ショパンゾンビ・コンテスタント

  • 新潮社 (2019年10月30日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (192ページ) / ISBN・EAN: 9784103522720

作品紹介・あらすじ

おれは音楽の、お前は文学のひかりを浴びて、ゾンビになろう――。音大を中退した小説家志望の「ぼく」、同級生は魔法のような音を奏でるピアニストの卵。その彼女の潮里に、ぼくは片想いしている。才能をもつ者ともたない者。それぞれが生身のからだをもって何百年という時間をこえ体現する、古典を現代に生き継ぐことの苦悩と歓び。才能と絶望と恋と友情と芸術をめぐる新・青春音楽小説!

感想・レビュー・書評

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  • 100年近く続いている「ショパン国際ピアノコンクール」予選に挑む音大生と、その友人達が繰り広げる物語。主人公は、コンクール出場者ではなく、その友人である。コンクール予選に挑む友人は、本気を出すとショパンが乗り移ったゾンビのような天才的な能力を持ち、魅力的で賢い彼女もいる。一方で、主人公は、同じ音大生ながら、ピアノを諦めて小説に挑戦している。また、主人公の彼女に片想い中。限界を知ってピアノを諦めた心境、小説をなかなか書き出せずにもがく様子、叶わぬ恋愛など、20歳過ぎの葛藤と情熱が描かれている。どうでも良いことでトコトン悩んだり、衝動的に無茶をしてしまう学生らしさが微笑ましかった。

  • 淡い色の金平糖を常温の水に入れて優しく転がしたような、物足りない甘美さのある一冊。小説ってこういうのだよなぁと思った。意味分からんところとストーリー性の比率が自分にとってはちょうど良かった、なんというか曖昧さとか不明瞭さが邪魔になってない、ちゃんと余韻になっている。登場人物のすべてを簡潔に説明しなくたっていい。そのバランス感覚が肌に合う。

    恩田陸の「蜜蜂と遠雷」を思い出したけど、ピアノってほんと小説に向くなぁ。どちらもピアノ奏者を介して、あらゆる表現のスペースを獲得しているというかなんというか…誰かや何かを宿らせたり人格憑依させるの、RPGにおける魔法のエフェクトみたいなもんで、何か引き込まれるものがある。

    独特な鉤括弧の使い方や多用される平仮名も、意図は汲みきれんけど読み進める上で邪魔にはならない。文体も好き。

    あと、34項「すきな相手にすきと告げる鮮明な言語化は、いちど経験したら病みつきになった」にはめちゃくちゃ同意した。そうそうそうなんだよってなった。これなんでなんだろうな。

  • 今ちょうどショパンコンクールが開催されているから、何か関連した本がないかな、と思ったらこんな面白い本が。
    音大でピアノを学んでる源元と、音大を辞めて小説家を目指してる主人公。
    いつも源くんはショパコンの配信を見てる。17回大会。
    そんな2人を軸に源くんの彼女潮里ちゃんと、同じバイト仲間の寺田くんの奇妙な毎日。
    読みやすかったし、なんか面白かった。

  • 巨匠のつくりあげた音楽を現代っ子がピアノでどう表現するかという話なのかな? おもしろそう、と思って読み始めた。
    だけど、そういう話ではなかった。最初の2、30ページほどを読んで、愕然とした。
    「こ、これは、青春のぽえむ!!!」

    しかも、主人公は小説家志望。そういう設定の小説が世の中には意外に多いような気がするが、私はあまり好きじゃない。だいたいがファミレスとかコンビニが舞台になって地味で受け身な主人公ってパターンだから。

    でも、頑張って読んだら、意外に悪くなかった。

    文章が整ってなくて、完全にとっ散らかったまま散らかしっぱなしで終わっちゃってるけれど、自分の中にあるものを自分の声で一生懸命に言語化しようとしている感じがあって、好感を持った。

    最近、スッカスカの小説が多いからなぁ。どっかで読んだような流麗な言葉を並べて体裁だけ綺麗に整えている小説。それに比べて、この人は借り物じゃない自分の言葉で語っている感じが良いわ…などと思いながら、この著者の略歴を見たら、その私が思い浮かべたスカスカ小説と同じ時にこの著者も芥川賞を取っておられた。知らなかった。この人、芥川賞作家だったとは。(←そこに驚いている)

    この小説は最後の方に行くとポエム感がどんどん強くなっていって、それにはちょっと困った。でも男の子たちについての描写はけっこう良かったので、このポエム感というか、青さが取れれば、この人ならではのおもしろい小説を書きそうな人だと思った。(青さはきっとそのうち勝手に取れるはず!)
    もしくは、一人称じゃない方がいいのかもしれないなぁ。

    しかし、最近の芥川賞は、ぽえむ感強めの作品が好きなのかな? 某漫才師の作品もぽえむ感強めだったような・・・
    受賞作をあんまり読んでいないから、よく分からないけれど。

    ところで、ダン・タイ・ソンの引用とか、ポゴレリチの言葉がすごく印象的だった。それらの言葉を発するに至るピアニストたちの生涯とか頭の中にとても興味ひかれた。
    教えてくれてありがとう!って感じです。最後の引用文献を参考に、探して読んでみたい。

  • 読書開始日:2022年4月7日
    読書終了日:2022年4月8日
    所感
    憧れと嫉妬って紙一重だけど、
    その一重部分を表現するのが本当に上手いなと思う。
    ただただ憧れてなにかを諦めるわけではなく、かといって嫉妬をガソリンにして、粘るわけでもなく、憧れに対して爽やかに近づく姿勢。
    自分は各作品の主人公に憧れる。
    本作も好きな作品だった。
    楽譜や音楽の新たな一面も見れた。
    筆者からは芸術の色んな面を見せてもらっている。さまざまなものに興味を持つ。
    一番好きなシーンは、ショパコン当日の名古屋の喫茶店で、潮里と源元の完璧なカップル感に、きちんとぜつぼうできたこと。
    なにかの天才が宿った瞬間だった。
    天才の考え方もとても好きだった。
    他にも好きな文章がたくさん。

    嗜虐性と悪感情は関係無い。嗜虐性が猫と女を寄せることすら、というか
    女の子に冷たくし、女の子にキラキラとすかれる
    女の子は優しい放任より、誠実な奔放の方が紙一重で好き
    好意も愛情も無いからこその絆
    死者との交信=楽譜、楽譜は絶対
    すきな相手にすきと告げる鮮明な言語化
    文学=自分から離れた自分=それが真の自分
    印象的な光景
    みんな目に映るものを信じるけど、みんな目に写ってるのは同じじゃ無い。同じも同じじゃ無いも証明できない
    うまく絶望できていいなあ、絶望も才能のうち
    艱難
    そういうジンクスを完成させている途中
    視聴覚は遅れてやってくる。みんな未来を見ながら遅れた現実を生きる。過去を見つめる音楽が、一本の線でつなげてくれる?
    訥々
    現代社会にコミットする最適解は、過去を尊重、未来へ活かすため、今の言語を目一杯犠牲にする。スクラップアンドビルド
    ショパンの200年前を現在に繋げる運動
    天才は現象であり、人間では無い
    才能の言外、語られない才能周辺を書きたい
    食パン=白うさぎのようなしょっかん
    鬱は鬱を脱却する動悸が無いから鬱。深い底で居心地の良い絶望にさらされ、そこには能動も消極も無い。客観的にはそこから抜け出すコツなんて知ってる
    蹲る
    呻吟
    寺田くんの誠実なルーティンワークの背中に、かれの心痛をぼくはみる
    いくらぼくが純粋だときても、それを証明する運動を一泊要する時点で純粋とは程遠い
    破綻した文法にあらわれる客観思考
    完璧なカップル感を前に、絶望
    天才を呼んで宿す、宿すことを慣らす
    才能のないぼくは、愛のないぼくは、まだ孤独を知らない
    ゾンビになろう
    懊悩
    音と音を繋げる、音楽を志向する。記憶も同じ

  • 「ゾンビ」は、感染症の比喩としてだけでなく、メタな視点から描かれたゾンビモノが量産されることで、いまや批評の類義語のようにさえなっている。コメディとの相性も良い気がする。

    とそうした認識でページをめくりはじめた。
    そしたら物語がすすむにつれて「ゾンビ」という語がまとっていくだろう意味がうすっぺらくて月並みで取ってつけたようで、期待はずれだった。

    ショパンとゾンビとコンテスタント、という組み合わせは、高慢と偏見とゾンビ、の取り合わせ並みに秀逸なんだけどな。

    本作はいわゆる青春小説。ピアニスト志望の源元と、音大を中退した小説家志望の「ぼく」と、源元の恋人の潮里との三角関係を軸に、「ぼく」によってなんども書き出される物語。

    「ぼく」の思弁が「ゾンビ」をますます批評に近づけようとするが、思弁がハンパで失敗している。
    おっ、と思う表現がないわけじゃないけど、ポエムの域を出ていないかも。

  • 絶望ではなく ぜつぼう という表現、絶望 ほど重くてしっかりと存在しているもの ではなく、挫折すらないという ぼく の言葉の通り、なんだかハッキリしない不安定な感じを表現しているように感じた。

  • 某ゾンビ小説のピアノ版か?
    期待は良い方へグゥーンと軌道修正。
    まさかまさかの純文学。
    どこを開いても読んでもこれは素晴らしい。
    サラッと読み飛ばそうと思ったけれど思わず熟読。

  • 挑戦的な作風ではあるけれど、結局上っ面だけで終わってしまったように感じた。
    端的に、語りが不十分なのでは。

  • 芥川賞受賞作でも思ったのだが、この作家とぼくは相性が悪いようだ。本作は内容もそうだが、文体も、漢字を使わずひらがなにする感覚も、すべてが合わなかった。まあ、仕方がない。

  • 刊行当時、出版社の営業から珍しく営業がかかったことを覚えている。私はウェブマガジンの編集者だった。

    町屋良平の過去作と比べることが許されるなら、この作品は、なんというか当人の「湧き上がる文学的な衝動」(という嘘くさくて軽薄な言い方は極めて失礼と承知)とか、だいたいそれに類する、有り体に言えばモチベーションの種類が異なっていてで、外的要因によって企画され、細やかな取材やリサーチによって固めあげられた作品なのかな、という印象をなんとなく、だかしかし強く受けた。なんでこの作品はこんなに固有名詞が多いのだろうか。

    『しき』にあった福原鈴音のピアノコンクールの場面や、描かれなかったプロセスを、拡大して、細密に言語化したような作品として私は理解した。がしかし、研ぎ澄まされた身体の感覚、運動神経から思考と言葉を立ち上げる天才が、なぜこの本を書いたのかやっぱりイマイチよくわからないし、あくまで個人の感想としてという留保の範囲で、本作をどう位置付けていいのか謎。

    全体としての印象は、他の作品とそれほど変わらないような気がするのだが、細部のあり方がとても気になった(特に中盤まで)。それは前述した作品の成り立ちへの勝手な妄想を根拠づけそうな感じがして、あまり深く考えたくないと思ったりした。

    中途半端なところで書き出した感想は、やはりガタガタに歯車が狂っている。私は動揺して、だが安心している。とはいえ読み終えると、やはり町屋良平は天才なのだから、いつものように食らった。名古屋行きからのコンクールへの怒涛の流れが凄まじい。

    一音目に混じる不協和音、それを引きずりながらも持ち直しはじめる第二楽章、そして悪魔的舞踏センスによる圧巻の第三楽章という源元の演奏は、そのまままさに本作の構造のアナロジーとなる。書き出しを捨てて、アナロジーを成立させることを選んだ町屋良平の文学者的冒険心に圧倒される。

    「青春ぽえむ」という感想を見たが、それは本作を物語としてのみ認識しようとする意思の結果からだろう。これは小説であり、身体と言語と感覚について、いかに描出できるかの実践プロセスそのものだ。だからやはり、人は他人と同じ世界を見ることが基本的には叶わないということを認識させられる。そのことに絶望しつつ、そこにしかない希望というものもあるのだろう。それが文学の追い求めるものなのかもしれないと思ったりする。

  • 言語化できないものを表現する手段としての音楽。その輪郭をなぞる、理屈っぽい言葉。
    なんだか自分も「本を読み続けるゾンビ」のようなものだなあと思えました。

  • 音大を中退し小説を書く「ぼく」
    ピアニストへの道を突き進む「源元」
    源元の彼女で同じバイト仲間の「潮里」

    常に「ぼく」から見た一人称で語られる。
    挫折と羨望、そして叶わぬ恋…

    独特の文体、唐突に挿入される「ぼく」の小説。
    好き嫌いが分かれそう。

  • こじらせ系の青春ストーリー。
    青春って泥臭くて、エゴや欲にまみれていて、めんどくさくて、でも美しいって言われる不思議なものだなと。

  • 光がほとばしる音を言葉で紡ぐ作品。
    空想と会話とモノローグが散らばる様子に僕はリアリティを感じとった。

  • 「夢と現実の狭間で鳴り響くショパンと、すきなひとの声。」

  • 著者の作品は初めてでしたが、軽いテンポの文体で楽に読めた。青春ストーリー。会話の紡ぎ方が独特。この作品だけなのか筆者の作風なのか?わからないけれど、嫌いじゃない。さわやかな風が吹き抜けた後のような読後感。登場人物たちの個性の度合いも丁度よい。

  • 音楽って文なんだと思った。
    楽器を奏でることは、「音楽」という一つの流れに参加することで、楽譜は作曲者のものではなく外に開かれたもの、ピアニストの無数の解釈によって更新され、「音楽」という流れを作る

    p109「源元のショパンをきく。ケイト・リウの、エリック・ルーの、イーケ・トニー・ヤンのショパンをきく。ショパンの二百年前の"いま/現在"を、各人の"いま/現在"に繋げている」

    p139「ピアニストが多ければ多いほど、楽譜自体が充実する。余計なピアニストなんてこの世にいない。楽譜とピアニストが交通し、音楽が生まれる。」

  • 『ショパンゾンビ・コンテスタント:町屋良平著』

    単刀直入に言うと…全く以って意味不明。

    感想を書くまでも悩み続けてどうにか支離滅裂な文を記すに過ぎない。

    はじめ数ページは主人公の邂逅か成長過程の前置かと思う。
    何しろスマホですら次の単語が漢字で出てくるような物でも平仮名。
    小学生時代の邂逅シーンをリアルに表現しているのかと思えばラストまでそのスタイル。

    「   」の後に絶対に一言二言はみ出る。
    いいようにとると尻つぼみやボソっと呟いたとも取れるが、そうでもない。
    尻つぼみや相手に聞こえたかどうか怪しいくらいのボソッと呟きを表現する場合にこの手法を私は使いたい。1つ勉強!

    ショパン、ピアノに惹かれてページを捲るも早後悔。
    中盤まではなかなか面白いかも!と錯覚を起こして読めたが、中盤以降苦しい苦しい。

    主人公は音大中退のフリーターで小説家を目指す。
    友人の源元は天才肌のコンテスタント。
    源元の彼女の潮里で主人公が恋心を寄せている。
    主人公と潮里のバイト仲間の寺田と遠距離許嫁のチカ。
    この5名を取り巻く物語だが、私には音が聴こえてこない。
    引用文のみが安らぎと音楽を感じられる部分だった。

    そもそも著者はこの作品をと通して読者に何を伝えたいのか?
    別にショパンもピアノもコンクールもいらないのではないか?
    ただの友情と恋愛物語に過ぎない。

    ピアノの弾きの端くれの端くれをさせてもらっている私には理解不能。
    比べる物ではないが実際のショパコンや浜コン、そして『蜜蜂と遠雷』の素晴らしさを知ってしまっていると苦虫を噛み潰したような気持ちになる。

    芥川賞作品が苦手で避けて通ってきた。
    初めての読了がこの一冊だった。

  • この著者の本は『青が破れる』に続いて読むのは2作目。

    登場人物の潮里は、『青が破れる』のレビューでも書いたとおりの、程よくエロやケアを主人公の男に提供してくれる"サービス精神"を持った人とコンパニオンを足して2で割ったような女性だった。

    登場人物の男性同士の関係性は読みごたえのある作家さんなので、女性キャラクターの一切でてこない作品があったら読んでみたい。女性のでてくる作品はもういいや。


    最後にひとつ。
    同級生に評判だった手を揉みほぐすというのを《ちょっとかわいい同級生》にしてあげて、その子はレッスンがうまくいったという箇所で、
    《「あなたのマッサージのおかげ!」と笑顔がかわいくて、つい恋しそうになったその女のこは同性愛者だった。》

    私、思わず口あけてしまいましたよここ読んだとき。
    《あと、大ヒットした「コール・ミー・メイビー」のミュージックビデオも、「好きになった人がゲイでした」という、もういい加減それやめようぜ、なオチを採用していたので、いまいち乗り切れなかった。》(松田青子「カーリーに目覚める」『じゃじゃ馬にさせといて』より)

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著者プロフィール

1983年生まれ。2016年『青が破れる』で第53回文藝賞を受賞。2019年『1R1分34秒』で芥川龍之介賞受賞。その他の著書に『しき』、『ぼくはきっとやさしい』、『愛が嫌い』など。最新刊は『坂下あたるとしじょうの宇宙』。

「2020年 『ランバーロール 03』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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