- Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103350712
感想・レビュー・書評
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「本の雑誌」1月号恒例企画「わたしのベスト3」で、著者が恐縮しつつこの自著本を挙げていた。「『日本語誤用指摘本』と思われている誤解を解きたい」とあり、あらま、てっきりよくあるその手の本だと思っていたらそうじゃなかったの?と読む気になったのだが、いやいやこれは!予想を上回る面白さであった。
著者は、「本の雑誌」2013年9月号「いま校正・校閲はどうなっておるのか!」や、2011年6月号「新潮社に行こう!」にも登場していた、新潮社校閲部長。(どちらの企画もすこぶる面白く、特に出版社訪問シリーズは近年ではピカイチではなかろうか。) 新潮社校閲部は六十人をこえる大所帯で、装幀部とともに新潮社の屋台骨とも言われているそうな。本書は校閲部一筋で長いキャリアを持つ著者が、校閲の現場から見てきた日本語について語ったものなのだった。
なによりいいのは、「言葉に対して素人であることのプロ」に徹する著者の姿勢だ。日本語の研究者のように学究的立場から「これが正しい日本語だ」と指摘するのではなく(もちろんそうした研究が大事なのは言うまでもないが)、今の時代に生きている言葉として、出版物に使われる言葉が適切かどうかを考えるのが校閲者の役割だという。その具体例が非常に面白い。
たとえばルビの振り方、送り仮名の付け方、仮名遣い、どれ一つとっても一筋縄ではいかないなあと思わされる。とりわけ、漢字。「常用漢字」なぞというものがあるために、エラクややこしいことになっているというのはよく聞く。新聞なんかのヘンテコリンな交ぜ書きや、妙な字体はコイツのせいだが、じゃあどう使えばいいのか? これが難しい。正解がない中で、日々本や雑誌はどんどん出る。そして何より、校閲者は「作者」ではなく、あくまで黒子。いやもう、ご苦労お察しします。
第7章第8章には、期待通り(?)「その日本語ヨロシイですか?」と言いたくなるさまざまな例があげられているのだが、さすが、またその言葉?というのはほとんどなくて、言われてみればなるほどなあというものが多かった。わたしがドキッとしたのは「圧倒的」という言い方。「圧倒的な映像でお送りする…」などという使い方に、特に違和感を感じず、自分でも使ったりするが、確かにこれは「圧倒的な迫力の」を略したものだ。こういう略し方って嫌いなはずなのに。うーん。
もう一つ、確かに!と膝を打ったのが、鉄道会社による「名詞化」というやつ。「踏切への『人立ち入り』により停車します」などという言い方のことだが、「人が立ち入りましたので」と言わず名詞化することで、さもよくあることのような印象を与えようとしているのではないかと言う。専門用語にはこの手の名詞化が多く、いかにもそのことに慣れっこになった「通」の会話といった雰囲気をかもし出すという指摘は、まことにうなずける。鉄道会社がこれを多用するようになった意図は、はて?
最初は微妙なニュアンスを表す表現だったものが、じきに手垢にまみれて陳腐化し、気持ち悪ささえ帯びてくるのが流行語の宿命だとして、最近でのその代表例として「癒し」「想い」があげられている。ほんと、そうだよなあ。「気付き」とかも付け加えたい。実にキモチワルイ。「これらは大切な基礎語です。しばらく休ませてリハビリさせるしかないでしょう」同感同感。
最後にちょっと言いにくいことなんだけど…。この本について著者は「もう一つのライフワークであるマンガ・イラストと文章の融合表現の実験でもあります」と書いていて、各章の始めなど、随所にマンガが挿入されている。えーと、このマンガがですねえ、んー、なんというか昭和の香りたっぷりで、昔学習漫画にこういうのあったなあと言う感じでですねえ、あのー、いらないんじゃないでしょうか。 -
以前、フリーの校閲者のワークショップに参加したことがあるが、その細かさに参加者全員お手上げだった。あらためて校閲の仕事の大変さがよくわかった。著者は違うと書いているが、やっぱり日本語のプロと言える。そして、最近は死後になる日本語も多くて、時代の移り変わりのサイクルが早くなっているのではないか?
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2014/02/22
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著書本人の漫画もかわいくて、話も面白い。2022年の今読むと全体的な感覚が少し古いと感じたが、分かりやすくてすぐに読めた。
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新潮社の校閲部長による日本語についての本。言葉を扱う最後の砦的な仕事をされているからこそ、言葉を大切に、そして生き物のように扱っているという印象。単純に間違えやすい言葉だけでなく、ルビをふるということや、校閲の仕事とは、といったことまで披露してくれている。特に、校閲の実例は面白い。おおよその検討はつく、は「見当」だったり、ご存知とご存じは統一するとか、基本的な内容デアはあるが、意識しないと間違える。神は細部に宿るとすれば、ここで勝負がついてしまうことだってあり得るだろう。そんな緊張感を感じるからこそ、引き込まれるんだろうなと思う。日本語の将来はどうなるんだろうか、電子化の波、ツイッターなどの新たなメディアの存在が、こうした言葉一つ一つの意味を深く問うことなく、誤った言葉さえも肯定し、拡散する。本当の意味など、それこそ意味がない時代が来るとすれば校閲という仕事はなくなっているかもしれない。
これはビジネスにも非常に大きく関係するところだ。校閲ではないが、文章をつむぎ、関係者へ説明することは、すなわち言葉を大事にしながら正しい言葉で正しいニュアンスをしっかり伝えるということ。プライドを持って、言葉で人を説得する仕事がビジネスだから。 -
タイトルだけ見て「誤った日本語を挙げて本来の読み方や意味を解説する」本かと思って手に取った。が、校正のお仕事や意義、悩み、気付き等を紹介する本だった。
ルビは撥音を小さくするかどうかとか、常用漢字でない漢字には何があるかとか、校正の仕事は一筋縄ではいかないなぁ~と発見。いい意味でタイトルから裏切られた。
醤油は旧仮名では「せう油」ではなく「しやう油」とは初耳…! -
校閲者の適正がある人
「座り続けていられて、言葉に興味があって落ち着いて仕事ができる人」 -
「重版出来!」からの派生。校閲のお仕事。書き手、校閲者の実に細かなこだわり、自然言語であるが故の判断つきかねるレアケースが、プロならではのストックでどんどん出てくるのが面白い。
仕事には敬意を表するが、東条英機の「機」が「樹」になってたから全部刷り直し、っていう時代はもう終わるべきだろう。食品の異物混入と同じく、一定のエラーを許容できる社会になることが望ましい。
「名詞化」の気持ち悪さ、わかりますーー! 会社とかで、しょっちゅう使う言葉を簡略して業界用語みたいに言っているうちに...
「名詞化」の気持ち悪さ、わかりますーー! 会社とかで、しょっちゅう使う言葉を簡略して業界用語みたいに言っているうちに、それがあたかも一般的な言葉のような気がしてきて、知らず知らず使ってしまうんじゃないでしょうか。わたしが行っている職場でもあります。
「気づき」はほんと気持ち悪いですよね。あと、「学び」ってのもちょっと……。
言葉...
言葉は生き物、変わっていくものとは思いつつ、いやなものはいやなのよ~、と一人でジタジタしてます。
「大丈夫」とか「させていただく」の氾濫に溺れそうになっていたけれど、名詞化攻撃も激しいものがあるなあ。やれやれ。