- Amazon.co.jp ・本 (375ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103449027
感想・レビュー・書評
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人には他人から見えている自分と自分だけが知っている自分がだれにでもあるのだと思う。この小説はインドのマハトマ・ガンジーの足跡を著者がたどっていくのだが、ガンジーに問いかけ語り合うというかたちをとることによって自伝や史実に残っていないガンジーが抱えていた矛盾をあぶりだそうとする。ガンジーに突っ込みながら、ガンジーがなくなった後の時代の混迷ぶりを彼に問いかけ、彼の矛盾をあぶり出そうとする作業の中で、彼の死後 力、暴力でもって人々が道筋をつけるようになってしまった絶望的な今の世界が、いつの日かより無暴力で事を収める時代に戻っていけるのか、もう戻れないのか?戻れるとしたらそれにはどう人間は行動すべきかを読者に考える事を突きつけている。
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ガンジーの足跡を追い、ガンジーに今までしたことを問いかける。
ガンジーに対する知識なんて非暴力とインド人程度にしかなかったのですが、宗教問題によって起こる暴力をなんとか解決しようとしたり、歩く道に花や草で道を作ってもらえたかとおもいきや、糞尿をぶちまけられたりという良い側面ばかりを持っている人物ではなかったのだと。
元々イギリスの大学出の弁護士で生まれも裕福であった。風習に背くようなこともしたし、金持ちとの関係や、女関係もあった。しかし、彼は彼の軸だけはぶらつかせず、ずっと持って生きたのだと感じた。
最終的には、凶弾によって倒れる。
彼の思いや信念はインドにもそう深くは根付いてはいないのだろう。母国ではヒーローのようだが、彼のようなことを実行する人はいないのだろう。 -
聖人としてではなく、一人の人間としてのカンジー像は興味深かった。この世に完璧な人間などいない、というのが私のスタンスなので、ぶれ続けるガンジーの方が、ずっとしっくりくる。
さて、この作品の重要な要素として、非暴力は可能か、という命題があったけれど、端的に言えば、ガンジーは失敗した。もちろん、暴力よりも非暴力であったほうがいいけれど、実際にはどうだろうか。局所的、ごく小さな範囲として非暴力の実現がたとえあったとしても、大きく見れば、やはり未だ非暴力は実現されていない。
宮内さんの言うように、惑星としてのアイデンティティを持つためには、私は二つの問題を解決しなければいけないと思っている。一つは、地球外生命体という他者の獲得。もう一つは、言語の統一。ここで言う「言語の統一」とは、国際的な共通語を持とうという話ではない。もっと根本的に、母国語を同じくする、という話だ。実際には、たくさんの言語が使われているこの地球で、それは途方もない話だし(母国語の獲得には、生まれた時から、あるいはその前から、その言語を母国語とする人間の間で成長することが必要だと思うので)、そうやって今あるたくさんの美しい言語を放棄してしまうのは愚かな行為だとも思っている。さらに、惑星としてのアイデンティティを獲得したとしても、それは地球外生命体という他者に対してのものなので、その間には対立があり、「国VS国」が「惑星VS惑星」になっただけで、実は何の解決にもなっていない。
そう考えてくると、非暴力を可能にしたいという理想は理想として、人間の持つ暴力性はそれを可能にしない、という結論かもしれない。何万年か何十万年か後、人間がもっと進化したら、あるいは非暴力は可能かもしれないけれど、地球という星の寿命と人間の進化と、一体どちらが先にやって来るだろうか。