石川啄木

  • 新潮社
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本棚登録 : 90
感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (375ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103317098

作品紹介・あらすじ

現代歌人の先駆となった啄木の壮烈な生涯をたどる渾身の本格的評伝! 生地日戸村には一切触れず、啄木が自らの「故郷」と呼んだ渋民村。函館、小樽、釧路を転々とした北海道での漂泊。金田一京助とのあいだの類いまれなる友情。そして、千年に及ぶ日本の日記文学の伝統を受け継いだ『ローマ字日記』。膨大な資料をもとに啄木の生涯と作品を丹念に読み解く、九十三歳の著者が精魂傾けた傑作評伝。

感想・レビュー・書評

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  • 申し訳ないことに、啄木に対しては「金遣いが荒い」「友人に借りた金で女遊びをしていた」「口が悪い」というイメージがあった。

    しかし、本を読んでイメージががらりと変わった。

    彼は貧しさでかなり苦労し、悩んでいた。

    「自分の故郷」と呼んだ渋民村の人々との問題について、啄木一家が一部の村人から良く思われず、「敵」がいたことは、なんだか自分のことのように悲しくなった。
    「村社会の狭さ」の怖さは、私も地元でひしひしと感じていたので、他人事には思えなかった。

    なんとか仕事に就くことができても、なかなか長続きせず、高くない給料を前借りしながら暮らしていた。
    暮らす場所を転々としなければならなかったことは、当時としては大変だっただろう。
    彼は幸い友人から援助を受けることができたが、そのような人物がいなかったら啄木一家はどうなっていたか分からないなと思った。

    ローマ字日記の頃の彼は、小説が成功しないことや、ずっと続く貧しさで鬱々としていた。
    朝から晩まで動揺と不安を抱いていた。

    家族と離れて上京していた啄木は、安心感や心も身体もとろけるような楽しみを感じるために女を抱いたが、求めたものは与えられず、ただ哀しみを感じただけだった。

    ローマ字日記には、女性の私が読んで酷いと感じることも書かれているが、「何て奴なんだ」と突っぱねることはできない憂鬱さと寂しさが漂っている。
    自分の身勝手さが原因になったこともあれど、そんな彼に親しみのようなものを覚えてしまった。

    彼の人生には常に貧しさがつきまとい、ずっと何かに苦しんでいたように見えた。
    その苦しみや哀しみから数々の歌が生まれたとはいえ、もし心から安心できる生活を手に入れられていたら……と、不遇だった彼の人生を思ってしまう。

    逸話を断片的に知り、勝手にイメージを作り上げてしまっていたことを恥ずかしく思う。
    じっくりと本を読んで、彼の人生を知ることができて良かった。

  •  ドナルド・キーン(1922.6.18~2019.2.24 享年96)著 角地幸男訳「石川啄木」、2016.2発行、376頁の大作です。啄木の生い立ちから家族を含めた短い生涯について、沢山の文献をもとに、詳しく記述されています。啄木関係の本は結構読んできましたが、初めて知ることも多々ありました。日戸村~渋民村~盛岡~上京~代用教員・結婚~北海道流離(函館・札幌・小樽・釧路)~東京~朝日新聞~本郷・家族との暮らし~母と妻の不和~妻の病気・不貞~啄木の死(結核、明治45年4月13日 享年26)
     ドナルド・キーン(1922.6.18~2019.2.24)著、角地幸男・訳「石川啄木(1886~1912)」、366頁、2016.2発行。ノンフィクション、大作です。石川啄木の実像に迫っているのではと感じます。啄木の日記を始め、豊富な文献をもとに、美化も誇張も歪曲もせず・・・。啄木の人生、啄木の家族、友人を知るための格好の書といえると思います!

  • アメリカの文学研究者、なんていうと失礼になってしまうドナルド・キーンさんの啄木伝。短歌の英訳、明治的古語の現代語訳がすべてに付けられています。特に啄木短歌の英訳は、注目されていい仕事なんじゃないでしょうか。国語の先生とか、啄木に興味を持っている人の入門としては最適。いや、ちょっと分厚いか?

  •  啄木は、千年に及ぶ日本の日記文学の伝統を受け継いだ。日記を単に天候を書き留めたり日々の出来事を記録するものとしてでなく、自分の知的かつ感情的生活の「自伝」として使ったのだった。啄木が日記で我々に示したのは、極めて個性的でありながら奇跡的に我々自身でもある一人の人間の肖像である。啄木は、「最初の現代日本人」と呼ばれるにふさわしい。
     日本で最も人気があり愛された詩人だった三十年前に比べて、今や啄木はあまり読まれていない。こうした変化が起こったのは、多くの若い日本人が学校で「古典」として教えられる文学に興味を失ったからだった。テレビなどの簡単に楽しめる娯楽が、本に取って代わった。日本人は昔から読書家として知られていたが、今や本はその特権をはく奪されつつある。多くの若い男女が本を読むのは、入学試験で必要となった時だけである。
     啄木の絶大な人気が復活する機会があるとしたら、それは人間が変化を求める時である。地下鉄の中でゲームの数々にふける退屈で無意味な行為は、いつしか偉大な音楽の豊かさや啄木の詩歌の人間性へと人々を駆り立てるようになるだろう。啄木の詩歌を読んで理解するのは、ヒップホップ・ソングの歌詞を理解するよりも努力が必要である。しかし、ファスト・フードから得られる喜びには限度があるし、職はいとも簡単に満たされてしまう。啄木の詩歌は時に難解だが、啄木の歌、啄木の批評、そして啄木の日記を読むことは、単なる暇つぶしとは違う。これらの作品が我々の前に描き出して見せるのは一人の非凡な人物で、時に破廉恥ではあっても常に我々を夢中にさせ、ついには我々にとって忘れ難い人物となる。(p329-p330)

  • 角地幸男先生訳
    通常の配架場所: 開架図書(2階)
    請求記号: 911.162//I76

  • 大逆事件の本を読むと、啄木のことが良く出てくる。

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著者プロフィール

1922年ニューヨーク生まれ。コロンビア大学名誉教授。日本文学研究者、文芸評論家。2011年3月の東日本大震災後に日本永住・日本国籍取得を決意し、翌年3月に日本国籍を取得。主な著書に『百代の過客』『日本文学の歴史』(全十八巻)『明治天皇』『正岡子規』『ドナルド・キーン著作集』(全十五巻)など。また、古典の『徒然草』や『奥の細道』、近松門左衛門から現代作家の三島由紀夫や安部公房などの著作まで英訳書も多数。

「2014年 『日本の俳句はなぜ世界文学なのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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