流跡

著者 :
  • 新潮社
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レビュー : 98
  • Amazon.co.jp ・本 (102ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103284611

感想・レビュー・書評

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  • 残念ながらよくわからなかった

  • 東京を散策していたかと思ったら船頭になって、渦に呑まれて森に迷い込んで木に精気を吸い取られて、現代人になって、また生まれ変わって女になって…
    羅生門みたいな、虫師みたいな雰囲気の話でした。
    さらさらとした綺麗な文体なのですが、さらさらし過ぎて内容が砂のようにこぼれ落ちました。

  • 意味がわからないけど、綺麗。

  • 読んでいて初めての感覚があった。
    朝吹さんの、言葉選び、文字選び、一文字ずつが慎重だった。
    読み終わって流跡というコトバの意味を考えた。

  • 2011年「きことわ」で第144回芥川賞受賞の
    朝吹 真理子さんの作品を読んでみようと、図書館にリクエスト。
    やっぱり…不思議ちゃんな感じで、よくわからなかった…。

  • 「きことわ」のあとに。

  • ……結局一頁として読みすすめられないまま、もう何日も何日も、同じ本を目が追う。どうにかすこしずつ行が流れて、頁の最終段落の最終文字列にたどりつき、これ以上は余白しかないことをみとめるからか、指が頁をめくる。……られて、し……つきになるこ……光波に触れ、垂直につづくそれら一文字一文字を目は追っていながら、本のくりだすことばはまだら模様として目にうつるだけでいつまでも意味につながってゆかない。

  • 文字が流れていく。思考が流れていく。存在が流れていく。欠片が流れていく。生活が流れていく。何もかも流れていき、残ったものは――感動と振動。芥川賞おめでとうございます。

  • 「結局一頁として読みすすめられないまま」と、本を読んでも頭に入らないという書き出しで。
    意識の主体は人なのか、もののけなのか、何者なのか?謎めいた内容を、端正な文章で、もやもやと流れるように。
    意識の流れを追って、あちらこちらへ。
    言葉はちょっと凝りすぎ?な感もあるけど。
    それも楽しみの一つでしょうか。

    神社の参道、境内で舞う楽人。
    川を行き来する船頭、荼毘所から漂う匂い。
    同僚の葬儀に参列する男。
    誰が語り手なのか…え?と。
    生と死までが移り変わってゆきます。
    筋をまとめるのは難しいというか、野暮な気がします。
    この細やかさとそこはかとない暗さ、猥雑でどこかねっとりゆったりした生きている感覚。
    流れを楽しまないと…
    読後感は悪くありません。
    誰にでもお勧めというわけにはいかないですね。

  • ・朝吹真理子の意図
     作者自身は小説を書くことについて次のように述べている。《私自身は、表現したいこととか伝えたいメッセージが書く動機になっているわけではないんです》《書くきっかけや動機ってやっぱりわからなくて、そもそもわからないということに気がついたのも、まだ最近なのです。(中略)ハッと気づいたらこの世界に生きていしまっていたのと同じように、「書く」ことをはじめていた……としか言いようがありません》(「流れ去る命と言葉」『新潮』第108巻1号、2011年1月)。つまり、この作者は小説に、特別のメッセージや主題を置いていないことがわかる。同インタビューにおいて、しかしながら、作者は書き終えた時の「ここで終わり」という感覚はあると述べている。書き終えた感覚があるということは、作者なりの目的を達成したということである。では、その目的とは何か。作者は、書き終える感覚を次のように語る。

    人間の思考って代替は非言語の感覚の中にあって、時間や空間が混在する「おかゆ」
    のような状態にあると思うので、書く時は、そのぼんやりしたイメージを異物である
    ところの言葉を使って、どうにか最もフィットする形で紙に凝着させたいといつも願
    っています。つまり、そのイメージに一番合うと思った言葉を取ってきて紙に書きつ
    ける。そして、読む。するとその言葉からは、また別の書かれなかったもののイメー
    ジが立ち上がってくる。それで今度はそれを摑まえようとして、また言葉を取ってく
    る。しかしこうした作業を何度も繰り返していると、書いてきたものが書こうとして
    いたもののイメージと合致する瞬間が訪れます。
       その時には、書かれたものが既に書き手とは決別する形で存在していて、私はもう
    そこに介在することができないという感覚になるんです。

    つまり、時間や空間の混在する非言語の感覚やイメージを言語に合致させた時という逆説的な瞬間が、作者にとっての作品の終わり、完成なのである。

    ・文体的特徴
     朝吹真理子の書く、時間や空間の混在する非言語の感覚やイメージを言語に合致させた作品について、堀江敏幸は、《近代以前の世界から来るような声が聞こえてきます》(同前)と述べているが、同様の特徴は島田雅彦によっても指摘されている(「文学の多様性について」『文學界』第65巻3号、2011年3月)。

    小説には時間軸を自由に操ることができるという特権があって、現在過去未来を必
    要に応じてシャッフルできるわけですが、時間の扱いの問題というのはすごく難しい。
    (中略)でも朝吹さんはその中にあって、時間軸を随時シャッフルしながら、過去と
    現在、時に未来が交錯するような表現方法をとられていた。

     朝吹の作品における時間の現れ方について分析を加えたのは、鴻巣友季子である。鴻巣は「朝吹真理子 アテンポラルな夢の世界」(『文學界』第65巻3号、2011年3月)において、朝吹作品のアテンポラル(無時間性)のなかに、近代的(現代的)な語り手と古代的な語り手の混在、共存を見た。そして、それを可能にする文体上の特徴として三つの点を挙げている。すなわち、主語の欠如、現在形の多様、そして、助詞「が」の多様である。
     鴻巣は「~が」構文が日本昔話の文体として、語り手と読者の情報レベルがほぼ同じ位置にあり、その一方で、「~は」構文を持つ西洋のノベルは、より多くのことを知っている個人性が導入されている、と述べた。そして、この共存が朝吹作品の無時間性を推し進めているとした。これは、『日本近代文学の起源』を振り返ればわかるように、日本における「文学」の誕生が二葉亭四迷の三人称小説の直訳による文体輸入によって果たされたことを思えば、妥当性のある指摘である。

    ・朝吹における無限性
     ところで、前掲の論文において鴻巣友季子は朝吹作品の核心を、「心もとなさ」に見ている。鴻巣が「心もとなさ」を感受したのは、『きことわ』の次の件である。

    目にもとまらぬ速さでいきものがうまれていた五億四千二百万年前の海の生きもの。
    カンブリア、オルドビス、シルル、デボン、古生代のいくつもの時の名を口にするだ
    けで、いなくなってしまったたくさんのふるい生きもののすがたが目の前を過ぎて、
    ほんのわずかな間に何億もの時間が永遠子の身体を通りぬけていくようだった。古生
    代の夏はどんな夏だったのか。忘れられた古代の記憶をゆりもどそうとする。永遠子
    の身体はいまに皮膚が透けはじめ、手も足も身のすべてがほどけてとうめいなくらげ
    のような、なにからの支えもないただの水に押し流されてゆくだけの生命になりそう
    だった。

     この件の生命の時間の壮大さが、無限に広がって行くようで心もとない感覚を読者に与える、と鴻巣は言う。無限ということは、始まりもなければ、終わりもないことである。少なくとも、無限に存在するものの前では、有限の生を生きる我々にとってそれは真であると言える。その無限性は『流跡』においても同様に存在している。四方田犬彦は次のように述べる(「アンフラマンスの記憶――朝吹真理子『流跡』のために」『新潮』第108巻1号、2011年1月)。

    語りは「はじめがないのだがはじまっている」と宣言されているように、いつもす
    でに開始されていたのだった。いつから開始されたのか、定かでない起源を垣間見る
    ことは許されない。だから読む行為も遅延を常態として進むしかない。事後性によっ
    てしか保証されることのない「今、ここ」を、このテクストは生きるのである。

     けれども、このように『きことわ』、『流跡』と共通して顕れる無限性への作者の態度は、果たして鴻巣の言うように、心もとなさなのだろうか。朝吹は「流れ去る命と言葉」における対談で次のように発言している。

    子供の頃から、自分はただ流れ去る一つの生体にすぎないと感じていました。今日
    に至るまでに沢山の生命体が死んで、まさに今この瞬間にも死んで、生まれつつある。
    私がいつか子供を生むことになっても、やがてその子は死ぬことがわかっているのに、
    それでも生む。川を見ていると、自分もいつか死ぬし、皆も死ぬんだという大きな流
    れの中の、一つの生に過ぎないと思えるので安心します。
    それに川というのは、上流と下流を両方一緒に見ることができませんよね。(中略)
    いつもその流れしかわからないということに惹かれたんだと思います。

     このように、朝吹の無限性に対する精神的態度は心もとなさよりも、むしろ撞着と言うべき性質のものであることが分かる。

    ・小説を書くことと無限性
     四方田の指摘にも見える通り、無限を書く、無限のなかで書くという行為は(書くと読むはこの場合同義である)、「今、ここ」という瞬間性に依拠しなければならない必然を生む。朝吹はこの問題について、鼎談「文学の多様性について」において、次のように述べている。

    私も書くという行為は、やっぱり暴力的な野蛮さがないとできないと思うんです。
    そのことについて言葉にするのはなかなか難しいんですけれども、たとえば私個人と
    しては、人間というのは今この瞬間瞬間を生きている、今だけがあるのだという感覚
    と、きちんとリニアに時間が流れている歴史意識と、両方を持っているものだと思っ
    ているんですね。でも、そのリニアな線で通しているときの「私」、揺るぎない自我と
    いうものは個人的にはないというか、怪しいものだと思うんです。人間の思考状態や
    感情というのは、時とともに変わりゆくくにゃくにゃした不定型なものですから。で
    も、肉体というのは制限を持っていて一つの「私」として存在している。そういう矛
    盾のなかで絶えず「私」という存在は形成されて変わっていき続けるものだから、な
    かなか筋道を通しての「私」というものを、自分では振り返ることができない。そう
    いう中で、書くということは結局、「私」を異化していくことでしかないわけで……。

     このように、朝吹は無限性のなかにおける小説を、自己の異化に見ている。異化とはロシア・フォルマリズムの用語で、我々が見慣れたために真実らしさを感じられなくなったものをあえて異なる形式で描きだすことで、その真実性(リアリティー)を回復する手法である。例えば、シクロフスキーは次のように述べている。

    それだからこそ、生の感覚を回復し、事物を意識せんがために、石を石らしくする
    ために、芸術と名づけられるものが存在するのだ。知ることとしてではなしに見るこ
    とことして事物に感覚を与えることが芸術の目的であり、日常的に見慣れた事物を奇
    異なものとして表現する《非日常化》の方法が芸術の方法であり、そして知覚過程が
    芸術そもののの目的であるからには、その過程をできるだけ長びかせねばならぬがゆ
    えに、知覚の困難さと、時間的な長さとを増大する難解な形式の方法が芸術の方法で
    あり、芸術は事物の行動を体験する仕方であって、芸術のなかにつくりだされたもの
    が重要なのではないということになるのである
    (V・シクロフスキー「方法としての芸術」)

     ここにおいて、朝吹真理子と小説との関係が無限性という媒介を通して浮かびあがって来る。朝吹は対談「流れ去る命と言葉」のなかで、小説を好む理由として以下のように話している。

    私は小説の、ウソから出たウソの世界がなぜか真として機能することにひどく惹き
    つけられるんです。ウソをウソとして、ウソの力で推進して、ウソなのにそれが全て
    反転して真として返ってくる感覚に惹かれていたから、ずっと小説のようなものを書
    いていたんじゃないかな、と思います。

     つまり、朝吹は虚構における現実性に惹かれていたのである。
     以上のことから、私は次のように結論づけたい。すなわち、朝吹真理子にとっての小説とは、生命の無限性との緊張関係における瞬間的自己の異化作用的表出であり、それは時間や空間の混在する非言語の感覚やイメージを言語に合致させることによって活写される世界なのである。



    参考文献
    朝吹真理子、堀江敏幸「流れ去る命と言葉」『新潮』第108巻1号、2011年1月
    朝吹真理子、西村賢太、島田雅彦「文学の多様性について」『文學界』第65巻3号、2011年3月
    柄谷行人『定本 日本近代文学の起源』岩波現代文庫、2008年
    鴻巣友季子「朝吹真理子 アテンポラルな夢の世界」『文學界』第65巻3号、2011年3月
    四方田犬彦「アンフラマンスの記憶――朝吹真理子『流跡』のために」『新潮』第108巻1号、2011年1月
    V・シクロフスキー「方法としての芸術」『散文の理論』水野忠夫訳、せりか書房、1971年6月

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著者プロフィール

朝吹 真理子(あさぶき まりこ)
1984年、東京生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科国文学専攻前期博士課程修了。「流跡」でBunkamuraドゥマゴ文学賞を史上最年少で受賞。「きことわ」で芥川賞受賞。

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