せいめいのはなし

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103322115

感想・レビュー・書評

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  • 身の回りの物事のとらえ方を提案された感じ。目からウロコ。昨今の息苦しさに、風穴を開けてくれるよな、軽やかさ・すがすがしさ。

  • 新聞、本等で今一番読んで気持ちいい人は「福岡伸一」さん。「動的平衡」、この言葉がなんとも魅力的で、心地の良さを感じてしまう。

    <本から>
    シェーンマッハはこの現象を、「dynamic(=動的な)state(=状態)」と英語で述べました。「生命とは代謝の持続変化であり、この変化こそが生命の真の姿である」と、新しい生命観を誕生させました。私はこの概念は非常に大事で、機械論的な生命観に対するある種のアンチテーゼになるのではないかと考えて、日本語で「動的平衡」と名づけました。

    分子も同じで、相補性があるのです。

    宇宙の大原則はエントロピーの増大の法則というものに支配されています。

    世の中は原因関係がありすぎて複雑で見えないのではなくて、もともと因果関係がないことが多い。原因が結果を生むのではなくて、結果と原因はたえず逆転し、相補関係にあって、どちらが先でどちらが後か特定できない。そういう共時的関係があるから動的平衡が維持されている。

    動的平衡は長い時間軸でとらえないといけない。

    今ここにいる「自分」という存在は一種の気体のようなものなんです。つまり、そこにあるのは流れそのものでしかない。そうした流れの中で、全体として一定のバランス(恒常性)が保たれた状態のことを「動的平衡」といいます。

    科学哲学でいう「理論負荷性」

    「生命とはなにか?」という問いへの解は、「生命とは動的な平衡状態にあるシステムである」。言い換えると、可変的でサスティナブルであることを特徴とする声明システムは、物質的な分子という構造基盤にではなく、この流れに依拠しているということです。よく考えるとこの「流れ」は「効果」であるといえます。実体がなく、システムでしかない。だから、一輪車に乗るように、バランスを取りつつ小刻みに分解と再生を調整しながら自分を作り変えていくことで環境に対応できるのではないかと考えました。(略)
    環境への小刻みな対応が、後々に見ると軌跡となって「合目的」と呼べるものになっているのではなかいと考えていました。

    バージニア・リー・バートン
    『せいけいのれきし』原題は"Life story”

  • 福岡伸一ハカセは、
    『動的平衡』世界観の普及をするために、
    四人の使徒とはなしをする。

    内田樹との対話
    顕微鏡をつくった アントニレーウェンフック 
    アムステルダムの市役所の職員。公務員は暇なのだ。
    あらゆるものを見て、精液さえ視る。
    病気かどうか心配する。
    そして 同時代のオトコ フェルメール。
    光のささやき方。

    ユダヤ人 ルドルフシェーンハイマー 動的平衡を発見した
    『生きていることはどういうことか?』
    『生命とは代謝の持続的変化であり、
    この変化こそが生命の真の姿である。』
    経済とは 貨幣や商品価値ではなく
     『ぐるぐる回すシステム』
    『系;システム』こそが生命活動で、
    回す結び目が多ければ多いほど地球の動的平衡は安定する。

    変わることが変わらない方法である。
    パスを如何に渡すか?『その人の前にスペースが空いているヒト』にわたす.
    『自分らしくいきるためには自分らしさを誇示する商品を買うためにお金がいる』
    お金がないヒトは、自分らしく生きられない。
    お金を持っていないヒトは、未だ自分になっていない。
    『君ね.自分の中に自分を捜してもダメだよ』
    自分とは 他者との関係性で生まれる概念.

    分子生物学者が顕微鏡の向こうに見ているのは、科学者自身の自画像ではないか。
    科学者は 自分の見たい物を選択的に視る。
    もともと 因果関係がないことを因果関係があるように語る。
    ジャックラカンがいう
    『原因とはうまくいかないものにしかない。』

    医者は、病人を減らすことを使命としながら、病人が増えることを期待している。

    花粉症 異物を認知して ヒスタミンがでる。抗ヒスタミン剤を打ち、ブロックする。
    すると、過剰に更にヒスタミンがでる。そして、抗ヒスタミン剤の効き目がなくなる。

    川上弘美
    大学は生物学科で ウニの発生を研究して、その後教師になった。
    『どこから行っても遠い町』

    外なる『輪廻』、内なる『動的平衡;輪廻』
    小説とは 時間をどう描くのか?
    『時間』があることで、つながりが生まれる。

    ES細胞とがん細胞は どこに行ったらいいのかわからない 永遠の旅人
    どこに行ったらいいのか がわかるには 関係性が必要となる。

    朝吹真理子『きことわ』

    羽生善治はいう。『記憶とは淀みである』
    『未来とは、明日を壊していく感覚』

    記憶は物質レベルで保存されていない。
    →再生可能な記憶貯蔵物質
    →スライドのようなアーカイブで保存する。
    記憶とは、蓄積されていたものが蘇るものではない。

    『生きていることは現象であり、作用です。
    もともと物質的な基盤は何もなくて、どんどんいれかわり、つねに動く機能。
    自己同一性を担保しているものはない。』

    『未知なものを理論的に知りたい欲求と感情の領域の問題での欲求』

    設計図があることと『数珠つなぎのように、前の1行が次の1行を支える形ですすんで、
    一文字先がわからない状態のまま書いていく』

    ミクロとマクロのつながり。
    ミクロとマクロが等価にしてフラットに見えることこそ生きることの本意がある。
    善悪や真偽ではなく 『これは美しいなぁ。』

    可聴領域ギリギリ、すれすれ。
    『認識できない音はわからないから、その限界ギリギリのところにふれる音楽』
    崇高さにひかれるのは、ある秩序への愛

    ネオトニー ウーバールーパー。
    子供時代が長くなったことが プラス。
    あそびそして学ぶ時間が増えた。

    養老孟司
    見えるもの。見えないもの。
    『どこに連れて行かれるのか?』

    擬態 は ニンゲンから見た擬態であって、同じ虫から見た擬態であるのか?
    形ではなく 動作が 擬態となる。
    また 動きと合わせて 音が重要では。
    種の多様性とは。
    洞窟に目のない生物が生まれるが 必要ないから退化したのではなく
    暗闇で目を開けているのが 疲れるので退化した。

    動的平衡とは 意識の問題と記憶の問題。

    現実と言葉の矛盾。言葉は現実を補完する役割。
    現実を言葉で説明することがむつかしいが
    言葉で 炎上(呪いの言葉)したりして 現実を補助する役目でなくなる。
    情報過多とは 言葉過多になり 言葉ですべてが判断されてしまう。
    『どこかで見たことがある』
    『オレにも経験がある』
    それが 言葉でつながったりする。

    生きている状態が死んでいない状態で、死んでいる状態が生きていない状態。
    生と死は補完しあっている。

    なぜ、右利きと左利きがあるのか?

    効率化。余った時間。
    効率化を求めるならば 握り飯をトイレに流せばいい。

    『具合が悪い』『腹が立つ』『イライラする』
    『風邪を引いても世界観が変わる。ゆえに世界観とは風邪の症状だ。』

    『そうに違いないと考えていたことが、実は全然そうなっていない。』

    まとめ
    生命とは『自己複製できるシステム』
    動的平衡とは『生命のありよう自然の振る舞い方について、
    絶え間なく要素が変化、更新しながらもバランスを維持するシステム』

    関係性。コミュニケーションをする。
    物質の交換、エネルギーの交換、情報の交換。それぞれの相補性。

    美しいウニなどない。ウニの美しさがある。

    おいしい野菜などない。野菜のおいしさがある。

    私が私であること。一貫性や自己同一性というものをつなぎ止めているのが、記憶である。

    動的平衡にこだわり、
    どう発展するのか?
    先人の歩いたことのない道をあることするが故に
    戸惑い、拡張させ、発展させ、共有しようとする。

    一時期の 茂木健一郎の クオリア を想起させる。

  • 分子生物学の専門家である福岡伸一先生が、各方面の知識人と対談し、それをまとめた本。忙しい人は最後の章にまとめがあります(笑)

    養老先生との昆虫談話が一番記憶に残っているかな。動的平衡とか擬態とか、進化論とかいう単純な言葉では割り切れない味わい深さが生命にはあります。

  • バージニア・リー・バートン「せいめいのれきし」とカブってつい借りたら、やっぱり意識されてたのね。
    対談相手が興味深く、なので、すっごく読み易い。
    哲学か?いや、生物学の話だよな…って途中何度も自分を引き戻しつつ読んだ。
    いろいろ深読みできる、面白い内容。

  • 福岡伸一の著作は私の大好物である。久々に彼の本を読んだ。対談である。対談も結構好きである。これも楽しく読めた。
    ただ、そろそろ彼のしっかりした本を読みたいな。『生物と無生物のあいだ2』を構想しているようだが、それを待望する。

  • 福岡伸一著、「せいめいのはなし」を読む:
    専門分野が異なる4人のゲストとの対話を通して、生物、経済、時間、文学、意識の問題に関して、多岐に亘って、「動的平衡」(動的平衡とは、絶え間なく要素が変化して、更新しながらもバランスを維持するシステム合成と分解の最中にあって作り変えられてゆくその一片は、取り替えられているにも関わらず、全体として恒常性、バランスが保たれた状態。ある種の平衡が保たれている私達の身体は、分子のゆるい淀みで在り、絶え間なく分解され、新たに取り込まれたものに置き換えられ、個体は常に外界と入れ替わってゆくようなものである。そこにあるのは、流れそのもので、その中で、全体として一定のバランス、恒常性が保たれた状態のことを、動的平衡と謂われる。) というキーワードを媒介にして、新しい生命観を、読み解いてゆく。3.11以降の現代の諸課題に関しても、もはや、科学だけでは語れない、相補的に、科学は、文学を、文学は、科学を必要としているなど、今日的な課題への解決の「思考上の示唆」を多いに含んでいるところがある。分子生物学者らしく、今、注目されているES細胞やips細胞やついても、(それらは、まだまだ、分からないことが多いので、癌治療の応用を、急ぎすぎてはいけない。ブラック・ボックスが未だ残っている。)という著者独自の見解を付け加えているのは、興味深いし、そもそも、分子生物学者から眺めた新しい視点が、何より文系重視、金融工学重視の昨今には、実に、耳が痛いところが多く感じられなくはないが、、、、、その意味で、こういう視点が、もっと、具体的に、色々な分野で、傾聴されても然るべきではないだろうか?否、もっと、そうされて然るべきかも知れないとも思われる。どういう方法でこの世界の成り立ちを解明してゆくかという点では、文学でも、芸術、哲学でも、共通しているが、自分の映し鏡というか、自画像を描いているように、思えると、電子顕微鏡を通しても、そうであるらしいが、、、。
    「言葉」とは、「記憶と意識」とは、「秩序と時間」の概念、「情報」とは、「神の摂理」とは、「メカニズム」と言う言葉とは、「効率と進化論」、「生きる」こととは、「物事を観る」と云うこととは、等…、根源的、且つ哲学的な課題も、この「動的平衡」というキーワードの前には、改めて、それらの問いは、考え直されて然るべきであると思わざるを得ない。もっとも、著者によれば、もはや、科学だけでは語れない今日、相補的に、科学は、文学を、文学は、科学を必要としているものの、無原則的な「組織論」等への拡張に際しては、その相補的な関係性をどういうものに置き換えるかと言うところに注意することが、重要であり、その相補関係は、時間の関数でもあり、文化の流れとして張り巡らされているものであることを念頭に置いて考えられなければならないと歯止めも忘れていない。今日、科学の想像力は肥大化して、すべてがメカニズムとしてある種の因果律でコントロール出来ると考えてしまうと。確かに、物事を解析するときには、この言葉を、我々は、今日、使いがちであるが、、、、、。メカニズムという言葉が持つ、この機械的な世界観にこそ、真実の自然があると現代人は勘違いし、世界の全てが、コントロールできると錯覚し、その果てに今日の文明の問題があるのではないかと思いがちであることは、間違いないだろう。世界を秩序として、捉えたいという脳の癖こそが、希望であるとも。メカニズムは、各パーツが固有の機能を分担することで成り立っているが、それぞれの機能は全体に繋がっているものである。

    「生きている」と云うことは身体の中で、合成と分解が絶え間なく、ぐるぐると回っているその流れで、これこそ、生きていると言うことなのであると。一生懸命壊すのは、壊さないと新しいものが作れないから、壊すことによって、捨てるものがあると。何やら、身体の中では、自然に、既に、生まれたときから、スクラップ&ビルドが、組み込まれているようであるが、、、、、。「生命」とは、「動的な平衡状態にあるシステム」で、換言すると、可変的なサステイナブルであることを特徴とする。物質的な構造基盤にではなくて、この流れに準拠しているそれは、又、受け容れたものを多様な形で、次に送るときに、一番必要としている受け取り手を過たずに見つけて、そこにピンポイントでパスを送り込んでゆくことではないか?まるで、ラグビーやサッカーのパスのようなボール・ゲーム理論の如きである。コミュニケーション、生きる力そのものと等しいのではないか?と、鬱病なども、むしろ、細胞に尋ねた方が、良いのかも知れない。逆に、ネットという匿名の空間、個体識別出来ない言論活動というものは、実は、名前を秘匿するという意味の「匿名」ではなくて、まだ、自分になりきれていない、名乗るべき名前が未だない人間の世界なのであると。
    分子生物学的なレベルで起きている「個々の細胞のふるまい」と社会活動のレベルで起きている「個々の人間の振る舞い」の間には、「構造的な相同性がある」のではないか?停滞する今日の経済システムにしても、経済システムの生命が、だんだん、衰弱しつつあり、商品の実用価値から、象徴価値へのシフトへ、誇示的消費とアイデンティティーの問題について、まだ、アイデンティティーがないから(お金がないから)という社会的な不遇を名無しという名乗りによって、誇示しているとも、パスの仕方においてのみ、その人のアイデンティティーが、示されるのではないかと。贈与経済(富)のパスの仕方とボール・ゲームの比喩を挙げて、退蔵してはいけない、グルグル廻していかなければ経済活動も死んでしまうと分析する。生物学の「動的平衡」の理論が、経済活動の本質にも応用できるのではないか?と論を展開してゆく。
    細胞とは、周囲の細胞によって自分が決まるもので。細胞が何の細胞になるかは、予め、内部的には、決められていない。前後左右上下の細胞との関係性によって初めて、何になるか決まるのであると。「自分探し」の例えを引用して、自分の中には、自分はいないし、そんなことに時間を費やせば、結局、「永遠の旅人」になってしまうと。自分とは、他者と差別化されることで初めて生まれる概念であるのではないかと。ES細胞とよばれるものは、コミュニケーションが取れずに、空気が読めなくなった細胞であり、自分では何にもなれずに増殖し続けるものであると。まるで、自分探しをしている永遠の旅人、時間が止まった細胞、何にもなりきれずに、どんどん増殖して癌細胞になってしまうものであると、確かに、山中教授によれば、時間を遡って、遺伝子操作を通じて、巻き戻しした結果、ips細胞が、発見されたと云っていたことを想起する。ES細胞、ips細胞と癌細胞は、ある種似ていて、癌細胞は、何でもなり得るはずの状態に戻ってしまって増え続けるし、ES細胞、ips細胞はこれから何ものかになる訳であるけれども、なりきれずに増え続ける。両方とも、ある時点で立ち止まって足踏みをしている「自分探しの細胞」であると。なかなか、面白い比喩であるが、、、、、、。

    空目の例えから、科学者は、観たいものを選択的に観るというところから免れることは出来ないのではないか?客観的現象が出てくるのではなくて、自身を丸ごと対象に投影して、自分を通じて、自然現象を捉えているのではないか?と。映し鏡や、自己投影ではないか?
    原因が結果を生み出す「因果関係」ではなくて、絶えず、逆転して、相補関係にあって、どちらが先かは、特定できない、そういう「共時的関係」があるから、動的平衡が維持されるのではないかと。
    どこかに、「神の摂理」はあるのか?常に、「原因と結果を結ぶ通路があるはずである」と、思いがちであるが、しかし、因果律は存在しないのではないか?と。もっと、「多元的である」と。何かを選び取ることは、並行する別の可能性をすべて壊さないと選び取ることはできないとも。本当の因果律は、存在しないのではないか?と。すべてが同時的に並行であること、これが、本当の自由であると。しかし、人間は、自由が怖いのではないか?と。
    効率と時間は、常に、「分母が時間」で、割り算した結果、動的平衡はダイナミックな運動の中で、全体としてバランスが保たれている状態であるのに、「効率」とは、正反対の概念である。騙し騙しやることが出来なくなってしまった現代、白黒をつけたがる、「安易な効率化」が横行していると警鐘を鳴らす。遺伝子の基本姿勢は何かを厳密に定めているというよりも、むしろ、「自由度や過剰性」を担保している。ダーウィニズムが考えてこなかった「生物の自由さ」の問題があり、進化論だけでは全てが、読み解けないとも。ダーウィニズムでは、「退化」を説明できない、機能が無くなることで、逆に、有利になる状態でなければ無くならないのでは?。生物を顕微鏡で覗いていたりすると、「そうに違いないと考えていたことが、実は、全然、そうなっていないということ」の方が一杯あると。大切なのは、そういう感覚が持てるか持てないかである。電子顕微鏡を覗いている経験から、「見えるもの」は、実は、「本当は見えないもの」であると。この辺は、分子生物学者の実証的な経験から導き出されてきているようであるが、興味深いモノがある。まるで、哲学的な禅問答のようであるが、、、、、。更に、対話はどんどん進む。
    「記憶とは、何か?」瞬間瞬間で新たに作られているもので、必ずしも、蓄積されていたものが蘇るものではないと、電気信号は、流れるとすぐに消えてしまう。生命にとって、「情報」は、消えることに意味があり、「すぐ忘れて消える」ことに意味があって、いつまでも変わらずに、残っていては情報にならないのである。生きていることは現象であり、常に動く機能であって、自己同一性を担保しているものは何もなく、人間の精神作用として、時間に錨をつけてどこかにつなぎとめておきたいと思うらしい。字に書いたり、記憶にとどめて整理しておこうとするのは、生命が瞬間的な現象であることに抗っているのであると。一時の流れを「点」にして捉え、ある時期に、名前をつけて、言葉の意味を地層として重ねて考えるのが人間である。画家でも天文学者でも数学者でも、この世には、目には見えないけれど美しい構造が存在していると信じる人がいて、その構造を記述可能なものにしたいという強い欲望があると思われる。瞬間的にどこかへ消えてしまうものを記述したい。フェルメールは、移ろいゆく光をとどめたいと願っていたと、確かに、著者は、フェルメールの作品に関しても著作があるのは、面白い。「美しさ」というものは、そこに客観的にあるのではなくて、動的なものをみたときに、自分の内部に立ち上がる作用として現れるものであろう。小林秀雄の「美しい花がある。花の美しさというようなものがあるのではない。」という譬え話も、、、出てきて、分子生物学者の観点から読み解くとは、実に、面白いではないか?小林秀雄も、ビックリではないだろうか?。
    生命現象の最大の特徴は、細胞一つ一つは全体のマップを持っていないのに、相互補完、関係し合いながら、分化を進めて、全体としてはある秩序を作ってしまうことである。「生命」は、その意味で、マップ・ヘイター、地図嫌いであり、鳥瞰的に設計されたものではなくて臨機応変に関係性を頼りに発生してきたものであると。偶然性と必然性、因果論による歴史観への疑問までも呈する。
    「形態と意識」の関係、「秩序と時間」の関係、生科学はもっと絶え間のない動態のはずで、一瞬たりとも同じことは起こらないし、一回切りであり、時間を止めて見てしまう。人間の意識は、止まっているものしか、扱えないと。「情報とは、止まっている」ということを人は意識していない。
    ものごとは、動的状態が本質であるとは考えられず、情報の方が本質的であると考えるのは、全てを言葉で表現しようとするプラトニズムであろうと。言葉が重すぎる時代になってしまったのではないかとも、、、、、。
    あるときに一瞬に平衡状態をとるが、それがその時々の意識や注意と言うものなのかも知れないと。動的平衡が成立したときの機能こそが「秩序」であるのではないかと。意識は止まったものしか、見えない。情報は止まったものの典型である。時間を止めて秩序をみて、効率よく動く方に組み換えることが有利だとされていると。確かに、時間よ止まれ!と歌詞にも出てくるが、、、、、、。
    この本には、確かに、こういう「動的平衡」という概念を、切り口にして、色々な事象を改めて見直すという面白さがあるように感じられる。山の景色も、里山の原風景も、植物や昆虫も、人間関係ですら、様々な事柄を、こういう視点から観るのも、良いかもしれない、、、、、、、。ダンゴムシですら、今度、観るときは、別の視点で、眺められそうである。一寸、人生、視点が変わって面白そうである。別の地平が、見えてきそうで愉しみであろうと思われるが、、、、、、、。

  • 「せいめいのはなし」福岡伸一著を読了。またまた、はまってしまった。「動的平衡」を軸に4人の才人と対話。これが最高に面白い。テーマが一つで有るのに対話の相手で話の転がり方が全く違う。数学的な直線的な、予定調和には成らない。動的平衡はもの凄い考え方。数学も観念も超えてる。

  • さまざまなジャンルの学問、生業に動的平衡の考え方を応用すると何が見えてくるのか?福岡先生と各界の著名人たちが織り成すストーリーは、学びと刺激に溢れている。

  • 対談の楽しみをまるごと
    読ませてもらった
    内田樹さん、川上弘美さん、朝吹真理子さん、養老孟司さん
    それぞれの著作に親しんでいる人は
    きっと
    二重に楽しめる一冊になっている
    「考えること」は楽しい!

著者プロフィール

福岡伸一 (ふくおか・しんいち)
生物学者。1959年東京生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授などを経て、青山学院大学教授。2013年4月よりロックフェラー大学客員教授としてNYに赴任。サントリー学芸賞を受賞し、ベストセラーとなった『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)、『動的平衡』(木楽舎)ほか、「生命とは何か」をわかりやすく解説した著書多数。ほかに『できそこないの男たち』(光文社新書)、『生命と食』(岩波ブックレット)、『フェルメール 光の王国』(木楽舎)、『せいめいのはなし』(新潮社)、『ルリボシカミキリの青 福岡ハカセができるまで』(文藝春秋)、『福岡ハカセの本棚』(メディアファクトリー)、『生命の逆襲』(朝日新聞出版)など。

「2019年 『フェルメール 隠された次元』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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