文字渦

著者 :
  • 新潮社
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本棚登録 : 696
レビュー : 60
  • Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103311621

作品紹介・あらすじ

昔、文字は本当に生きていたのだと思わないかい? 秦の始皇帝の陵墓から発掘された三万の漢字。希少言語学者が遭遇した未知なる言語遊戯「闘字」。膨大なプログラミング言語の海に光る文字列の島。フレキシブル・ディスプレイの絵巻に人工知能が源氏物語を自動筆記し続け、統合漢字の分離独立運動の果て、ルビが自由に語りだす。文字の起源から未来までを幻視する全12篇。

感想・レビュー・書評

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  • 中島敦に『文字禍』という短篇がある。よくもまあ同名の小説を出すものだ、とあきれていたが、よく見てみると偏が違っていた。『文字禍』は紀元前七世紀アッシリアのニネヴェで文字の霊の有無を研究する老博士ナブ・アヘ・エリバの話だ。同じ名の博士が本作にも登場するところから見て、連作短編集『文字渦』は中島の短篇にインスパイアされたものと考えられる。

    『文字渦』の舞台は主に日本と唐土。時代は秦の時代から近未来にまで及ぶ。ブッキッシュな作風で、渉猟した資料から得た知識を披瀝する衒学趣味は嫌いではないが、近頃これだけ読めない字の並んだ本に出会ったことがない。康煕字典でも手もとに置いていちいち繙くのが本当だろうが、それも大変だ。とはいえ、文字が主題なので、それがなくては話にならない。一冊の本にするには、関係者の苦労は並大抵のことではなかったと推察される。ただし、外国語にはほとんど翻訳不可能だろう。

    始皇帝の兵馬俑発掘の際、同時に発見された竹簡に記された文字の謎解きを描いたのが表題作の「文字渦」。粘土で人形を作ることしかできない男が、俑造りのために召しだされる。腕を見込まれて始皇帝その人をモデルに俑を作ることになるが、その印象が日によって変わるのでなかなか捗らない。兵馬俑の成立過程とその狙いを語りつつ、物と直接結びついていた字が、符牒としての働きを持つ実用的な文字へと変化してゆく過程を描き出す。

    阿語という稀少言語を探しながら各地を歩いていた「わたし」はあるところで「闘蟋」ならぬ「闘字」というものに出会う。「闘蟋」とは映画『ラスト・エンペラー』で幼い溥儀が籠の中に飼っていたあの蟋蟀を戦わせる遊びである。「闘字」は、それに倣い、向い合った二人が互いに硯に字を書いて、その優劣を競う。ヘブライ文字で書かれたゴーレムの呪文を漢字に書き換える論理のアクロバットが痛快無比の一篇「闘字」。

    個人的には、「梅枝」に出てくる自動書記の「みのり」ちゃんがお気に入り。いくつものプーリーやらベルトで出来たガントリー・クレーンを小さくしたような形の機械ながら、『源氏物語』の紫の上の死を書き写す際、のめり込み過ぎて他の書体では書けなくなってしまうほど神経の細やかなオートマタなのだ。ニューラル・ネットワークによって学習する「みのり」は話者である「わたし」の一つ先輩である境部さんの自作。境部さんはアーサー・ウェイリー訳『源氏物語』を自分で訳し直したものを「みのり」を使って絵巻に仕立てている。本は自分で作るものだというのだ。

    この時代、紙は「帋」と呼ばれるフレキシブルディスプレイと化している。境部さんは言う。「表示される文字をいくらリアルタイムに変化させても、レイアウトを動的に生成しても、ここにある文字は死体みたいなものだ。せいぜいゾンビ文字ってところにすぎない。魂なしに動く物。文字のふりをした文字。文字の抜け殻だ」「昔、文字は本当に生きていたのじゃないかと思わないかい」と。

    この境部さんのいう文字に魂があった時代、もう一人の境部が遣唐使として、唐の国に渡っている。白村江の戦いに敗れ、唐の侵攻を食い止めるための外交交渉の副使としての任務がある。高宗の封禅の儀式に立ち会い、皇后武則天の威光を知った境部石積は、一計を案じる。外交の窓口となる役人に二つの願いを出す。ひとつは函谷関を越え西域に旅をする許可。もう一つは、武則天の徳を讃えるために新しい文字を作ること、である。前者は日本がカリフの国と手を組んで唐を挟み撃ちにすることを意味している。

    そんなことが許されるはずがないので、これは単なる脅しにすぎない。ではもう一つの方にはどんな意味があるのか。「石積は思う。もしもこの十二年、自分の考え続けてきた文字の力が本当に存在するのなら、皇后の名の下に勝手な文字をつけ加えられた既存の漢字たちは、秩序を乱されたことを怒り、反乱を企てるだろう。楷書によって完成に近づいた文字の帝国に小さな穴が空くだろう」と。

    中島敦の『文字禍』に登場するナブ・アヘ・エリバの名が出てくるのが、この「新字」。老博士は文字の霊の怒りにふれ、石板に下敷きになって死ぬが、石積はその文字の力を信じ、一大帝国に揺さぶりをかけようとしているのだ。もし西域への旅が許されたら、同盟国を探すつもりだが、その頃日本は唐に攻め滅ぼされているかもしれない。それなら、新しい土地で新しい言葉で日本の歴史を記せばいい。それも「国を永らえる一つの道なのではないか。文字を書くとは、国を建てることである」と石積は考えている。

    収められた十二篇の短篇の中には、横溝正史の『犬神家の一族』をパロディ仕立てにした「幻字」もあり、SF、ミステリ、歴史小説、王朝物語とジャンルの枠を軽々と越えて見せる変幻自在ぶりに圧倒されて、ついつい見逃しがちになるのだが、全篇を貫くのは「文字の力」という主題である。公文書の改竄や、首相、副首相の無残な識字力が世界中に知れ渡ってしまった今のこの国において、文字の魂、文字の力を標榜することは大いに意義深いものがあるといえるのではないだろうか。

  • 偶然、この一ヶ月以内のことで、中島敦の「文字禍」が話題に上ったのでした。
    人が記述する文字に、人が操られているのかもしれない、という皮肉を含みながら、「文字禍」の碩学は悲惨な末路を辿りますね。

    でも、本当に文字が生きていたとしたら?
    というテーマは思いつくとしても、円城塔が描く世界はその予想を遥かに飛躍してくれます(笑)
    しかし、頭が疲れる!!
    すらーっと読んでしまうと、まるで何のことかさっぱり分からず、再読しました……。
    以下、引用多目なので、ご注意ください。

    私たちが手書きの文字には何か力が籠もると思っているように、一つの国の歴史が文字として残り、またその存在が許されなかった文字は、時空を超えて無と帰すように。
    性別や立場で用いる文字に区別があること。
    紙がデータに扮した時に、文字もまた書く対象ではなくその文字を表すコードと化したこと。
    無限大と無限小の世界にいながら、文字は人間規格のツールだと思い込んでいること。
    などなど、思いつくだけでも、面白い欠片がたくさん潜んでいることが分かります。

    「『俑を管理するのも文字を管理するのも同じことだ』と嬴は何かを払うように手を振る。『ただの符丁にすぎずとも、秩序に従うことが重要で、従うことではじめて意味が与えられることになる』」

    表題作「文字渦」は兵馬俑の作り手を軸として、中国という国の推移、そして文字が存在することの意味が上手くストーリーに織り込まれていきます。

    「一般に、固有名詞は微弱な光を放つといわれ、これは文字自体が光を放つ証拠とされると同時に、光は認知的なものであるという証拠ともされる。文章をざっと眺めて、固有名詞をみつける速度は、普通名詞をみつけるのに比べて有意に速い。」

    かなだけで書かれた文章であっても、そうと読めることが多いですが(複数の可能性を示すことももちろんですが)、これってアルファベットでも同じなのでしょうか。thisisapen.

    「一見、無特徴ともいえる楷書はしかし、それゆえに人間の秩序とは関係のない文字そのものの生々しさとでもいうものを感じさせる。人間のものではない秩序がそこに現れているようにも見えるのである。それは不思議と、十二年前、阿羅本に見せられた『ウトナピシュティムの書』を思い出させた。字形は全く異なるのに、みつめるうちに自分が何をみているのか、その背後にいるはずの書き手の筆の動きをこえて、文字がただの線の集まりでしかなくなってくるところが似ている。」

    感動して筆先の震える自動筆記機「御法」ちゃんのくだりも、なかなか素敵です。
    併せて、中島敦の「文字禍」にもお戻りくださいませ。なぜか、敬体でのレビューでした。

  • まさか文字にこんな解釈があったとは!面食らいながら読み進めましたが、読み終わった瞬間感じたのは爽やかで明るい希望。きっと媒体が紙から電子になっても、文字は生き残って本という存在も続いて行くでしょうね。これからも、いえこれまで以上に文字たちと仲良くしたいです。

  • 終始ニヤニヤしながら読んだし、こんなに笑った円城塔は初めてだった。

    「昔、文字は本当に生きていたのだと思わないかい?」というウリ文句からしてなかなかの悪ふざけではあるが、よもやここまで悪ふざけが過ぎるとは思わなかった。出だしの『文字渦』はまだ舌を巻きながら読めるところはあるが、後半に行くに従って徐々にエスカレートしていき、しかめつらしく読むべき文学なのか、抱腹絶倒のギャグなのか、そもそも自分は何を読んでいるのかよくわからなくなっていく。

    しかし、よくもまぁここまで様々なネタを繋げながら文字で遊びきれるものだなぁと感心する。文字コード問題に端を発する戦争なんて上手い発想だし、どうなっているのだろう、この人の頭の中は。

    それにしても校正泣かせであったろうことは想像に難くない。南無。

  • ご多分にもれず、というかSNSに本書の一部の校閲原稿がアップされていて、「これは完成品を一度見てみなくては」という感じで手に取った。

    最初の「文字渦」で、「文字と歴史上の人物をからめた連作か」と思ったが、そのようでそうでもない。かといって、文字の持つ呪術的な部分を称揚したエモーショナルな作品でもないし…

    とはいえ、巻末に記載された資料のパワーのみで押してくるアカデミックにめんどくさい作品ではなく、すっとぼけた物語をベースに、ふわふわと進むのが愉しい。森林さんのプリンタはどんだけすごいスペックなんだ!とか、境部さん、モリミー作品のクールビューティーお姉さまっぽいよね!とか。

    つまるところ、「文字」自身というか、文字が情報を運ぶコンテナとなって、あちらこちらに顔を出し、過去から未来へ旅をしていき、人間がその人の生きた時代のそれぞれのインターフェースを使ってそれを追っかけていく、といった風情の作品で編まれた短編集ということができると思う。個人的には、そうした時間の流れを追っていくのがとても楽しかった。

    見た目は実験小説のカテゴリーに入ると思うので、物語重視のかたはちょっと読みにくいかもしれないけれど、ストーリーだけではなく、字面の技巧という面も楽しめるので、そういう面がお好きな方にはぜひ。

  • こないだ某作家さんと飲んでた時に「時代小説書いてると編集者から「そんなに調べたこと全部書いたら読者がついてこないからほどほどに」って言われて「書きたい」って思ったけど、小学生からじいちゃんばあちゃんまで幅広くファンレターもらっちゃうと分かりやすさ第一にせざるを得ない」って言ってはって「大変やなぁ」と思ってたんやけど、たまにはこういう「作家がやりたいことを全力で振り切って書いてる」本もええよね、ファンレターは少ないかもしれんけどオイラは好きよ。

  • 情報技術と歴史や仏教を下敷きに、「文字」を題材にしたSF短編集。
    何を元ネタにしているか、自分が読み取れたのはバイナリ、シンタックスハイライト、マークアップ言語、電子書籍(kindle?)、文字コード、デザインツール、typo、インベーダーゲームなど。インベーダーゲームのくだりは特に笑ってしまった。
    概念で殴るというか、こういう解釈もできるよねっていうのが好きなんだなあと自覚できた一冊。

    調べながら読むのを解説でもおすすめされているので、PC版kindleで読んで即調べるのが良いかもしれない。

  • 日本SF大賞受賞!
    円城塔さん『文字渦』
    第39回日本SF大賞を受賞!文字の壮大な大冒険!

  • 読み終わった…。

    とりとめなく感想を書き留めるなら、第8章「誤字」で突然自我を得たようにおしゃべりを始めるルビのふるまいが可愛いこと、一冊を通して澱むところのない…というか淀んで立ち込めてもくもく煙っているというべきかまさに渦を巻くようなこの奇想はどこから湧いてくるの?という感嘆、そして執筆状況報告でちらっと例のページを紹介してた時にも思ったとおりこれはアート作品なのだなと。
    本というのは読めば読者は同じ話をたどってその先にいろいろと感想など思うところを抱くものだと思うけど、文字渦は話自体をどう理解するかも人それぞれな気がする。同じ文字を追いながら辿る道が違うというか。

    なんにせよふりがなに徹している最中にふと読者が本文ではなく自分を見ていることに気づいたように、

    ”おっと、こんにちは。おまえはだれかといわれるとそう、まあね、みてのとおりルビですね”

    と話し始めちゃうルビちゃんは、もはやひらがなの横まではみ出しながらびっしり行間を埋め尽くす異様な絵面的にも、妙に親しみのある可愛さ的にもこの本の最大の見どころなのではないかと思います。

    とりあえず一読して理解するのは無理でした!

  •  中島敦とは違いますね。そこが面白かった。「もじうず」なんですから。もっとも、ルビと本文の二重表記で、本当に眩暈がしたのには参った。これに気づいた作家はえらい。

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著者プロフィール

円城塔
一九七二年北海道生れ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。二〇〇七年「オブ・ザ・ベースボール」で文學界新人賞受賞。一〇年『烏有此譚』で野間文芸新人賞、一一年早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞、一二年『道化師の蝶』で芥川賞、『屍者の帝国』(伊藤計劃との共著)で日本SF大賞特別賞、一七年「文字渦」で川端康成文学賞を受賞した。他の作品に『Self-Reference ENGINE』『これはペンです』『プロローグ』『エピローグ』などがある。

「2020年 『夜ふかしの本棚』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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