呪いの時代

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  • 新潮社
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  • / ISBN・EAN: 9784103300113

感想・レビュー・書評

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  • 話題は多岐に渡ります。「草食系男子」が「弱くかわいい」男を演じたことで、本来男性の自己造型に際して忌避されてきた「弱さ」、「かわいさ」が人格要素に登録されたことは評価に値する…男のありように幅が出た…いくつもの人格を持って、一人の人間であることの意味が良くわかる説明でした。

  • 2012.3.10 図書館
    就活、婚活のところ、イデオロギー植え付けられて、ビジネスに利用されてるだけなんですね。健康、ジョギングなんかもそうなんだろうな。
    贈与ですね、やはり時代の転換期に来てると思う。東日本大震災と原発事故がその流れにさらに拍車をかけるでしょう。

  • こんな時代になっても、いまだにひ弱なネオアカ一派。

  •  「呪いの時代」思わず目を引くタイトルに興味深く読み始めました。難解なところもありますが、昨今の社会感情からこれからの日本の向かう先について、やや左と感じるものの、とても共感するところが多い洞察です。

     満たされない自尊感情が他者へ不寛容となる。他者を許容することができないと共生への道が閉ざされ孤立するので、相互扶助が得られなく弱者となった場合それが固定化され、企業の食い物にされる。
     自分の弱さ、愚かさ、邪悪さも含めて広く自分を受け入れ、同じように他者も許容し、お互いに敬意をもってメッセージや贈り物の授受することにより「共存共栄」を計ることがこれからの日本の進むべきとし、「交換経済」から「贈与経済」へ移行が必至と論じます。

     本書もタラハント氏の「ツイッターノミクス」で言及されているギフト経済によるウッフィーの考え方に近い、やはりソーシャルメディア(本書では言及していませんが)で自分を良いも悪い(ここはちゃんと考えてオープンにすべきですが^^;)も含めてオープンにてコミュニケーションすることがこの方向へ繋がりますね。

     後もう一つとても印象に残った文章を引用します。『相手がこう来たらこう返す、こうされあたらこう逃げるという受け身の姿勢でいること、常に状況に対して「後手」に回るという日本の政治文化は受験生に似ています。』いやー、政治だけじゃないですね、自戒を込めて。

  • 原発の話。政治の話が主な内容だった。最近の政治やテレビの議論では汚い言葉で相手を再起不能に陥らせて自分の主張を通すことが優先され、昔にあった意見を出し合って理論を形成していくものがなくなってしまったというのに賛成。理論形成のある議論が最近日本でないのが悲しい。ドキュメンタリーにせよ外国のものと比べて感情的だしちょっと陳腐化している。もっと客観的なものが欲しいな・・・。

  • Ⅰ 日本のことを考える
    1、呪いの時代
    2、『祝福』の言葉について
    3、『後手』に回る日本
    4、英語が要らない奇跡の国
    5、『婚活』と他者との共生
    6、『草食系男子』とは何だったのか
    7、『日本辺境論』を越えて
    8、これからを生き延びる知恵
    9、神の言葉に聴き従うもの
    Ⅱ 未曾有の震災の後に
    10、荒ぶる神を鎮める
    11、戦争世代と科学について

    いつもながら日頃鬱々と考えたり思ったりしていたことを、ああこういうことだったんだと分かりやすく整理してくれる内田樹さん。引用された池部良さんやレヴィナスは私も大好きな作家(?)です。こういう点からも内田氏の作品に信用が置けるのです。

  • そこが一番書きたかった、訴えたかったことなのかも知れませんが、震災や原発に関する章が面白くないし、全体の中で異質なものを感じました。

  • ↓貸出状況確認はこちら↓
    https://opac2.lib.nara-wu.ac.jp/webopac/BB00174758

  • 面白かったけど、あまり役には立たなかった。
    気持ちは分かったけど、共感以外のものはあまり残らなかった・・・
    でもこれはエッセイなので、それで良いか、と思いました。

    内田樹の本は他に読んだことがないですが、5章と6章があるから買いました。
    5章「婚活」の話はほとんど同感。
    「赤い糸イデオロギー」という言葉が出ていたけれど、この間読んだ岡田斗司夫の『フロン』であった(元は森永卓郎の)「オンリーユー・フォーエバー幻想」と同じですね。
    そういえば岡田斗司夫が内田樹を応援していた気がする、このせいでしょうか・・・
    なんやかんや思うところは、まとまることがあればブログででも考察してみたいと思います。
    6章の「草食系男子」についても。
    ただここで例に挙がっていた「草食系男子」の特徴というか、典型例みたいなものについては、なんだかしっくりきませんでした。
    少なくとも周囲にいる草食系男子は、美肌にはあまり・・・かわいいしぐさも、思い当たる人がいない。
    ちょっとイメージ違うので、その後のことも、少し違和感ありました。

    読みやすかったですが、出来れば新書とかで読みたかった。
    もしかしたら最近の橋下氏による「お前結局何もしてないくせに!」というアレを先に見たりしていたからかも知れませんが、
    確かに言ってることには納得するし、面白いんだけれど、なんとなく読み物としてのただの娯楽に過ぎない感があって、残念でした。
    エッセイだからか。それでいいのかも。
    ちょっと違うものを期待していたのかも。

  • 「就活」、「婚活」、「草食男子」から原発まで。
    日頃、腑に落ちないでいたことの理由が見えてきたかんじ。

  • 独特の視点で社会を語る内田氏らしい本。今回は精神的な社会システム論が中心。呪いに対する祝福、贈与経済への転換など、今の社会に対するひとつの解決策が示されている。

  • 昨今よく目にする「婚活」「草食系男子」「グローバリズム」などのワードに関して、それがどういう状況から発生したことばなのか、その背景の描写も含めて著者なりの考えが語られている。
    一読して著者はたいへん頭の良い人なんだな、ということが分かる。一部、承服できない意見もあるものの、得るものは少なからずあった。
    「日本辺境論」も読んでみようと思う。

    図書館にて。

  • 正直、うーん、、、という感想。
    これまで読んだ彼の著作の中では最低の出来。

    まず、タイトルである「呪いの時代」に即した章が、
    事実上、第1章しかない点にがっかり。
    まあ、総じて言えば、全章、大なり小なり、「呪い」に何らかの関係性は
    ないことはないが、
    もしそうだとすると、いささかのこじつけ感は拭えない。

    あと、3.11の際、彼が提唱し物議を醸した「疎開論」。
    その時の騒動と各方面からの反論趣旨、そこに対する本作執筆当時の
    著者の見解がまとめられているが、それもうーん。。。

    内田樹は、いま僕らを取り巻く様々な現象の本質を的確に捉え、
    時代、空間、主題を飛び越え、他の現象との類似性・近似性を鮮やかに見出し、
    そこから着想を得て、現在の現象を解決する理路を得意とする。

    が、「疎開論」は、どう考えても衒い過ぎだと思うし、
    「疎開」提案そのものに、これを機に東京一極集中の是正を、が伏流する。

    論理的に正しいとは思うが、疎開は戦争を想起させるし、
    東京一極集中の是正は、震災で右往左往する市井の人々の行動原理にはなり得ないと思う。

  • 李下に冠を正さず、瓜田に履を納れず
     すももの樹の下では冠のひもがほどけてもなおしてはいけない(すもも泥棒だと思われるから) 瓜の田んぼでは沓が脱げてもとりにいかない。(瓜泥棒と思われるから) 公人のたしなみ 推定有罪
    池部良 ハルマヘラメモリー
    結婚が必要とするのは、「他者と共生する力」
    「私は弱者です、被害者です」と言いたて、まずそのポジションを確保してから話を始めるのは、間違いなく、この20年間ほどの日本の社会に定着した一つの行動様式です。とりわけ「権利請求」の戦略としては「まず被害者の名乗り」をすることが常識化している。クレーマー
    帰農思考
    経済活動は交換経済から贈与経済にシフトしていく 贈与経済は、まず自分にきたものは退蔵しないですぐパスする
    人間を襲うのは人間だけ。いやしくも人間が住む場所には「人間の愚鈍さや邪悪さ」ができるだけ物質化しないようなしくみが必要
    震災以前に付属していたのは、危機意識
    日本のエリートたちは、正解がわからない段階で、自己責任、自己判断で「今できるベスト」を選択することを嫌う。これは受験エリートの通弊。彼らは正解を書くことについて集中的に訓練を受けてきた。それゆえ誤答を恐れる。だから正解がわからない時は「上位者」が正解を指示してくれるまでじっとフリーズして待つが骨身にしみついている
    「金があればなんでも買える」と信じている人がTPPを推進している「買うだけの金がない」「金があっても買えない」という状況を想定していない
    リスクというのは、コントロールしたり、ヘッジしたり、マネージしたりできる危険のことである。デンジャーというのはそういう手だてが使えない危険のことである
    自説の正しさを確信している人間は説明を好まない
    自説の正しさをひとりでも増やそうとする人間は、情理を尽くして語る。知る限りの傍証を引き、使える限りの修辞を動員し、思いつく限りの喩え話を繰り広げ、なんとかしてわかってもらおうとする。そのひとが言論の行きかう場の判定力を信頼しているからである。そこにいる聴きて知性を信頼しているからである。聞き手の判断力に敬意を抱いているからである

  • 言霊という言葉があるように、言葉は力を持つ。昨今、人を傷つける言葉、一方的に他者を傷つける言葉が氾濫している。言われた人は傷つき回復可能になるかもしれない。これは、呪いである。本書は呪詛と、それに対する贈与について論考する。何が大切か。一読の価値あり。

  • ○内田樹「呪いの時代に」 ネットで他人を誹謗中傷する人、憎悪と嫉妬を撒き散らす人・・・・・・異常なまでに攻撃的な人が増えていませんか  | 経済の死角 | 現代ビジネス [講談社]
    http://gendai.ismedia.jp/articles/-/28694

    内田氏の書いた上のコラムで本書を知り、興味を持って購入しました。
    このコラムが、他者に呪いの言葉を吐き続けることのみが生存理由となっているような雑誌に初出掲載されたのは何かの冗談かとも思いますが、その内容は私たちがしっかりと受け取らなければならないものです。

    つまり、他人を否定することば、進歩を止める言動、対象を記号化しひとくくりにする思想、そういったものを駆使して相手より優位に立った気になる、あるいは物事をわかった気になる、といったことが、どのような効果を生むのでしょうか。自らは手を動かさず何も作らず、他人が何かを作り上げようとするのを邪魔するだけの言動は、社会を破壊することはあっても創造することはできません。そういった言動を、本書では「呪い」と呼んでいます。
    そして筆者が現代を「呪いの時代」と呼んでいるのは、呪いがカジュアル化し、言い換えれば制御を失って、誰もが誰にでも呪いの言葉を浴びせかけられるようになったことをいっています。その結果が華々しい未来を作るとは、誰にも、当然ながら呪いの言葉を発している当人も考えていないと思うのですが、人はなぜ呪うのでしょうか。
    刹那的な破壊欲と恍惚感だけで、世界を壊し続けるのは、どう考えたって割に合わない。壊れた世界が瞬時に復元されるとでも思っているのか、それとも新たな秩序を構築する超越者の存在を希求しているのか。何ともやるせない話です。

    自分はITの世界に入り、システム開発者としてのキャリアを積んできました。プログラムやシステムは目に見えるものではありませんが、顧客の要望を実現できるものを作るという意味では「ものづくり」の仕事に携わってきたという自負があります。
    その中で感じるのは、自分の要望でさえ形にするのは非常に難しく、ましてや他者の要望を、それなりの対価を受け取って形にする行為が、どれほど困難であり責任を伴うものであるかということです。よく、壊すのは簡単だが作るのは難しいといいますが、実際にやってみればその困難さが身にしみます。自分も、仕事でなければ、つまり対価をもらって責任を負ってやっているのでなければ、何も作れていないというのが現実です。
    そうやって苦労して作られたものでも、一瞬で壊れてしまいます。そこには自分の力の足りなさと、世の中のはかなさを感じざるを得ないのですが、それでもなお作り続けなければならないと考えています。

    さいごに、現代科学の技術を駆使して作られ、一瞬で壊れた原子力発電所のことについて興味深い考察がありましたので紹介しておきます。
    作者は、原子力発電を、人間が制御できる範囲を超えた力であるとして、神々と同じように祀られるべきではなかったかと論じています。地下深くに原子炉を据えて、その周辺の地上を神聖な地域とし、神社やほこらを建てて鎮めることが、私たちが原子力を扱える唯一の方法だったとしています。そうではなく、人間の力で制御しようとしたことで、地震や津波の被害から施設を守ることができず、大きな被害につながったのだということです。
    どこまで納得するかはともかく、個人的には一笑に付するわけにも行かないと感じています。確かに原子力発電は、小さな施設の中で莫大なエネルギーを取り出せる、未来の夢のエネルギーでした。ですがひとたび事故を起こすと、人間が制御できない状況に陥ってしまうわけで、私たちはそこまでのリスクを知った上で原発と向き合わねばならなかった、ということを改めて感じます。
    放射能を無害化することや、人体への副作用のない核反応など、安全な原子力発電の道は開かないものでしょうか。

  •  「呪い」と「贈り物」が主要主題。著者の強調する「贈与」は実に大切な概念だ。人の人たる所以はここにあるとも言える。内田樹の本はいつも傍線だらけになるが、この本も忘れずにおきたい、いつも心の真ん中に据えておきたい言葉がたくさん出てくる。
    ①「どんなふうに使えばみんなが喜ぶだろう」という想像をいつもしている人間だけが効果的な贈与を果たすことが出来る。
    ②贈り物は受け取った側が自力で意味を補填しないと贈り物にならない。
    ③「ノブレス・オブリージュ」という言葉があるが、万人はそれぞれ固有の仕方でノブレス(貴族)である。
    ④人間が人間に対して犯した罪人間によってしか贖うことはできない。それは神の仕事ではなく、人間の仕事である。
    ⑤科学は反証可能性にある(カール・ホパー)
    ⑥身体とは、私のもっとも近くにある「自然」である。

     こうした言葉に刺激されて、私の中にひとつの言葉が生まれる。
    3回の衝突事故を生き延びた私は、生き残った意味を問いはじめる。
    「自分は、贈り物を他者に手渡さなければ生きている甲斐がない」

  • 呪鎮の目的は「危険を忘れ去ること」ではなく「恐るべきもの」を常に脳裏にとどめ、緊張を維持すること、という言説が興味深かったです。東日本大震災における原発に対してのリスク管理の甘さは、その呪鎮の儀が足りないことに起因しているという旨が示されています。(例えば「原発神社」を設けて定期的に儀礼を執り行うなどすればよい等。)

    信仰や呪鎮が現代社会にどんな意義を持つか、僕は正直なところ全く理解できていませんでした。そのため、「危機管理のための緊張の維持」という意味を持つというのは新たな知見です。

  • 日本全体を覆う『呪い』とソリューションとしての『祝福』、そして将来はお金が中心ではない『贈与経済』が中心になっていくという本書はすんなりと腑に落ちる論だった。まずはかっこ悪いかもしれない『素のままの自分』を受け入れること、素のままの自分を祝福することで呪いを解くことで、他者にも寛容になれるということだった。
    また、原発事故を『神の火として宗教的に崇めることを怠り、金づるとして貶めてきたため』という理解には一理あると思った。こういった宗教的な位置づけをすることによって、『人間は不完全で過ちを起こすものである』として人間が緊張感を持って対処できるという論には深く頷く。スピリチュアルなものが見直されてきたりとすでにその兆しはあるが、それを公の場で議論できる社会に変わっていくべきなんだろうなと感じた。

  •  「呪い」の本質について

     呪いは記号的なものである。呪いが機能するのは、それが記号的に媒介された抽象物であるからと著者はいう。憎悪や嫉妬、恨みといったものは物理的、具体的な身体に根ざしていれば、その発露は極めて限定的なものになる。しかし、『源氏物語』の『葵上』に六条御息所の生霊が葵上に取り憑いて死に至らしめる話があるように、自身の固有名、固有の身体を遊離したときに、つまり記号だけの抽象物になったとき呪いは強力なものになってしまう。

     9・11同時多発テロ以降、多くのアメリカ人はイラクへの戦争行為を支持した。イラク人のことを知らないにもかかわらず、あるいは知らないが故に、彼らイラク人が具体的な生活を営み、異なる政治思想、異なる信仰、異なる価値観を有した、実際的な人々であるという事実は片隅に追いやられ、イラク人は「テロリスト」という記号化によって回収されてしまった。記号的であるというのは、物理的な制約が解除されているということである。抽象的な記号としての敵に、制限のない記号としての暴力という報復が実行された。安易な記号化は危険な呪いを生み出す。ではその呪いにどう対抗すべきか、あるいはその発生を事前に防げばいいのか。そのヒントは示されているはずである。

  • タイトルは凄いけど、中身はいたって至極まとも。特に結婚の話は妙に納得してしまった。結婚相手なんて所詮他人なんだから、合わない部分があって当たり前なんだし、そこをどう自分の中で折り合いつけて生きて行くかって事だよね。最近結婚を意識させられる出来事があったから、凄く自分の心に沁みました。

  • あとがきによれば『新潮45』に寄稿したエッセイを中心に編んだ本で、全体の主題は「呪詛」と「贈与」。他にも英語がいらない日本、婚活、草食系男子などの話題や、原発事故についても述べられている。
    以下思ったこと。
    *「呪い」が記号的、抽象的、汎用的であるというのは十分納得できたが、「祝福」の章はもう少し詳しく書いてほしかった。”生は汲み尽くすことができない。だから記述すること、写生すること、列挙することを終わりなく続けるしかない”というのは何となくわかるけど。
    *結婚が必要とするのは「他者と共生する力」であるというのは勇気づけられる知見である。共生するというのは耐えることではなく、「他者」の構成成分のうちに「私と同じもの」を見出し、「この他者は部分的に私自身である」と認めること。
    *日本人の失読症(ディスクレシア)には「漢字が読めない」と「かなが読めない」の2種類がある。つまり脳内で漢字とかなを処理する部分が違う、というのは面白い。

    現代では人々の自尊感情が肥大し、どこかにいる「ほんとうの自分」を探し求めているが、そんなものはどこにもない。身の程を知る、分をわきまえるということも大切なのだろうなと思った。

  • 街場のアメリカ論に引き続いて内田先生の著作を読んだ.第1章での日本を「呪い」を通じて論じることにはじまり,呪詛と贈与について内田節全開である.これまでの言質と変わりなく,読んだことや聞いたことがあるものも多かったが,きっと繰り返すことで多くの人に伝えたいのだろう.贈与経済の話は面白いが,現代日本人には難しいと思う.

  • 「政治家も知識人もいかに鮮やかに一撃で相手に回復不能の傷を与えることができるか競い合っている。たしかにそのような脊髄反射的に”寸鉄人を刺す”言葉がでる人は”頭が良さそうに見える”。けれども、そこからどんな”よきもの”が生まれるのか。」
    「私たちはもう”壊す”時代から抜き出して”作る”時代に踏み出入るべきだろうと思う。」

  • この方の文体がなんとなく合わなくなかなか読み進められない。
    なぜだろう、他の方のレビューを読んで研究したい。

  • 従来の本からの方針?通りにブログからの転載が多かったため、聞いたような話が多い内容

    ただ、その主張も読み込んでるうちに「ん?」という部分も出てきたため手放しには礼賛できなくなってきた内田先生

    でも大枠では合意できるし、面白いことには変わりない

  • 新年初読了本は、やっぱりお師匠様の御高著。
    今回もいろいろと貴重なご示唆をいただきました。

  • 改めて内田樹さんの強靭な知性に惚れ直す。というかため息しきり。修辞的技巧もさることながら何よりもまず地頭の良さが卓抜している。

  • 各章ごとに、考え方の核心に作用するような一冊。それぞれが独立した読み物として考察に富むとともに、各章の連なりがひとつのパラダイムシフトを強く強く訴えかけてもいる。
    また、ひとつの「考え方」が、いかに万物に影響を与えるか。または、いかに万物がひとつの思考によって繋がっているか。それを確認できる一冊でもある。
    余談だが、尊敬する福岡伸一先生の思考に言及して本書を終えている部分も、福岡ファンとしては嬉しいとともに、しっくりくる。

  • じっくり読んだ。

    「世の中は確かに不公平で不条理なこともあるけれど、
     だから努力をしても報われないのだ、と言ってはならない。
     その言葉は呪いとなって自分自身を縛ってしまう」

    「最も強く相手に届く言葉は、その受け手に対する強い敬意を
     込めた言葉である。人間は自分に対する敬意(評価)に
     最も強く反応するからだ」

    「資本主義の次にくるものは『贈与経済』であるべきだ」

    ...などなど

    これからの世紀を生き抜くための新しい哲学を感じる。

    何度でも読みたい本となった。

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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