- Amazon.co.jp ・本 (122ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103370710
作品紹介・あらすじ
死を覚悟したのではなく、死を忘れた。そういう腹の決め方もあるのだ。果たしてこれは戦争だろうか。我々は誰と戦うでもなく、一人、また一人と倒れ、朽ちていく。これは戦争なのだ、呟きながら歩いた。これも戦争なのだ。しかしいくら呟いてみても、その言葉は私に沁みてこなかった──。34歳の新鋭が戦争を描き、全選考委員絶賛で決まった新潮新人賞受賞作にして芥川賞候補作となった話題作。
感想・レビュー・書評
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122ページの小品だが非常に濃い作品だと感じた。こんな戦争ものを広島 原爆記念日の日に読むとは何かの縁かな? それにしても作者初の著書とは思えないくらいな水準の高さだと思う。
この作品も含め何回も芥川賞候補になり、ついに今年の芥川賞を受賞したのが首肯できる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
戦争を描いた作品。受賞はならなかったものの、芥川賞候補作です。戦争というと空襲や原爆を思い浮かべることが多いかもしれませんが、これは南方戦線の話です。戦っている場面より、野戦病院とその周囲の話が多いくらいで、野戦病院の一種長閑とも言える描写は、このまま戦争が終わってくれたらいいのに、との願いを抱かせます。しかし再びやってくるのです。野戦病院は絶海の孤島とも言うべき非日常の楽園でした。戦争という理不尽な日常に叩きこまれ、死んでいった若者たちが、あの当時どれほど多かったのだろうと思うと、胸がつぶれるような気持ちです。とくに野戦病院からあとの戦争は、何と戦っているのか、戦いであるかどうかも分からない、まるで死ぬのを待っているかのような戦いです。ここを凌いで運よく帰国できたとしても、見聞きしたことは絶対に語らないだろうと感じました。その意味でも、この作品は読まれる価値があると思います。描写も素晴しく、情景が目に浮かぶようでした。
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なぜこれが書かれたのかという疑問だけが宙に浮いている。でもそれはわからなくてもいいこと。
とにかく、本書のリアリティーにまず舌を巻くしかない。とにかく、始めから終わりまで、読み手を飽きさせない。 -
太平洋戦争のパプアニューギニアで負傷した一兵士の記録。
実際の戦闘シーンは多くありません。前半の多くは野戦病院。十分な医薬品もなく、戦傷や風土病などで亡くなっていく兵士たち。悲惨だけど、銃声もなく一時的な平和にどこか空白感が漂います。後半は長く悲惨な敗走シーン。敵兵に遭遇することも無く、ただ病気や飢餓で次々に路傍に打ち捨てられて行く兵士たち。
感情は動きます。しかし昂じない、激さない。どこか冷静。悲惨さを静かに受け入れ、淡々と描きます。その客観性が深く染み込んできます。
若い作家さんが、なぜ戦争をテーマにした作品を描いたのか。「反戦・平和主義」と言った思想性では無さそうです。たまたま知った戦争の悲惨に興味を持ち、それを表現したものだと思います。
読み応えたっぷりの中編でした。
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太平洋戦争での日本兵の戦没者・約230万人のうち、一説では6割ほどが病気や餓死などの戦病死と言われています。充分な食料も持たずに遠征。補給線も貧弱で食料は現地調達。反撃を受け侵攻に失敗すると食糧不足に陥る。直接的な餓死だけでなく、食料不足から体力が低下したための発症・病死が多い。
さらに言えば。。。
民間人(110万人)を含めた死者数は日本全体で310万人。これに対し日本軍占領下のインドネシアでは、飢饉と強制労働によって約400万人が死亡したそうです(国際連合の報告)。 -
図書館でちょこっと読み始めたら止まらなくなって一気読み。ものすごく引き込まれました。戦争のお話なのだけど、戦争について深く考えさせられるというより、素直に文章を読んでて素晴らしいと感じました。描く人間をとても丁寧に扱っている印象でした。そして悲惨な状況や心情を映し出しながらも、とっても豊かでとんでもなく美しいです。
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これはまさに戦争の地獄。内容としてはドンパチ戦うものではなく、戦いから弾かれてしまった軍人が気が狂うほどの状況をとてもリアルに描いている。
戦争映画なんかよりもとても生々しく、ここまでの描写を文字で表現できることに感心した。 -
エンタメ的な要素もあって、個人的にはとても読みやすかった。
この題材でありながら、少し笑ってしまうような場面も。
部分的に現代的な表現もあって、
たぶん意図的にやってるっぽい。このへんに妙な魅力を感じる。 -
高橋弘希という名を覚えておこう。
そう思ったのは文芸誌で新人賞を受賞した際の著者のプロフィール写真を見てからだ。
34歳。ミュージシャン。ぼさぼさの髪と覇気のない表情。まるで病み上がりの病人みたいだった。
なんでか分からないけれど、この人はこれから作家として生きていくんだろうな、と思った。
最後まで読ませる。
戦争を描いているのに感傷的ではない。具体的なモノを通した記憶の描写が生々しい。ディテールを積み重ねた展開が巧い。ホントに新人?と思うほど文体が完成している。
特に野戦病院での描写がよかった。マラリアに罹った兵士がおかしくなって蕎麦屋の店主に扮する様子はリアルだ。回想で同級生の兵士が仲間の誤射でころりと死ぬシーンはほんと巧い。死がすとーん、と、やってくる唐突の感の描写が絶妙である。大した想像力。
デビュー作を読んで、他の作品を読んでみたい、書き続けてほしいと思える新人作家はそういない。できれば長編も書いてほしい。才能が滅び消え尽きるまで永く書き続けてほしいと思う。 -
文章も端正で、ストーリーの運びもリアル。戦後派の誰かが書いていれば、評判になるだろう。しかし、この作品を今書くこの作家が、信用ならない。まあ、読み手の感覚が古いのであって、書くということは虚構だというふうにいえば何を書いてもいいんだろう。
でもこれ嘘でしょ。そんな感想から逃れられないのは何故なんだろう。こう書いている、ぼくが古いのだろうか。 -
21世紀に太平洋戦争の記憶もまったくない若い世代が戦争をテーマに小説を書いた!と話題になってたのできになってました。芥川賞候補にもなりました。
物語のあらすじはシンプルで、ニューギニアで兵隊として戦っている主人公の「私」が野戦病院に行き、そこで兵士や軍医との交流が主に語られます。
なんとなく大岡昇平の「野火」を思い出します。
私はこの物語の舞台となるイスラバという場所は全然知りませんでしたが、ちょっと調べますとやはり悲惨な末路らしく、主人公の運命も「野火」と同じく暗いものでした。
21世紀に戦争を知らない世代が「戦争」を描くことに興味がありましたが、なんとなく今まで描かれてきた小説以上に何かがあるかというと…疑問に感じます。
戦争を知らないからこそ、戦争を俯瞰してみたり、新しい視点を期待していましたが、主人公が「私」という一人称だったりすると、どうしても実際従軍経験のあるような作家にかなわないような気がするのです。
主人公の「私」には特に故国にとても帰りたいわけではなく、恋人や妻もおらず、なんとなくぼんやりとした恐怖や不安に苛まれている感じは、現代的な感覚かもしれません。
私はこの小説が「リアル」だとは思いませんでしたが、リアルに戦争を描くことが戦争小説の唯一の道だとは思いません。
戦争の戦闘や現地での経験だけが「戦争小説」ではなく、戦争を描かなくても「戦争小説」は描けるのかもしれないです。
この作者が次にどのようなテーマを選ぶのかはわかりませんが、ぜひ次は今の人間だからこそかける「戦争」をかいてほしいなあ、と期待します。 -
リアル。淡々と戦場が描かれて、情景はなるべく浮かばないように読むのが大変。これはもっと世に読まれるべきだ。
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戦地でのある兵士の姿。
次々斃れてゆく仲間。ある者は敵兵の銃弾で、またある者は病によって。
野戦病舎での暮らし、地元民との交流、ささやかな愉しみ。描かれるのは、兵士というより、ごく普通の青年の日々。「普通」でないのは、そこが戦地であるということ。
数千、数万の兵士達にも、それぞれに出自があって想いがある。当たり前だけど、こうして描かれるとそれを一段と強く感じる。 -
指の骨 戦地にて、苛まれゆく心
2015/3/4付日本経済新聞 夕刊
話題の小説だ。戦争を知らない世代が描く「戦争小説」として、注目された。第152回芥川賞候補にもなった。
とにかく描写が巧(うま)い。小説を構成している要素は様々あるが、文章力に申し分がなく、描写や比喩が卓越していれば、それは純粋な意味で、すぐれた小説なのではないか。そんな気にさえなった。
太平洋戦争末期。「赤道のやや下に浮かぶ、巨大な島。その島から南東に伸びる細長い半島」。ここが小説の舞台だ。主人公は怪我(けが)をし、野戦病院に入り、そこを出て、さまよい歩く。丁寧な心理描写が嫌味にならない程度に書き込まれる。主人公は、戦争への疑問に苛(さいな)まれ、徐々に気力を失っていく。
この小説をめぐって様々な議論がこれから起こるだろう。すでに賛否両論、ある。戦後70年という区切りの年にリリースされるという時期的符合も拍車をかけるだろう。
戦争を描くこととは何か、何を描けば戦争を描いたことになるのか。原初的とも言える問いに、この小説は私たちを立ち返らせる。それだけの力を持った小説であることだけは確かである。
(陣野俊史) -
良かった。
故郷の日本から遠く離れた場所で、死んでいく様子が妙にリアルに伝わってくる。 -
[これは戦争なのだ、これも戦争なのだ]そしてこれが戦争なのだと思う。あの時の日本軍の戦争なんだ…。実際に戦って亡くなった人よりも餓死で亡くなった戦死者が6割にものぼるという現実。
一兵卒の目から淡々と紡がれた何かもかもが欠乏している戦地での有り様は戦うことよりも生きること生き残ることの惨たらしさをまざまざと見せつけてくる。
祖父は南方に出征しマラリアに罹って内地に送り返された。今にして思えばそれはとても幸運なことだったんだな。もっともっと話を聞いておけば良かった。 -
読めば知ることも感じることもできるけれど、
実感したくはない世界のこと。
誰にもこんなことが起きて欲しくない。
淡々と読んでいたのに、最後閉じたら、涙が出ました。 -
淡々とした、ただ淡々とした、ある男の戦記。
派手な戦闘シーンはない。エンタメ的なストーリーもない。周りの男たちが一人また一人と怪我や病気で死んでいく日常の風景の描写が続く。
「果たしてこれは戦争だろうか」「これは戦争なのだ」「これも戦争なのだ」
感情を抑えた徹底した観察描写が効果的な小品。
戦争物としてはどうしても古処誠二さんと比べてしまうため見劣りがしてしまう。この作品に興味を持ったら、ぜひ古処さんの「接近」や「ルール」も読んで欲しい。 -
戦争ってなんなんだろう?使い古された言葉なのかもしれないが……この話には戦闘など殆ど出てこない。南方に出征された祖先の方々に心からの感謝と哀悼の意を表します。
日本軍は本当に人を大事にしなかった。葉書一枚でくる兵隊は馬よりも安いと言われた。悲しいけど日本人の本質がそこにある気がする。 -
あいみょんが薦めてた1冊。この物語には前線とはまた違った戦争が切り取られてました。
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2018
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最後の1ページの、なんて静謐で美しいことか。作者は戦争の時代に生きたことがないけど、戦争の中のことを書く時、作者は人間のことをよく知っているのだと思った。死に向かっていく日々で、変に明るい平和な日もあって、主人公が敵兵や言葉の通じぬ現地人を、ある時にふと「同じ人間なのだ」と気づくのと同じように、わたしもまた物語の中の彼ら、はるか昔の時代に生きた彼らを、同じ人間なのだとおもった。
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終戦のこの時期に読んでみました。
作者の方の非常にリアリティのある表現で、経験者と思ってしまうぐらいです。
読んで感じた言葉は、「人間死ぬ時は死ぬ」ということ。
この作品の舞台は、第二次世界大戦中の南方戦線。
傷ついて野戦病院に担ぎ込まれた主人公が、上官、仲間の死に面するまでの経緯や感じたこと、そしてついには自分も、、、そんな流れが切々と描かれてます。
戦争の戦いの中で敵に立ち向かって死ぬ、
味方の誤射に当たって死ぬ、
疫病で死ぬ、
衰弱して死ぬ。
至る所に死の影は潜んでおり、
戦争が有ろうと無かろうと、
戦争が良いものであろうと悪いものであろうと、
全てを超えたレベルで、誰の身にも死は訪れるものである。
私は長生きしたいので、死を怖れてます。
しかしいずれ死ぬ時が来る。
その時までに自分は何をしておくべきか。
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『送り火』が好きな感じだったので。こちらも候補作だったのですね。
やっぱり好きな感じだ! -
戦闘する様な激しい戦争についてではなく傷を負った兵隊たちの話。
戦争を知らない私と同世代の人が描いたとは思えないくらい鮮明な表現力で書いてあった。
最初は薄い本でびっくりしましたが、読み応えがあり、考えさせられる作品でした。 -
圧巻。淡々とした筆致が戦争がどれだけ無意味なものだったのかを静かに訴えかけてくる。
こうして死んでいくんだ、戦争で死ぬってこういうことなんだ、という脅迫じみた念のようなものを感じた。
戦闘シーンはほとんどない。ただ死だけが常に身近にある。死体が日常にある。負傷と飢餓により心身共に蝕まれ虚ろになり正気を失っていく描写はあまりにも凄惨で、何度も目を背けたい気持ちにさせられた。死の前で彼らは圧倒的無力だ。
だがそれによりひしひしと伝わってくる「指の骨」の持つ意味と、それに縋り、まるで夢物語のような未来を託そうとするラストのシーンでは思わず涙ぐんでしまった。
そしてこの一文の破壊力。
>樹木から背中がずり落ちて、私の身体が倒れたわけだが、しかし世界が倒れたように、私は感じた。
読後本を綴じたとき、涼やかで凛とした装幀がたまらなくなった。 -
2017.10.14 図書館