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Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784103275220
作品紹介・あらすじ
いつだって旅はある。そう、夢の場所がある限りは――。16歳のとき初めて一人で旅した秋田県男鹿半島、檀一雄の墓に参った福岡県柳川、吉永小百合と語り合った伊豆の修善寺……旅先での風景を前に、「あの頃」と「いま」が交錯する。JR東日本の新幹線車内誌「トランヴェール」で人気を博した連載などから35編を収録、『深夜特急』の著者が気の向くままに歩き続けた、国内旅エッセイ集。
感想・レビュー・書評
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会社員時代の出張で新幹線を利用していると、トランベールっていう冊子に連載されていたのを駅弁の紹介コーナーと並んで楽しみに読んでました(今も連載されてるのでしょうか?)。本の大きさといい重さといい手触り装丁が紙の本として旅のお供にぴったり。電子書籍も荷物にならなくていいけどこういう感じの本だと紙の方がいいなぁと思ってしまいます。一気に読むのでなく一編一編味わって少しづつ読むのが楽しかった。それにしても心にしみる文章です。完璧な予定を立てて滞りない旅行よりも思いがけないものとの遭遇の方が感動が上回るエピソードは実感します。コロナ後の自由になってきた世の中でまた用心しつつ、思いがけないものとの出会いができる隙間のたくさんある旅に出よう。
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沢木耕太郎と言えば旅。
沢木耕太郎の身体で吸収した体験は、文字になるとまるで生きているかの如く動き出す、なんなら自分が同じことをやっても見過ごしてしまうようなことも、適切で温かみのある言葉で語りかけてくる。
沢木耕太郎贔屓だからかもしれないが、沢木耕太郎は長編でも短編でも同じ仕事をする。
追体験をさせられ、同じことを自分ならどう考えるかを考えさせられる。
本を読む時間、その体験を自分ならと考える時間、時間はいくらあっても足りないけれど、それが沢木耕太郎のほんの良いところ。
さて、この本は「旅のつばくろ」の2冊目。1冊目は北から始まり、こちらは北を中心としつつも、南のものも見受けられ、これから3冊目は南が多くなるとか。ファンとしては読了してまだ楽しみを待てるという幸せな待ち時間を知れた。
短く読みやすいエッセイは隙間時間でも充分楽しめるが。一つ一つとても濃く彩りがある。
沢木耕太郎でも案外と不器用だと身近に感じたり、いやいややはりすごい人だと感じたり。たくさんの体験を存分に吐き出して魅了する。
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トーンが著者のラジオで聴いた語りのままで心地良い。
「旅先に心残りをつくるのも悪くない」「偶然の遭遇 すれ違い」「旅に出てから学ぶタイプ」「思いもよらずの為に隙間を作っておく」「黄金の刻 旅の神様」ー33のエッセイに出てくるこれらの言葉。旅はいい。
私も若い頃に著者の真似をしていた”旅のリュックにリンゴを…”の最初の話が出てきたのには感動。 -
私が本好きになった原点が沢木耕太郎さんの「深夜特急」。この本、日本国内を気ままに旅するのだが、そこはあの香港からポルトガルまでユーラシア横断した時と同じように、無計画。気ままに時間があれば電車よりもバス、バスよりも徒歩。そこでの思わない出会いを楽しむ。
時間的には余裕が出てきた今日この頃、あてもなく歩きはじめるのも良いようで、まずは車を使わず玄関を出ること・・・そこから旅が始まりそうな予感がしますな。 -
「旅のつばくろ」の2巻目。
1巻目には、このエッセイが、JR新幹線の車内誌である「トランヴェール」に連載されたものであるという説明があったのだが、この2巻目には、その記載、すなわち、このエッセイの初出が全く記載されていない。それは沢木耕太郎のエッセイを味わう分には書いてあっても書いてなくてもどちらでも良い類のものであるが、何故書いていないのだろうか、と不思議な気がした。もしかしたら書下ろし?そんなこともなさそうだしな、と思いながら。
このシリーズは、国内旅行のエッセイである。
沢木耕太郎が書く旅行記といえば、何といっても「深夜特急」。外国を放浪するように旅するというのが、沢木耕太郎の旅行記のイメージ(少なくとも私にとっては)であるが、本書は趣がずいぶんと違う。旅先でよく歩いたり、あるいは、九段から九品仏までを歩く旅行といった独特の旅行記が混じったりもしているが、このエッセイの中での沢木耕太郎は、普通に電車に乗り、普通にバスに乗り、ある目的地を目指して(放浪旅行というのは、目的地がないのが普通)旅をする。だから、このエッセイに個性、ユニークさを出そうとすれば、旅のスタイルではなく(それは特色がある訳ではない)、旅の目的地ではない(それは日本国内の普通の場所)方法で出さなければならない。
そういった意味で言えば、この本に収められているエッセイは、必ずしも沢木耕太郎らしさが溢れたものではない。沢木耕太郎ではない人が書いたものである、と言われて読んだら、そう思ってしまうものも多い。しかし、エッセイとして面白くないという訳ではなく、沢木耕太郎が旅した場所に行ってみたくなるような魅力がある。旅の目的地やスタイルは普通であっても、そこに何を求めて、何を感じるかにその人らしさが出るのだろうと思った。 -
前作にも増して旅情をかき立てられる35編のエッセー集。遠い記憶の穴を埋めるための東北旅行、北斎の版画に描かれた場所を探し求める日光旅行、江戸幕臣の紀行文を辿る23区内小旅行等々…心に残るエピソードばかり。読みながら、まだ携帯もない時代、時刻表だけを手に飛び回っていた頃が懐かしく思い出された。これまで旅先に残してきた心を回収する旅は、自分もこの先いつかできたらいいなと思う。スマホにもガイドブックにも頼らず一人、風の吹くまま気の向くままに…。
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「深夜特急」の沢木耕太郎の国内旅エッセイ。
図書館で借りた。
「深夜特急」は学生時代に読んだことがある。ほとんど覚えていないけれど、悪い印象はなく面白く読んだ気がするので、今回この本も読んでみることにした。
印象は「薄い」という感じ。あるいは「深夜特急」もそうだったのかもしれない。訪れた土地に関する蘊蓄が聞きたい訳でもないけれど、ひたすら「薄い」。
手許にはないが、「深夜特急」も再読して確かめたい気になった。 -
作者の沢木耕太郎さんが、16歳の時に一人旅をした東北地方を再訪する旅エッセイ。
当時を振り返り、出発前に少しの目的地を決めて、あとは行き当たりばったりで旅を楽しむ沢木さん。
深夜特急の頃から変わらないその姿勢が、短いエッセイのなかで伝わってくる。
期待してた場所が想像してたより、全然しょぼかった、、みたいなことも当然あって。
そんなガッカリした一日。でもその日の夕方のこと。トボトボ歩いてた鉄橋の上で、手前に見える丘に夕陽が差してほんの10分だけ黄金に輝いて。それまでのガッカリが全てチャラになったような気がしたそうで。
キュンの瞬間が分かりみすぎて。 -
作者による外国への放浪の旅ドキュメント「深夜特急」が好きで、実際に旅には出向かずとも心の何処かで旅へのあこがれを抱き続ける自分にとって本書はスケールは違えども醸し出す旅へのあこがれに共通するものを見出す。纏まった日数を要する海外旅行ではなく国内旅行を題材としてくれているのでより旅への動機付けをしてくれる。
作者の言う「黄金刻」を見つける旅にでかけたいものだ。ただ、それには作者のような深い知識、経験、好奇心を持つことが必要だとも思うが、これが難しそうだ。結局、作者の提示する本を手に取ることがとても気楽な旅行気分を楽しむことかな、とも思う。
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国内旅の沢木耕太郎さんのエッセイ。過去の旅を辿る今の旅が、あるきっかけから交錯する時の何とも言えない喜びや感動がリアルに伝わって来た。
まるで一緒に旅しているかのよう。
娘さんとの偶然のすれ違い、お土産に買ったこけしに詫びる気持ちなど温か。
じんわりと心に染み渡るエッセイだった。 -
<久>
沢木耕太郎の文章に良い印象を持つ。いやなに 読み易いってことだ。誰にでも僕の様に沢木の文章が読み易いのかは分からないが、少なくとも僕は中身がスイスイと頭の中に入って来る。
たぶん名作『深夜特急』もそうなんだろう。僕は本をあまり手元に置かない。まあTSKで調達することが多いが、買った本は読んだら友人知人にあげるかブクオフなどへ持ち込んで手放す。理由は単純で保管しておくスペースを僕は持たないからだ。で,言いたいことは件の『深夜特急』全5巻は文庫にて我が数少ない蔵書としている。いつかいつの時か必ずもう一度読みたくなる時が来るような気がするのだ。もしくはちょっと言いづらいが二人の息子たちに「おいこれ」って読ませようと思っているのかも知れない。
本書の冒頭で沢木が,晴れた会津の空を求めて乗った新幹線「やまびこ」を追い越す「はやぶさ」に僕は思いを寄せる。実は僕の親しい友人が馬場馬術競技(「馬場馬術」が暗知の方はどうぞググッて見てください)の為の馬匹を買った。いや 買ったというのは正しくはなくてとある乗馬クラブでレンタル馬主となった。友人はもう30年来この馬場馬術を大切な趣味としていて,全日本競技大会クラスでも過去に何度か入賞したキャリアを持つ。その馬の名が「キング・ファルコン」なのだ。そうFalconは「はやぶさ」なのだ。11月には全日本の大会がある。僕は完全に外野席なのだが実に楽しみなのである。
この作品(旅のつばくろ シリーズ らしい)はJR東日本の新幹線車内誌「トランヴェール」 に連載しているらしい。 え!待てよ,つい先日(2022.8月末)僕が青森から仙台まで新幹線「ファルコン (はやぶさ)」で移動した際には,その車内誌そのものが席に無かったぞ。僕はこう見えても活字に常に飢えているので 社内誌など有れば必ず見るのだ。たまに「ご自由にお持ち帰りください」などと書いてあったら 嬉々として持ち帰って一人住まいの我が家の自室でゆっくりと読むのだが・・・。おい無かったぞ。JR東日本 どういうりょうけんだ説明しろ。まさかグリーン車にしか置いてない などと云うならもう今後一切乗るらんからな! と 笑う。
ちょうど新幹線内誌に掲載された時期が新型コロナバイラス禍津と重なってしまい、かなり苦しい執筆状況を強いられている。だって流石の沢木耕太郎も実際に旅には出られないのだものな。それでも中身は面白く、過去の自分の旅体験と現在の状況をうまく結んで読者にも分かり易く描いている。やはり大したもんだ。
沢木は本書の中で新型コロナバイラス禍津については、例えば「新型のウイルス」と云っているだけで「コロナ」というキーワードは絶対に使わないようにあえて心がけているようだ。それがスポンサーであるJR東日本からの要請なのかそれとも沢木自身の判断でそうしているのかは分からないけれど、僕としては違和感を少し感じる。これだけ世界中の皆が知っているウイルスの名前をノンフクション作品なのにあえて書かないことそのものが違和感なのだ。まあそうはいっても作者には何か想いがあるのかもしれないが。あるとしたらその想いが同いうものなのかを知りたいところだ。
いくつものこじゃれたエッセイが並んでいる。どれも独特の語り口で面白い。が,後半の一品『時のふりかけ』だけは,おいおいいくらなんでもこれは沢木さん創り過ぎだろう,と思った僕がじつは創られ過ぎなのかっ!?笑う。
またも読んだ本の中身そのものとは全く関係ない事を無理やり 読書感想文 にしようとしている僕が居る。いつもながら 誠にすまぬすまぬ。 -
五色沼 私も以前近くまで行ったけど、太陽が出ていないから美しく見られないだろうと諦めたことがある。翡翠。どんな天気でも見えるものだとしたら、、あの時見ていれば。沢木さん的にはこうゆう感情が次回の旅の動機になるのだろう。
全てが計画通りの旅もいいけれど、たまたまの偶然に遭遇するための、ちょっとした隙を作るのも悪くないと思った。 -
「旅のつばくろ」の続編。
旅に生きる?著者のエッセイから紡がれる小話は生き生きとしており、まさに旅に出たいと思わせる内容となっている。
深夜特急しかり、彼の文体に潜む「旅への渇望」が垣間見えたのかもしれない。それを解き明かすという意味でも、エッセイ本としてはとても読み応えのある一冊。 -
ガイドブックやネットに頼らず、駅前の地図を頭に入れて歩き出しわからなけらば人に聞く。そういう旅を著者は続けている。そして思いもかけなかったものとの遭遇やそれに纏わる思索を端正な文章で世に送り出してくれる。
P181
行くか、行くまいか、迷ったときは行くにかぎる。なぜなら、すべては移動によって始まるから、だ。 -
旅のつばくろシリーズ第二弾。短いエッセイの中に濃縮された人生の悲哀。名人の域に達したと言える筆者の絶妙な筆致。さあ、旅に出よう。
なぜ一つの旅、短いエッセイからこれだけ奥深いものが引き出せるのだろうか。どこか人生の悲哀を感じつつも小さな驚きと感動がある。
山口瞳に教わったという紀行文を書くための要諦、特に「滞在中ひとつの店に何回も行く」が秀逸。
筆者の心象風景。黒塀と丸型ポスト。それがとある町を旅してふと見えてくる場面。
さほどの分量ではない本だが無限の感動を持った1冊。 -
著者は180cmもあるんだ。
そりゃ、若い頃はモテただろうな。
スマホを持たずガラケーというのも、好感度高し。
あんだけ旅してるのに、道に迷った時も地図アプリを見れば一発なのに、あえて(スマホを持たず)人に尋ねてそっから思いもかけずいろんなことに遭遇する楽しみが旅の醍醐味なんだとか、さすがだわ。
よく、通りすがりの人に道をきいたり、話しかけたりしてるみたいだけど、なんて幸運な人たちなの。
私も、道を歩いてたら突然、沢木耕太郎に道を聞かれないかな。 -
沢木耕太郎(1947年~)は、ノンフィクション作家、エッセイスト、小説家、写真家。著者が、1974~75年に香港からロンドンまでを旅した記録『深夜特急』(発表は1986~1992年)は、当時のバッグパッカーのバイブル的存在としてあまりにも有名。1979年 『テロルの決算』で大宅壮一ノンフィクション賞、1985年 『バーボン・ストリート』で講談社エッセイ賞、2003年菊池寛賞、2006年 『凍』で講談社ノンフィクション賞を受賞。
本書は、JR東日本の車内誌「トランヴェール」の連載(現在も継続中)をまとめて書籍化したもので、2020年4月の『旅のつばくろ』(41篇を収録)に続く2冊目(35篇)。
私は、1980年代にバッグパックを背負って海外を旅し、沢木耕太郎の作品は、上記の各賞受賞作をはじめ、『敗れざる者たち』、『流星ひとつ』、『キャパの十字架』、『旅の窓』、『チェーン・スモーキング』、『世界は「使われなかった人生」であふれてる』、『作家との遭遇』など多数の作品を読んでおり、最も好きな書き手は誰かと問われれば迷わず沢木の名前を挙げるファンである。
なぜ沢木がそこまで好きなのかというと、ある著書の解説に、「沢木耕太郎という人は、今までの自分が知り得ていた世界、あるいは想像し得た世界にいる誰とも似ていなかった。会いたい人に会うこと。行きたい場所に行くこと。書きたい何かを書くこと。誰とも群れず、何にも属さず、しかし、あらゆる世界や人々と柔らかく繋がっている。」という記載があるのだが、そのような沢木の生き方・スタイルに惹かれるからなのだと思う。
そして、本書では、会津、秋田、伊豆、日光などが出てくる(また、さりげなく吉永小百合や井上陽水らが登場したりもする)のだが、結局、沢木がどんな生き方をしてきたかが書かれているのだ。
また、沢木はあとがきで、「春になり、やがて夏が来ようとしているいま、私たちにも、そろそろ飛び立つことのできる季節が訪れたような気がする。・・・自らの責任において、移動をするかどうか判断する、私が飛び立つ季節が訪れたような気がするというのはそういうことだ。・・・無難を求めて大勢に盲目的に従うのではなく、何事も自らの責任において自らの行動を決する。そんな習慣が、ひとりひとりの身につくようになるとすれば、この災厄にも、大きな意味があったということになるのかもしれない。」と、新型コロナに関わる環境の変化を慎重に言葉を選びながら書いているのだが、沢木はこれまでも常に「何事も自らの責任において自らの行動を決」してきたはずで、我々にエールを送ってくれているのだ。
様々な意味で、実に沢木らしい一冊と言えるだろう。
(2022年7月了) -
とても読みやすいエッセイシリーズだと思う。
土地勘や全くない地域がほとんどだったり、自分自身の知識が浅い内容を色々出てくるが、栞を挟んで置くという選択肢が出てきてもおかしくないが、読み進めさせてくれる。(最近、本を読むのがしんどいと思う時間が長いがそれでも読める。)同じ経験はしていないが、「わかる!!」と思わせてくれることが多く記されている。
西日本中心のものが是非出てほしいと思う。
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