- Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103311911
感想・レビュー・書評
-
料理がテーマの短編集。皆さんには思い出の料理がありますか?私はお母さんのオムライスです!結構出てくる頻度は高いのですがオムライスにいつもケチャップで好きな文字を書いてくれるんです!いつまで経っても大好きな食べ物です。
そんな感じでこの本も食べ物と一緒に物語が展開されていきます。短編でもしっかり感動できます!詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
十割蕎麦、『つなぎ』を使っていない蕎麦粉だけで打ったその蕎麦を初めて食べたのは、義父の家でした。蕎麦打ちが趣味だった義父。『たくさん、食べろ』と笑顔で呼びかける義父。家を訪ねるたびに独特なつけ汁とともに打たれたばかりの蕎麦をいただいた食事の風景。満面の笑顔の祖父の顔が今でも忘れられません。そんな義父が急に調子を崩したのが二年前。専門病院に入院するも肥大化する脳腫瘍は、手術を繰り返しても完治することはありませんでした。長くてあと一年と告知を受けた義父、それからの落ち込みようは今思い出しても辛くなります。食欲をなくし、出される食事に手をつけなくなった義父。食べたいものを食べさせてあげてくださいという看護師さんに言われ、院内の食堂へ連れて行きました。そこで祖父が注文したもの。天ぷら蕎麦でした。義父が一番好きだった食べ物。自分で打つほど蕎麦が好きで、天ぷらが好物だった義父。ひと口、ふた口、そして箸を置いた義父。そのあと、私の目を見て『俺は、もうだめなんだよ』と、呟いた食事の場面、今もはっきり私の中に刻まれています。同じ食べ物に楽しい想い出と悲しい瞬間の両方が結びついている。それを食べると楽しい想い出と悲しい瞬間の両方が浮かんでくる。食事は人にとって日々欠かせないものです。ひとりの食卓、友だちとの食卓、そして家族との食卓、そのそれぞれの場面には、その時々の人生の大切な瞬間が一緒になって刻まれています。この作品には、人が生きていく上で欠かせない、人が生きていくことを彩っていく、いろんな場面の食卓の風景が描かれています。
7つの短編から構成されるこの作品。全体のページ数も単行本170ページ程度しかないこともあって、あっという間に読み進んでしまいます。7つに共通するのは食材、料理、そして食卓を囲む風景が作品の色を決定づける役割を果たしているところです。そう、食にあわせるかのように登場人物の年齢、家庭環境、そして場面設定が選ばれているかのようにも感じるこの作品。普通は、ストーリーがあって、その中で食卓が演出の一つとして描かれますが、この作品では、食卓があって、次にそれに合わせるようにストーリーが書かれたのではないか。主役は食卓ではないのか。そう感じるくらいに各話の中で食卓の印象が強く感じられました。
7編の中で一番気にいったのは〈こーちゃんのおみそ汁〉です。『一月の寒い朝に産声を上げた私に、呼春(こはる)という名前をつけたのは母だった』という主人公・呼春は『名前をえらく気に入って』います。しかし、『私に呼春と名付けた母は、もうこの世にはいない』、亡くなって二十年が経つという母親の記憶がはっきり残っていなかったという呼春。しかし、結婚が決まり、父と二人で暮らした家を出ていくという段になって、『ようやく、自分の中に根付く「母」の存在に気付き』始めます。『いわゆる特訓が始まったのは、私が幼稚園に入る頃からだった』という呼春は、『再発』を悟った母親から『自分のことは何でも自分でできるよう』生活していく上で必要な事ごとを教え込まれていきます。『台所仕事だって、例外ではない』と、ご飯の炊き方を教わります。そして、『次に母が私に教えたのは、おみそ汁の作り方だった』と、『頭を取って、内臓の黒い部分も外して、身を二つに裂く』という『煮干しの扱い方』から全てを教えてもらう呼春。『料理は五感で覚えるもの』という母の考え方により、『煮干しを煎る時のいい塩梅の香りは、しっかりと記憶のひだに挟まれている』という呼春。『特訓が終わると、母はとたんに優しくなる』と『母の体にまとわりつくのが好きだった』という呼春。そんな幼稚園時代を思い出す呼春は、『私は二十代半ばの若さで、すでに母の享年をこえ、これからはどんどん母が年下になっていく』という現実を認識します。そして、『私がお嫁に行ったら、父はこの家で一人になる。庭の桜の木を見上げ、「私、お嫁に行くよ。明日、結婚するの。お母さん、お父さんのこと、しっかり守ってあげてね」』と心の中でそっと静かにつぶやきます。そして…、と展開するとても味わいのある物語。
もう一つ挙げるとすると〈親父のぶたばら飯〉。こちらはストーリーもとてもいいのですが、それ以上に食に関する描写が、もう突き抜けていると感じました。『中華街で一番汚い店なんだけど』と恋人に案内された主人公・珠美。最初から最後まで食を最前面に押し出した物語が展開します。まずは『ビールとしゅうまい』と注文した二人、このしゅうまい。『不揃いな形のしゅうまいからは、ほわほわと白い湯気が立っている。「美味しい!」』と頬張る口の中を表現していきます。『口の中にまだ熱々のしゅうまいを含んだまま、それでも驚きの声を上げずにはいられなかった。固まり肉を、わざわざ叩いて使っているのだろう。アラびき肉のそれぞれに濃厚な肉汁がぎゅっと詰まって、口の中で爆竹のように炸裂する』。肉汁が口の中に溢れる瞬間を爆竹に例えるという絶妙な表現に、読んでいる方も、もうたまらない気分です。そして次の『ふかひれのスープ』では、『優しく優しく、まるで野原に降り積もる雪のように、私の胃袋を満たしていった。地面に舞い降りた瞬間すーっと姿を消してしまうかのように、胃から体の隅々へ行き渡っていく。儚い夢を見ているようだった』ともう今生の幸せを味わうかのような描写に、文字が美味しく見えてくる不思議な気分を味わいました。これはもう、読書なんかしている場合ではなく、すぐにでも自分も食べたくなってきます。こういうのを『食をそそる』というのでしょうか。この短編ではとにかくメインディッシュの『ぶたばら飯』含め散々に空腹を刺激され続けました。
『どうして本当に美味しい食べ物って、人を官能的な気分にさせるのだろう。食べれば食べるほど、悩ましいような、行き場のないような気持ちになってくる』というように美味しい食べ物を食べる時の幸せは何ものにも変えがたいものがあります。長い人生、生きていれば、辛いこと、悲しいこと、そして苦しいことだって避けることはできません。毎日の暮らしだって、気持ち安らかな日々ばかりとはいかないでしょう。でも、どんな時にも食は必ずついてきます。ある食事風景が、何年経っても、家族の幸せな時、そして一方で悲しい瞬間の象徴となって、いつまでも記憶の中に残り続けることだってあると思います。でも、それであっても『美味しい物を食べている時が、一番幸せなのだ。嫌なこととか、苦しいこととか、その時だけは全部忘れることができる』。食事の場面では、どんな時でも幸せを感じる瞬間があったはずです。美味しい、満たされる、と思った瞬間。全てを忘れて食の喜びに浸る瞬間。そんな食事風景の数々を文字で刻んだこの作品。レンゲですくって舌の上にスープを流し込んだ恋人の『ふぅ、幸せ』という一言が象徴する幸せな食卓。小川さんの食を描く表現の素晴らしさと、その食に込められた想いを強く感じた、至福の時間でした。
美味しくいただきました。ごちそうさまでした!-
こんにちは。
コメントありがとうございました。
本棚に並ぶ本が共通しているなと、私も感じていました。
好みのお話も共通していて、う...こんにちは。
コメントありがとうございました。
本棚に並ぶ本が共通しているなと、私も感じていました。
好みのお話も共通していて、うれしいです。
こちらこそ、これからもよろしくお願いします。2020/06/05 -
moboyokohamaかわぞえさん、コメントありがとうございました。
いろんな思い出に食卓風景が同時に浮かんでくる、とても説得力のある作品...moboyokohamaかわぞえさん、コメントありがとうございました。
いろんな思い出に食卓風景が同時に浮かんでくる、とても説得力のある作品でした。
今後ともよろしくお願いします。2020/06/05 -
KOROPPYさん、コメントありがとうございます。
読書を始めて半年の私には大、大先輩のKOROPPYさん、いつも道案内をありがとうございま...KOROPPYさん、コメントありがとうございます。
読書を始めて半年の私には大、大先輩のKOROPPYさん、いつも道案内をありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。2020/06/05
-
-
7つの短編集。どの話しも泣ける話しでした。私が涙もろいのか...。
【泣けた順】
⓵バーバのかき氷
⓵親父のぶたばら飯
⓵こーちゃんのおみそ汁
⓸さよなら松茸
⓸季節はずれのきりたんぽ
⓺いとしのハートコロリット
⓻ポルクの晩餐
とくに前半4つの作品が泣けました。公共の場では、読まない方がいいかも。 -
小さい頃、人見知りだった私がしょんぼりしているといつも、
母は油にドーナツ生地をぽとんぽとんと落としては、こんがりと揚げてくれました。
「ほら、これ、何に見える?」と訊かれ、
「う~ん、ペンギン?」とか「ひこうき!」とか答えているうちに、
いつのまにか「しょんぼり」はどこかに飛んでいってしまっているのでした。
私にとっての「何に見える?ドーナツ」みたいに
誰にも、思い出としっかり手を繋いだ、忘れられない料理やお菓子がある。
そんなメニューを7つ並べた、ひとつひとつのタイトルを見るだけで
おなかが空いてしまいそうな短編集です。
「食べて、生きること」の大切さを、変わることなく訴え続けている小川糸さん。
今回も、『バーバのかき氷』・『親父のぶたばら飯』・『こーちゃんのおみそ汁』など
ほろりとさせながら、温かい余韻を残してくれるお話が素敵です。
でも、よく「ほっこりさせてくれる作家」と表現される小川さんだけれど
魅惑の香水には、必ずちょっとだけいやなニオイがブレンドされているように
作品の中にいつも、ほのかな毒やシニカルな視線が混ぜ込まれているからこそ
温かさが際立つのかも。
今回も、『あつあつを召し上がれ』と銘打ちながら、かき氷の話を冒頭に据え、
贅を尽くした料理や、素朴でも食材を吟味し、丁寧に作り上げた料理を幾つも並べたあと、
最後の物語では、ヒロインにインスタントのだしを使った料理を
「おいしい」と言わせてしまう。
なんとも小川さんらしい隠し味の効いた1冊でした。-
vilureefさん☆
母は誉めてもらうと調子に乗るタイプだったので
vilureefさんにそんなに誉めていただいて
今頃天国でダンスでも...vilureefさん☆
母は誉めてもらうと調子に乗るタイプだったので
vilureefさんにそんなに誉めていただいて
今頃天国でダンスでも踊っているかもしれません♪
いつも思い遣りあふれるコメント、ほんとうにありがとうございます!
『親父のぶたばら飯』に出てくる中華料理屋さん、
お店はなんだか煤けた感じなのに、出てくるお料理がとてつもなく美味しそうなんです。
お読みになるときには、お腹をちゃんと満たしてからでないと、辛いかもしれません(笑)2013/03/28 -
まろんさん、こんにちは!
>ほろりとさせながら、温かい余韻を残してくれるお話が素敵です。
本当にその通りです!!
>最後の...まろんさん、こんにちは!
>ほろりとさせながら、温かい余韻を残してくれるお話が素敵です。
本当にその通りです!!
>最後の物語では、ヒロインにインスタントのだしを使った料理を「おいしい」と言わせてしまう。
そうなんです。これ、すごくリアルだなと思いました。
きりたんぽを丁寧に作っている時は、思い出のためにという感じがして、生きている自分たちより優先させらているような。
で、最後のインスタントだし。
絶妙のバランスだな、と。
「お腹がすいてしまって我慢できないし、とにかくたべちゃお!おなかがすいていれば、なんだっておいしいよ」みたいな、生きるエネルギーを感じて、微笑ましく、それでいてほろ苦さが残り、とても現実的でした。
2013/07/03 -
nicoさん☆
うわあ、うれしいです!
こんなとりとめもないレビューから、伝えたかったことをしっかり受け止めてくださって。
そうなんです...nicoさん☆
うわあ、うれしいです!
こんなとりとめもないレビューから、伝えたかったことをしっかり受け止めてくださって。
そうなんですよね、きりたんぽは、作る過程のほうに意味が持たされてるというか
それはそれで大切なことではあるんだけど、作るために作っている、みたいなところがあって。
それが、最後の最後には、肩に力を入れずに、インスタントだしで作った料理を
これから生きていかねばならない人たちが、「これはこれで立派においしいじゃない」と、平らげる。
あのリアルさ、逞しさが、なんともいえない味わいですよね♪
偶然にも、冠婚葬祭ラッシュでバタバタしてる中、それでもやっぱり小川糸さんの新作
『リボン』と『つばさのおくりもの』を読み終えたところで
nicoさんがこのレビューにコメントをくださったことにも
なんだかご縁を感じてうれしくなってしまいました(*'-')フフ♪2013/07/05
-
-
短編7つのストーリー 。
・認知症の死期間近の祖母に食べさせたい思い出のかき氷。
・中華街で1番汚い店での恋人との誓い
・恋人との最後のリピート能登旅行
・亡き母の代わりに、父に毎朝味噌汁を作る
・高齢の夫婦の思い出のパーラー
・亡き父を思いながらのソールフードを料理する
美味しい料理は、人の心を優しく包んで温めてくれる、そんな素敵な話が満載でした。
個人的には、中華街で食べる『親父のぶたばら飯』が素敵でした! -
“食べる”ということは“繋がる”ということなのかも知れない。
美味しいものを食べると悩みやつらいことを忘れている経験はありませんか?
この本で食べること=生きることだと改めて感じました。
食べ物は人を温かくしたり思い出を引き出したり、また新しい出会いの扉にもなります。
“食べる”という行為は、今を生きる私たちの基盤だと感じました。
-
食卓を囲む人たちの、思い入れのある料理にまつわる7つの短編集。
どの話にも、別れの匂いが漂っている。
過去の、現在進行形の、そう遠くない未来に訪れるであろう哀しみを背後に感じさせながら、
現在の幸福な暮らしがある。
特に好きなのは
別れることを選択した2人が最後に訪れた宿で
とびきりおいしい夕食と朝食を堪能する「さよなら松茸」
亡くなった父親が最後に食べたいと願い果たせなかったきりたんぽの鍋を、
残された家族が用意する「季節はずれのきりたんぽ」
長い人生の中で多くの人に出会い、一緒に時を過ごし、また別れて暮らすことになっても、
その記憶が遠いものとなっても、
ふとした時に、話したことやその時の情景、
一緒に楽しんだ音楽が思い出されることがあると思う。
一緒に聴いた、大好きだった曲。
切ない。
でも、なぜだか、一緒に食べたものを思い出すとき、
あの人が好きだといった食べ物を口にするとき、
気持ちが温かくなる気がする。
それは、『食べる』という行為のもつ生に直結する、
前向きなイメージのおかげなのかな?
どの話も料理を囲みながら、たくさん話をしながら、
心の中に去来したたくさんの場面を、ひとつずつ丁寧に追っている。
そうしていくうちに、哀しみに少しだけ慣れ、折り合いをつけ、
今、おいしく食事を頂いていることにほっとし、
幸せの入り込む余地を見つけていく。
この先その人に会うことができない辛さはなかなか克服できるものではないでしょう。
平気になるということは、ないかもしれない。
それでも、泣いてばかりはいられない。
食べて、笑って、生きていく。
穏やかだけれど深いところから満ちていく感覚を味わうことができるお話でした。-
2013/07/06
-
まろんさん
こちらこそ、ありがとうございます!
本を読んでいる最中は、あれもいい、これも書きたいと思いながら、いざレビューを書き始め...まろんさん
こちらこそ、ありがとうございます!
本を読んでいる最中は、あれもいい、これも書きたいと思いながら、いざレビューを書き始めると、結局いつも同じようなことを書いてしまい、伝えきれない物足りなさを感じてしまいます。
そんなとき、まろんさんのレビューを拝見して、「そうそう、これが言いたかったんですよ!」と画面のこちら側で、うれしくなっているのです!
歳を経るに従い、嬉しいこともあるけれど、やはり別れも数多く経験することになりますよね。
そうすると、悲しい事実だけに浸って生きてはいけなくなってくる。学生時代の失恋は1人で落ち込んで、もうここから一歩も動けないと思っていたのに、今はそうも言っておれない。それなりに周りに対する責任もあったりして。
元気だから食べるというより、食べて生き続けようみたいな。
本を読んで、共感するところで、自分の心理状態がわかってしまうようですね。2013/07/07 -
だいさん
タイトルは、本当に食べたかった時期を逸してしまったということだと思います。
本格的なきりたんぽは食べたことはないのです...だいさん
タイトルは、本当に食べたかった時期を逸してしまったということだと思います。
本格的なきりたんぽは食べたことはないのですが、スーパーの品でも十分香ばしくておいしかったのを覚えています。
確かに、いつ食べてもおいしそうなのですが、昨日はさすがに気が遠くなりそうな暑さで、我が家では鍋物系は、朝晩が涼しくなってからの登場となりそうです。
2013/07/07
-
-
松茸はちょっと切なく、こーちゃんのおみそ汁では思わず涙…
ポルクはなんだかよく分からなかったけれど、妙に印象に残ってしまう。
食にまつわる多様なお話したちでした。 -
じんわりする話、切なくなる話といろいろあり、面白かった。
「さよなら松茸」
一年半で心がずれてしまった夫婦。最後の旅行で夫のある一面を知り、切なくなった。しかし、浮気を繰り返す男を信じても繰り返すだけ。これを教訓に誠実な男性と出会えることを期待する。
「季節はずれのきりたんぽ」
夫を亡くした母の『亡くしてしまったからでないと、大切なものの存在に気づけない』と言う言葉が胸に染みた。より夫を大事にしようと思った。