謎のアジア納豆: そして帰ってきた〈日本納豆〉

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (350ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103400714

作品紹介・あらすじ

見て、嗅いで、作って、食べる。壮大すぎる「納豆をめぐる冒険」! 辺境作家が目指した未知の大陸、それは納豆だった。タイやミャンマーの山中をさまよううちに「納豆とは何か」という謎にとりつかれ、研究所で菌の勉強にはげみ、中国に納豆の源流を求め、日本では東北から九州を駆けめぐる。縦横無尽な取材と試食の先に見えてきた、本来の姿とは? 知的好奇心あふれるノンフィクション。

感想・レビュー・書評

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  • 高野氏の本にはハズレが無い。
    しかし、私はいまだに何故「関西の納豆嫌い」が事実としてそういう人はいるし、事実か否かに関わらず、そうした納豆嫌いとする風潮がある理由が分からない。本著でも述べられるが、関西地区は気候が温暖で魚が手に入り易かったから、納豆を作る習慣がなかったから。本当か?で、東西に割れる日本にいながら「納豆は我が国のものである」と上から目線でアジア探索。更に、高野氏は日本でもその起源を探ろうと飛び回るのである。

    アジアにも納豆はある。それは粘くなかったり、焼かれていたり。共通するのは、どことなく漂う懐かしさ。ホッとする。そして、各国、民族の納豆文化を軸にその地の人との触れ合いを描く。

    納豆を作る文化を持つ人々は、比較的タンパク源に恵まれない高地の方で、性格的な特徴にも共通点があるような気がする。平地の開放的な民族性に比べ、固く真面目な気質のようだと。この本に薄っすら流れる、高野氏の本にしては残念な飛び抜けたキャラクターが登場しない予定調和感はこの納豆気質によるものか。

    つまり、真面目な仕立てである。ソマリランドを先に読むと、少し大人しめな印象を受けるが、これはこれで。ホッとするのであった。

  • 高野さんの本を初めて読む。本来はソマリアシリーズぐらいから始めた方がよかったのかもしれないが、たまたまNHK朝イチで納豆特集があって、高野さんがアジア納豆の納豆煎餅(表紙の写真)を紹介していたので、無性に読みたくなって紐解いた。

    「(見た目は腐っている)こんな臭みが強い食べ物を好んで食べているのは、日本人ぐらいのものだ」という「納豆選民意識」が、日本人にはある。しかし、それは大いに間違っている。ということを、これでもか、これでもか、と書いている。確かに納豆菌が発見されたのは、明治期日本においてである。しかし、そのことによって納豆が日本で興ったことの証明にはならないのだ。

    納豆にも個性がある。ミャンマー・シャン族のそれは臭みの薄いモノを、パオは山の民で水浴びをしないので、臭いモノが好まれる。(日本人含む)それぞれの民族は自分たちの納豆が最高だと思う「手前納豆」症状が少なからずあった。また、東南アジアでは、納豆を発酵食品の味噌の代わりに使っている。日本も最初に納豆があり、あとから味噌と出汁に取って代わられた、ようだ。だから、秋田地方のように、最初は納豆汁が普通だったというのが高野氏の説である。ともかく納豆は、煮豆を手近な葉っぱで包めば出来るのだ。この本を読むうちに、私の中に少しはあった「納豆選民意識」が見事に剥がれていったのを感じた。

    納豆を追ってゆくうちに、意外にも東南アジア納豆民族の共通した「ルーツ」がわかってくる。漢民族の南下西進を受けて、アジア東部に広くいた納豆民族が南や西に追いやられて残った食習慣なのである。だとすれば、中国南部に起源を持つ稲作民族の日本の出自も、この辺りにあることの例証になるかもしれないと思っていたら、最終章で著者もそう推察していた。ところが、である。ビックリすることが最後に書かれていた。一つは民族移動が原因ではなく、あまりにも簡単にしかも必要性があり出来ることから、納豆同時多発発生説の方が説得力あること。もう一つは、その最古のモデルが日本の縄文時代である。というのだ。確かに世界最古の煮炊き土器をつくったのは、縄文土器だ。しかも、縄文時代に豆を煮炊きしていたのは、つい最近証明されている。しかも高野さんは、この本において、縄文の代表的な植物であるトチの木の葉で納豆が、しかもとても美味しい納豆が、出来ることを証明してしまった。間違いないでしょ、間違いない。何処が最古かは別にして、間違いなく縄文時代に納豆を作っていた。考古学ファンとして、私はかなり興奮しました。

    2017年7月21日読了

  • 納豆がどこ発祥なのか気にしたことがなかったけど、アジアの山岳地帯に広く分布しているのには驚いた。
    ただ私は納豆を食べられないので納豆愛もなく、その土地ごとの納豆の作り方や味の違いには興奮できない。
    それよりも、様々な民族の暮らしぶりや習慣、どうやってその地に流れ着いたのかなどの歴史的背景の方に興味が向いた。ブータン難民というものも初めて聞いた。
    山岳地帯の民族のことを少しだけ知ることができ、そうするとそこに納豆があるのは必然で、人類って繋がっているんだなあと壮大なことを感じた。

  • ヨーロッパでは無理でも、アジアなら納豆好きのあたしが暮らせる国がたくさんあることが分かっただけで幸せ。笑
    アジアはまだまだ個人的に未知な部分が多いので、かなり視野が広がった...

    発酵食品がまさかのその気候の地で色々発達してるとは、また面白い。納豆汁 も日本では冬の季語だし、東北のイメージだったので。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86%E6%B1%81?wprov=sfti1

  • 非常に面白かった。アジアの納豆は副菜を越えて調味料である、だから納豆せんべいの粉末は、日本のダシ同様に使われる。またペースト状の納豆は味噌のように使われる。味噌や醤油と同じく大豆の発酵旨味食品だと考えるとおかしくないのか、なるほど。
    食べ物探索記であると同時に、その地の歴史背景、文化について知ることができるのも興味深い。一つの国名で呼ばれていても、その中には種々の民族があり、少数マイノリティの民族は、本来の民族の言葉を学校で教えることが許されていなかったり、対外的な公式語の名前を名乗ったリ、差別を受けていたりする。そして、納豆は少数マイノリティの辺境の民族の共通食品なのだと。
    千利休の茶会に納豆汁が何度も供されていたと知り、美味しく作った納豆汁も食べてみたい。
    同時に科学的にも納豆にアプローチするところも非常に面白い。日本で、藁草でなく葉を使ったアジア納豆が作れるかという真面目な実験は、猛烈に面白かった。

  • 同じ作者のアフリカ納豆の本があまりにも面白かったので手にとってみた。書かれた順序としてはこちらが先でミャンマーの奥地でゲリラの取材をしている時に現地で卵かけ納豆ご飯を振る舞われたことに衝撃を受けた作者がアジアにおける納豆を追い求めた作品。本作で取材しきれなかった韓国の納豆がアフリカの納豆本に収録されているので網羅性を求めるのであれば両方読む必要がある。本作品ではタイ、ミャンマー、ネパール、中国と日本の一部が取材されている。学術研究ではなくいきなり現地に飛び込みで行って納豆作るところを見せてくれ、という形だったりゲリラ取材で知り合った人などのツテをたどってやはり製造現場に乗り込んでしまうところが面白い。よほどの緊急時を除いて諸外国では納豆はいわば出汁や味噌のような使われかたをしておりそのまま食べるところは殆どないらしい。日本でも江戸時代くらいまでは納豆汁がそれこそ全国で食べられており、西日本ではそれがいつしか味噌に取って代わられたのであろう、という推理も楽しい。非常に興味深い作品で納豆が嫌いな人もたぶん楽しく読めると思う。おすすめです。

  • 1日最低1パックは納豆を食べることを20年続けている私が本書を手に取ったのは文庫版が発売されてすぐの2020年の夏のことだった。一時は納豆好きが高じて自分の専門外にも関わらず納豆メーカーにESを出す寸前まで行きかけた私だが、本書を読んでみると、なんとまあ自分の納豆に関する知識は浅かったのかと思い知ることになった。筆者は若い頃ミャンマーの山中で納豆に似たものを食べたことを思い出し、記憶を頼りにタイ、ミャンマー、ネパールの山岳地帯で納豆探しを始める(なぜか納豆は山岳地帯でしか食べられていないのだ)。なんとそれらの地域では大豆をその辺の葉っぱに包んで発酵させており、筆者は今までの「納豆菌は藁の中にしかいない」という常識を破壊される。すっかり納豆に取り憑かれた筆者は自作納豆作りを始め、さらには納豆が食される「納豆文化圏」についての独自の理論を構築し始める…。
    私が東南アジア諸国の納豆を食べたくても、これらは家庭の味ということもあり、なかなかレストランなどで食べることはできない。ともなれば現地に行くしかないが、前述のように納豆文化圏は山奥に分布しており、現実的ではない。そんななかタイ語やビルマ語が堪能かつ探検家として30年のキャリアを持つ筆者が写真付きで現地の納豆を紹介してくれている本書は、追体験をしているような気分にしてくれる(そして私はそれこそ紀行文の最も良い部分だと思っている)。願わくば現地で彼らの納豆を食べること、それが今の私の人生をかけた目標である。

  • 【本書の概要】
    アジア納豆とは一言で言えば「辺境食」だ。東は中国湖南省から西はネパール東部に広がる、山間の地域で食されている。肉や魚、塩や油が手に入りにくい場所なので、納豆は貴重なタンパク源にしてうま味調味料だ。納豆民族は例外なく、所属する国においてマイノリティだ。
    食べ方は生よりも火を通すほうが多い。味噌納豆、せんべい納豆、干し納豆、油納豆など。
    重要尾なのはすべて「保存」が眼目ということだ。

    日本でも納豆は辺境食だった。日本の納豆の本場が東北で、関西では食べられなくなるのは、東日本は山文化が優勢で、西日本は海文化が優勢というのが一つの答えである。
    日本の納豆の特徴は藁苞で包むことにある。これはかなり特異である。作るのがかなりの手間で、他の葉でも代替可能であるからだ。それでも作る理由としては、保温力と保存に適するからである。アジア納豆は葉っぱが先に傷むため、作ってから必ず葉っぱを取り出す。普通の葉は通気性が良くないため納豆の傷みの原因になるが、乾燥した藁にはその心配が無い。ここにも「納豆はまず保存用」という思考が現れている。

    納豆はどこからどのようにして生まれたのだろうか?筆者は、納豆職はもともとアジア東部に広く普及していたが、漢族の支配地域でいつの間にか消滅し、東北の辺境(日本と朝鮮半島)と西南の辺境(アジア納豆のエリア)にかろうじて残った――少数民族が押し出される形で、納豆も辺境に押し出されたのではないか――と見ている。そして、どこか特定の場所が起源であることは無いと考えている。納豆は葉っぱにくるんで火の近くに置いておくだけであまりに簡単にできるため、多くの場所で偶発的に出来上がる可能性のほうが高いからである。
    研究によると、縄文時代から大豆が栽培されていたことが分かっている。納豆は当時から生えていたとされるトチの葉でも作ることができた。であれば、縄文人が既に納豆を食べていても何らおかしくないのだ。


    【本書の詳細】
    1 日本の納豆の定義
    日本の全国納豆協同組合連合会の話によると、「納豆菌とはそもそもワラなどの枯草にいるもの」「近代以降はわら由来の納豆から分離した純粋培養の納豆菌により納豆が作られている」とのことである。
    納豆の作りかたはいたってシンプルで、①大豆を蒸し、②納豆菌をふりかけ、③45度以上の部屋で発酵させ、④5度の部屋で冷却し熟成する。
    本来は藁の中で発酵させるのが常套だが、日本では保健衛生上許可が下りない。藁納豆を作っている会社は、一度藁についている納豆菌を含む細菌を全て死滅させ、そのあと再度納豆菌をふりかけるという面倒な作業をしている。
    今の日本では匂いが弱くて糸引きが強い納豆が好まれる。


    2 アジア民族の納豆
    ミャンマーのシャン州やタイのチェンマイに住む民族「シャン族」。彼らが食べるソウルフードが「トナオ」、つまり日本で言う納豆だ。と言ってもトナオには色々な種類があり、火であぶった薄焼きせんべい状の納豆、日本のような糸引き納豆、調味料としてつかうブロック状の納豆、蒸し納豆などがある。
    一般のタイ人は納豆を全く食べず、バンコクの人は存在を知らない。チェンマイを中心としたタイ北部の人のみ食べる。発酵には枯れ草でなく青い葉っぱを使うのがアジアの主流だ。

    ミャンマーのチェントゥンに住むシャン族に日本の藁納豆を食べさせると、「うん、同じ味」と言った。チェントゥンでトナオを作るのはシャン族だけであり、ビルマ族も少数民族も中国人も食べるが自分では作らない。揚げ納豆、味噌納豆などのバリエーションがある。

    パオ族は碁石のように分厚い納豆を食べる。厚いほうが匂いが長持ちするらしい。

    カチン族は日本の納豆とほぼ同じ糸引き納豆を食べている。

    納豆民族はほとんどが中国南部に起源を持つ。
    中国南部の鳳凰古城に住む苗族(ミャオ族)も、トウチーという種類の納豆を食していた。

    大小さまざまな納豆が食べられていたが、どれにも共通するのは、みな自分の地域の納豆にこだわりを持っていることだった。
    シャン族に言わせれば日本の納豆は「別に美味しくない」。生だし、油もかけないし、火で炙らないし、食べられないことはないが「粗野」である。シャン族は自分たちの作る納豆がとにかく一番うまいと思っている。どこに尋ねても自分の地域が一番おいしいと言う。まさに手前味噌ならぬ手前納豆だ。


    3 日本の納豆とアジアの納豆
    実は納豆という存在はよくわからないことだらけだ。
    納豆菌は学術的には存在しない。日本の沢村博士が納豆を作る菌を単離することに成功し、それを日本では納豆菌と呼んでいるが、国際的な通称として登録されてはいない。外国には「納豆菌」という概念が無く、枯草菌の一種が大豆と接合して発酵した料理を納豆と定義しているにすぎない。
    納豆は近代にいたるまで製造が難しく、現在も「菌屋」と呼ばれる菌供給業者によって、「納豆菌の培養方法は秘伝」というおよそ現代離れした様式で守られている。医療用としてナットウキナーゼの研究開発を行っている所もほとんどない。
    納豆菌は扱いが難しく、固体差が激しいため品質がまちまちになることも多いのだ。

    では、日本の納豆とアジア納豆は同じなのだろうか?菌を検査した結果、ミャンマーの納豆菌もブータンの納豆菌も、日本の納豆菌とほぼ同じだった。しかもアジア納豆は日本同様にかなり衛生的であった。

    日本納豆の起源地と言われる秋田県三郷町。そこで作られていた納豆は、食べ方の過程がシャン州に似ていた。納豆を作り、糸がひいているもの(成功したもの)はご飯にかけ、糸がひいていないもの(失敗したもの)はすり鉢でつぶして違う食べ方をする。この地域では後者を納豆汁にしていた。
    納豆民族はアジア大陸では常に国内マイノリティにして辺境の民である。それは、海や大河に近い平野部のほうが文明は発達するため、納豆を食べているような内陸の民はマイノリティ側に回るからかもしれない。

    日本の納豆は平安時代から食べられていたとされているが、文献として日本の歴史上公式に初登場したのは室町時代である。実は、室町時代から江戸後期までほぼ全て「納豆汁」としての登場である。当時はシジミや鴨脂と同じくみそ汁の出汁として使われていた。

    思えば、アジアの国のほとんどは、味噌と出汁の代わりに納豆が常に使われる。手間と技術が必要な味噌や入手しにくい魚ダシよりも先に、旨味が豊富で手軽に作れる納豆があったのではないだろうか。そしてそれは日本も同じ状況であり、日本の場合は納豆も脇役として残り続けたのではないだろうか。


    4 まとめ
    アジア納豆とは一言で言えば「辺境食」だ。東は中国湖南省から西はネパール東部に広がる、山間の地域で食されている。肉や魚、塩や油が手に入りにくい場所なので、納豆は貴重なタンパク源にしてうま味調味料だ。それゆえ納豆民族は例外なく、所属する国においてマイノリティだ。
    アジアの大豆は日本の極小粒ぐらいの大きさであり、植物の葉で仕込む。それは民族や地域、個人によってこだわりがある。ネパールではシダの葉で納豆を作っていた。
    発酵温度であるが、日本は通常40度で18時間発酵を目安としている。これに対してアジア納豆は、温度は低めで時間は二晩程度。といっても、様子を見て発酵時間が足りなければ適宜足すため、全体としてフレキシブルである。
    食べ方は生よりも火を通すほうが多い。味噌納豆、せんべい納豆、干し納豆、油納豆などがメインだ。
    重要なのはすべて「保存」が眼目だということである。
    食べる人は、全員「納豆なんて所詮よそに出すような大それたものでは無い」と思っている。それゆえに、納豆に対して「身内」のような思いを抱き、うちの納豆は一番おいしいというアイデンティティを抱いている。

    日本でも納豆は辺境食だった。日本の納豆の本場が東北で、関西では食べられなくなるのは、東日本は山文化が優勢で、西日本は海文化が優勢というのが一つの答えである。
    日本の納豆の特徴は藁苞で包むことにある。これはかなり特異である。作るのがかなりの手間で、他の葉でも代替可能であるからだ。それでも作る理由としては、保温力と保存に適するからである。アジア納豆は葉っぱが先に傷むため、作ってから必ず葉っぱを取り出す。普通の葉は通気性が良くないため納豆の傷みの原因になるが、乾燥した藁にはその心配が無い。ここにも「納豆はまず保存用」という思考が現れている。

    納豆はどこからどのようにして生まれたのだろうか?筆者は、納豆職はもともとアジア東部に広く普及していたが、漢族の支配地域でいつの間にか消滅し、東北の辺境(日本と朝鮮半島)と西南の辺境(アジア納豆のエリア)にかろうじて残った――少数民族が押し出される形で、納豆も辺境に押し出されたのではないか――と見ている。そして、どこか特定の場所が起源であることは無いと考えている。納豆は葉っぱにくるんで火の近くに置いておくだけであまりに簡単にできるため、多くの場所で偶発的に出来上がる可能性のほうが高いからである。
    研究によると、縄文時代から大豆が栽培されていたことが分かっている。納豆は当時から生えていたとされるトチの葉でも作ることができた。であれば、縄文人が既に納豆を食べていても何らおかしくないのだ。


    【感想】
    実を言うと、自分もこの本を読むまでは納豆は日本由来の食べ物だと思っており、「外国人は受け付けないだろう」と顎を撫でていた。その日本が、実は納豆後進国だというのだから驚きだ。
    シャン族、ナガ族、カチン族、ミャオ族、どれも話す言葉や住む場所は違うにもかかわらず、一様にみな納豆を食べている。食べ方は千差万別で、せんべい、炒め物、煮汁、そして生食とある。作り方も全ての部族によってローカル化されつつあるが、全員が「煮た大豆をあったかくして放置する」という認識で繋がっているというのは非常に興味深い。我々日本人が誇りに思っている納豆の食べ方が、アジア基準で言うと「粗野」「バリエーションに乏しい」と思われているのは、何とも痛快だが的を射ているではないか。

    納豆は思ってた以上に何でもアリである。糸引きの度合い、味の濃さ薄さ、匂いの強さ弱さ。本来であれば、日本の納豆にも色んなバリエーションがあってしかるべきなのだ。まるで県ごとに味の違うラーメンがあってもそれらが全て「ご当地ラーメン」で括られるように。しかしながら、そうした各国の納豆の可能性を無視しながら、「日本こそ納豆のルーツ」という態度を取っているのはあまりにも高慢だと言える。まさに井の中の蛙であり、その一匹であった私の納豆観は本書を読んで180度転換した。
    といっても、日本の納豆も捨てたもんじゃない。日本の納豆文化の目覚ましい特徴は、全国的に普及しているところにあるだろう。本来マイノリティが食べる納豆を、国民の大多数が食べるようになるまで商業的に成長させたというのは、やはり大国の食文化あってこそだと思う。

  • 高野秀行に外れ無しだけど、飽きてきたのかなあ。
    途中で断念。

  • 多くの辺境の旅を書いている著者による、東南アジアと日本国内の「手前味噌」ならぬ「手前納豆」をめぐる旅の記録。初出は季刊雑誌「考える人」2014年~2016年。

    早稲田大学探検部出身の高野氏の著作は毎回突き抜けているが、今回もえらい面白い。

    日本においても西日本では納豆を食べず、納豆の中心は東日本とされている。納豆は山の文化として受け継がれているという考察のもと、タイ、ミャンマー、ネパール、中国、そして秋田・長野・岩手と、アジア各地の納豆産地を、現地の人々との親交を結びながら訪ね歩いている。

    納豆製造のプロセスを観察し、納豆料理を食べるだけでなく、納豆を切り口として、アジアの山間部の文化・政治的な歴史や、各民族の移動・成立過程まで考察している。

    驚くべきは彼の語学力。最近はソマリア本が話題だが、ミャンマーやタイの山の中で納豆屋のオバチャンたちに何日も密着取材できるコミュニケーション能力は驚異的。

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著者プロフィール

1966年、東京都八王子市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学探検部在籍時に書いた『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)をきっかけに文筆活動を開始。「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、それを面白おかしく書く」がモットー。アジア、アフリカなどの辺境地をテーマとしたノンフィクションのほか、東京を舞台にしたエッセイや小説も多数発表している。

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