完本 寺内貫太郎一家

著者 :
  • 新潮社
4.13
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本棚登録 : 32
レビュー : 5
  • Amazon.co.jp ・本 (560ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103382041

作品紹介・あらすじ

向田邦子の小説デビュー作『寺内貫太郎一家』は未完だった。遺された脚本をもとに書き継いだ決定版。昭和の暮らしと家族を書きつづけた向田が「貫太郎のモデルは私の父である」と語り、最も愛着の深かった一作。口下手で怒りっぽいくせに情に厚い東京谷中の石屋の主人、寺内貫太郎。が、TVドラマの肝である、娘を嫁がせるまでのゴタゴタと婚礼は小説では描かれていなかった。全集等の編集者が向田脚本で後半をノベライズ、代表作の全貌を味わえる「完本」。

感想・レビュー・書評

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  • 寺内貫太郎一家というドラマを、ちゃんとは覚えていない。郷里の再放送で子供の頃、朧々に見た覚えがある。ホームコメディとして人気があったはずだ。この本の前半、『寺内貫太郎一家』の新潮文庫版をお小遣いで買い求めて読んだのは、小学校六年の折。小豆がかった茶色の背表紙を、まだはっきり覚えている。

    一年近い入院の折、他にもなにか本はあったであろうに、なんでこれを買って病室でひとり読んでいたのか。とかくこの世は生き難いものなのだなと、子供心に思い、長じて親元を離れてから再読して、やっといっぱしに苦労の一つも覚えたなぁと、渋い日本茶を飲みながら思ったのが昨日のことのようだ。

    思えば母が、私を連れて東京に越してきた頃、『女の人差し指』が蔵書にあった。生まれつきの病の治療に金がかかった私のため、火の車以上に苦しかった頃、沢村貞子さんの「私の台所』向田邦子さんの『女の人差し指』池波正太郎さんの『味と映画の歳時記』をハードカバーで買って「三冊もご本を買うなんて、ママが贅沢をしている、珍しい。」そう思った覚えがある。後年、母の蔵書は散逸してしまい、図書館で借りて、お三方とも私は愛読することになるが、その大人の読書への入口のひとつは、紛れなく文庫版の『寺内貫太郎一家』であった。

    子供の頃の初読。おとなになってからの旧全集版での再読。完本での再再読、人生三度目に読む。で、一日で読み切ると、多少もたれる。だが、解っているけど読みやめられない。言いたいことをぐっと胸にしまって、耐えて笑うのが大人なんだなと、今はよく分かる。母もあの頃、誰も知人や味方のない東京で、本を読む間だけは、「この気持ち、わかるわ」と、何かに同調し、本から『私も解るわ。あなたの気持ち』と答えて欲しかったのかもしれない。

    娘の私はと言えば、里子のような賢い女になりたいと思いながら、頑張ってもそうはなれなかった。お涼や直子、マモルの実母など、向田作品には意外と影のある女たちも登場する。ミヨ子の明るさも、影には嘘や悲しみが見え隠れする。それでも、女というものは、押したり突いたりしながら、どうにか生きているもので、男というのも、様々な想いを抱きながら、世間様並みに生きようとじたばたしている。そんなことが、ぐっと胸に来る一冊だった。

    完本では、貫太郎の長女、静江が、山あり谷ありを乗り越えて、上条に嫁ぐまでが描かれ、彼女が幸福にならないと、貫太郎の気がすまないだろうな…と思っていた読者は、ほっと胸をなでおろす。あまりに収まるまでゴタゴタありすぎる気もするし、これで良いような気もするし…。ともかくようやっと、向田邦子さんと私との間の、置きっぱなしになっていた宿題のようなものが一区切りした気がする。振り返れば、本当に遠くまで来たものだ。

  • 【寺内貫太郎一家】★★★★★

    雖然久仰向田的大名,也曾經在十年前上課上過她的短篇,不過後來一直沒有實際讀她的這部長篇,直到去年年底在市圖開架逛了一圈決定借來看。這本書本身是向田所撰寫的連續劇腳本改寫而成的小說,故事梗概是70年代的日本,石屋主人貫太郎沉默、大男人又笨拙,一切只會以暴力解決,但是卻有一顆溫柔善良的心。太太里子、母親きん、女兒靜江、兒子周平、お手伝いさんミヨ一家所發生的大小故事。故事本身構造並不複雜,人物極度地符合當時的刻板印象,尤其是主人公夫婦,所營造出來的家庭關係也非常古典,雖然我不喜歡這麼刻板樣式化的人物構成,不過確實是70年代理想的、傳統的家庭關係。然而,並不喜刻板角色塑形的我,也必須承認,向田邦子真的太太太太厲害了。家庭平淡無奇的小插曲、吵架、糾葛、心理描寫,多麼細緻,多麼引人入勝!尤其這種引人入勝的,但是又不做作的文筆,加上細膩鮮活的形容,就算故事沒有太大驚人的轉折,還是很恐怖地吸引我無法將眼睛從這本書移開,就是一直一直想讀下去,這種被下蠱的感覺,只有相當傑出的作家才做得到,怎麼有辦法寫得如此有趣!而且結構洗鍊到完全毫無破綻,文章活靈活現,對話寫得相當出色,兩者呼應得極其完美,結構上也寫得相當有重點,每一篇都相當出色。讀完這本小說我已經拜伏在她腳下了。接下來繼續讀續寺內貫太郎一家,是其他作家將向田的腳本重新購成為一本小說,現在才讀到中途,但是那力量的差距歷然到令人錯愕的地步,一旦遇見了天才,連秀才都不想認識了唉。偉哉向田邦子,她和隆慶一樣,都是被老天奪走的天才。


    【続・寺内貫太郎一家】烏兔沼佳代
    ★★★☆

    續集是向田的劇本由這位作者重新編成改寫,然而或許因為尊重故人,又想保持當時播出的感覺,因此單純就文學作品的感覺而言略嫌平庸。同樣是向田的劇本,但向田自己改寫的小說相當具有一致性,構成也相當出色,然而這本居然完全看不到上一本的車尾燈,實在令人錯愕。續集一開頭的靜江跟父親大吵一架跑到上條的公寓去住的言行舉止都讓我感到有違和感,或許是因為節目紅了有作續集的必要或者演員電視台的溝通原因,身為讀者的我無從得知,然而角色個性讓人感到不連戲這點感覺很牽強。或許原文腳本也不如第一季出色?第二卷有些故意譁眾取寵和故意賺眼淚的橋段,說明也過於囉嗦,再者是對話完全變弱,感覺只是在重複第一季的梗,這不知道是什麼原因?是向田(其中包含電視劇播放許多的複雜情事?),還是這位構成作家的問題?這就不得而知了。我個人猜想兩者都有關,但我也絕對相信由向田本人再來改寫的話落差絕對不會那麼大。當然故事本身有趣的還是不少,然而一瞬間從秀作變成凡作,讓我覺得讀完這本只是在為了跟向田致敬的義務感。當然,重新編成者當然有其難處,希望能保留電視劇當時播出的感覺,不能自由取捨,不過文字畢竟和畫面的強項完全不同,我想改編者沒意識到這點,或者是有其苦衷,但文學作品中把文字完全交給文字,才是比較正確的作法,只是把畫面用文字記錄下來,不但繁瑣,這種流水帳作業也剝奪了文學的趣味性。當然「很有畫面」這件事也是深受讀者歡迎的一個文學元素,最近的小說通常都走這種漫畫視覺風。然而文字本身,是藝術,是空間,是意象與想像,一個文字本身背後的文化符碼可以帶給讀者比畫面更多的充足感,洗鍊而贅雜,甚至就算不洗練,帶著獨特的青澀與大膽、誤讀也無妨,這才是文學應該努力的目標,真正讓想像起飛,讓想像膨脹,才是文學真正真正完全無法取代的強項!

    我肯定這位編成者對保存向田文學的用心,不然我也沒機會讀到續篇,然而讀了前者後讓人看見這兩者之間的歷然差距,讓人不禁憮然,這也證明,每一個文明中的閃耀星星,無論是作品或是人,是多麼地具有不可取代性,也多麼需要全體人類共同珍惜!最近的網路文章許多感覺上都是電腦可以寫出來的雞肋文(甚至以下),而人工智慧也可打敗許多世界級的棋士。人類歷史上絕大部分沒有人權的概念,生命如芥子一般的時間如此地長,然而就算如此,在我的感覺上,現在人正陷入文明中最糟糕的狀況。我們有人權,尊重每個生命,然而我們不允許有個性,不允許不可預測性,不允許脫逸出框框。每個人都可以被取代,都只不過是螺絲釘;人類文明最棒的不可預測性讓天才輩出,然而這個可能性漸漸被可預測性就是最大的聖旨的人工智慧所代替。扼殺不可預測性,只會使一切的藝術,也包括文學枯萎;雖然我不是儒家的崇古主義者,但我真心認為,不可預測性的失去,人類的齊一性,才是對文明最大的浩劫。嚴重地離題了,久久看到一個精彩的作品,其他作品就會頓失顏色,然而這樣的作品能有多少呢?縱使存在,我們短短的一生又能遇到多少呢?

  • 登場人物がみんな生きている。時代を越える名作!

  • このドラマ、好きだったな。他にも「時間ですよ」とか。大家族をベースとした人情ドラマが一世を風靡していた時代を懐かしく思い出します。

  • 各章が全部、名作!
    鼻の奥がつーんと、あたたかい感動に包まれる。
    澤地久枝さんも言ってたように、向田邦子の作品には翳りが必ずあるんだよねぇ。
    それにしても、テレビドラマのキャストの完璧なこと !

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著者プロフィール

1929年、東京生まれ。脚本家、エッセイスト、小説家。実践女子専門学校国語科卒業後、記者を経て脚本の世界へ。代表作に「七人の孫」「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」。1980年、「花の名前」などで第83回直木賞受賞。おもな著書に『父の詫び状』『思い出トランプ』『あ・うん』。1981年、飛行機事故で急逝。

「2020年 『向田邦子ベスト・エッセイ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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