数学する身体

著者 :
  • 新潮社
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本棚登録 : 784
レビュー : 74
  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103396512

作品紹介・あらすじ

「数学を通して世界をわかりたい」。30歳、若き異能の躍動するデビュー作! 思考の道具として身体から生まれた数学。ものを数える手足の指、記号や計算……道具の変遷は数学者の行為を変え、記号化の徹底は抽象化を究める。コンピュータや人工知能の誕生で、人間の思考は変貌を遂げるのか? 論考はチューリング、岡潔を経て生成していく。身体を離れ、高度な抽象化の果てにある、新たな可能性を探る!

感想・レビュー・書評

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  • p167
    自他の間を行き交う「情」が、個々の人や物の上に宿ったとき、それが「情緒」となるというのである。

    p170
    「無心」から「有心」に還る。その刹那に「わかる」。これが岡が道元や芭蕉から継承し、数学において実践した方法である。
    なぜそんなことができるのか。それは自他を超えて、通い合う情があるからだ。人は理でわかるばかりでなく、情を通わせ合ってわかることができる。他の喜びも、季節の移り変わりも、どれも通い合う情によって「わかる」のだ。

  • おもしろかった〜数字は自然なものではない、の一言にホッとしたりした。相変わらず数字を見ると思考が止まるけどいいものを読んだ。ありがたい…装丁がすごく良くてそこだけで好きになる。グレーの紙っぽくない質の紙にグレーのしおり紐、中を開けば鮮やかな青。

  • 面白かった。文系にもわかる数学の本。数学って学校で習った内容のイメージが強いけど、それはほんの一部で、本来哲学だったり心理学だったり、もっと広い分野に開けているものなんだな、と再認識させてくれた。チューリングと岡潔は個人的にも気になる人なので楽しかった。ブルバキって個人名じゃなかったんだ!ってこの本読んではじめて知りました。

  • 音楽や美術のように、数学も表現の行為だ。数学を通して「人間」に迫る、30歳、若き異能の躍動するデビュー作!
    「BOOKデータベース」より

    情熱的.
    「零までが大切」、この岡潔のことばは、自分の胸にも刺さった.ものごとの根源へ思考を馳せる.学問を志す者にとって必要な姿勢.博士の学位がなぜPh. D (Doctor of Philosophy)なのか、ということですね.

  • 2015.11.2-2015.11.3
    武術家の甲野善紀氏が勧めてゐるので購入。独立の研究者といふ著書の行き方にも関心があつた。
    数学が発生段階から身体と不可分であり、考へるといふことは、普通に思はれてゐる以上に身体的な過程なのだ、といふ論点は興味深い。それがギリシャ時代の数学を例に説かれてゐるあたりは秀逸だ。
    他方で、人工知能が人類の脅威になるのではないかと心配される程に発展し、「情報」が一人の人間の処理能力とは無関係に増殖する時代に、数学を身体化するといふ岡潔の理想がどのやうな指針となるのかは不明確だと思はれる。
    とは言へ、他の人達の力を借り、過去の遺産の助けを得ながらも、他人には伺ひ知れないものを抱へて生きる他ないのが人間である以上、頼りになるのはこの身体であり、その持つ潜在力が充分に使はれてゐないのは確かなので、頭でつかちになり勝ちな今の日本で、読まれる価値がある本だらう。

  • 森田君の初の著作。数学の本なのだが、数式は一切ない。数学の歴史の一端を概観しながら、チューリング氏や岡潔氏に対する森田君の心情を綴ったような内容。

    岡潔氏への森田君の情熱は以前から少しだけ伺っていたが、本当に好き(という感情ではないだろうけど)なのだろうと思う。読んでいる時も、文を書いている時の森田君の嬉しそうな顔が思い浮かぶような気がした。

  • うまく言えないけど、脳だけじゃなく、身体、取り巻く環境ひっくるめて、思考という行為が成り立つ、という冒頭は興味を惹かれた。チューリングの人工知能の話と、岡潔の話を対比すると、こないだ読んだ「ホモデウス」の人工知能への見解へのカウンターパンチとなる気がして、希望が持てたのも得した気分。しかし、数学でもなんでも、突き詰めると哲学的というから、人間って、って考えにいきつくのは、おもしろいなとあらためて思う。

  • 数学

  •  普通、船や潜水艦にとって海水はあくまで克服すべき障害物である。ところが、マグロは周囲の水を、泳ぐという行為を実現するためのリソースとして積極的に生かしている、というわけだ。
     示唆に富む話である。周囲の環境と対立し、それを克服すべきものと捉えるのではなく、むしろ環境を問題解決のためのリソースとして積極的に行為の中に組み込んでいく。マグロにとっての周囲の水の流れは、運動のためのリソースであって、障害ではない。(p.38)

     数学が人の心を惹きつけてやまないのも、それが、解けるか解けないか、あらかじめ判定できないような「パズル」に満ちているからである。(中略)チューリングあ、いかなる難問を前にしても、常に「解ける」方に賭けて挑み続けたことだけは確かだ。不安の中に、すなわち間違う可能性の中にこそ「心」があると、彼は誰よりも深く知り抜いていたからである。(p.110)

     岡潔によれば、数学の中心にあるのは「情緒」だという。計算や論理は数学の本体ではなくて、肝心なことは、五感で触れることのできない数学的対象に、関心を集め続けてやめないことだという。自他の別も、時空の枠すらをも超えて、大きな心で数学に没頭しているうちに、「内外二重の窓がともに開け放たれることになって、『清冷の外気』が室内にはいる」のだと、彼は独特の表現で、数学の喜びを描写する。(p.116)

     たとえば「2」という数字を思い浮かべてみる。それは個々人の前に広がる「風景」の中で、何かしらの実感を帯びた対象として現れるだろう。私たちは、純粋に主観の排除された「2」そのものを経験することなどできない。あらゆる数学的対象は、「風景」の中に立ち現れるのだ。(p.127)

     生きた自然の一片をとらえてそれをそのまま五七五の句形に結晶させるということに関して、芭蕉の存在そのもの以上に優れた「計算手続き」はない。水滴の正確な運動が、水を実際に流してみることによってしかわからないのと同じように、芭蕉の句は、芭蕉の境地において、芭蕉の生涯が生きられることによってのみ導出可能な何かである。
     数学もまた、同じように進むことはできないだろうか。数学的自然の一片をとらえて、その「光いまだ消えざるうちにいいとむ」には、数学者もまた、それ相応の境地にいる必要がある。境地が進まなければ読めない句があるのと同じように、境地が進まなければできない数学があるだろう。「第三の発見」において、岡はそれを身をもって経験したのだ。(p.160)

     西欧世界で生まれた近代数学は、記号と計算の力を借りて、かってない高見にまで登り詰めた。記号の徹底は、数学の抽象化を進めるとともに、素朴な幾何的・物理的直観に依存しない、機械的な計算や論証を可能にした。
     それまで数学を支えていた人間の直感は、曖昧で間違えやすいものとして不安視されて、数学から身体をそぎ落としていくかのように、数学の形式化が進んだ。数学を、機械でも実行できるような記号操作の体系に還元することが、数学という営みを救う唯一の道だと考える人たちまで出てきた。(pp.186-187)

  • 数学者・岡潔の足跡を主軸においた、数学エッセイといった趣の書。なので数式は一切出てこず、数学の歴史、ひいては人間と数の関係性を追うという完全に人文系の本だった。数学と身体性のつながりは奥深い。数の概念から始まり最後には宇宙観にまで進むというスケールの大きさ! 人生に疲れたときなんかに読み返すといいかも。

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