大地のゲーム

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (168ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103326229

作品紹介・あらすじ

私たちは、世界の割れる音を聞いてしまった――。大地はまた咆哮をあげるのか? 震災の記憶も薄らいだ21世紀終盤。原発はすでになく、煌々たるネオンやライトなど誰も見たことのないこの国を、巨大地震が襲う。来るべき第二の激震におびえながら、大学キャンパスに暮らす学生たちは、カリスマ的リーダーに未来への希望をつなごうとする。極限におかれた人間の生きるよすがとは何なのか。未来版「罪と罰」。

感想・レビュー・書評

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  • 未曾有の大地震で治安
    が悪化した世界。

    集団リンチにドラッグ、

    ネジが外れてしまった
    人たちが跋扈する市街。

    人間といえど所詮動物。

    明日もしれぬ非常事態
    に放りこまれたら、

    それでも皆が皆理性に
    従って行動するなんて
    絵空事でしょう。

    大地震が突然もたらす
    ディストピア。

    この国に暮らすかぎり
    決して他人事ではあり
    ません。

  • あなたは、阪神・淡路大震災を覚えているでしょうか?熊本地震はどうでしょうか?そして、東日本大震災はどうでしょうか?

    日本では体に感じる地震が一年間に1,000〜2,000回も発生しているのだそうです。地下で起きる岩盤の”ずれ”によって発生するとされる地震。いつ起こるかも分からないそんな目には見えない足下深くの出来事によって、私たちは人生を突如として大きく左右される運命を背負って生きています。地震はいつの時代にも起こる分、私たちはそれに対する備えをしてきました。地震保険といった商品も今ではごく一般化してもいます。ある意味で、私たち日本人は地震にすっかり慣れて、地震と共に生きることを当たり前のものとしているところがあるようにさえ思います。

    しかし、そんなある意味で地震に慣れ切った私たちでさえ経験したことのないような『未曾有の大地震』が起こったとしたら、そこにはどんな未来が待ち受けているのでしょうか?私たちは、そんな出来事の先にも人としての生活を送ることができるのでしょうか?

    この作品は、『私たちは、世界の割れる音を聞いてしまった』という一人の大学生が主人公となる物語。そんな大地震の先に『生きのびたことを誇』り、『神様の贈り物だよね』と一日一日を大切に生きる主人公の物語。そして、それは『私より偉い人も、できる人も、美しい人も、みんな死んだ。大地に根を張るのは、ろくでもない人間かもしれないが、生き残った私たちだ』と『未曾有の大地震』の後の世界をたくましく生きる一人の女子大生の物語です。
    
    『大講堂の二階にある劇場準備室で、学祭での政治劇に使う衣装を縫ってい』るのは主人公の『私』。そんなところへ『またで悪いけど、かくまってくれない?あの人たち、私を大学じゅう追いまわして、いまもこの建物の下にいるの』と入ってきたのはマリ。『海賊劇で使ったような大きな宝箱の蓋を開け』、『私がなんとか言って、追っぱらってあげる』と言って、その中に隠れたマリに声をかける『私』。そんな時、『外から大勢の人間のざわつく気配と拡声器の声が聞こえて』きました。『我々は、宇宙を疑うべきである!青空の果てに広がる漆黒の世界、はたしてそんなものが、本当にあるのだろうか?』と『三十人ほどのデモ隊』が行進しているのを見て『中途半端なデモ行進』だと思う『私』。そして、そんなデモ隊が去った後の『講堂前の広場に、女子グループがいるのを見つけ』た『私』は、彼女たちが去っていくのを見て『マリ、もう出てきていいよ。あいつら行っちゃったから』と声をかけます。『もう大学に来るの、よしたら?』とアドバイスするも『自分の居場所は自分で決めたい』と言うマリは礼を言って部屋を出ていきました。そんなマリに『リーダーと、また会う約束をした?』と本当は聞きたかったのに聞けなかった『私』。『家にはもうずっと帰っていない』というそんな『私』の他にも『たくさんの学生たちが住みついて寝泊りしている』という大学の構内。『家や下宿先が倒壊して本当に帰る場所がない学生もいれば、家は無事だったのに、あの日以来取りつかれたように学校から離れない学生もいる』という今に繋がるのは『あの夏の日、未曾有の大地震が私たちを襲った』ことでした。『近親者を亡くしたショックや激変した環境になじめずに自殺する人間が、後を絶たない』という今を生きる『私』。『死んだ親族、死んだ仲間たち、考えれば考えるほど引きずり込まれそうになる』と心の傷が癒えない『私』。しかし、『また一年以内に巨大な地震が来ると政府は警告してい』ます。『夏の大地震よりひどいか、同程度の揺れが私たちを襲うと断言』する政府は『対象地域一帯に避難勧告を出』し、『この大学も対象地域に含まれ』ています。すでに『カウントダウンは始まっている』という今。一方でそんな大学の構内では『スクールドラッグ』が蔓延し、その常用で『まさにゾンビ』のようになった『かれらの暴行に遭い怪我を負った人』がでるなど治安の悪化も進みます。そんな中、『背丈の半分ほどもある角材をひきずって歩いて』いる男を見かけて息を潜める『私』。『この学校に寝泊りする限り、完全な安全なんてありえない』と感じる異常な環境に生きる『私』を中心とした大学生たちが、学祭に向けて日常を生きる物語が描かれていきます。

    雑誌「新潮」の2013年3月号に掲載された書き下ろしが初出となるこの作品。『有史以来最悪の自然災害として世界中に報道され』たという『未曾有の大地震』が襲った後の街、さらに言えばその中にある大学の構内で、『また一年以内に巨大な地震が来ると政府は警告している』という状況に怯えながら非常時下の日常を生きる大学生の主人公たちが描かれていきます。2013年3月と言えば、あの東日本大震災からちょうど二年という時期です。今年でようやく10年という年月が経ちましたが、それでも復興途上、かつ被災者の方の記憶も未だに生々しく残っています。それが、ましてや震災からたった二年というそんな時代に、こんなにも生々しい震災後の情景を描いた作品を刊行するというのは、ある意味で勇気がいったのではないかと思います。しかもその書名を「大地のゲーム」と名づけるところなど、ある意味で読む人を選ぶ作品であることには違いないでしょう。そんな作品の命名について『不謹慎かなと思いましたが、地震がどこで起こるかというのは、ルーレットみたいなものじゃないかという感じがし』たと語る綿矢りささん。そんな綿矢さんは『わたしたちはそういう大地の賭けの上にのっかって生きている』と続けます。

    そんな綿矢さんがこの作品で描くのは、時代も場所もあやふやな未来を舞台にした物語です。『先人たちの努力でこの国は、原子力エネルギーという主力を失ったあとも蓄電技術の発達により、なんとか、国としての機能を保って』いる、『国民の平均寿命は年々短くなり、去年、ついに女性は七十代後半、男性は六十代後半とな』った、そして『首都の移転計画も本格的に進み、十年をかけての遷都に国はわいている』といったどことなく我が国の未来を思わせるかのような表現。しかし、『未来の話ではあるけれど、それが日本かどうかはわからない』と語る綿矢さん。そんな意図もあってか登場人物に名前がついているのは、唯一『マリ』と『ニムラ』だけで、確かにこれだけでは日本とは断定できません。これは、震災の二年後という、まだ被災の記憶が生々しい世の中だからこその配慮かな、とも感じました。

    さて、あなたは、未来世界にどんな情景を思い浮かべるでしょうか?この世には数多のSF作品が存在し、そこには夢と希望の先にあるまばゆいイメージで描かれる未来世界があります。その一方で、未来を悲観的に見て、今の私たちの暮らしよりもどこか退化したような荒んだ世界が描かれる場合もあります。この作品で描かれるのは、そんな後者のイメージです。もちろん、『未曾有の大地震』が襲った後の世界ということはありますが、過去のことを『ビル群もいまよりもっと高く』、『主要な建物には明かりが点』いていたと表現する一方で、今は『ほとんどが夜の闇に支配された世界』というような表現によって描かれるこの作品の世界、それは、『主力エネルギーの稼働禁止』によるという説明がなされると、少なくとも光輝く未来世界のイメージは吹っ飛んでしまいます。しかも『いま流行りの自家製ドラッグを合成』したりといったダーティーな雰囲気感に包まれる物語は読んでいて薄気味悪ささえ感じます。そんなマイナスな雰囲気感に追い討ちをかけるのが、『我々は、宇宙を疑うべきである!』と構内をデモ行進する学生たちの描写でした。歴史に残る”安保闘争”の学生運動が再来したかのようなその描写。『大きな支配へ疑問を抱き、個人へ立ち返る精神、指導者も国家も我が国も他国も世界もすべてを疑う精神』。そんな精神を土台に、敢えて『反宇宙派』と名乗って行動する学生たちの様が描かれるこの作品。正直なところ、もう何がなんだか途中でよく分からなくなっていく、頭の中でイメージが追いついていかない、それがこの作品の正直な印象でもあります。実際、ブクログや他のサイトでも、”途中で読むのをやめた”、”意味不明”、そして”受け付けられない”といったレビューに溢れているこの作品。そんな中、最後まで読み切った私ですが、なかなかに苦読を強いられた作品だったという思いは間違いなく残りました。

    そんなこの作品は一方で男女の”四角関係”を描いた作品でもあります。『未曾有の大地震』の後の大学構内で光が当たるのは『私』『私の男』『マリ』、そして『リーダー』という四人です。『男たちに嫌な顔をさせず喜んでそわそわさせる、独特のオーラが出ている』という『マリ』は、そうであるが故に『さほどめずらしい光景ではなくなったマリいじめ』をする女子グループに狙われています。一方でそんなマリを匿ったりもする『私』は『私の男』がいるにもかかわらず、そんな『マリ』に嫉妬しながら『リーダー』のことを思い続けてもいるという”四角関係”が描かれている作品でもあります。また、その一方でこの作品は『今年も普通に学祭を開催してる』と、『未曾有の大地震』の後にも関わらず、何故か学祭の準備に奔走する学生たちの姿が描かれるなど、”学園もの”といった雰囲気も感じさせます。実際、章題も〈学祭二週間前〉〈学祭一週間前〉〈学祭二日前〉〈学祭当日〉と、これだけ見ればこの作品が『未曾有の大地震』後の陰惨な状況を描いた作品だとはまったく予想だにできない、ストレートな”学園もの”の雰囲気を感じさせます。地震のことさえなければ、大学の学祭を前に日常を送る男女四人の”四角関係”を描いた物語、とさえ言い切れるとも思います。しかし、実際には、この作品の背景にはどこまでいっても地震の影は隠せません。この二つの側面、つまり、学祭までのカウントダウンは、次の大地震へのカウントダウンにもなっているという、そんな二層の明暗の物語が隣り合わせに描かれていく、それこそがこの摩訶不思議さの極みとも言える不思議な雰囲気を纏った物語の正体なのだと思いました。そんな風に二層を『重ねてみたかった』とおっしゃる綿矢さん。いつもの綿矢さんとは全く異なる世界観の創出にとても意欲的に取り組まれた、そんな姿勢が全編からうかがえるこの作品。なかなかに評価が難しいながら、そこに描かれる綿矢さんらしい言葉の選び方、そして綿矢さんの他の作品では決して味わえない大きなスケールを感じられるこの作品、これこそがこの作品の魅力なんだと思いました。

    『いつか力尽きるから美しい。その美しさからは逃れられない』という綿矢さんらしい、極めて印象的な冒頭の一文から始まるこの作品。そこには、『私たちは、何度でも大地の賭けに乗る』と比喩される『今後活発に動くと予想される、大注目の活断層』が引き起こしていく地震と共存していく大学生たちの姿が描かれていました。過酷な運命に弄ばれる未来が予見されても『この地から動きたくない、動けない。どれだけ大穴の危険地帯となっても、ここで自分の人生を紡ぎたい』と、その土地にこだわる姿勢をとる主人公たち。それは、『私たちは土を、空気を、水を、けっして本気で憎むことはできない』という『大地とともに脈づく』人というものの存在をふと感じさせてくれた、そんな作品でした。

  • 綿矢りさの最新中編ということで雑誌「新潮」3月号に掲載されたものを読んでのレビュー。
    なので、実際の単行本は加筆修正されて、より精度の高い作品になっている可能性もあるが、とりあえず。

    綿矢りさの作品はすべて読んでいる私だが、やはり彼女の魅力は、
    地の文の瑞々しさ、誰も思い浮かばないような巧みな比喩や破裂極限までに肥大させた自意識の表現にあるのは明らかだ。
    読んでいる途中、至るところで名文に出くわす。

    この作品は、大地震が原因で、大学構内に留まり。暮らし続ける女子大生が主人公の物語。
    その共同体の中で。リーダーが生まれ、新たな秩序が形成されていく。
    2年前の東日本大震災に、綿矢りさが初めて触れた小説になる。
    いとうせいこうの「想像ラジオ」や、重松清「また次の春へ」など、震災を取り扱う作品がようやく増えてきた。
    直後では、あまりにも生々しすぎ、腫れ物に触るように、やや扱いかねていた文学者たちも、やっと文学がどう向き合うべきかを作品の俎上に乗せることが出来るようになってきたのだろう。
    綿矢も同じ試みに挑んだのだろうが、消化不良な感は否めない。
    私には、この小説の面白さは読み取れなかった。
    やはり彼女は、世の中の時流や事件などに流されることなく、自由奔放に描きたいものを描いていくのが良いのではないだろうか。
    文学者みんながみんな、核や震災や世の中の事件に向き合う必要はないと思うのだ。
    彼女の魅力はそういうところにあるのではないのだから。
    残念な気がする。次作に期待したい。

  • #3252ー2ー75

  •  世の「作家」や「芸術家」なんて言われる人たちは、ともすれば、さきの震災に対して自分なりに向き合わなければならないと思い込んでいる。それは被災地でボランティアをしているような実践家たちからすれば、「意味の無い向き合い方」だと批判すべきことなのかもしれないし、実際の被災者は「被災してないくせに何がわかる」と憤ることなのかもしれない。このレビューを書いている私でさえ被災していないのだから、震災文学のレビューをして何を言われるかわからない(し、何を言われても仕方が無い)。
     でも、じゃあ無関心でいいのか。と、私は思う。

     綿矢さんは別に娯楽小説を書いている訳ではないのだから、人を楽しませることに徹する義務も無いわけで、関心のままに、訴えたいままに小説を書くのが仕事であり、すべきことなのだと思う。この作品が彼女の震災に対するひとつの向き合い方であって、あくまで震災を馬鹿にしたり、パロディックに利用しているわけでは無い。
     ただ、震災文学としては、「つかず離れず」で非常に居心地の悪い感覚があるのは確かかも知れない。3・11を確実に意識させつつ(というよりもこちらが先立っていて)、それでいて近未来の時代設定やアノミー的な状況は確実に現代のそれとは乖離している。
     でも、これが精一杯なのではないか。所詮私たちは被災者の身にはなれないし、かといって変に同情するのも間違っているように思う。彼女なりの落としどころが、『大地のゲーム』だったのではないだろうか。そして私は、勝手ながらもそう酌み取りたい。

  • たぶん、みんなが読みたい綿矢りさではない。AKIRAのような社会インフラが崩壊した世界を描きたかったのかもしれないけど、言葉の力が弱い。それに帰宅困難者が続出してるのに学園祭を開くとか設定にも不自然な部分が多い。

  • 途中でギブアップ。大地震に関する話であるが、終始場面設定に「?」だらけだし、ストーリーに惹き込まれなかった。いつも綿矢りさ氏が書くようなものではなく、新境地なのだろうが、うーんと感じた。

  • 大地震。

    綿谷りさって憤死のときもそうだったけど
    表紙はポップで可愛いのに中身は全然ポップじゃない、、、

  • 綿矢氏の小説は割と好きなんだけれどこれはダメだったな。久しぶりに途中で読めなくなった。

  • 表紙の絵が可愛くて読んでみた作品

    最後いい話風にまとめてたけど
    久しぶりに「結局何が言いたかったんだ?」と思った
    全体的に極端過ぎる
    それは大地震がまた来るって鬼気迫る状況だからって言うなら
    もっと丁寧に掘り下げて書いて欲しい

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著者プロフィール

小説家

「2023年 『ベスト・エッセイ2023』 で使われていた紹介文から引用しています。」

綿矢りさの作品

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