【第158回 芥川賞受賞作】百年泥

著者 :
  • 新潮社
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本棚登録 : 646
レビュー : 139
  • Amazon.co.jp ・本 (125ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103515319

作品紹介・あらすじ

橋の下に逆巻く川の流れの泥から百年の記憶が蘇る! かつて綴られなかった手紙、眺められなかった風景、聴かれなかった歌。話されなかったことば、濡れなかった雨、ふれられなかった唇が、百年泥だ。流れゆくのは――あったかもしれない人生、群れみだれる人びと……

感想・レビュー・書評

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  • 流石、芥川賞の力作でした。

    インド(チェンナイ)で日本語教師をしている主人公は、100年に一度の洪水に遭遇する。

    あふれた川の泥の中から熊手で掻き出される様々な思い出が連なる。

    日本語を教えている生徒たち、とくに中心人物のデーヴァラージの話と、主人公の想い出が交差する。

    話の導入時点では、ここら辺のストーリーの組み立てが見えていないので、若干退屈に思えるが、構成自体が理解できてきて、デーヴァラージや主人公の性格や人生が見えてくると途端に物語が活き活きしだし、ページを繰るのも早まる。

    リアルな日本語教師エッセイのように進みながら、序盤から、会社員が背中に翼をつけて出勤(飛翔通勤)したり、泥から思い出の人間が竹の熊手で掻き出されたり、架空の話も淡々と描写される。

    ここら辺の話に読者として乗っていけるかどうかでこの物語に対するフィット感は大きく変わるでしょう。

    ただし、マジックリアリズムや幻想小説のような大層なものではなく、ほら吹き男爵てきなウィットというかお話しの香辛料的な効果であるところがミソなのではないか。

    筆者の芥川賞のインタビュー『根が関西人なのでウケてナンボ。人を笑わせるのが好きなんです。私の小説で笑ってもらえているのは、とても幸せなことです』にあるように、この小説の完成度が高まっているのは軽やかな笑いの要素。
    まさに関西人の話術の、人を楽しませる話術。

    くすっと笑える小説。その裏にはペーソスがありながらウェットではなく、からっとしている。そのバランス感覚が素晴らしい。

    また、これも芥川賞インタビューにある以下の一節、これはこの小説自体を表している言葉だと思う。

    『この受賞は、自分のあり方を支えてくれた無数の人のおかげだと思っています。そのように考えるのは、私が謙虚だからではなくて、物事というのは、そういうあり方をしているからです。
    私というのは、私であって私ではありません。先ほどの因果の話と考え方は同じです。人間同士はコミュニケーションします。それは同時にお互いの一部をやり取りし合うことです。すると一人の人間の中に、おびただしい他の人間の存在が入り込んで、グチャグチャに混ざり合う。
    お互いがお互いを交換し合いながら、人間は存在していると考えるようになりました。だから、これだけ嬉しいことがあっても、「一人の力でできた」などとはとても思えません。仏教を学んだことで、そのように考えられるようになりました。』

    様々な境遇の違う人間たち。
    笑顔の裏には苦しみや悲しみ、生きていくためのタフさ、多種多様な感情や人生があり、それらが記憶として、泥の川から掘り出され、パッチワークのように提示されていく。
    最後の方のシーンでもあるように、泥の中から掘り出された人物を様々な人が自分の最愛の人に見立てていく。
    それは、上記の筆者のインタビューにあるように、自分は他人の一部でもある、自分は経験により形作られ、人と人との交流の中で成り立っている。ということ。

    人生とは、人間とは色々な人との思いでが出汁となって作られたスープのようなもの。それがこの百年泥なのではないかと思った。

    物語の中で現れるほとんど話をしない母親。
    言葉への繊細な感覚があるからこそ、しゃべることに恐れをいだく。主人公と母親。周りに疎んじられ、ユキンバと称される母親。
    主人公と一緒に蓬つみに行き、背中を合わせていることで、彼女とコミュニケーションをとる。
    人と人との交流は、流暢に語ることではなく、一緒にいることだけでも十分なのだろう。

    ある意味、発信しないと価値を認められないSNSとは真逆の世界。

    芸術や小説は、言葉で一通りに表現できない価値を救い上げることができる。
    そのことを、さりげなく、鮮やかに示してくれた作品。

    また、
    泥から想い出を取り出すことは、『物語る』ことと同義で、古くから琵琶法師のような語り部が物語っていた形式と同じなのではないかとも感じた。

    蛇足ですが、
    登場する男性たちの描き方は少女マンガに登場する男性たちに感じるように、異性からみた理想化された男性(どうしようもなくてもそこがむしろ好感を持てるような)だなと。
    ある意味ゲスなところがないのが、この小説の良いところでもあり、瑞々しい芥川賞にもあっているとも思いつつ。
    混沌とした中にキャラクターとしてのドス黒さ、どういしょうもなさ、もあったらより面白かったと思いました。
    賢い女性が書いたスマートな物語に収束していくことがないように、荒々しい部分を、ささくれながら書いていくととんでもないパワーの持った物語になると思う。

  • なんて気持ちの良い小説なんだろう。
    読みながら心がスカッと晴れる様でした。
    描かれているのはインドのカオス。
    ただでさえ何でもアリなインドのチェンナイで
    100年に一度という大洪水が起こる。
    翌日残された泥の中からは、思い出の品から遠い昔の記憶、果ては生きているのか死んでいるのかわからない人間まで続々と登場するのだ。
    貧困や差別、非科学的なしきたりなど
    人々を苦しめるものがたくさんあるはずのインドが
    今の日本よりずっと自由に感じるのはなぜなのか。
    迂闊に本音も言えない世の中を飛び出して
    自分の記憶や人生までもが他人と混ざりあっているこの物語の世界が
    私の心の中を風通し良くしてくれたことは間違いありません。

  • インドで洪水を経験する。川の流れの泥から、様々なものが出てくる出てくる。最初はインドの文化、生活モノかなと思ったけれど、泥を通して様々な人の人生、思いの断片が語られていて。不思議な世界。泥のお話も、日本語教師のお話もなかなか面白く読めました。泥の中は繋がっているのね。摩訶不思議。インドだけにありうる感じ。

  • 著者の石井さん。
    以下、Wiki情報の抜粋。

    大阪出身。早稲田大学法学部卒業後、東京大学文学部インド哲学仏教学専修課程に学士編入。更に、同大学院人文社会系研究科博士後期課程に進み・・・云云。2015年から東大で知り合ったサンスクリット語研究者の夫と共にチェンナイのIT企業で日本語教師として働く。

    そして、2017年『百年泥』で第49回新潮新人賞を受賞。2018年同作で第158回芥川賞を受賞・・・と。

    ***

    「芥川賞」は、純文学の新人に与えられる文学賞。

    ***

    「純文学」とは、大衆小説に対して「娯楽性」よりも「芸術性」に重きを置いている小説を総称する日本文学における用語。

    ***

    あきらかにご自身を思いっきり題材として、ご自身の周辺にある素材を取り込んで、煮て、焼いて、叩いて、こねて、丸めたような小説だなというような印象です。

    上記の「純文学」の定義に当てはめてみると少々中途半端な感じがしないでもない。だからなのかどうか、文学にド素人の自分にはよくわからないが、「これが芥川賞なの???」という感想が宙に浮いています。

    それほど芸術性も感じず(自分の感性に問題はあると思う)、大阪弁の表現は大阪人から見れば普通にシンプルなセンテンスだし、そこに込められたギャグっぽい要素も、破壊力がなくなんとなく大人しい感じ。

    百年泥から、飛び出す様々な思い出やファンタジックな部分なんかも、もっと奇想天外な仕掛けを望んでしまう読後の自分がいます。全体的に小ネタのコレクションのように感じてしまっています。芥川賞だけに期待のハードルが高すぎるのか?

    「ぐよ」の伏線から、大阪万博のコインの話は、まぁ本書で一番心奪われた部分でした。

  • インドで百年に一度の大洪水に遭遇した日本語教師が色々振り返る。
    正直な感想はなんだこれ、というもの。橋で泥を眺めるシーンと、インド事情の説明、登場人物たちの過去の回想、そして主人公の想像などが織り交ぜて語られる。マジックリアリズムだというけれど、ただのまとまりのない小説にしか思えなかった。文学的な表現もほとんどないし、急に出てくる話は唐突すぎるし、これって小説なんだろうか。あまりにも説明調で、インドの情報をただ詰め込んだという感じだ。好みの問題なのかもしれないけどあまり楽しめなかった。

  • 文学を久しぶりに読んだので、少し慣れるまで時間がかかったが、最後はとてもおもしろく読めた。
    後半から最後がミソの作品である。
    前半は、まあ、設定である。

    インドという不思議な場所、環境要因は強いが、独特の世界観はまぎれもなく筆者の強みだろう。

    百年泥によって出てくる俤(おもかげ)と、過去を濯ぐ人の話。

  • 借金のカタに南インドのチェンナイで教師の資格もないのに日本語講師をする羽目になった主人公は、百年に一度という洪水に見舞われ、百年分の泥をさらった氾濫後の川にかかる橋へと向かう。

    百年泥の中からは、なぜか懐かしい人や思い出の品が掘り返され、失くしたはずの過去が顔を出す。

    頭のいいエリートインド人であるはずなのに精神年齢が10歳児なみの生徒たちに手を焼く「日常」と、エグゼクティブが<飛翔>して通勤し、泥の中から人や物が現れる「非現実」と、どこか物悲しさを誘う主人公や生徒の「過去」が不思議に入り混じり、幻想的な世界を作り出している。

    混沌とした感じがインドという国の独特の雰囲気と合って、読んでいてすーっと遠くの世界に連れていかれる気分になった。
    そこではクマと相撲をとる男とその息子がいて、大阪万博の記念コインが宝物になっていて、空を飛んで衝突事故を起こす人間がいて、恋愛をすることが困難なのに明るく家族を愛する男たちがいる。

    芥川賞作品、というと、難解、文学、という印象が強いけれど、単純に読んでいて楽しい一冊だった。

  • 必要があり、読む。
    シュール、関西、インド。どれも好物なテーマ。川の氾濫が過去という泥を運んでくる。この設定も秀逸。
    そこから感じられるべきは、感じたいのは、あらゆるものを飲み込むパワー。
    けれども本作は、前~恋愛小説、といった趣を呈している。そこに収束しかかる。それが残念。
    ページ数は、三、四倍(いやもっとでもいい)あってほしい。どうせシュールなんだから、もっと、作家の手に余るほどにしっちゃかめっちゃかであってもよかったのではないか。
    もっと言えば、混沌に、失礼ではないか。

  • あったかもしれないなにか、かあ。これ、舞台はインドだけど、思いっきり日本を書いた日本の小説だなあと感じた。だってインドの人はたぶん「もしも〇〇だったら」なんて考えないから。生まれ変わったら何になりたい?という質問の答えにもそれが表れていて、その違いが興味深い。幸せの在るべき形が決まりきっているのはつまらない気がするが、そう感じるのは私が現代日本で育ったからなのだな。
    百年分の泥の中に見つかるものは、その人自身を表しているのだろう。教室でのエピソードや後半の回想などからこの主人公はなんだかんだ言いつつデーヴァラージを憎からず想っていたのだとわかる。現実的なことと非現実的なこととが入り乱れているので、デーヴァラージは洪水で流されて死んでしまったようにも読めるが、その記憶もまた彼女の心の中で泥に埋もれて行くのだろう。
    泥の中に埋もれているものをいちいちほじくり返すことは普段しないが、何かをきっかけに向こうが勝手に顔を出すことはある。泥はわかりやすい例えだと思った。

  • 最初全然話の展開についていけなくて、これ全部読めないかも…とリタイアしそうになった。
    中盤くらいでようやくこの主人公はのらりくらりが基本なんだと理解。
    そんな中、主人公の心の深淵にふれるエピソードが出てきて、初めてこの本の流れに乗れた気がした。
    不思議な話。あぶり出されていく感じ。
    なんでこんな変な顔描いてあるんだろ?って装丁見て不思議だったけど、読んでたら「あってるわ、この顔〜」と納得した。
    つかみどころないけどポイント押さえてる変な読後感。ごちゃごちゃですごい。

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著者プロフィール

石井遊佳(いしい・ゆうか)
1963年11月大阪府枚方市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程満期退学。日本語教師。2017年『百年泥』で新潮新人賞、第158回芥川龍之介賞を受賞。インド、タミル・ナードゥ州チェンナイ市在住。

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