解縛: しんどい親から自由になる

著者 :
  • 新潮社
3.09
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感想 : 35
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  • Amazon.co.jp ・本 (187ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103351115

作品紹介・あらすじ

ずっと親のものだった私の人生、やっと、この手に取り戻す。幼い娘に理想を押し付ける美人の母。9歳上の姉の平手打ち。海外でのいじめ、父の恫喝、人の歓心を惹きたくてついた嘘、女子アナとして振舞うことへの違和感。大人になった私はついに、不安障害を発症した――家族との葛藤に何度も押しつぶされた著者が綴る、辛すぎる子ども時代を手放して、前へ進むための壮絶な処方箋。

感想・レビュー・書評

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  • タイトルの「しんどい親」というところが中心ではなく、小島慶子自身の生き方について書かれたような本。

    よくここまで赤裸々に自分がどんなふうに育ち、どんな風に考えて生きて来たかをオープンに記したなと。
    普通だったらもう少し取り繕ったり美化したりするような部分も感情丸出しで記載してあるところがこの本のすごさ。

    人の弱さを認められない、人が何を考えているのか妙に勘ぐってしまう、競争心が強い
    などの要素が常に絡み合って生きにくくなっているんだなと。
    頭が良いので、その状況を自分なりに理解できていつつ、エモーシャルに突き進んでいるような。

  • 幼い頃から達観しているというか、とても冷静で自分の感情を整理し、自覚している。
    「こんなにつらい幼少期でした」というよりも、「こんなふうに当時思ってたんですよね。我ながらアレですけど。」みたいな。それが結構大変な状況だったりする。そりゃ大小あれ子供なりに口にできないこととか空気読むこととか違和感感じても自分を言い聞かせてしまうこととか。子供だってすべてありのままをアウトプットしてるわけじゃないけど、著者はそれが振り切れてる。大人でもそんなふうに考えられない人もいる。

    自分の自尊心としっかり向き合っている。でもそれが早すぎたのか、自尊心むき出しの幼少期の女子グループや青年期のクラスカーストの中では、それゆえに悩むことも多かったと思う。
    仲間に入れてもらいたい、羨望の眼差しを向けられたい、羨ましい、恥ずかしい、情けない。そういった心の動きの動き。

    一般的には、自尊心に対して無自覚に目を背け、傷付いたり付けられたりすることが多いのが思春期ってやつ。それを真正面から受け止めている学生時代。後から気付く人は多いだろうけど、著者のようにタイムリーに真正面から、ときにドライに向き合える人は稀有だと思う。

    自分に自信を持つって難しい。
    著者は特に母親から自己肯定感を高めてもらえないような育てられ方をしたように思う。父親も姉もそこから救う存在ではなかった。だからこそ自信を身につけるために、心と頭を動かし続けた。でも、そうして得られたものはさもすれば正論ハラスメントの匂いがしてくる。「だって、○○でしょ?何か間違ってる?」って。必死に身につけた自己肯定感や自信は、根拠のない自信があるような明るく根っからポジティブな人には敵わないのかなと、自分と非常にシンクロしてしまって、考えさせられた。

    フェミニストと聞くと過度に偏りのあるかんじがしてあまり好きではなかったし、今でも好きでは無いが、子供を産んでからは少し気持ちが分かるようになってきた。
    「子供産んだことないでしょ!?息してるかな?寝返りで窒息してないかな?ミルク飲まないなぁ…。うんち出てないなぁ…。離乳食たべてくれないなぁ…。そんなことで神経削ってストレス溜めて一喜一憂する毎日。「今日1日食べないくらいで死なないよ」?それができる昨日までの安全健康と明日以降の安全健康を私が世話してるから、初めてその理屈が通るんであって、やってねえ奴が言っていいセリフじゃねえ!
    と思いつつも、みんななんとか当たり前の顔をして毎日を生きている。仕事のストレスとは別の種類のストレス。集中すれば5分で終わることが1時間もかかったりする。今日やりたかったことが一切できなかったりする。片付けても片付けても片付かない。もちろん人によるだろうけど、私は年収600万くらい稼いでた頃の仕事のストレスの方がまだマシだなぁと思ったりもする。子育ても結婚も向いてないなぁと思ったりもする。
    このストレス分からねえだろ?!って責めるようなことはいちいち思わないけど、何かの意見を聞いた時「まぁそりゃ、このストレス経験したことないですもんね。ま、仕方ないですけど。」と頭にはちゃんとよぎるくらいにはフェミニストなのかもしれない。私は37歳で子供を産んだけど、その10年の間に性格が丸くなったと自分でも思う。もし10年前に産んでたら、SNSで偏った攻撃的な意見を発信する立派なハラスメント的フェミニストになってたかもしれないなぁと思う(笑)

    本書の中にある「真剣に育児をしていれば、何かあとひとつきっかけがあれば虐待してしまうかもと思う瞬間がみんなある」って言葉に涙がぽろぽろ溢れた。


    タイトルからして親のことばかり書いてあるのかなぁと思ったけど、そんなこともなく。著者の幼少期からのエピソードと考え方が多く書かれていて、悩むことや社会とぶつかることが増えてきて、そういう考え方に何故なるのか?を辿ると親に行き着くというお話。
    親側からすると「親の思う通りには育たない」と思うけど、子供は親の影響を大きく受けるなぁともやはり思う。

    著者はADHDらしく、私もそうだしうつ病と不安障害を経験してるので、その部分もとても共感しながら読ませてもらいました。




    ◆内容(BOOK データベースより)
    幼い娘に理想を押し付ける美人の母。9歳上の姉の平手打ち、父の恫喝。女子アナとして振舞うことへの違和感と葛藤。大人になった私は、不安障害を発症した。光を求め続けた魂の半生記。つらい子ども時代を手放すための手記。

  • 小島慶子さんの追想の書。まえがきを読んでもう打たれたような気持ちになる。

    〈私たちは、どうあがいても自分の身体から自由にはなれません。身体が違うということは、実感が違うということ。それぞれが、自分にはこう見えた、自分にはそう思えた、という積み重ねの上に世界を描き出します。人は、思い込みの家族を生きるほかないのです。それで苦しむこともあれば、幸せにもなれる。修羅場にも聖地にもなるのが家族なのですね。そしてそのどちらにも、逃げ場はないのです。〉

    〈いつか私の息子たちも、私の知らない家族の思い出を語り始めるでしょう。どれほど思いを尽くしても、彼らは私が見ているのとは違う家族を生きる。その彼らの物語と私の思いの、どちらが本当かを決めることは出来ません。〉

    〈そう認めることは、なんと切なく、もの狂おしく、勇気のいることか。この手記を書いたことで、それを引き受けざるを得ない親の気持ちが、ようやくわかりました。〉

    親子、家族の関係は本当にこれ。
    近ごろは「毒親」という言葉が浸透してきて、主にSNSでさまざまな毒親エピソードが語られているけれど、それだって申し訳ないけど主観でしかないよなぁと感じていた。
    母と娘のあいだで交わされた言葉をはさんで向かい合う時、それが真逆、裏表の意味になってしまうことは、不可思議でありながらも当然なんだ。
    どうしたって同じように家族を捉えることは大抵の家族においてできっこなくて、それは悲劇でもあるけれど、だからこそ同時に救済にもなり得ると私は思ってる。最近特に。

    小島慶子さんは綺麗で聡明で、輝かしい経歴をもつ女性なのに、これほど苦労と障壁の多い人生を歩んできたんですね。
    読み終えて、人生観も、言葉の選び方も素敵だと思った。この世界の物事の捉え方は、幼少期の彼女もひっくるめて共感できる部分がすごく多かった。
    この本を出版するのにも様々な困難があったと思うけれど、血肉を削ぐように書いてくれてありがとうございます、とお礼を言いたい。
    小説は読んだことがあるけれど、他のエッセイもいろいろ読んでみよう。 

  • 閉じ込めていた過去の蓋を開け、辛い出来事や傷つけられた言葉を思いだし、
    書き連ねていくことはとても苦しい作業だったと思う。
    筆者は小さい頃からの母親のがんじがらめの束縛が原因で、
    摂食障害、不安障害を発症してしまう。

    不安障害を夫の深い愛で乗り越えたのは解るのだが、
    母親から解縛できたのはなぜか?
    臨床心理士の治療を通じて快方に向かったようだが、
    母へのわだかまりが解けていった、心が動く過程をもう少し詳しく知りたかった。

  • わかる。
    めっちゃわかるけど、この手の話は文字に起こしてしまうとワタシハ、ワタシガ、ワタシ、ワタシ、ワタシ!が強く出過ぎてしまうんだよなぁ。
    正直者って損だよな、と思ったり。
    身につまされたり。

  • 孤独な脳
    わたしはわたしの家族を描いている
    一つの明快な正解ではなく、考え方、見方が増えると捉える
    曖昧さを受け容れる
    私は私と二人きりである
    などなど、ハッとする言葉がたくさんだった
    表現の仕方が好き
    これ読み始めたの一年前だけど、一年前の自分は母親を恨んでいたんだなあ

  • 著者の両親はいわゆる毒親で間違いないと思う。しかし、本書は読んでいて不快になる点がある。
    母親の奇行、悪行等の説明に加え、本当かどうかわからない著者の邪推が多い。読者に「母親のひどさ」を理解してもらいたい気持ちはわかるが、直接母親と接点があるのなら本人に確認すれば良いのでは?(しらばっくれて余計不快になる可能性は高いが。)直接確認する術のない読者に、著者の邪推を延々と説かれても、母親への共闘関係を強いられているようで不快です。

  • メンヘラ達ー!!
    心が締め付けられて物理的に痛い気がするからくれぐれも無理せず、でも確実に読んでー!

    文章も品が良く丁寧で素敵な読み物でした。
    読むたびに見方が変わるかもしれない。

  • 言葉を大切にする文章は品が良くて迫力がある。執念深い内省の手記。

    子供時代の記憶を読むのが一番しんどかったな。
    子供時代の傷は、どれだけ時間が経っても生々しくいたむものなのか。もしかしたら、子供時代の回想の空気が、この人の実家の雰囲気だったのかもしれない。
    年を取るって良いことだよね。ライジングしまくってた自意識も落ち着いて、自分を色んな角度から眺められるようになるし。

    摂食障害って、とりあえずは母親を持つことのできた人が、母との関係をやり直したくてなる障害だ。と、私は思うのだけど。この人は、執拗に内省を重ねることで、彼女の中の母との関係をやり直したんだ。

    この人の両親って、私の父に似てる。父は母親を持つことができた。その一点だけで、私は父を羨んでいたけれど、あまり幸せな子供時代ではなかったのかも。

    日常的な心理的虐待と、時々タガが外れたように起こる肉体的虐待。小学生の子供を一人留守番させるのもネグレクトかな。アメリカだったら逮捕されてた。精神的ネグレクトとは、ほんのちょっと違う気がする。

    「承認されたい気持ち」だけで行動を起こすと、うまくいかないもんなんだね。そんな時は、自分の痛みにしか目を向けていないからだろうな。

    バブルを永遠だと信じてた人って、救いようもなく愚かに見えてしまう。人は時代に作られる要素が大きいから、仕方のないことなんだろう。
    高度成長期の、未来はバラ色で、努力次第で何でも選べる幻想が自分の一部になっている人は、思うようにならないと敗北だと感じてしまう。人生は思うようにはならないもので、思うようにならないからって自分が無価値だなんて考える必要はない。そのことを知るためだけに、何年も時間を掛けて苦しまないといけないのかも知れない。一生を掛けてもそれだけのことが学べずに、もしかしたら、思うようにならないことは全て他者のせいだと、恨みを抱いて周囲の人に見当違いな復讐をしながら生きている人もいるのかも。そう思うと、なんだか哀れだ。

    私たちは生まれてくる時、何一つ選べない。容姿も、声も、親も、国も、時代も。何一つ。子供が親を選んで産まれてくるなんて、嘘だ。そう信じたい人は信じればいいと思うけど、私は無理。

    http://www.dailyshincho.jp/article/2014/02181616/?all=1

  • 海外駐在の商社マンの父、美人で自信過剰の母、9歳上の優等生、母の女友達の姉、母の身代わりの娘。ひねくれた子、小学校やシンガポール日本人学校で序列をわきまえずいじめられる。上流階級の女子校、格差と母の確執、女子アナ。摂食障害、不安障害。

    子どもの頃のことをそんなにも覚えているのか、そこまで深く考えているのか、すごいなーって感じ。障害にならないのは、鈍くて考えない人だからかもと思えてきます。

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著者プロフィール

エッセイスト、東京大学大学院情報学環客員研究員。学習院大学法学部政治学科卒業後、95〜10年TBS勤務。99年第36回ギャラクシーDJパーソナリティ賞受賞。独立後は各メディア出演、講演、執筆活動を幅広く行う。ジェンダーや発達障害に関する著述や講演をはじめ、DE&Iをテーマにした発信を積極的に行なっている。2014年より家族はオーストラリア、自身は日本で暮らす。連載、著書多数。近著に対談集『おっさん社会が生きづらい』(PHP新書)。

「2023年 『いいね! ボタンを押す前に』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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