仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何か

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103391715

作品紹介・あらすじ

日本仏教はなぜ「悟れない」のか――? ブッダの直弟子たちは次々と「悟り」に到達したのに、どうして現代日本の仏教徒は真剣に修行しても「悟れない」のか。そもそも、ブッダの言う「解脱・涅槃」とは何か。なぜブッダは「悟った」後もこの世で生き続けたのか。仏教の始点にして最大の難問である「悟り」の謎を解明し、日本人の仏教観を書き換える決定的論考。

感想・レビュー・書評

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  • 仏教の目的である「解脱・涅槃」とはどういうことか?
    その他、縁起や無我など基本的な仏教で重要な要素について解説されているが、しかたないとはいえ、専門用語は多い。

    ただ、あくまでも著書はテーラワーダの視点から述べており、大乗仏教に対しては、読み手からはやや否定的と感じる立場である。
    その立場も、日本の行学のない仏教への失望から来ているのかな、とも感じた。
    ブッダのしなかった葬式法事を最大事とし、観光や地域振興、慈善事業などの世間的な善だけ、自己と向き合い煩悩と格闘することさえ稀な日本の仏教。
    失望するのも仕方ないかなと思う。

    ただ、著者が平生業成の教えを知らないであろうことは残念である。

  • 2015.8.12仏教思想の根本、つまり悟りとは、という問いに、言語と論理の範囲内において言及した本。前半では仏教を理解するための主要概念を説明した上で、後半では悟りとは、という質問に対し答えている。まず仏教思想のベースには縁起という、つまりあらゆるものは様々な原因や条件の元、今この瞬間に一時的に成り立っている、という考えがある。しかしそれはトランプタワーのようなもので、互いの要素が互いに作用し合う故のものであり、一枚抜けばタワーの形が変わるように、すべてのものは変わりゆく、つまり諸行無常である。そして様々な原因により成り立つということは、存在における唯一絶対永遠の実体はないということ。この一枚がトランプタワーを支える、なんてことはない。唯一絶対の主体はない、我はない、故に諸法無我。そして人間はあらゆるものは変わりゆくのに、そしてそれに対し決定権も支配力もないのに、それらにとらわれる。生きることは欲望だが、欲望はこのような執着によるものであり、すべては縁起である以上、この欲望は満たされることなく常に不満足であり、故に一切皆苦である。理想と現実のギャップこそが不幸、欲望であり、これを埋めるには現実を上げるか理想を下げるかだとルソーは言ったが、仏教において現実をあげるのは不可能とする、なぜなら縁起であり、無常無我だから。ならば理想をさげよう、それは即ち無常無我を知り、認識し、悟ることであり、それにより欲望もなくなり、煩悩もなくなり、涅槃寂静となる。そのために四諦、即ち生老病死などの八苦、何が苦しみかを知り、その原因が欲望であると知り、欲望を下げる必要性を知り、その方法即ち八正道を実践する。しかしこれらの、ドグマを知って理解するだけでは、その延長には悟りはない。それらを理解し、実践し、そしてその積み重ねにプラスして、極度の集中体験により、悟りは開ける。それは漸次的なものではなく、ある日急に、閃きの形で訪れる。欲望はダメとか、一切は無常とか、私は無我とか頭で理解しても、欲望はあるし、無常っつっても目の前にあるし、私は私なのであり、体は反応してしまう。この、体の反応そのものを、自らの認知の枠組みそのものを破壊するほどの強力な集中体験による、涅槃の経験こそが、悟りである。我々は世界を作り出す、それは自らの価値観や主観、つまり欲望や煩悩によってである。二つの脂肪の固まりも、欲望がイメージとともに意味付ければおっぱいになるわけで。欲望から解放されると、あらゆるものをあるがままに見ることができる。無常であり、無我であり、しかしトランプタワーのようなバランスで成り立つ、そのような奇跡的な世界を見ることができる。これが悟り、涅槃である。ここまでが言語と論理の限界であり、その体験は引用により、重い荷物を降ろしたような、張った紐がプツンと切れたような、という例えは出されているが、これ以上その悟りの体験を言語化することはできないのだろう。この、仏教思想におけるゼロポイント、即ち悟りの境地には、思考や日常意識や実践の積み重ねが必要ではあるが、それらと全く異質の体験であるという点はとても参考になった。それは幸福とか不幸ではなく、安楽、平静なんだろうなと思われる。そしてその境地に至らなければ、現世が苦だと言うことは理解できない、理解というより、その真実を自らの価値観もしてもはや当たり前に、つまりその法則、ダルマと自らが一体化することはできないのだろう。個人的には、やはりこの俗世で生きる身では悟りへの道を歩む覚悟はでないが、苦しみを和らげる術と、閃きの術とは自らの人生に活かしたいと思う。私には私の経験からなる人生哲学があるが、その哲学を仏教の視点から見直すことで、仏教思想の食べたいところは食べ、咀嚼し、血肉に変えようと思う。これ以上なく仏教思想の根本について知れる良著である。

  • 今まで読んだ仏教書の中で1番腑に落ちた。

  • これは面白い。世界三大宗教と言われながらその教義は幅広く、親しみやすいようで捉えどころのない仏教についてその起源から考える入門書。著者は仏教の本質を「その教えの説者が、「物語の世界」の外部の視野を、自ら有している」ことと定義し、悟りとはそうした苦痛や快楽の原因となる物語の世界―対称にイメージを付与してしまうものの見方―から解き放たれることと説明しているのはわかりやすい。他にも輪廻というものがいま・この瞬間にも生起し続けている話など、用語を丁寧に噛み砕きながら興味深い内容を教えてくれている。

  • ツイッターのTLで流れてきて、佐々木閑先生が帯で推薦者に名を連ねていることで読んでみた。

    内容的な事はそういうものかという以上の知識を持ち合わせていないです。

    しかし、ヴィパッサナー瞑想は最近の自己啓発系や心理学系にも応用されていたりすることなどから考えると、本来、仏教なりの宗教が社会的に担うべき部分が、宗教=いかがわしいであったり、宗教=金と言った部分から忌避され、スピリチュアルとか心理学といった忌避される原因の不明瞭な部分を剥ぎとったものに移行されているのが日本の現状なのかなと思わなくもないです。

    そして、そういった組織は明瞭会計な分だけ余力もなさそうですし、明瞭=いいことと考えて精神的な自立を促す反面、自立できなかった場合のバックアップはなく、個々人で思い思いの方向に救いを求めているのが現状でしょう。

    ”中年童貞”や”最貧困女子”を救う精神的なセーフティーネットとしての宗教=仏教として立ち上がって欲しいけれど、日本の仏教の現状はこの本に書かれているわけではないですがそういう感じではなさそう。

    だからこそ、日本の仏教研究者の著作が注目されてきているとも言えるのでしょうし、アメリカの研究に熱い視線が注がれているのだろう。

    したらばの潜在意識板に”達人スレ元祖1式”というスレがあって、「何を願うのかも含めて自分で考えるのを止める。全て潜在意識に丸投げする。」っていうのを、この本を読んで思い出した。

  • 再読。やはり素晴らしい。ちゃんと読めてなかった部分もたくさん。ニー仏さんのツイキャスなどを聞いてから読むとまた別の感慨もある。輪廻のところ、ツイキャスで質問したいわ。

  • これは名著ではないだろうか。ツイッターで著者に興味を持ち、Kindleで「だから仏教は面白い」を読んで興味が高まってこれを買った自分は、仏教に関する知識、興味といえば中学の修学旅行で訪ねた禅寺がきっかけで今でも臨済宗の寺が「なんとなく好き」ということくらい。そんな自分でも飽きることなく読み進めることができた。
    仏教用語の漢字(初出でふりがながあっても翌日には忘れていたりする)、言い回し、概念いずれも多少は難しいはずなのだけど、それで読むのがイヤになることもないし、常にわかりやすいと思えて、少し不思議な感覚。
    専門家の方の読み込みにも耐えるレベルのはずなので自分の「理解」なんぞ話にならないと思うのだけど、それでも大事なことはわかったぞと思えてありがたいし、その上で再読したらさらにナルホドに出会えそうと思わせてくれる。

  • 自然と湧いてくるものを止めるためには、流れに逆らう行為を敢えて行う必要がある。「悟り」とは何なのか?簡単ではないが、読む前よりははるかにわかるようになった。

  • タイトルどおり。
    智慧が思考の到達点ではない点の考察がおもしろかった。
    涅槃の感覚はプロセスを観察する意図で今後は考えてみたい。
    瞑想センター行きたくなる。

  • 初めての仏教解説書としてはなかなか難解だったけれど、自分には日本仏教よりも釈迦仏教(ゼロポイント)の方が合っているように感じられたのは大きな収穫。周辺知識をもう少しつけたらまた必ず読みたい。

  • 仏教の基本的な考え方を論理的に解説してくれていますね。
    自分は知識が少ないので、二度読みでだいぶ腑に落ちてきましたが、理解してしまえば説得力がある本だと思います。

  • 解脱・涅槃とは何か、輪廻と縁起をどのように捉えるか考えるために購入。

    パーリ経典に拠る仏教理解を基本にして、解脱・涅槃とは何かという「仏教のゼロポイント」を検討する。
    著者はテーラワーダ仏教の瞑想センターで実践を積んでいるが、仏教徒ではない。
    本書は、仏教「思想」の本であって、宗教としての「仏教」の本ではない。

    輪廻については、業の結果が寄り集まったモノが縁によって生起し続けているだけであって、輪廻が仏教思想の弱点であるという見方を却ける。

    大乗仏教に対しては、肯定的とは言えない態度を採る。
    ただし、否定的では全くない。

  • 仏教の言葉、考え方がわかりやすく解説されている。整理されて書かれている。読みやすい。


    メモ

    無常。無我でいう我は常一主宰の我。

    瞑想で人格は良くならない。智慧は思考から来ない。

    輪廻を仏教の癌とし、ブッタ入っていないとの説を説くものもいるが、輪廻以外に仏教いいところあるから仏教よし。でもブッタが言っていないわけではないというのが、著者の論。

  • すばらしい! かつ分かりやすい。

  • 以前、増谷文雄さんの「釈尊のさとり」を読んで、「悟り」とは直観であるという解説が今ひとつ腑に落ちませんでした。
    今日までそのモヤモヤを抱えていましたが、この本を読んだことで、それがようやくすっきりした気がします。
    また仏教に限らず、特定の宗教を盲信するのではなく、最終的な判断は自らが考えて行うことの重要性にも気づかされました。

  • なんか、もう、今年最強。涅槃の説明。因果とかってラプラスの悪魔的なもんだよ(私の理解ね、著者の言葉ではないです。)だから、要は、そこで起こってることって色。色即是空。っていうようなことがつらつらと書いてあって、自由意志の問題とかを頭がくらくらするくらい考えてる欧米な人達と比べてのパンチ力半端ないよね。

  • パーリ経典から、ブッダの「悟り」(=仏教思想のゼロポイント)を読み解く本。
    初期仏教教団の形態や基本の教理(四諦、八正道など)を頭に入れたうえで、結局お釈迦さまの悟りってどんなものだったの?と思ったときに読むとヒントになりそう。
    私は輪廻の話や、悟ったあと利他行に転じた理由に関してが興味深かったです。

    後半は、だんだんと「日本仏教」を批判するような文が多くなってくるのがちょっと気になります(大乗仏教の思想を悪く言っているわけではありません)。「悟り」のみを扱うのなら、「日本仏教」のことはあんまり言及しないほうがよかったのでは…。

  • 恐ろしい仏教入門書を読んでしまった。私は仏教徒ではないということ。この本は、仏教価値を一転させた。さて困った。私の宗教とは?

  • 難しい! 中国経由で導入された仏教なので、漢字で理解が深まるが、本書によるとほとんど仏教用語が通常の漢字での意味と異なる由.例えば、「苦」は不満足の由.「輪廻」は、行為による作用が結果を残し、その潜勢力が次の業(行為)を引き起こすというプロセスをひたすら相続している と定義され、一般に言われる「ある人が、一つの生から別の生へ移るという物語ではない」.
    だったら、もっと分かりやすくするべきだ.最後の章で、日本独特の仏教について、なぜ仏教の看板をはずさないのか とある意味で強烈な批判をしているが、納得できる論考だ.

  • 本書を入門書や注釈書といって良いものか?
    ゼロポイントの題通りに、ど真ん中を、引用、知性を持って理論的に説き明かしていく。そしてそれは筆者の裏付けのある実践でもって支えられている。
    仏教用語に関する予備知識や仏教に触れる経験があった方がより興味深く読めるとは思います。
    歴史を振り返ったりスッタニパータ等についての解説もあるが、畢竟、至極当たり前の事が書かれています。
    しかしこの視点で書かれた仏教書は多くはない気がします。
    ここ20年で読んだ仏教書では最良の一冊であると思います。
    本当にお勧めします。

  • 資本主義経済とあまりにも相容れないような気がする。
    他者が不必要?自己がいかに無為であるかを追求すること?
    仏教の大原則は輪廻転生の前提。縁起からおこる全ては無常であり、それは不満足である。
    我儘は、自分のコントロールのできない、外からやってきた無我であり、結局は隷属である。
    宗教に効能効果はない。瞑想してもなんの得にもならない。コスパもない。
    仏教における倫理規範のの二重構造
    仏教における最上の価値は涅槃、それを目指すことが善
    一方で涅槃の境地は善悪をともに捨て去った先にある。
    そのため、世間の中の日常的振る舞いには、素朴な功利主義と、無生産者なれども尊敬に値する"律"が必要。これによる社会的な生き残り
    仏教は政治的庇護を受けていたから2,500年も存続してきた。
    輪廻とは、「何かが輪廻」しているのではなく、現象の継起、プロセスそのものが輪廻である
    つまり、なにかから彼方にバトンが渡るようなものではなく、今この現在に置いても続いているこの状況が輪廻。

  • 仏教を考えるうえでの指標

  • そもそもブッダはどうして何を説こうとしたのか。
    日本の大乗仏教に違和感を覚えていた身としては、この本が助けになった。
    著者はあくまで研究者で(真剣な)実践者ではないというスタンスなので、この本を入口としているが、実際はかなり踏み込んでいる。
    一回読んだだけではすごいことは分かっても頭に入りきらないし、実践が必要だなと感じる。
    瞑想を続けてまた読み返す予定。

  • 面白かった

  • ブッダの教えについて、「これが本当の教えだ、あれは違う」と様々な宗派の色々な意見があります。

    そんな事より、この教えで心の平静を得られたと言ってくれた方が、よっぽど信用できます。

    けれども、誰もそんな事は言いません。現代社会では、悟りは「円満な人格完成者」と思われているからだそうです。

    本書を読んで、ブッダの考えがぼんやりと理解できました。次の本も期待しています。

    教義上の争いのエネルギーを、「心の平静を得てみんなが平和に暮らす」ブッダの智慧を蘇らせるのに使った方が、よっぽど有益だと思います。

  • 難解だが、バッサリと言い切っているところもあり、読みやすい。研究者としての視点があるから、論理的に感じたのかも知れない。

  •  ゴータマ・ブッダの仏教が「何」を目指すものであり、そしてそれを達成すると「どうなる」のかを解明する。なんとも直截な目的で、テーラワーダ仏教のインパクトのすごさに驚きます。大乗の中にいた日本人の多くは、仏教の本質の転換を強く促されています。

  • 仏教がアナーキーかつラディカルで、しかもプラグマティックであることを隠すところなく伝える本。

    生き生きとした筆致にもかかわらず、内容は慎重を期していて、信頼が置ける。

    釈迦が輪廻を否定したって私も思っていた!どこで習ったのだろう。。

  • 瞑想の考え方について知りたいと思い手に取ったが時間がなくざっと読んだだけなので、瞑想の参考に出来るほどのものは得られなかった。しかし涅槃や悟り、仏教の起源については初学者の自分にも分かりやすく書かれていた。今回読めていない部分が多いので再読したい。

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著者プロフィール

1979年、千葉県生まれ。著述・翻訳家。東京大学文学部思想文化学科卒業(哲学専攻)、同大学院人文社会系研究科博士課程満期退学(インド哲学・仏教学専攻)。2010年以降はミャンマーやタイに居住し、現地にてテーラワーダ(上座部)仏教の教理と実践を学ぶ。著書に『仏教思想のゼロポイント』(新潮社)、『講義ライブ だから仏教は面白い!』(講談社+α文庫)、訳書にウ・ジョーティカ『自由への旅』(新潮社)などがある。

「2018年 『感じて、ゆるす仏教』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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