー・書評

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  • 窪さんの新作が出ると聞きつけ、我こそはと図書館に予約。
    その甲斐あって一番に回ってきた。
    予想に違わず、すばらしい作品だった。
    どうしてもこれほどまでに窪さんの作品は私の心を震わせるのだろう。
    登場する女性たちに自分と共通する部分はほとんどなくても、どうにもこうにもぐっとくるのだ。

    70歳に近いシニア世代の晶子はマタニティスイミングを教える講師。
    一方真菜は望まない子をお腹に宿したカメラマン。
    以前真菜は晶子の教室に通ってきていた生徒だったが、この二人が3.11の震災後に再び交差するところから物語は始まる。

    晶子が経験した戦時下の食糧難や戦後の復興する様子など、非常にリアルで窪さんの新境地といったことろ。
    ただ、晶子は目白に住むお嬢さん育ちでさほど苦労している様子はない。
    ただ結婚後、夫の手助けもなく一人で子育てに奮闘し、悩み苦しき、子育て以外に自分の生きる道を見つけて行く様は共感する部分も多かった。

    一方の真菜は、有名な料理研究家の娘。
    物理的には何不自由なく育つが、家族からの愛情を感じられないまま成長し心に欠陥を抱えたまま大人になっていく。
    真菜の取る行動はどれもこれも褒められたものではないし、他人事のように生きている弱さには救いようがない。
    しかし、どうにもこうにも真菜に惹かれてしまうのだ。
    危なっかしくてどうしようもない馬鹿だけれど、それでも真菜の気持ちにシンクロして気付けば涙している。

    二人の女性の生きざまを読んで行くだけでも十分に読み応えがあるが、やはり今回の重要なテーマの一つは震災後の世界だとおもう。
    この小説では、晶子も栄養士の資格を持ち、真菜の母親も料理研究家。“食”が重要なキーワードになってくる。
    戦時下での食糧難。働く母親の子供たちの孤食。そして震災後の放射能汚染されてしまった水や野菜。
    様々な形で生活とは切っても切り離せない食糧問題が取り上げられ、様々な問題が提起される。
    戦後の日本が追い求めてきた豊かさは実現したが、この時代では豊かさだけでは解決できない問題が山積みだ。

    乳飲み子を抱え、安全な食料と生活の場所を求めて翻弄される真菜の様子は、震災を経験した母親だったら誰もが共感するはず。
    不安でたまらなくてネットから目が離せず、誰を信じたらいいのか、子供を守るためにはどうしたらいいのかみんな悩んだはず。
    直接的な被害の様子を描いたものではないが、あの時母親たちが何を考え何を悩んでいたのかが私の実体験とも重なって胸に迫った。

    さして長くはない小説ではあるが、大切な事がいっぱいつまった読み応え十分な作品。
    やっぱり窪さんの描く世界はどうしようもなく好きだ。
    色んな人にお勧めしたいところだけど、「ふがいない・・・」と同じく過激な性描写があるので苦手な人は止めておいた方がいいかも・・・。

  • 妻でもなく母親でもない、一人の人間として生きたい。
    昔も今も、女性の前に立ち塞がる社会という名の大きな壁を前に戸惑う女性は多い。
    自分にできることは何かと考えあぐね、自分とはタイプの異なる女性と比較し羨み、時に妬んでしまう。
    自分らしく生きられる場所を求めてさ迷う三世代の女性たちを描いた物語。

    地球が滅びることを待ち望んだ真菜は、終わらない世界で生きる術をなかなか見いだせず途方に暮れる。
    険しい茨の道を女性はいつまで歩まなければならないのか。
    「いくら親が愛情だと思って、子どもに差し出したって、子どもは毒に感じることだってある」
    残念ながら血の繋がる家族がみな寄り添える訳ではない。
    けれど血が繋がらない人と理解し合えることもある。
    「でも、それでいいのよ。そうやって続いていくんだから」
    千代子の言葉に、存在に救われた。
    血は繋がらなくても手を差し伸べてくれる人のいる有り難さをしみじみ思うと同時に、実の母親とは例え寄り添えなくても、いつか認め合うことができるといい、と真菜の未来に期待したい。

  • 「だけどね、あなたが正しいと思ってしてあげたことだって、この子は嫌がるかもしれないよ。」(引用)

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    マタニティスイミングのコーチをしている70代の晶子。
    いつものようにマタニティスイミングに続けて妊婦たちとの昼食会を行ったあと、帰宅している途中で大きな地震にあってしまう。

    自宅へ戻れそうもないと思った晶子は、マタニティスイミングに通ってきていた真菜の自宅が近くだったことを思い出し、思いきって訪ねてみることにした。

    真菜は、晶子が気になっていたマタニティスイミングの生徒でもあった…

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    現代のなか、晶子目線で始まったお話は、戦時中~戦後を生きる晶子の姿へとうつっていきます。
    なぜ晶子がマタニティスイミングのコーチとなったのか、どういう価値観をもって、妊婦たちの力になろうとしているのかが、少しずつ明らかになっていきます。

    特に戦時中~戦後を生きる晶子の描写が鮮やかで、読むごとにその情景が次から次へと浮かんできて、驚きました。
    正直わたしから見ても、真菜を含めた他の妊婦への晶子の言動は、おせっかいだなと思うところが多く、時々見受けられる価値観を押しつけたようなところに、うっとおしさを感じました。

    しかし、晶子の生い立ちを丁寧に見ていくと、そうした晶子のおせっかいが、どうして生まれたのかがわかっていきます。
    わかったからといって、そのおせっかいを受け入れられるかと言われれば、うなずききることはできません。
    けれど人の価値観には、その人が活きてきた「時代」の影響が、ものすごく強いのだということを、しみじみ思いました。

    一方、真菜の生い立ちはまさに、「現代における闇」を象徴したかのようなお話で、晶子の生い立ちを先に読んでいた分、2人のあいだにあるギャップを、強く感じました。

    そして真菜がほしかった愛と、真菜の母親が与えたかった愛のかみ合わなさが、ひどくむなしく、そして切なかったです。

    「だけどね、あなたが正しいと思ってしてあげたことだって、この子は嫌がるかもしれないよ。いくら親が愛情だと思って、子どもに差し出したって、子どもは毒に感じることだってあるんだから。その子もいつか、母親を憎むかもしれない。…あなたみたいに」(305ページ)

    真菜と真菜の母親の関係、そして親子関係は、まさにこの言葉に尽きると思いました。

    真菜の母親が与えた愛情が、真菜をおいつめたように、相手のほんとうの声を聞かないまま一方的に与える愛は、毒でしかないのです。
    晶子の与える愛もまた、もしかしたら相手にとっては愛ではなく毒なのかもしれない。
    それは相手にしかわからないことです。
    だからこそ相手の声を真摯に聴くこと、それだけが、愛を毒に変えない方法はなのではないでしょうか。

    愛が毒に変わることがあるように、善意もまた毒に変わることがあります。
    それをわかっていて生きているかどうかは、大きな違いです。
    「アニバーサリー」は、そのことを教えてくれる物語でした。


  • 東日本大震災の直後のマタニティスイミング講師の晶子が元生徒の平原真菜の自宅を訪問する所から始まる。
    そこには、シングルマザーで心を閉ざした真菜いた。
    ノストラダムス予言で世界が滅びたら良いと自暴自棄だった真菜。しかし、子を持ち、東日本大震災の放射線を過剰に気にして生きる真菜。
    生きにくい世の中に晶子や千代子の様なお節介なおばちゃんの達の存在はとても貴重である。
    誰もが一人で生きていけない。
    未知な不安な恐怖と隣り合わせだから。『絆』を大切に生きて行きたい。
    一期一会、すべての出会いが記念日なんだ。

  • なかなかの問題小説で読み終わった後には色々な感情が渦まく。人の人生はその人が決める
    ただ周りの大人に左右される事も多い
    さぁ貴方はどうすると突きつけてきた

  • いい作品だった。これから子供を産む人、子育てしてる人是非読んでほしい。そうでない人も、家庭とは何か?家族って?人を思いやるって?というたくさんのテーマが盛り込まれていて、登場人物の気持ちがものすごくわかることが多く、心に残る作品だった。

  • 時代の違う2人の 女性の人生を 丁寧に丁寧に書いている。
    だから 物語の序盤に語られる 2人の震災の時の行動も、すごく納得できるものになっている。
    どちらにも じっくりとゆっくりと感情移入できる。
    あのいつもの閉塞的な暗さもあるけど、それは題材的にもしょうがない位の感じで、最後はほんのり明るく終わってよかった。

  • おせっかいで世話好きな晶子の今(おばあちゃん世代)、子供時代と、有名な料理研究家の娘で何不自由なく暮らした真菜の今と子供時代の話。
    お金があっても愛のない家族。
    料理研究家の母が作ってタッパーに入れられた料理を温めて1人で食べる娘。
    家族で支えあっていても戦争で離れ離れになり、土蔵以外全て焼け残された家族。
    忙しくてほとんど家に居ない旦那と、家で時間を持て余しながら子育てする妻。
    様々な家族の在り方が描かれる。

    旦那に言わせると「この本を読むメリットは何?」という本だけど、「本を読むことで自分が経験できない何人もの人生を知ることができる」本だと思う。

  • 七十代にして現役、マタニティスイミング教師。戦中、戦後の貧しい時代をたくましく生き、仕事に忙しい夫の手を煩わすことなく子供を育て上げた晶子。タッパーに手作りのおかずを持参し、生徒らの食生活や産後のケアにまで気を配る彼女は、おかずに一切手を付けない真菜という生徒が気がかりで仕方がない。

    真菜には心を開けない理由があった・・・。有名料理研究家を母に持ちながら家庭の温かみを感じられず、孤独と皆示唆の中、金と引き替えに男と寝た高校時代。不倫の末の望まない妊娠、破綻した家族関係。唯一の心の支えはカメラで、毎夜、街を撮るために徘徊する。

    東日本大震災を機に、交差するふたりの人生。
    ”終わっていく世界に生まれてきてはだめだ。戻りなさい“と生まれ来る命に語りかける真菜・・・。

    母になるという責任の重さ。
    無責任なことは出来ないなぁ。

  • 晶子、真菜の視点で描かれる。
    晶子はマタニティスイミングを教えるおばあちゃん。おばあちゃんママ。お節介。だけどこゆひとって大切なんだよなー。
    真菜は適切な愛情を注がれなかった女の子。母親は著名な料理研究家。高校に入り、援交に走る。カメラマンとの子供もできる。シングルマザーの道を進む。

    1章は戦争時代の晶子の半生。窪さんが戦時中のことを描くなんて、個人的になんだか意外だったので、どう描くんだろう。と思ったけれど、するすると読めた。面白い。現代にもつながる物語になっていて。

    心に残ったのは、いくら仲が悪くたって血が繋がってるのだから結局は家族…この前提が間違えているように晶子は思えてきた、というところ。
    わたしはすくすくと両親の愛を受けて育って、家族の仲も良好で、家族が大好きだと胸を張って言える。
    だから、晶子のように、いくら仲が悪いからって、今まで育ててもらってるし、血も繋がってるんだから、上手くいくって。きっと勘違いから始まってる仲違いだって。誤解をといて、話し合えば上手くいくって。そう思ってた。

    けどやっぱり相性ってのはあるんだなと。家族だって、元は人間なんだから。
    切ないけど、そうなのかな、とこの本を読んで改めて感じさせられたー。

    東日本大震災もうまく絡めた素敵な小説でした。女性ならではの問題をこんなにも上手く綺麗にまとめる窪さん。素敵だなぁー。

  • 窪さんの本は覚悟して読まないと傷だらけになって血を流す。
    でも今まで形をもたなかった心の奥底の見えない膿が、窪さんの文章によって血という形を得て流れ出したあとの読後感は、他の読書では得難い。…窪さんの文がいらない人は幸福だ。

    このアニバーサリーは子を産み育てるという不変的なものを時代と個人によって切り取られている。
    子を産み育てるという古代からの川の流れは変わらない。けれど人生の中では一部分だ。

    戦争と震災、原発。終わっていく世界を生きる次世代の親子。晶子の姿をした窪さんが見守ってくれているような温かさを感じた。

  • 人はひとりでは生きていけないのでは。
    知らず知らず他人に支えてもらっているような気がする。
    おせっかいな人も必要よ。
    その点、田舎暮らしは近所の人が家族みたい。「畑でたくさんとれたから」とか「作ってみたから」とあれこれ頂いたり、回覧板を持って行っては立ち話に花が咲いたりと都会では味わえない濃密な関係性。
    人との付き合いが面倒と思うときもあるけれど、ひとりじゃ寂しすぎる。

  • マタニティスイミングの講師であるおばあちゃん世代の晶子と、その生徒の真菜がそれぞれの世代で仕事と子育てを経験する話。前半は晶子、後半は真菜、最後は現代での2人の触れ合いが描かれており、構成が面白く飽きずに読めた。
    晶子のような戦時中を生き抜いた人は、現代の子育て世代とのギャップが結構ありそうだけど、現代の常識を否定しないところは良かった。自分の経験に基づいて色々言ってしまいそうだけど、相手を尊重する姿勢は見習いたい。
    真菜は親が自分を見てくれない寂しさを埋めるために体を売ってしまうが、親はその事実が明るみに出るのを揉み消すために尽力していたことが後で分かる。それも愛情ではあると思うけど、成長した子供が親に寄り付かないのであれば、子供へのその寄り添い方は失敗だったのだと思う。
    現代パートでは東日本大震災が起き、放射能や余震に怯えながら産後を過ごす様子が描かれるが、コロナ禍でも同じことが起きているなと思った。いつの時代も安心安全が保障された子育てなど無く、都度自分で判断する必要があると気付かされた。

  • 70代で現役マタニティスイミングコーチをする晶子。
    カメラマンで、師匠との子を妊娠した30代の真菜。

    東日本大震災をきっかけにした2人の再会、そして救い。

    第2章ではどうなるのかなと思ったけれど。

    最後千代子と真菜との会話で話がまとまった感じがしたけれど、食・産・育・生という今自分が考えるべきテーマの小説に出会えてよかった。
    ほのかだけどたしかな希望を感じさせる結末が好きです。

  • 既読窪美澄作品では一番の当たり。

    とにかく昌子の生き様が素敵である。戦前戦中戦後の動乱期に苦労を重ねて生き抜き、子どもをはじめ色々なものを失い、色々な制限をかけられるなかで、それでも自分がしたいことは何か、出来ることは何かと考え実行し継続して行く、その生き様がたくましい。

    3.11以降日本のあらゆる文化は転換期を迎えているという想いがある。この小説も3.11を大きなテーマにしている。

    50年ほど先の未来には日本凋落の象徴として3.11と福島原発事故が歴史の教科書に掲載される予感、実は俺も大いに持っている。先の戦争を経験した人たちはもっともっと切実に日本滅亡を予感したのだろう。

    暗い未来を予感してしまうと、子孫なんて残したくなくなる。自分の可愛い子供たちをわざわざ滅亡を予感させる世界に生み落したくない気持ちになるのは当然だ。少子化は案外そういうところに根っこを張った問題なんだろう。

    でも、それでも生まれてきた俺たちや俺たちの子供たちがいる、それならせめて精いっぱい生きて、精いっぱい子供たちが生きていく世界を作っていきたいじゃないか。

    明日世界が滅ぶと分かっていても、今日木の苗を植えます、やったかな。そういうのアリやなと思える小説でした。

  • 読んでズシン、ときた。

    戦争を経験した世代は、壮絶な時代を生き抜いて
    生きているうちに世界が何回も何回も変わって、
    それをすべて経験してきたという事実に改めて驚かされた。

    私の世界は生まれてから何回変わったんだろう。

    この先、生きている間きっと何回も何回も
    世界は変わるんだろうけど、
    それでも人間は変わらず生きていく、生きていけると
    応援されたような物語だった。
    あらゆる世代の女性に読んで欲しい一冊。

  • ブクログのお仲間に教えていただいた作家サンです。
    この人の本は初めて読みました。
    作品がまだ少ない事からまだ若い作家サンなのかな?と勝手に想像してましたが、読んでいて戦中の描写などを見ると、これは20代、30代という人じゃないだろうと思いました。

    この物語の主人公は2人の女性。
    1人はスイミングスクールのインストラクターの仕事をしている70代の女性、晶子。
    そして、もう1人は晶子のマタニティスイミングの教室に一時通っていた若い妊婦、真菜。
    晶子はマタニティスイミングの教室の途中起きた大地震で、近くに住む真菜の事を心配し彼女のもとを訪れ、そこに一夜泊めてもらう事になる。
    そこから描かれる2人の女性の半生。

    晶子は戦前、戦中、戦後という大変な時期を体験しながらも自分らしく生きていく。
    真菜は都内に実家があり、母親は有名な料理研究家という裕福な家庭にありながらもカメラ代欲しさに援助交際をする。
    年代も生き方も全く違う女性。
    この2人の女性の対比から見えてくるものは何なのか・・・。

    私はこの物語を読んでいて、自然と豊かさというものについて考えてしまいました。
    晶子は家族の愛に包まれて生きていたが、途中起きた戦争により、つらい事を幾度も経験する。
    子供の頃は美味しいものを食べていたのに、戦争が起きてからは疎開先でお手玉をほどいてその中の大豆を自分より年下の子供たちと分け合うという経験もしている。
    一方、真菜の方は何不自由ない暮らしをしていて、料理研究家の母の作る料理は贅をこらし美味しいもの。
    だけど、タッパーに入ったその料理に彼女は愛情を感じず、カメラ代欲しさに援助交際を繰り返す。

    都内に住んで恵まれた環境にありつつも悪友に唆されて堕ちていく彼女の姿を見ていると、単純にもったいない・・・と思ってしまいました。
    でも、それは彼女の立場に立ってないからこそ抱く感想だと思います。

    同じタッパーに入った料理、もっとまずい料理でも、そこに愛情を感じられたら子供は親を尊敬し、健全に育つ事ができるはず。
    手間をかけ、お金をかけて作った料理をすべて捨てる心と自分もひもじく飢えているのに、周囲に今ある食料を分け与える心。
    それを見ると、環境の豊かさと心の豊かさは必ずしも比例しないのだと思います。

    この本の中で起きた地震とは東北大震災のことで、その記載を見ると他の作家の作品を読んでも感じる事ですが、まるでとってつけたような設定に思えました。
    その事と食というものの大切を絡めてこちらに伝えたかったのかもしれないけど・・・。
    それに、震源地近くに住む訳でもないのに、あまりに汚染だ、何だ、これが世紀末だという文章を見ると不快感を感じました。

  • 晶子の人生は素敵。多くのことを乗り越えた先が、お節介やきのおばあちゃんなんて、素敵すぎる。自分は選ばなかった道だ。震災や原発を取り上げる作品は、これからどんどん出てくるのだろう。そう思うと気が落ちる。読み終えてもタイトルには疑問が残る。でも、この作品を読むことができたのは良かった。そういう作品。
    2013/9/8読了

  • 震災そして原発事故、育児と仕事、戦後と今、そういう大きな問題を下地に母親と娘を描いた現代小説。
    これはあり得ないという状況もしばしば垣間見られるものの、そいういうこと、私も言いたかったという発言があちこちにあって、3.11後のもやもやが言語がされてすっきりした。
    軽く読めるけど、ぐっとくる。

  • 自分を見失いながらの出産・育児。こんな怖いことはないのに・・・

    初の育児の時、どこか冷静に「虐待って紙一重なんだなぁ」と思ったことを思い出しました。

    「おせっかい」も程度にはよるけど、欲しい時もあるんだよな。

  • 良かった。モデルとなっている金澤直子さんの著書を偶然読んだことがあり、なんだか親近感。それに、著者の本気を感じる。

  • 直近で読んだ『リボン』にも震災の場面があったからか
    何だか頭の中で内容がこんがらがってしまった。
    でもR指定がかかる窪さんならではの場面等に差し掛かると(やっぱり窪作品だな~^^;)と思った。
    親子関係、夫婦関係って近しくて最も愛しいはずなのに
    実は遠い存在に感じたり複雑な感情が交錯している人達も多い。
    そんな感情がとても細やかに描かれてありお見事!
    共感する箇所が多くありつつも嫌な気分になることもあったが
    ラストの明るい兆しにホッとした。
    タッパーの食べ物が嫌いだという真菜の気持ちがとても痛々しくて切なかった。

  • 東日本大震災が起こってまもない2011年3月29日に録画したテレビ番組が今もハードディスクに残っている。
    見返すと、番組自体も印象深いのだが、いっしょに録画されているテレビコマーシャルが、当時の記憶を呼び起こす。
    「こんにちは、ありがとう、まほうのことばで、楽しい仲間がポポポポーン」
    ありがとうウサギやら、ヘタウマなキャラクターがポポポポーンと歌うあの映像とメロディが、津波と放射能に襲われた2011年の日本に何度も何度も流れていた。
    あの時、みんな経験したことがない事態におびえ、不安をつのらせていた。

    『アニバーサリー』は、3月11日に出会った二人の女性の物語。
    75歳でマタニティスイミングを教える晶子。彼女のクラスの生徒で臨月の真菜。
    空襲を経験し、戦後は妻として母として働く女性として生きてきた晶子。
    料理研究家の母は忙しく、家族のつながりは薄く、ひとり孤独を深める真菜。写真を撮ることが唯一の光。
    年齢も育った環境もまったく違う二人。
    晶子は精一杯生きてきたが、自分たちの世代が望んだものや暮らしが、このような事態を引き起こしてしまったのではないか、という負い目がある。
    真菜は生まれたばかりの子どもと「世界の終わり」にどう立ち向かっていけばよいのか、途方にくれている。
    だが、希望はある。
    生き続けていくしかない。

    2011年3月29日、サッカーをやっていいという確証のない中、開催された日本代表とJリーグ選抜との復興チャリティーマッチ。
    試合結果よりも、あの日、カズ・三浦知良が決めたゴールと直後のカズダンス。
    テレビの前で 途方に暮れていた私たちに何の根拠もないのだけれど、大丈夫、終わりじゃないと告げてくれた気がする。

  • 本女出身者、必読!
    って思うくらい前半は戦時中の日本女子大のことが描かれてました。N女子大付属ってまさに!!
    目白、西生田、軽井沢…って三泉寮でしょ!!
    西生田に疎開している時に東京大空襲があってその丘(山ですけど~)から東京方面が赤く焼けているのが見えた  って!! どんだけ遠くまで見えたのよ!!

    ということで、スーパー本女生(幼稚園から大学まで)としては前半は「おおーー、知ってる知ってる」の連続で一気読み。
    思わず最後の参考文献のあたりを見たら「日本女子大学成瀬記念館」という文字を発見してさらに興奮(笑)


    さて、それはさておき…
    食べ物に恵まれない少女時代を過ごしたけれど(戦時中だったため)家族の愛情はしっかりと感じて育ってきたおばあさんと、料理研究家の娘としておいしい料理を親が作ってくれるけれど母はいつも仕事で忙しく、家で食事を食べるときはいつも一人でタッパーに入った料理をチンして食べて育った女性が震災を機に出会う話でした。
    読めば読むほど「温かい食べ物を一緒に食べる」ことの大切さを切に感じました。
    口でどんなに「おいしい食べ物が家族をひとつにする」みたいなことを言っても、一緒に食べないといくらおいしい料理でも家族をつなげることはできないんだろうな。

    後半、性描写がきっつくてウウーーと思っててふと気が付いたのですが、作者、「ふがいない僕は空を見た」を書いた人だったのですね。なるほどーなるほどーーー。

  • 窪作品は全作を通じて誰かが誰かを救う、ということがテーマにあるんじゃないかと思うのだけど、今回はそれがより顕著に現れているような。真菜の言動は私にはまったく理解することが出来ないものだけど、そんな真菜が晶子さんに救われることで読者もまたきっと救われる。

  • 私は今8ヶ月の妊婦だ。
    読書中、お腹の中で動く赤ちゃんを愛おしく感じて何度も何度もお腹をさすった。
    このタイミングでこの本が読めて本当に良かったと思う。
    今回の妊娠に至るまでいろんなことがあったけど、その度に著者の出される作品と私の心情がいつもリンクしていて、勝手に不思議な縁のようなものを感じずにはいられない。
    そして今回の作品も、これから産まれてきてくれる我が子のことや、出産がいよいよ近くなってきて不安な気持ちをすっと軽くしてくれた。
    周りに「親になるんだから」「お腹の子のために」というセリフを何度も聞かされてイライラしていた反面、私はこの子をちゃんと育てられるんだろうかと不安があった。
    親になるというプレッシャーに押しつぶされそうだった。
    でもこの本を読み終わったあと、肩の力が抜けた感じがして、「もっと気楽に構えればいいんだ、なるようにしかならないよね」と思えるようになった。
    先日病院の先生に言われた「今が一番楽しいとき、今だけのマタニティライフを楽しんで」という言葉を思い出した。
    私に足りなかったのは楽しむということなんだなぁ。
    今も未来も、楽しんで生きていく。そのことを忘れずに頑張って生きていきたい。

  • 窪さんの書く「命」ってどうしてこんなに深いのだろう。
    戦争と震災、国家的な二つの大きな命の危機と、出産という超個人的命の始まりがゆっくりと寄り添いそして一つになって読んでいる私の全身にしみこんできた。
    女がある日、母になる、それはやはり経験した人にしかわからないものなのかもしれないけど。
    母親になったからと言って誰もが慈母になるわけでもないのだ、という当たり前のことをもっと誰もが知るべきかもしれない。
    ただ、それでもやはり私は一人の母親として、子どもを守り育てることをやり遂げたいと思うのだ。そして子育てに迷い戸惑い苦しんでいる人がいれば、晶子のようにおせっかいをやきたいと思ってしまう。
    一人で育児というトンネルの中で小さくなってしゃがみこんでいる母親たちを、明るい世界へと連れ出すことは誰にでもできる。一人でも多くの母親が笑顔で子どもと向き合える社会を作っていくのが私たち世代のなすべき仕事なのだ。
    そこに、命があるかぎり。

  • 左足に風がふ痛て来たかもw

    ってな事で、窪美澄の『アニバーサリー』

    75歳でマタニティスイミングの指導員で働く晶子の幼少期の戦時中からこの歳になる迄の、波乱万丈な人生の中で関わる人々の話。

    言いたい事も言えない晶子じゃったが、感情を声に出す事によって人生が開けて来る。

    そんな中に人付き合いがまるで苦手な真菜と言う妊婦と出会う。

    真菜の母親は有名人で毎日を多忙に暮らしていく売れっ子料理人。⁡

    そんな真菜は親の勝手な思い込みで送られる『愛情』では心を開けなかった……。 ⁡
    ⁡⁡
    ⁡荒んだ学生時代から怒涛の社会人に突入し、泥沼の恋に溺れて行く末は……。⁡
    ⁡⁡
    ⁡ 将来、うちのチビ達はこんな感情を持つ人間に成るんかな?
    愛ある人に育って欲しいなw

    2017年31冊目

  • タイトルと
    表紙からは想像できない

    過激なとこもあるけど
    いいお話でした

  • 65どうしようもない現実とでもそこで懸命に生きようとする葛藤。世代を超えた女性たちの生き様と絆が溢れてる。でも今はジェンダーレスや貧困、とかの問題にまとめられて、かえってどんどんステレオタイプになって行くような気がする。でも結局は婆ちゃんたちは偉くて爺さんは当てにならない、っていうふうに思えるのは僻みかな。

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著者プロフィール

1965年東京生まれ。2009年『ミクマリ』で、「女による女のためのR-18文学賞大賞」を受賞。11年、受賞作を収録した『ふがいない僕は空を見た』が、「本の雑誌が選ぶ2010年度ベスト10」第1位、「本屋大賞」第2位に選ばれる。12年『晴天の迷いクジラ』で「山田風太郎賞」を受賞。19年『トリニティ』で「織田作之助賞」、22年『夜に星を放つ』で「直木賞」を受賞する。その他著書に、『アニバーサリー』『よるのふくらみ』『水やりはいつも深夜だけど』『やめるときも、すこやかなるときも』『じっと手を見る』『夜空に浮かぶ欠けた月たち』『私は女になりたい』『ははのれんあい』『朔が満ちる』等がある。

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