- Amazon.co.jp ・本 (292ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103367710
感想・レビュー・書評
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著者はコンピュータサイエンスを基盤とする人.吉川浩満さんとの共著で心,意識についての論考もある.
本書は,〔〔いろいろなジャンルの〔〔書物あるいはインターネット上〕の記述〕〕が持つ文体〕は,〔そのジャンルごとに特徴的な形式をもっていること〕を示すことを目的とし,さらにその特徴的な形式の由来を考察している.様々な具体例が挙げられており,実証的に読者が確認できるので楽しい.
まず,「記述」は時間的,空間的に制限されざるを得ない(無限に読み続けることはできないし,また書き続けることもできない)がゆえに,字数や配置を工夫せざるを得ない.そこで生み出されてきたのが各ジャンルにおける「文体」ではないかという仮説が示される.
つぎに,古代哲学における対話形式の記述,宗教聖典を注釈する記述,法律条文の記述,科学論文の記述,図鑑の記述,などから小説の記述までの具体例を参照し仮説を検証する.この記述の順序自身が科学論文の記述方法に従った例となっている.
法律条文の記述では,用語の定義が各条文に分散して出現する.このことは法律のプロには常識であろうが,私のような素人には新鮮であった.法律条文が素人には理解しにくい原因になっているのだと思う.つまり,定義が分置されており,条文の読解をするときには,各定義を脳内のメモリに順次格納し,未定義な用語はその格納域を確保しつつ,同時に仮置きしておかないと全体が理解できないことになる.
科学論文では,「はじめに」「材料と方法」「結果」「考察」+「要約」という形式がとられていることが示される.さらに法律や科学の記述を特徴づけるものとして,ものが主語になっていて,私や我々は主語になっていないことが挙げられている.確かに言われてみればそうである.
また図鑑の記述が慣れないと読みにくく,現実の個体の同定が難しいのは,た,ぶん,記述がトピックごとに細分化されており,ここでも,色んな種類(生物学的には種)の特徴をトピックごとに並列して脳内のメモリに配置し,現実の目の前にある個体と比較する必要があるからだろう.
〔数式は,著者の「言いたいこと」を簡潔に正確に示すための「略号」として出現したこと〕,〔コンピュータープログラム言語を記述するときには,改行と字下げを駆使することで理解度が増すこと〕なども具体例とともに示される.
ここで挙げられている例は,おおく書物からとられている.これらの例を踏まえたうえで,現代に主流となりつつある電子テキスト(コンピュータ端末の表示装置に表示される文章)では,表示装置ごとに表示が変化する状況がある.同じ装置でもフォントの種類や大きさを変えると表示が変化する.この時代において「文体」は可能なのか?どのような形であれば可能なのか?は今後意識的に追及されるはずだ.
この本の構成では,文系―理系―文系の順序で例が挙げられている.そこから見えてくるのは,大まかに言って,文系では用語の定義が全くないか分散して配置される記述が多く,理系では冒頭で用語が定義されることである.文系では往々にして,用語の定義が結論として述べられることも多いように思う.小説などではそもそも用語の定義などされない.このことを再確認できるのも(文系と理系を縦断した)この本の効用であろう.
2015.06詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ゲーム作家であり文筆家である著者が様々な文体を考察する本です。一口に文章といっても、それが科学書なのか、論文なのか、哲学書なのか、法律文なのか、小説なのかによってその文体が違ってきます。本書では、そういったそれぞれの言葉によって描き出す対象の違いによってどのように文体が違ってくるのかをじっくり考察しています。読み終えて、読書についての視野が少し広くなったように感じられました。
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先日、テレビで論文の評価を人工知能でおこなうプロジェクトが紹介されていました。単語の羅列次第ではまったく意味をなさない文章も高評価を与えてしまうような問題があって現状では、まだまだ信頼できない技術のようですが、しかし文章とコンピューターが重なりあっていくスピードはますます加速度を上げていくことでしょう。そんな時代に書名に惹かれて。終章の表題でもある「物質と精神のインターフェース」としての文体を見つめる視点と、文体を文学や作家論に留めず広い人間の営みの表出として捉える視野に共感します。ただ、書名の通りもうちょっと科学であったりすることを期待しましたが、まだその入り口なのかな?と思ってしまいました。時空や言語を超えた知識の量には圧倒されましたが。ある種の衒学的なニュアンスを感じるのは、この「文体の科学」の文体に体言止めが多い、からなのでは、と分析しましたがどうでしょうか?「文体の科学」というより「文体の博物学」として読了しました。
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文体の科学、それこそ科学の論文みたいなものを想像していたが、もっと気軽に読めるエッセイだった。文体の体というとボディじゃなくてスタイル、つまり造形というか表現形式のことであり、文体とは典型的にはある特定の作家についてその文章の特徴的な形式を指すものと思うが、この本ではあらゆる文を分析の対象としており、あまりにその範囲が広いので、読み始めてそら恐ろしい気持ちがした。読み終えてまだまだ全貌が見えず、(私自身全然こうした分野には明るくないが、文章の持つ機能と形態については言語学者や哲学者が色々既に手を付けていそうだし)この1冊での評価は難しいような気もするが、著者の興味関心がどのような文章へと向かっていくのか、古代の遺跡や現代的なオフィスといった建築を一緒に旅して眺めるような感覚で楽しんで読んだ。
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イマイチ自分にはハマらなかったが、さまざまな文体の特徴を知ることができてよかった。
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2021I073
801.6/Ya
配架場所:A3 東工大の先生の本 -
文体はヴィークルだ、と村上春樹は言っていたけれども、わかったようなわからないような。
そんな文体についてまっすぐに向き合った本。あらゆる文章を取り扱い、そこに見えているもの、見えないものを分析する。まさに人文が行うべき科学であった。文章の配置のこと。文章は基本的に独り語りであること。暗黙の了解で人間が読むことが前提とされていること。文学の文体研究は圧巻だった。 -
ことば
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文体の科学