人類が永遠に続くのではないとしたら

著者 :
  • 新潮社
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レビュー : 8
  • Amazon.co.jp ・本 (418ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103312123

作品紹介・あらすじ

わたしは過去のことを考えるほど、未来のことを考えていただろうか? 3・11による福島原発事故が引き起こしたのは、本質的には誰にも「責任をとりきれない」という新しい事態だ。科学技術の、地球環境の、そして種としての人類の限界が露わになったいま、ポストモダンとエコロジー、双方の思想が見落としてきた「有限性」を足場に、生きることへの肯定をスリリングかつ緻密に語る決定的論考。

感想・レビュー・書評

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  •  ポストモダンとエコロジーが出会いの契機を壁抜けしあう。消費をも呑み込んで生産はみずからをより太らせる。富の生産から消費の生産へ。公害すら帳簿化して消費する。人間への同情心を少しく欠く成長の限界。人間の時間で十万年を考える。地球の時間で汚染を考える。弁済できない過失。はずれた関節。有限の地球と向き合う欲望。有限の器に無限をどう盛るか。

     非対称な日米関係と隠蔽意識。戦後という独自のあり方。バビロン捕囚の五八年と戦後の七〇年。敗戦国ドイツと敗戦国日本の落差。支払でもあり贈与でもありうる憲法九条。劣位のうちにあるわたしの足場。戦後から遠く離れて地球の問題へ。過去とのつながりから未来とのつながりへ有限性概念のもとで。もっと長い射程をもつソ連消滅。考え方の終わりのはじまり。

     山の向こうには、海の果てには、かつて人間ならざるものが、神々が、妖怪が、魑魅魍魎のたぐいが住んでいた。過去の経験から慎慮によって妥当な判断を取りだす。手抜きをせずに算数式で推理をして考えを進めこれを未来に延ばし未来を創出し未来を現在の統制下に置く。人となりへの信頼から人となりへの判断を離れその人のいうことへの信用に契約を派生させる。

     推理を信頼しいうことを信用し未来に向けて身を投げる。ところが。信頼は裏切られることがありうる。信用は、同時に双子の存在をも生みだす。リスクである。危険は、これを予測し数値化し再帰化し馴致して人間化する。確率論をつくる。保険でリスクを分散する。株式でリスクを分散する。チャンスが利潤を生みだす磁場を構成する。安心が経済行為を呼びよせる。

     人はどう生きたらいいのか。イオニアギリシャインド中国メソポタミアイスラエルに同時多発する世界思想世界哲学世界宗教。間共同体の無限。世界人口変動と地球環境容量と人類生命曲線。有限に応じて無限を排除せず、欲望をなだめず、平穏化もせず。無限の可能性を追求する果てに有限性と出会い有限な生と世界を肯定する。充溢し燃焼しきる一杯のワインの消尽。

     貫通できずにずるずる引き延ばしながらのれんに腕押し的に突き進む。したいとできるのあいだに生じる制限と努力と可能性との相関の意識。可能性と内的な創発性の感覚。自由の感覚。みえないマルコムを手探る。欲望に対し力能として現れる技術。技術は科学の、ではなく、科学こそ技術のはしため。技術革新の無限進行。産業外からくる限界と産業に内発する限界。

     自然に働きかける人間。自然は非有機的肉体と化し人間は有機的自然と化す。自然史的な過程における力能的反応。本質的過剰とも倫理的逸脱とも逆立しつつともに存在することをやめない力能の意義。人工衛星の高度を有する生態系と技術革新のありよう。一九八〇年代以降に集中する被害額甚大産業事故。一七年刻みの技術革新論を版を重ね辛抱強く持続させてみた。

     国家の威信をかけて一七万人を動員し単なる従来の技術の応用に徹する酷使。民主公開自主の気風を戒厳令下に圧伏する。出力が入力に帰還してこない。内部に搾取対象の外部をつくりながら自壊する資本主義。地球が無限にみえている資本家。担い手となる力能の交替。笑いの有無。必要ではなく歓び。わからないなにかが帰還してくる。あとはわたしの試練につなぐ。

    『いま、私にみえているのも、一つの信憑の崩壊である。私の中で気づかれずにあった堅固な信憑が、ひっそりと死んだ。私は、その死について語りたい。そしてそこに生まれた未来の空白をどのように埋めるべきか、私なりの未来の考え方について、考えてみたい。また話したいと思う。』14頁
    『すると、問題は、こうはならないか。』16頁
    『すぐに一つの疑いがよぎる。』20頁
    『いや、ほんとうにそうか。』26頁
    『何が起こったのか。何が予想外だったのか。』29頁
    『なぜこういうことになるのか。』32頁
    『どういうことか。』38頁
    『どこに行ったのか。』40頁
    『いま自分たちが新しい局面に入ったのかもしれないという私の判断は、正しいだろうか。
     根拠があるとしたらそれは、どのようなことだろう。』43頁
    『そもそもなぜ、地球の資源、環境に限界があることは自明なのに、経済成長のあり方に反省を加え、これをより穏当で妥当なもの──持続可能なあり方──に変えようと努力する人が、少数のままにとどまっているのだろうか。
     なぜ「成長の限界」の論理は、広範な、世の大多数の人々を動かすことができないまま、現在にいたっているのだろうか。
     またなぜ、このままゆけば地球が危機に瀕すると警告されたおりにはショックを受け、何とかしなければと考えたのに、いつの間にか私たちの多くのなかで、この危機感は、馴致され、手なずけられてしまっているのだろうか。』56頁
    『そこに欠けているのは何か。』65頁
    『このことの意味は何だろうか。』70頁
    『するとどうなるだろうか。』71頁
    『しかし、考えてみよう。』77頁
    『ここに起こっているのは、どのような人間的な事態なのだろうか。
     私たちは、何を信頼してきたのだろうか。
     そして何への信頼がいま、私たちの中で損なわれようとしているのだろうか。』87頁
    『間違っているだろうか。』88頁

  • 3.11の原発事故を契機として現代社会のリスクを根源的に問い直す内容。ここでも、彼は原発事故のもつ思想的な意味を問うため、現代産業論、リスクと保険の関係、科学技術史などを改めて勉強し直す。この誠実さが、結論に関わらず、読み手の納得感を生むのだろう。

    まず、著者の心を強く揺さぶったのは、原発にかけられるはずの保険が更新できなかった、という小さい記事だ。これが、産業の発展があるリスクの許容限度を超えたのではとの危機感を著者にもたらす。

    レイチェル・カーソンの「沈黙の春」や、「成長の限界」論など「地球の資源はもはや無限ではない、有限だ」という警告は繰り返されてきた。しかしそれらが力を持ちきれなかったのは、結局解決策が「禁欲、我慢」だったからだ、というのが著者の考えだ。つまり、「我慢」で成長を止めるのは無理があるのでは、ということだろう。著者は見田宗介の社会学の論考を引きながら、「青空を見てふと美しいと感動するような」人生の喜び、あるいは欲望を否定するような社会の存続は無意味、という考えに共感している。

    従来の「地球が危ない」論というのは平たく言えば「有限だ、それを無駄遣いしている(たぶん)資本家とか政治家とかいった悪い奴がいる、止めるのは市民だ、なぜなら市民は我慢ができるからだ」という主張のバリエーションに過ぎなかった。加藤氏は、欲望を抑圧する社会では人生の喜びは得られない、とする立場から成長への衝動を肯定する。

    ただ、ここから先、彼の議論は(再び、私の考えでは)迷走しているように見える。人類の欲望、自由を肯定的に捉えながら、ある産業(例えば原発)については「それ以上拡大させない」ロジックを見つけようとして思索を重ねている。ところが、前半のような論旨の切れ味はない。科学技術史やヴィリリオの現代思想などを逍遥した結果彼がたどり着いたのは「することもしないこともできる」コンティンジェントな意思、という概念だが、これは産業の膨張を自発的に止める思想としては機能していない。つまり彼は、結果的に見田の理論を乗り越えられないことを自ら証明してしまっているように見える(そしてそれは同時に、加藤氏自身が批判している吉本隆明の「技術革新への自然な衝動を抑えようとする反原発に反対」という意見を結局肯定することにもなっている)。

    つまりこういうことだ。加藤氏は従来の左翼イデオロギーから一線を画し、自由な意志による資本、産業の拡大を「生きる意味の根源としての欲望」、という形で認めている。一方で、20世紀後半から加速度的に増大する産業事故の危険性を(何らかの)有限性の現れとみて危機感を抱き、これまた従来の「悪いのは資本家と政治家」という以外の理屈で制御しようと試みる。が、結果としてそれは人間にとって最も重要な自由(あるいは欲望)を人工的に制御することになってしまう、というジレンマを解決できず「やらないことも自由」という価値観に「期待」する形で論を終えている。

    加藤氏の言う「『豊かな社会』で大義にもからめ捕られず、欲望にも依存せずに生きる意味」を見つけられるか、彼の本の中に少なくとも私は解を見つけられなかった。だが、その問いの切実さ、その向き合い方の誠実さにおいて加藤氏への信頼は一層高まった、そんな読書であった。

  • 「風の谷のナウシカ」にすべて書かれている

  • 無限性と有限性についての問いは、自身の今後のテーマにもなり得る。 充分に読みこなすことが出来なかったので、再読を予定。

  • 貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
    http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784103312123

  • 三省堂さんのイベント整理券をもらいました。

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著者プロフィール

加藤典洋(1948.4.1~)文芸評論家。山形県生まれ。1972年、東京大学文学部卒。国立国会図書館勤務を経て、86年、明治学院大学助教授。90年、同教授。2005年、早稲田大学教授、現在、同大学名誉教授。85年、『アメリカの影』で文芸評論家としてデビュー。97年、『言語表現法講義』で新潮学芸賞受賞。98年『敗戦後論』で伊藤整文学賞受賞。04年、『テクストから遠く離れて』『小説の未来』で桑原武夫学芸賞受賞。主な著書に『日本風景論』『日本という身体』『戦後的思考』『言葉の降る日』『もうすぐやってくる尊皇攘夷思想のために』など。

「2019年 『完本 太宰と井伏 ふたつの戦後』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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