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Amazon.co.jp ・本 (704ページ) / ISBN・EAN: 9784103300717
感想・レビュー・書評
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今更だが、圧巻のルポ。格闘技に興味のない私は、タイトルだけでもう読む気が湧いてこなかったのだ。そういう人は結構いるのではないだろうか。でもこれは、格闘技を知らない人でもぐんぐん読んでいける、熱のこもった一冊だ。
およそマニアというものは皆そうなのかもしれないが、格闘技ファンもまた、身内でしか通じない言葉でしゃべっているという印象が強い。この本もそういうものの一つではないかと思っていたのだが、先に読んだ「七帝柔道記」があまりに面白く、この著者ならばと手に取ってみた。それにしてもドカベンのようなこのボリューム! 果たして読み切れるのか?という心配は全くの杞憂で、あっというまに(というのはさすがに言い過ぎだけど)読了。圧倒された。
何よりも胸を打たれるのは、自身柔道をしていた著者の、木村政彦に対する心からの敬意が行間にあふれていることだ。ゆがめられた姿のままで歴史に埋もれていく、不世出の格闘家の真実の姿を明らかにしたい、世に知らしめたいという情熱がふつふつとたぎっている。
いやまったく、私は木村政彦という名前さえ知らなかった。力道山はさすがに知っているが、この本で書かれている姿は意外なものだ。一般の人はもちろん、格闘技好きな人たちの間でさえ、事実からはほど遠いことが歴史として定着していくことに何とか抗いたいという、著者の渾身の評伝だ。
「七帝柔道記」でも思ったが、きわめて「熱い」題材を扱いながら、門外漢にも説得力があるのが、増田氏の優れたところだろう。時にナマの感情をさらけ出しながらも、非常にバランスのとれた書きぶりになっていて、そこが他にはない魅力だと思う。
まあ、言いたいことはいろいろある。おおかたの格闘技というのは「力で人を制する」というその本質的なところにおいて、権力や裏社会と親和性が高い。はっきり言えば、右翼やヤクザと切っても切れない関係にある。この本でもそれはしばしば語られている。木村の出た拓殖大学もそういうイメージ抜きには語れないだろう。学生運動が盛んだった頃、武道を中心とする体育会系の学生が、当局の意を受けて左翼学生に凄惨なリンチを加えて運動つぶしを行ったことを忘れるわけにはいかない。
だがしかし。それでもなお、ここに描かれた木村政彦という人の、何とまあ魅力的なことか! 決して(まったく、と言っていいくらい)人格者ではなく、思想というものを持たず、世の中で身を処していく知恵もない。敵も多くいたようだが、彼を心から慕い、誰よりも尊敬した人も、またたくさんいた。その唯一無二の個性こそが本書最大の読みどころだろう。
たいそう印象的なエピソードが数多く語られる中で、最も心に残ったのは、著者が、プロ柔道やプロレスで木村と一緒だった遠藤幸吉に話を聞いていたときのことを綴ったところだ。
「ある日、話の途中で遠藤が感極まったように声を震わせはじめた。 『ああ…木村さんの話をしてたら会いたくなっちゃったよ。木村さんにまた会いたいよ…』」
木村政彦の人間的魅力をこれ以上雄弁に語る言葉はないだろう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
すべての格闘技好きに読んでほしい、胸が熱くなる超大作。総ページ数が700弱あるにもかかわらず、途中でダレることなく一気に読んでしまった。師匠・牛島辰熊さんと弟子・木村政彦さんの関係があまりにもドラマティックでカッコいい。まず師匠の名前からして一般人とは違う何かを感じる。名字の「島」以外すべて動物で構成されており、その名の通り人間離れした強さと巧みさを持つ寝技の鬼である。見た目も渋く、浅黒い肌と日本人離れした堀の深い顔に鋭い目つきが光を放ち、整えた口髭が雄々しい。さらに笑顔が可愛いというギャップまで持ち合わせている。
彼ら二人の根本的な違いは、牛島さんには自身の哲学や宗教観があり、木村さんにはなかったことではないだろうか。宗教が良い悪いという話ではないが、普通の人間が自身の中に絶対的な軸を持ち、崇高な目標に向かって生涯ブレずに生きていくのは簡単ではないだろう。牛島さんには確固たる哲学と宗教観があり、まだ幼い木村さんには師匠・牛島さんと柔道の世界しかなかった。そしてその世界は戦争によって引き裂かれてしまう。
読了後は、どうしても力道山さんに対してネガティブな見方をしてしまう。けれども読者が一方的に力道山憎しとならないような著者の配慮も感じた。力道山さんと木村さんは戦争の被害者だと著者は言うが、私も同じように思う。膨大な数の資料の中から各記事や証言を照らし合わせて真実に迫り、ここまでわかりやすく並べてくれた著者の執筆力、取材力は本当に素晴らしい。ただの格闘技好きで未経験者の私でも大変読みやすかった。資料収集と取材、そして連載終了までに18年を要した超大作である。柔道業界から排除されてしまった木村さん、そして牛島さんの名誉のためにも多くの読者の手にとってもらい、後世に語り継がれていってほしい至高の一冊。
「木村の前に木村なく、木村のあとに木村なし。」 -
「ゴング格闘技」誌に4年間にわたって連載された大作。史上最強の柔道家、木村政彦の生涯を描く。
木村はまだ学生だった頃に柔道全日本選士権を3連覇、さらに天覧試合を制覇する。戦後はプロ柔道に参入し、ブラジルでエリオ・グレイシーを破る。そしてプロレスラーに転向し力道山と対決するが、卑怯なやり方で倒されてしまう。
高邁な思想家でもあった牛島辰熊と、その弟子でありながらただ勝ち続けることにしか興味のなかった木村。どちらが人間として立派だったかと問われればなんとも答えようがない。どちらが好きかと問われれば、より人間的な木村であるような気もするが、やたら暴力的で欠点も多い木村を手放しで賛美する気になどなれはしない。柔道は超一流であってもそれ以外は不器用な木村が、戦後の混乱の中で道を踏み間違え、利用され、柔道家としての名声を失っていったことは、残念ではある。
そして老いと死は、どんな人間にも訪れる。強さに取り憑かれてしまった木村は、生きている限り敗者の汚名に苦しまざるを得なかった。死は木村にとって救いであったかもしれない。「これでよかったよね」 ── 晩年に木村が涙を流しながら妻にいったこの言葉は悲しいけれど慰めでもある。木村の人生を眺め渡せば感じるだろう、何が幸福で何が不幸か、何が正しくて何が間違いだったかなんて、簡単に決められないのではないかと。
いわゆる格闘技の「アングル」で書かれた本かと思って読んだら、そうではなかった。著者自身、高専柔道の流れを汲む七帝柔道の経験者であり、確かに木村贔屓になりがちだけれど、関係者へのインタビューや当時の新聞記事などの一次資料に基づいて事実をありのままに記そうとしていることが分かる。戦前・戦後の柔道の歴史についての解説も興味深かった。 -
まずオープニングでぐっと引き込まれる。柔道家の木村政彦の名前は聞いたことがあったが、ほとんど何も知らなかった。この作品で彼のことをたくさんの人に知ってほしい。
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まずはじめに、木村政彦とはいったいどんな人物なのか?
「木村の前に木村無し、木村のあとに木村無し」と言われ、歴史上最強の柔道家という評価を受ける人物であるというのが本書の冒頭で説明されます。
で、まずそれを読みすすめ、木村政彦の経歴や強さの伝説、人物の魅力などを知るうちに、なぜ私は木村政彦の名前を今まで知らずに格闘技を見てきたのか?という疑問が湧きあがります。なぜテレビや一般のメディアではそれらのことを知ることができないのか。
そんな木村政彦の強さの秘密、そしてなぜ木村政彦という名前はメディアから消され、格闘技史上でも存在感のないものとされてしまったのか、それらのいわば「謎」に好奇心がぐいぐい湧き起こされます。
さらに本書の凄いところは、そんな一人の人物史に収まらないところです。
ノンフィクションであり、木村政彦という人物がどのような収束を迎えるかは冒頭である程度分かってしまいます。しかし、それでも圧倒的な取材量による膨大なデーターを背景とし、戦前の柔道の歴史も踏まえた数えきれないエピソードのすべてが凄まじい。
木村政彦という人物はどのような環境で生まれ育ち、どのような時代に生きたからこそ最強の柔道家になれたのか。その歴史は日本の戦前戦後の国家としての歴史、柔道という格闘技がオリンピック競技になるほどの「スポーツ」として世界的にメジャーなものへと変わっていった歴史、プロレスという新たな娯楽に熱狂した戦後日本の国民性、そういった時代の移り変わりに翻弄されてしまったことが、膨大な資料や取材による事実として飛び込んできます。本書を読んでみれば現在われわれが目にしている日本の格闘技というものの歴史は上手く勝ち残れたものが作り上げることに成功したハリボテようなものであり、その狭間に埋もれていった真の強者と呼べるような人たちがたくさんいたということ、そして日本の格闘技、柔道の歴史がいかに閉鎖的で虚構に満ちているか、評価されるべきことが埋もれてしまっているというのが次々と明るみにされます。
そして木村政彦自身とその周りの人物たちの魅力もまた凄まじい。木村政彦と師である牛島辰熊との読んでいるだけでめまいがしそうな特訓の様子、三倍努力三倍練習の凄まじさ、そしてそれが現在で言えば大学生の頃だったということでさらに驚かされます。木村政彦と牛島辰熊という人物の魅力、ただの取材データだけでなく著者の作家としての視点が炸裂してもう完全にショートショートとして成り立ってしまうような破天荒エピソード。プロ柔道、海外での戦い、プロレスの日本輸入などの歴史、どれを読んでも面白すぎて本当にページを手繰る手がもどかしい。
そして最後に向かうにつれ、今度は逆に終わってしまうのが本当に惜しくなってしまう。残り少なくなった木村政彦の生涯、岩釣兼生という自身の分身ともいえる弟子を育て、岩釣の全日本選手権を制覇も達成する。それら晩年のエピソードをひとつひとつ消化して迎えるラストは、もう涙で読めなくなるくらい激しく心を揺さぶられます。
自分が今まで作り上げていた柔道やプロレスなどの格闘技だけでなく、昭和という時代への既視感、頭に思い描いていたイメージをいったん更地に戻して作り直してくれます。知っていることに知らなかったことがたくさん入り込んできて瓦解してそれでも飲み込みたくなる読書。
とにかく、格闘技がちょっとでも好きなら読め、好きじゃなくても自分自身の先入観や既成概念が一から作り直されるような特別な読書を経験したいなら何も言わず読め、と言いたくなるような素晴らしい本です。 -
昭和29年12月、活動の場をプロレスに移した木村政彦と人気絶頂の力道山との一戦。「昭和の巌流島」と呼ばれる中で木村政彦は力道山に一方的に潰され、表舞台から姿を消した。筆者の執念を感じる一冊です。
「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」
本書は伝説の柔道家、木村政彦の評伝であります。実を言うと、この本を入手したときにそのあまりの厚さから「ちょいとした辞書じゃないか…」と一瞬のけぞり、さらに中を開くと二段組に活字が組まれており、『本当に読みきれるだろうか?』と逡巡しておりましたが、途中で意識を失い、目を覚ましてはページをめくるというまさに柔道の乱捕りで畳に叩きつけられ、関節を絞り上げられ、絞め落とされるような感じのままに4日で読了をしてしまいました。
いやぁ、本当に濃い。あとがきによると筆者は構想に18年。実際の執筆は足掛け4年にわたるという壮大なもので、自身も北海道大学にて高専柔道の流れを強く受け継ぐという『七大柔道』の経験者で、『木村先生は負けたのではない』という執念が執筆のきっかけだったそうです。
昭和29年12月22日----。彼のその後の運命を決定付けたといわれる『巌流島決戦』力道山との一騎打ちをするという日に試合そのものは「引き分けにする」ことが事前に決められていたものの(個人的には『ブック』の是非は問わない)、木村が一方的に叩き潰され、KOされてしまう。現在でもこの映像はYoutubeなどでも確認できますが、非常にショッキングで 全国民注視の中で、無残な姿を晒してしまった木村政彦37歳。彼の運命が暗転してしまった後も彼はその身に慙愧を抱えたまま75歳まで彼は生きることになります。
その雪辱を晴らさんと当時彼がかつて試合に臨む際にその覚悟を試したといわれる切腹の練習の際に使っていた短刀を手に、力道山を殺そうと付けねらう。しかし、実際はそうはならず、とある理由から『和解』をし、その後の生を生きる事になる―。そんな『悲劇の柔道家』の数奇な一生が描かれております。
前半生では現役の柔道家として師匠の牛島辰熊師範から狂気のような猛稽古を課され、また自分でも最低一日9時間。最大で13から14時間もの稽古をするという文章に度肝を抜かれ、師の牛島が達成できなかった天覧試合の優勝。しかし、彼の柔道家としての運命は戦争によって大きく狂い、ピークといわれる20代はまったく柔道ができず、戦後は戦後で、闇屋をやりながら家族を食べさせていかねばならない、そんなところを読んでいるとつらいものがありました。で、さらにプロ柔道に参加したときには師の牛島を裏切りハワイへ行ってプロレス興行をし、ブラジルに行っては後に伝説になったエリオ・グレイシーとの一戦を交えます。彼らの技に腕絡みこと『キムラロック』というものがあるのはそのときの試合で負けたエリオが彼への尊敬の念をこめて取り入れたのだそうです。
そして『もう一人の怪物』とも呼ぶべき力道山。彼の出自や伝説の空手家である中村日出夫との交流。柔道側から見た大山倍達という目線もなかなか面白いものがありました。『木村は本当に負けたのか?』という問いを現役ならびに現在の格闘技の重鎮に映像を交えながら訊ね回る筆者の姿は何ともつらく、以下にあの試合が戦後の格闘技史、ならびにプロレス史に影響を与えたのかがよくわかりました。
彼が力道山に負けた後、彷徨に彷徨を重ね、あるOBに言わせると『あのまま行ったら木村先生は乞食になっていた。それくらい金に困っていたんです』というくらいまで落ちぶれた彼を救ったのは母校である拓大の柔道部と師匠の牛島辰熊で、彼が母校に還り、岩釣兼生という自らの分身を育て上げ、また彼のことを『釣さん』と言ってどんなことがあっても守り続けたところに「夫婦は一代、親子は二代、弟子は三代」という武道に残る教えと、それに答えた岩釣兼生という男の『縁』やつながりこそが武道かとして『生き恥』をさらし続けなければならず、生涯そのことに苦しみ続けた彼にとって救いになったとともに、詳細はご自身で読んでほしいのですが、『これでよかったよね・・・』と涙ながらに語る彼の姿を見ていると、それもまた、救いになったと思うのです。
最後のほうになって牛島→木村→岩釣と受け継がれてきた『鬼』の称号が現在総合格闘家として活躍する石井慧に受け継がれる場面と、岩釣兼生が木村政彦から受け継いだ『総合格闘技』としての柔道を駆使して非公式に行われたヴァーリ・トゥード形式の地下格闘技で優勝したと言うラストを見ると現在の総合格闘技のトップファイターに柔道出身者が多く占めるという理由がよくわかりました。この本は一人の男の人生の軌跡であるとともに、昭和という歴史や、武道の裏面を記録した資料としても一見の価値を持っていると確信しております。-
レヴュー、楽しく拝見させていただきました。
なぜか、この本、読むのを躊躇しておりましたが、どこかで借りて読もうとおもいます。
著者...レヴュー、楽しく拝見させていただきました。
なぜか、この本、読むのを躊躇しておりましたが、どこかで借りて読もうとおもいます。
著者は、北海道大学の高専柔道出身ですかぁ。
2012/10/10
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木村政彦という名前も知りませんでしたが、話に引き込まれ一気読み。
圧倒的ボリュウムですが細かいヒアリングの上での柔道経験者である筆者が書き綴った本です。
ユーチューブでエリオVS木村、力道山VS木村を観ましたが、全盛期の木村政彦だったらどんだけ凄いんだ?とも思った。
真実なのかはこの本だけでは判断できないが、文献としても必読であろう。 -
ノンフィクションはさほど読まず、ましてや格闘技系には興味はないのだが、この本は面白かった!
「力道山に負けた男」としか、伝わっていない木村政彦の全貌をあますところなく描いた、渾身のルポルタージュである。
木村という不世出の柔道家を描くだけでなく、その師匠である牛島そして弟子の岩釣という三代の絆の物語でもあり、それ以上に明治以降の柔術・柔道の変遷の俯瞰図であった。
木村の強さ、凄さを描くとともに、悪童ぶりや能天気ぶりも描き、力道山に負けたことを消化しきれず、内部に矛盾と葛藤を抱えながら生きた男の生涯の光と影を描き切っている。
それにしても、写真で見る木村の身体の凄いこと!まさしくゴリラのような身体。
そしてトレーニングの凄さは、笑ってしまうほど。
警視庁に朝十時から出稽古
昼食を食べて拓大で3時間
夕方6時から講道館
その後深川の義勇軍道場
牛島塾に帰るのが夜11時
夕食をかき込むと、ウサギ跳びをしながら風呂に行き
ウサギ跳びで帰ってくる。
すぐに腕立て伏せを千回やって
そのあとバーベルを使ったウェイトトレーニング
巻き藁突きを左右千回づつ
さらに立木への数千本の打ち込み
寝床に入るのが午前2時ころ
スゲエな、人間わざじゃないぞ(@_@;)-
ヘーシングも山下も、彼にとっては問題なく勝てる相手、と言っていても信憑性は高いですよね。冗談抜きで、どの位強かったのかが本当に見てみたい、幻...ヘーシングも山下も、彼にとっては問題なく勝てる相手、と言っていても信憑性は高いですよね。冗談抜きで、どの位強かったのかが本当に見てみたい、幻想溢れる選手ですよね。
そして、その幻想の超人に人類で唯一勝てる相手、それが力道山という歴史上の結末も大きな悲劇でしたね。2012/03/24
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読書録「木村政彦はなぜ
力道山を殺さなかったのか」5
著者 増田俊也
出版 新潮社
p87より引用
“ それが牛島辰熊だった。牛島は窪田に「柔
道には圧倒的なパワーが必要なんだ。だから
バーベルを使ったトレーニングが必要なんだ。
そのパワーで大根を引っこ抜くようにグーンと
投げてしまうのがいい柔道なんだ」と言った。
豪快な人だなと窪田は思った。"
目次より抜粋引用
“巌流島の朝
熊本の怪童
鬼の牛島辰熊
木村政彦と高専柔道
師弟悲願の天覧試合制覇"
柔道経験者の作家である著者による、史上最
強の柔道家・木村政彦の人生と戦いを描いたノ
ンフィクション。雑誌連載三年半分をまとめた
大作。
木村政彦の人生に影を落とした力道山との一
戦から、生まれ育ち柔道に邁進するようになる
過程、そして弟子を育て上げ亡くなるまでを、
日本柔道・武道会のみならず、世界の格闘界の
人々との関わりなども含め、十年以上の取材と
資料検索を元に書き上げられています。
上記の引用は、木村政彦の師匠・牛島辰熊の
発言を記した一節。
「柔よく剛を制す」と聞くことはありますが、
何度も日本一になっている人がこう言っている
のならば、まずは何よりも体を鍛えて、力を付
けるのが大切なのでしょう。
出てくる柔道家の鍛錬内容を読んでいるだけ
で、疲れてしまいそうな猛練習が描かれていま
す。努力が出来るかどうかも、やっぱり才能な
んだろうなと思わざるを得ません。鍛え上がる
前に、怪我をして体を壊してしまうんじゃない
でしょうか。
本を手に持った時のボリュームが、辞書のそ
れ。外ではとても読むことが出来ないサイズの
で、移動中に読みたい人は、電子版を探したほ
うがいいでしょう。
文章量、内容ともに「渾身」の二文字がしっ
くりと来る作品。人一人、それも歴史に名が残
る人物の一生を描くのならば、このくらいには
なって当然なのでしょう。
どれ程強くて凄い人でも、少しの油断でどう
なるか分からないという事と、いつかは衰えて
しまうものなのだなということを、思い直させ
てくれる一冊。そして、いつか誰かのお世話に
なることになるのだから、人には丁寧に接して
おいたほうがいいなと思わせられる一冊。
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ノンフィクションを読む喜びを最大級に味わった本。厚さが全く気にならない。経歴、時代状況からみて、木村のような選手はもう現れ得ないだろうことを納得させられる。力道山戦などなければ、、、といろいろ考えてしまう。
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◆日本格闘技史、最大のナゾ!◆
「木村の前に木村なし、木村の後に木村なし」と言われた不世出の柔道家、木村政彦。昭和29年、木村は人気絶頂の力道山と、プロレスのリングで対決する。視聴率100%の世紀の一戦、木村は一方的に潰され、国民的大スターの座から転落する。なぜ木村は、いとも簡単に敗れたのか?スポーツノンフィクションとして、異例のベストセラーとなった、第43回大宅壮一ノンフィクション受賞作品。 -
読書期間:2月7日~11日
最近読んだノンフィクションものでは文句なし、No.1である。2段組の700ページという大部であり、3連休をフルに使って読み切ったのだが、読み終わって、何をレビューすべきか迷っているうちに10日以上経ってしまった。
これまで木村政彦といえば、プロレス勃興期に力道山とともに盛り上げた柔道家であり、力道山と互いに戦って一方的にやられて負けた、というイメージしかなかったのだが、そのイメージが完全に覆された。著者が丹念に1次資料を収集し、関係者へのインタビューを行った結果、見えてきたのは、ひたすら強さを求めて、体を鍛え、技を磨き続け、相手を倒し続けて究極のファイターとなった男の姿である。立ち技では高段者でも受け身を取れないほどの強烈な大外刈が決め技で、講道館での出稽古では失神者が続出。また、寝技ではどの体制からでも腕がらみを決めることができ、出稽古で脱臼者が続出したため、大外刈と腕がらみは双方とも禁じ手とされていたという。全盛期であれば、オリンピック王者のヘーシンク、ルスカ、山下泰裕も全く歯が立たなかっただろうというのが意見が大勢を占めており、さらに総合格闘技で最強をうたわれるブラジリアン柔術の世界でも、マサヒコ・キムラの名前は特別に敬意をもって取り扱われている。プロ柔道を引っ提げてブラジルに渡り、ブラジリアン柔術の王者であるエリオ・グレイシーを手玉にとって破っているからだ。ちなみに、その時の決め技の腕がらみのことを、ブラジリアン柔術ではキムラとかキムラロックと呼んでいるそうだ。
木村政彦と関係した人物についても、丹念な取材により明らかにされていく。木村政彦を育て上げた師匠の牛島辰熊、彼は全日本の選士権で実質的に5連覇を果たした最強の柔道家だったが、ついに天覧試合では優勝できなかった、その無念さを晴らすため、木村政彦を最強の選手に育て上げたという。この鬼気迫る師弟関係も見ものである。また、木村政彦を兄と慕った極真会館の大山倍達、そして、プロレスラーの力道山。ブラジリアン柔術の王者、エリオ・グレイシー。作者により掘り起こされた、これら一癖も二癖もある男たちの姿は実に魅力的だ。彼らの人生が木村政彦という強烈な磁場に引き寄せられ、互いにぶつかり合い、交錯し合っていく様子に惹き込まれ、時間を忘れてページをめくっていた…。
実のところ、読み終わった今でも「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」という問いに対しては、答えが得られた気がしていない。しかし、暴力団相手の喧嘩で刺されてあっけなく死んでしまった力道山に対して、師の牛島辰熊が自分を育てたのと同様に、拓大の柔道部を自分が経験した内容に匹敵する地獄の特訓で鍛え上げて岩釣兼生という世界チャンピオンを育てあげた木村政彦、このあまりにも対照的な二人の生涯を見るにつけ、木村政彦は力道山を殺すまでもなく、勝負がついてしまっていたように思えてならない。ただ、自分との再戦から逃げ続けて勝手に自滅してしまった力道山に対して、木村政彦の殺意は最後まで枯れることがなかったようだ。最晩年の木村政彦が、作者の増田俊也氏に'あいつ(力道山)は卑怯な男だから、(自分の額に「殺」という文字をイメージして)殺した'と語ったというエピソードに表れている。
作者の増田氏の木村政彦に対する思い入れは相当なものがあり、誇張した表現も多用されているが、読んでいるうちにほとんど気にならなくなった。作者に洗脳されてしまったようだ。少なくとも'格闘技史上最強は木村政彦!'と自分の中では揺るぎのない確信を得るに至った。 -
木村の前に木村なく、木村の後に木村なし。三倍努力、負けは死を意味するとまで考えて勝負に臨んできた、鬼の木村である。
そんな最強木村が、なぜ力道山に負けたのか・・・。
18年の歳月をかけて辿り着いた結論に著者の筆も激しく揺れる。途中まではこんなに木村に思い入れてしまって大丈夫だろうかと思っていたが、最終的には著者自身が腹をくくって真実を追求していた。アツすぎて一気にかぶれてしまった。 -
私の場合、特に格闘技が好きというわけではありません。この本を手に取ったのは、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したベストセラーであったこと、ジャカルタ日本人会の古本市で50円で売られていたという理由だけです。ところが、読み始めたらやめられず、正月休みで完読してしまい、充実した読後感を味合うことができました。
「木村政彦」という名前はあまり浸透していないと思います。木村政彦は主に戦前に活躍した柔道家で全日本選手権13年連続保持、天覧試合優勝も含め、15年間不敗のまま引退。「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と讃えられ、現在においても史上最強の柔道家と称されています。
しかし、戦後、食えない時代にプロ柔道に参戦したこと、さらにプロレスラーに転向して力道山と不可解な試合を行い、無様な敗北をしたため、戦後の柔道界は木村の存在そのものを柔道史から抹殺しまいました。
本書は木村政彦の評伝。「昭和の巌流島」と言われた昭和29年の力道山との試合を中心に据え、木村政彦の少年時代から臨終までを、柔道、プロレス、当時の世相を絡めながら描くノンフィクションの大作です。
著者の増田俊也さんは北大柔道部に在籍していたノンフィクション作家、小説家。増田さんは木村政彦と力道山を「怪物」と断言します。
「柔道家として全盛時代の木村は、まさに戦うためだけに造られたサイボーグであった。(中略)ただただ勝ち続けることを課され、それに応えて完璧なサイボーグ戦士となった怪物であった。大日本帝国が産み落とした怪物であった」
「一方の力道山は、はじめは植民地の朝鮮半島から夢を見て内地日本にやってきた素直で優しい少年だった。だが(中略)差別からくる怒り、自らではどうしようもない国家という化け物に振り回され続ける怒り、その中でもがき続けた」
上の文章に国家をも絡めた、木村政彦と力道山の2人の性格の違いが簡潔に記されていると思います。そして、なぜ2人の怪物が不可解な試合を行い、木村政彦が醜態をさらし、木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのかを、膨大な資料とインタビューから明らかにしてゆきます。まさにノンフィクションのお手本のような本です。
文句なしの★5つ。最後の数ページは目頭が熱くなりました。 -
決して凶暴な顔ではないが、迫ってくる迫力と冷たさを感じる木村の表紙写真。
勝負でなくショーを演じるプロレスの世界での木村は、この雰囲気ではなかったのだろう。穏やかな表情のそのころの写真は別人だ。
師匠の牛島との息をのむ特訓や破天荒な行動は劇画の世界だ。
合気道を学んだ阿部謙四郎に敗北し、タイミング無用の大外刈りを完成させる。
そして柔道の真の武器である寝技。
しかし最強の男は、ハングリーで武士道とはかけ離れた精神構造を持ち、ビジネスの急所を逃さない力道山に葬られる。
まあ力道山は負けなかっただろう。木村に隙が無ければシナリオ通りに引き分ければいい。油断であったし、グレイシーの言う「後悔すべきは、真剣勝負でない舞台にあがったということ」に言い尽くされる。そもそもが結核の妻の薬代を得んがために、プロレスを始めたことを考えれば悲しいことだが。
しかしながらとにもかくにも魅力的な伝説の男だ。 -
木村政彦という柔道家のことは知らなかった。この本を読んで、柔道のことも何も知らなかった、ということがわかった。現在の柔道の正史は講道館が書いたもの。でもそれは、かつてたくさんあった流派の一つでしかなかった講道館が柔道を支配し、後付けで書いた「正史」。現在のスポーツ化してしまった柔道とは別の、実戦的な総合格闘技としての柔道の歴史。講道館が消し去ってしまった真実を、木村政彦とその師匠牛島辰熊、二人の"鬼"と呼ばれた柔道家の生き様を通じて白日の下に明らかにする。
木村政彦の生き様は凄まじい。こんなふうに生きた人間がいた、ということがすごい。その人生はすごいとしか形容できない。柔道の裏面史とともに、木村の生き様にぐいぐい引き込まれて行く。久々に凄まじい、ノンフィクションであった。 -
伝説の柔道家である木村政彦の生涯を圧倒的な取材量と熱い熱を持って書き上げたノンフィクションの傑作。
格闘技好きだっから木村政彦の名は「エリオに買った日本人柔道家」といつくらいの認知だったが、この本を読んでいかに強い男だったのか、いかに極限を生きた男だったのかがわかる。師匠である牛島辰熊と共に夢の展覧試合を制するまでの前半はとにかく凄い熱量でめちゃくちゃに面白かった。講道館柔道とは技術体系を持った武徳会や高専柔道といった存在は初めて知った。中でも高専柔道の寝技は後にグレイシー柔術へ受け継がれるなどして進化を遂げていることに驚かされる。
物語の中盤では有名なエリオ・グレイシーとの対決を詳しく書かれている。グレイシー一族にとって特別な存在感だという木村。試合の内容やグレイシーとのやり取りで納得。熱い内容だった。
後半はこの本のテーマでもある力道山との試合。そして、その結末。
18年かけて書き上げただけあって凄いボリュームだったけど、早く続きが読みたくて仕方なかった。
昭和という激動の時代を生きた柔道家たちの姿に熱いものがこみ上げてくる名著です。 -
内容紹介
昭和29年12月22日----。プロ柔道からプロレスに転じた木村政彦が、当時、人気絶頂の力道山と「実力日本一を争う」という名目で開催された「昭和の巌流島決戦」。試合は「引き分けにする」ことが事前に決められていたものの、木村が一方的に叩き潰され、KOされてしまう。まだ2局しかなかったとはいえ、共に生放送していたテレビの視聴率は100%。まさに、全国民注視の中で、無残な姿を晒してしまった木村、時に37歳。75歳まで生きた彼の、人生の折り返し点で起きた屈辱の出来事だった。柔道の現役時代、木村は柔道を殺し合いのための武道ととらえ、試合の前夜には必ず短刀の切っ先を腹部にあて、切腹の練習をして試合に臨んだ。負ければ腹を切る、その覚悟こそが木村を常勝たらしめたのである。約束を破った力道山を許すことができなかった木村は、かつて切腹の練習の際に使っていた短刀を手に、力道山を殺そうと付けねらう。しかし、現実にはそうはならなかった......その深層は? 戦後スポーツ史上、最大の謎とされる「巌流島決戦」を軸に、希代の最強柔道家・木村政彦の人生を詳細に描く、大河巨編!! -
この本、前から買ってあったのですが、大宅壮一ノンフィクション賞も獲得し、圧倒的な高評価なるも、この700頁近い厚さゆえ、読み始めたら、仕事に支障が出るだろうなと思い、なかなか、手をつけられずにいました。私は結構速読ではあるものの、完読までに1週間近くかかってしました。
13年間無敗で、「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」とまで言われた圧倒的な強さをもった柔道家である木村政彦についてのノンフィクションです。彼が、なぜプロレスに転向し、力道山と戦うことになり、そして負けたのか。柔道を講道館柔道ではなく、寝技中心の高専柔道から見た本であり、力道山対木村政彦の巌流島対決を、力道山の視点ではなく、木村政彦の視点から見た本です。
筆者は、格闘技ライターで、本書はゴング誌で4年間にわたって連載されていた記事故、前半1/3はやや資料的な記述が多く、少々もたつきましたが、この本のメインイベントである巌流島対決のあたりからは、一気に読み進めました。本のタイトルも、絶妙だなぁ。もちろん、力道山を殺したのは、木村政彦ではありませんが、木村政彦は、自分の念で力道山を殺したと言っています。
噂通り、とてもおもしろい本でした。特に、格闘技に興味がある方は、必読の本でしょう。 -
撃つ、投げる、極める、落とす。
参ったと言わせるか、失神、戦闘不能になるまで、戦う。
有効も効果もない、判定勝ちもない。
「東京には参ったは無しだ。」
「最初に持ったところを躊躇なく折れ。」
いつの時代、どこの修羅の国の話かと思ったら、ついこの間の日本でした。
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