- Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103336426
作品紹介・あらすじ
奇妙な獣のあとを追ううちに、私は得体の知れない穴に落ちた――。仕事を辞め、夫の田舎に移り住んだ夏。見たことのない黒い獣の後を追ううちに、私は得体の知れない穴に落ちる。夫の家族や隣人たちも、何かがおかしい。平凡な日常の中にときおり顔を覗かせる異界。『工場』で新潮新人賞・織田作之助賞をダブル受賞した著者による待望の第二作品集。芥川賞候補となった表題作ほか二篇を収録。
感想・レビュー・書評
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河原にある胸の高さほどの深さの穴、それが示すことは最後まで明かされず、そして義祖父が亡くなってから、河原にいた多くの子供たちは忽然と姿を消えたり、黒い謎の獣、いるはずのない義兄など、最初から最後まで全体的に不気味な雰囲気が漂う作品だった。
しかし、不気味で少し怖い要素も含まれているのにも関わらず、そこまでホラーな雰囲気をまとっていないのが、著者が紡ぐ文章の巧さから来ているものだと考える。
知らない土地で、姑家族と過ごすという一見ありふれた内容ではあるのだが、そのありふれた日常の部分に潜む非日常の部分に着目して、作品は展開されているのだろう。
私たちの何気ない日常にも、気づいていないだけでこの作品のような不気味で、だが不思議と怖さはない少し非日常な部分が潜んでいるのだろうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
終始不穏な空気が漂う。うっすら、ところによって濃く……怖かった。
主人公が田舎に越してからの奇妙なあれこれは現実か幻か。
黒い謎の獣、水を撒く義祖父、いるはずのない義兄、川原の穴の数々。
お日さまの下、川原で遊んでいる子どもたちでさえ不穏。
虚実や結末がはっきりと描かれていないので、いろんな読み方と感想があると思うのだけれど、私はいくつかの事実(義母のうっかり不足金や義祖父の深夜の徘徊)はあるものの、不穏なそれらは主人公にとっての田舎の生活そのものが形を取ったものだったのではないかと思う。
ラストで自転車を漕ぐ彼女の姿は「そこ」で根付き始めている。そんな彼女はこれからはもう黒い獣の姿を見ることはないのではないだろうか。
収録された他2篇も不穏な空気を纏っているのは同じ。
二組の夫婦を描いた2篇は続きもののようになっていて、1本目はわかりやすく怖いのだけど、どちらかというとつい深読みしそうになる「はじまったばかり」の2本目のほうが怖かった。 -
「工場」を読み、手に取った小山田浩子さんの作品。
わざわざこういうのを読みたい!とは思わない、よくわからない不穏さと不思議さが感じられる小説なのだが、読後感はいい。珍味を味わったような気分。たまにはこういうのも読むといいなと思う。
穴は、ケモノは、義兄は、子どもたちは、ほんとのところどうだったんだろう。
改行が少なく、文字をひたすら追えるので、私は彼女のスタイルが好き。 -
不思議な話だった。文もいっぱい詰まってた。だけど読みやすかった。
いったい義兄は何だったんだ・・・
不思議だけど嫌いじゃない感じ。 -
芥川賞受賞作、文芸春秋で。
さて、芥川賞ってことで・・・ん~。
純文学は分からないって感じ以前のわからなさ。
田舎の暮らし、姑との関係、義兄の存在、義祖父の死、
そして意味不明の動物、穴。すべてがどうしてもわざわざ述べられるべきことなのかどうか。初めの方は非正規社員の愚痴も並べてあったりで(その辺がいちばん納得できたけど)
夫の実家の田舎でで暮らすことで感じる日々、ホラーへと続く日常が書かれてゆくのではと一種ワクワク感でしたがとうとうホラーにもならずに。
解説書として「文学界」買ってあるので読んでみます。
「文芸春秋」諸先生方の評では手がかりがつかめなかったので。 -
表題作「穴」の他、2編を収録した単行本です。
イマドキの小説にしては珍しく、改行がほとんどない作品で、「」のセリフですら、改行なく続いていきます。
読点(、)も1行近くないときもありました。
けれど、不思議と読みにくさはなく、すーっと読み進めてしまうのです。
ただ、どの話も奇妙と現実の境界が曖昧で、読んでいるうちにこれは現実の話なのか、よくわからなくなっていきます。
物語のおわりも、3編とも奇妙なまま終わっていくので「いったい何を伝えたかったのだろう…」という感じでした。
すーっと読めるのに、3編とも奇妙さばかりが心に残ってしまったので、☆1つにしました。
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現実を少し斜めに見つめたら、見つめ続けたら、当たり前だと思っていたものが急に怪しくなり、ずしりとした存在感のあったものの輪郭が急にぼやけだす。その瞬間、見知った筈の世界がくるっと一変し、何処でもない世界のど真ん中に放り出される。日常に潜む非日常というフレーズは使い古された感があるけれど、実は日常を成立させているものが、そんなに確かな手触りのするものばかりの積み重ねではなくて、非日常はすっと手を置いた壁の手応えがなくなるように目の前に顕れるものであるように思える。ただそのあやふやな境に目をつぶっているだけで。
小山田浩子が物語るのは、そんな世の中のありふれた出来事。あるいは世の中に対するざらざらとした違和感が少しずつ鞣されていく話。違和感が少しずつ失われて行くことが、あたかも予定調和的な結末を導くようでいて、いつの間にか当たり前のことを当たり前だと思わなくなっている恐怖感も同時に喚起する。その部分が面白いと思う。
しかし、非日常の入り口を探り当てる感性の鋭さには感心しつつ、どことなく批評家めいた立場から語られた物語をどのように受け止めたらよいのかを量りかねてもしまう。むしろ「工場」のように、黒いものの存在を炙り出すような勢いがこの「穴」にもあったら、もう少し頭の中をぐるぐるとかき回されるような感覚を楽しめたのかと思う。語られなかった話の中に込められた意図のようなものを、想像せよ、とのメッセージを受け取りたかったような気分で読み終える。