ノモレ

著者 :
  • 新潮社
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レビュー : 54
  • Amazon.co.jp ・本 (297ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103519614

作品紹介・あらすじ

息子たちよ、森で別れた友(ノモレ)を探しておくれ。百年間語り継がれた“再会の約束”は、果たされるのか――。ペルー・アマゾンの村長ロメウは、文明社会と未接触の先住民イゾラドが突如現れたと知らされる。ロメウの曾祖父が言い残した、百年前に生き別れになった仲間の話。ロメウは、イゾラドが、その子孫ではないかと思い始めるが――。大宅ノンフィクション賞受賞作『ヤノマミ』から8年、NHKスペシャル「最後のイゾラド」から生まれた奇跡のノンフィクション!

感想・レビュー・書評

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  • ノモレ。
    仲間、友を意味するそれは、アマゾンの先住民イネ族にとって特別な言葉だ。

    アマゾンの奥地、ならず者にゴム農園に連れてこられ、奴隷として働かされていた者の中に、イネ族の男たちがいた。彼らは太古の昔から、アマゾンの密林で森と川に生きる小さな部族だった。
    重労働か病原菌で死ぬしかない生活に耐えきれなくなり、ゴム農園から5人のイネ族の男たちが逃げ出し、そして追手から逃れるために二手に分かれる。
    逃げ切った者たちがどうしても後世に伝えたかったこと。

    「森で別れたノモレに会いたい。息子たちよ、ノモレを探してくれ」

    …それから100年。
    ペルー・アマゾンの奥地でイゾラド(文明社会と未接触の先住民)の目撃情報が相次ぐ。彼らは裸に腰巻だけをつけて弓矢を持ち、時に人を襲うという。イネ族の集落のリーダーであり、政府との折衝役でもあるロメウはペルー政府からの依頼を受け、目撃情報のあったアマゾン流域のパトロールと監視の任務に就くことになる。
    ある日、アマゾンの向こう側、ロメウはイゾラドと接触する。「ノモレ!」

    彼らは、もしかしたら祖先が森で別れた『ノモレ』の子孫なのではないか…?

    本書は、100年越しの先祖からの伝承を胸に、イゾラドとの接触を続けるロメウの視点で綴られたノンフィクションである。
    以前読んで大変感銘を受けた『ヤノマミ』の作者が書いているので読んでみたのだけど、ヤノマミのように密着ルポしたものではなく、だいぶ趣は異なる。ただ、同じように南米の先住民に焦点を当て、過去から現在に至る先住民のことを考えさせる一冊だ。

    森は開墾され、アマゾンは狭まっている。先住民は追いやられ、殺され、免疫のない病原菌で死に、「保護区」の土地すら奪われ、相次いで絶滅していっている。

    イゾラドはイゾラドのままに。接触せず、土地は保護区として、誰も近寄れないように。
    そんな理想論はもはや通用しない。狭まったアマゾンで、イゾラドと文明との接触は遅かれ早かれ避けられない。
    ひとたび文明と接触すれば、あっという間に文明社会、貨幣社会に取り込まれ、観光資源として自らの生活を提供するか、ドラッグや酒に溺れ、困窮していくしかない。
    ここにあるのは、脈々とアマゾンの森と共に生きてきた先住民たちの厳しく哀しい現実。

    ある日、ロメウがイゾラド達と接触していた際、偶然ツアー観光客が船で近づき、無遠慮にシャッターを切る。

    "なぜ、お前たちは大きな音を立てるのか。
    なぜ、お前たちは大きな音で木を倒すのか。
    なぜ、お前たちはこちらを見るのか。
    なぜ、お前たちは木の筒をこちらに向けるのか。
    なぜ、お前たちはやってくるのか。"

    イゾラドの家族はその日を境に姿を消した。その後のことはわからない。
    しかしロメウは信じている。100年前の約束を。いつの日かまた彼らと会う日を。

  •  作者はNHKのディレクターで、本書はNHKスペシャル「大アマゾン 最後のイゾラド」から生まれたノンフィクション。「イゾラド」とは文明と接触していない先住民を指す。
     主人公は、ペルーの先住民の若きリーダー・ロメウ。彼の曽祖父はゴム園で奴隷にされ、100年以上前に農場主を殺し、二手に別れて逃げた。曽祖父らは故郷に逃げ帰ることができたが、密林に消えた仲間たちとは会うことがなかった。
     突然現れたイゾラドは、生き別れになった「ノモレ」(仲間の意)の子孫ではないのか?
     これだけの背景があれば、面白くないはずがない。文明化とか開発とがの意味、人間の幸福とはいったい何かとか考えさせられる。

  • 「ノモレ」…かつて南米アマゾンに「黒い宝石」(ゴム)を求めてスペインやポルトガルのならず者たちが殺到した。その時に先住民族たちを「捕獲」してプランテーションで強制的に働かせた。その多くはイネ族だったと言われている。1902年、彼らは立ち上がり、自分たちを奴隷にしていたパトロンを殺し山奥へ逃げた。追い詰められる中、仲間は2つに分かれて逃げる。どちらかが生き残れるかもしれない…そうして別れた仲間(ノモレ)を求めてイネ族は今を生きている。森で見知らぬ誰かを見たらまず「ノモレ」と叫ぶ。それが仲間を見つける合言葉になるから…。

    この本はそんなノモレを探し求める1人の青年・ロメウの目を通して描かれたノンフィクション。

    アマゾンのある集落でイゾラド(文明社会にまだ触れていない先住民族)が突如現れたという知らせで政府から召集されたイネ族の若きリーダー・ロメウ。彼が出会ったのはイゾラドなのか?それともノモレなのか?
    お互いを理解できるように少しずつ接触を図っていくのだが…。

    著者は国分拓さん。NHKのディレクターさん。
    この方の手掛けた番組「隔絶された人々イゾラド」「ファベーラの十字架2010夏」「最後のイゾラド 森の果て 未知の人々」「ガリンベイロ 黄金を求める男たち」など…その番組の取材力のすごさに衝撃を受けっぱなし。いったいどれぐらいの期間取材してるんだろう…NHKって…いろんな意味ですごい。

    文化が違う人同士が分かり合えるのがこんなに難しいものかということをあらためて感じる。

    たとえばバナナ。おまえたちが作るんだからオレたちは作る必要ない。熟したバナナがそこにあるんならくれ。それのどこが悪い?ってなことから、人を殺すこと、殺さないこと。友好関係の基準とか、良かれと思ってやったことがよくなかったり…

    人が生きている社会は人の文化が作る
    それが自分たちにとって正しいことでも
    他の文化を生きる人にとっては悪かもしれない。
    宗教とか特にそう。

    人同士の争いって結局そこなんだろうな
    自分たちの文化の基準や考え方が違う
    そこを理解しようとするかしないか
    受け入れるか無理なのか

    自分たちと違うから野蛮という言葉でくくってしまう愚かさや文明のある自分たちの方が優れているという偏った優越感を持つ人々。

    突如現れたイゾラドの人々を政府や役人はマシュコ・ピーロ(凶暴で野蛮な人たち)というのだが、それをロメウは否定する「彼らはマシュコ・ピーロ(凶暴で野蛮な人たち)ではない。」

    人が人を理解すること
    簡単に思えて実は一番難しい

    「誠意」とか「愛」で…なんて言うのは簡単だけど
    それを対、人として表現していくのはなかなか伝わりにくい。でもなんかそこがやっぱり大切だと思うのはまだまだ私は青臭いのかしらん。

  • アマゾンに暮らす少数民族を追った至高のドキュメンタリー『ヤノマミ』、『イゾラド』などで有名なNHKの国分ディレクターがアマゾンの未だ文明と接触していない民族「イゾラド」について描くノンフィクション。
    多くの場面がアマゾンの少数民族であるイネ族のモンテ・サルバードという場所にある集落のリーダーであるロメウの視点から描かれる。国分さんがこのノンフィクションを本に書くときに、基本となる視点にはいくつかの選択肢があったはずだ。取材をする自分自身の視点で描くこともできたはずだし、第三者の客観的な目を通して叙述することも可能だったはずだ。著者は、ロメウ自身ではないのだから、ノンフィクションであるこの本をロメウ視点で書くことにはいくばくかの違和感があったはずだ。ロメウが国分さんが思っているように考えているかどうか保証に限りではないのだから。少なくとも取材者としての視点で書くと全く別の作品になっていたはずだ。それでも、この視点でしかこの本は書けなかったのではないかとも思う。ロメウの視点から描くのが作品として必要な緊張感を醸し出すことに役立っている。

    タイトルの『ノモレ』は彼らの言葉で「仲間」という意味である。ある日を境にロメウの周りにイゾラドとの接触の報告が上がってくる。言葉によるコミュニケーションを取ることができないイゾラドとの接触は、危険を孕んだ邂逅である。しかし、ロメウにとっては自らが属する部族にとってのある種のロマンでもあった。

    「ノモレに会いたい。ノモレを探してくれ」

    ロメウの属するイネ族は、すでに文明化された一族である。ロメウ自身は学位を持ち、スペイン語を話す。彼らの先祖は、かつて農園に連れてこられて働かされたアマゾンの一族で彼はその末裔にあたる。その祖先が百年前に農園から逃げたときに、追っ手を惑わすために途中まで一緒だった仲間と森で別れたという伝承がある。彼らが死ぬ間際に子孫を集めて呟いた言葉が「ノモレに会いたい。ノモレを探してくれ」だ。ロメウは、イゾラドとして現れた彼らが、実のところかつて別れた仲間の子孫ではないかと考える。決して結論は出さないし、結論が出るとも考えていない。ただ、そうであるように振る舞うべきだと考える。接触を試み、バナナを渡すことによって敵でないことを伝え、コミュニケーションを始める。
    彼らが土着の植生作物ではないバナナを知っていること、彼らの話す言葉が昔の人たちが話していた言葉に似ていること、そもそもいくつかの言葉が伝わること、イネ族と接触をしても疫病にかからない(すでに免疫がある)ようであること。そう信じたがっているロメウの目に、そうであると信じてもよいであろう事実が積みあがる。

    もちろん、言葉による意思疎通が困難な相手との緊張感はなくならない。イゾラドは、ロメウらが好意の証として渡していたバナナを、ロメウの部族でも不足しているためにもらえなくなったことに対して不満を持つようになる。そしてある日、ロメウの村がイゾラドに襲撃されて、家畜を殺され、家を壊された。

    思うに、こういうことが起きるということが、「コミュニケーション」のベースを共有していない「他人」との遭遇というものでもある。
    それはある意味では『ヤノマミ』で描かれた嬰児殺しと似ている。われわれが持つ常識とはかくも離れてたもので、われわれはそうであることに驚くとともに、それに驚いてはいけないようなもの。彼らは幸せなのだろうか、という質問をすべきではないと感じさせる「他人」との接触。国分さんがこだわって伝えようとしているのはそういうものではないか。

    破壊された村は、村民が戻るには危険だとみなされ、そこに元居た住民は都市に組み込まれる。多くが元の土地に戻りたいという。それでも、若者はもう戻らない。


    彼らの近くにも西洋からの観光客がやってくる。イゾラドにもほとんど接触しかけた。観光客にとってはイゾラドとの遭遇はまさしく彼らが求めていたものでもある。観光客が出てくる場面になると、急に現実世界に戻されたような感じになる。われわれは川のこちら側にいるのだ。


    NHKの番組『ヤノマミ』、『イゾラド』や国分さんの著書『ヤノマミ』とともに、おすすめ。テレビで放送された内容ともあまり重なっていない。


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    『ヤノマミ』のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4140814098

  • 【感想】
    本書の結末を一言で要約すると「時間切れ」である。
    イゾラドとの不運な邂逅――イネ族が襲撃され殺された事件から、何十回にわたって接触が試みられた。

    敵意はない、われわれは君たちの「ノモレ」だ――。
    文明人側は襟を開き続けた。しかし、和解しようと幾度となく続けられた接触もむなしく、イゾラド側は最終的に姿を消し、その後の消息はわからなくなってしまった。

    ここに、未開の部族を保護する難しさがある。

    相手は言葉も倫理も違う異星人のような存在だ。
    彼らとのやり取りは、伝染病がうつる可能性を考慮し最低限の時間で行わなければならない。また、規範となる倫理観が違う以上、「何故私たちが仲良くしなければならないのか」を説明するのは難しい。なんせ、相手は歩み寄りを見せず、ただ食料となるバナナを要求し続け、それが尽きれば腹をたてるような連中なのだ。対話がプラスになっているのかどうかも不明であり、その先に果たしてメリットがあるのかも怪しい。

    また同時に、文明人側の事情も、イゾラドの保護を難しくしている。
    それは政府と地元住民(元先住民族のイネ族)とのすれちがいである。

    政府は先住民族の保護をうたっているが、裏の心理としては、イゾラドを手懐けて管理下に置きたい。観光業はペルーの主要な外貨獲得手段であり、イゾラドの存在は貴重な観光資源でもある。ドル箱である外国人観光客を殺傷させないように、細心の注意を払いながら観光スポットとしても活用したいのが政府の本音だ。
    しかしながら、同胞を殺されたイネ族たちは黙っていない。

    彼らにとってみれば、先住民とは自分たちと親しい存在だ。それであるがゆえに、彼らを保護しようという観念よりも、森のルールにのっとり彼らを処罰することを望む。
    もちろん、彼らも数十年前までは未開の部族だった。しかし、依然自分たちは白人コミュニティの中ではマイノリティであり、貧困率も群を抜いて高い。彼らは彼らで今日の食い扶持を探さねばならず、それを潰したイゾラドに報復したいと思うのは真っ当な感情である。
    彼らは「元先住民」であるがゆえに理解できてしまうのだ。綺麗事だけではやっていけず、部族の窮状を解決するには白人社会に分け入るしかないと。

    先住民を保護しようという政府と、先住民を駆逐しようとする元先住民。
    両者の板挟みになったロメウが折衝に難儀したとしても、とうてい責めることなどできないだろう。

    その後、モンテ・サルバードに出現していたイゾラドは、2016年1月を境に一度も姿を現してはいない。村を再び襲うことも無ければ、バナナを貰いにやってくることも一度もない。
    今も、137人の大集団はどこかへ消えたままだ。

    新たな拠点に映ったロメウは、イゾラドと再会する日を夢見て今も尽力している。

  • アマゾンの先住民たちが迫害され搾取され、体験していない感染症によって大量死していった現実。自分たちと違っている人間、自分達よりも文明度で劣っている人間の命を物のように扱っても咎められなかった時代。そして、今なお細々とジャングルの奥地で住まう人々と、近代的な生活に順応した元先住民との邂逅の記録です。とても有意義な記録では有るのですが、出会った先住民たちに毎度毎度大量にバナナを与えて信頼を得ようとする姿がとてもイライラします。物を貰えるから来ているとしか思えないし、物を貰う事によって依存してしまってバナナが貰えないと分かった瞬間に不機嫌になったり、あまつさえ集落に襲い掛かって略奪行為に及ぶ先住民。なんともやりきれない気持ちになりました。

    自分を集落の人に置き換えた時に、頭の中で銃を構えている自分が浮かびハッとしました。自分の心の中にも、生活を脅かす相手が居たとしたら、反撃をしてしまうであろう自分に慄然としました。きれい事ではない事なのに、彼らはそれでも先住民と仲良くなり分かり合いたいと考えます。それは100年前に右左に分かれて行方知れずになった、同じ仲間たちの末裔である可能性が有るからです。100年前の同胞に親愛の情を憶えるって今の日本では分からない感覚です。正直ピンときません。

    そして文明人と言われる人たちは、全裸の未開の原住民に勝手なロマンを抱き、勝手に侵入し彼らを直接的に間接的に滅ぼしてしまうのでしょう。観光客にもイライラ、政府にもイライラ、元先住民にもイライラ、そして先住民にもイライラします。
    でもこれがきっと現実で、美談でまとめたがる我々は何かに毒されているのでありましょう。

  • もう面白くてぐんぐんページをめくってしまった。ペルーアマゾンでの原住民との接触なんてロマンじゃないか。
    いまは文明生活も受け入れて生活している先住民族のロメウたちにはある伝承があった。かつて自分たちが奴隷のように働かせる白人から逃れるときに二手に分かれたうちの片割れ、ノモレ(仲間)がいまも森のなかにいるというもの。そしてロメウはそれらしき人々と出会うことになる。
    驚くのは、ロメウたちが伝え聞いてきた伝承が数百年も前の話でなく、1902年に起きたことだということ。そして、現代のノモレらしき人々との接触もほんの数年前の事実だということ。この本はNHKの番組に沿って生まれたものなんだけど、テレビの世界の時間軸の早さ・短さのようなものも感じさせる。
    未開の原住民との出会い、しかもかつての仲間ではないかというロマンの一方で、ロマンの罪深さを感じさせるように、文明化とか開発がもともとその地にいた者たちを駆逐していく悲しさも書中では語られる。この地球にいまも、スマホはおろか銃も栽培や農耕といったことも知らずに生きている人間がいるであろうこと。そしてその人たちはすごく危ういバランスのなかで何とか存在している。いっそ文明化された人たちと出会わなければいいのに。出会ってしまえば必ずその均衡は破られ、たいてい物事は幸せでない方向に向かってしまう。
    この本での原住民との出会いは、結末がないまま。かつて分かれた片割れの末裔かも判然としないままだし、交流した原住民一家はあるときを境に姿を見せなくなってしまう。結末がはっきりしないのは読むだけの身としてはもの足りなさもあるけれど、前述したように結末が不幸になることはわかっているようなものなので、読み手のセンチメンタルにとってはすくいかもしれない。

  • 本書を読むまでアマゾンにまだ文明社会と接触したことのない先住民が存在していることを知らなかった。当然ではあるが、彼ら彼女らの存在は本当にごく少数に減少してしまっている。
    保護区に指定しても部外者の侵入を完全にシャットアウトすることは非現実的であり、現代社会とどう折り合いをつけるかは未だに未解決の課題である。一方で確実に彼ら彼女らが住めるエリアは年々縮小しており、早急な対策が必要である。
    動物の絶滅危惧種を保護するよりも難しい課題ではあるが、人類の貴重な財産をなんとか残したいものである。
    本書では、既に現在社会に溶け込んだ先住民と非接触の先住民(イゾラドと呼ばれる)との接触を通して、課題を浮き彫りにしている。

  • NHKディレクター国分拓氏のノンフィクション作品、主人公は『ヤノマミ』と同じくアマゾンのジャングルで暮らす人々。

    南米ペルー・アマゾン奥地の集落で村長を務めるロメウ氏と、ジャングルで実際に出会った未知の先住民、イゾラドたちとの交流の様子を綴っている。取材者である国分氏がロメウ氏やイゾラドの視点で物語を描いているため、まるで自分もジャングルで一緒に生活をしているような、不思議な感覚を覚えた。

    作品の中にも詳しく記されているが、未知の先住民との接触に関しては細かい制約がある。その大きな理由の一つとしては、彼ら先住民が感染症に対する抗体を持っていない(かもしれない)という事だ。数百年前に起きた大航海時代の悲劇が、現代へ続く教訓となっている。

    先住民については、保護されるべき存在である事は間違い無いと思う。しかし、彼らにも車を運転したり、SNSで世界中のフォロアーと繋がる権利はあるハズだ、とも思う。一方的な保護政策だけではなく、お互いに話し合い、彼らの権利を最大限尊重し、共存する事が必要なのではないでしょうか。

    でも、もしかしたらそんな事を考える事自体が、文明社会で暮らす自分のエゴなのかもしれない。彼らはきっと今日もジャングルのどこかで、彼らの生活を営んでいる。

  • ヤノマミとはまた違った視点で描かれる本書。前者は体験談、今回は聞き込みメイン、って感じ。でも物語仕立てで一人称の語り口になっているのもあり、他人行儀な感じはしない。分かり合うって、難しいですね。

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著者プロフィール

国分拓(こくぶん ひろむ)
1965(昭和40)年宮城県生れ。1988年早稲田大学法学部卒業。NHKディレクター。著書『ヤノマミ』で2010年石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、2011年大宅壮一ノンフィクション賞受賞。

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