- Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103524311
作品紹介・あらすじ
今日も、誰かがささやく。「あいつがカゲロボらしいよ――」。いつも、誰かに見られている……。最初は他愛のない都市伝説の筈だった。しかし、イジメに遭う中学生、周囲から認知症を疑われる老人、ホスピスに入った患者、殺人を犯そうとする中年女性など、人生の危機に面した彼らの前に、突然現れた「それ」が語ったことは。いま最注目の作家が描いた、救いをめぐる傑作。
感想・レビュー・書評
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そんなとき、突然、「なに見ているのよッ」と声をかけられたのだった。チカダには、不機嫌そうな顔でにらんでいるその女子が、生々しく思えた。ようやく生きている者に出会えたと思った。しかし、それでもまだ本物かどうか確信を持てなかった。オレをだまそうとそうとしているのではないか。やっぱりすべては、映画のようにスクリーンに映った幻のようなものではないか。チカダは、そのまやかしのスクリーンを切り裂いて、その向こうにある本当の世界を見たかったのだ。切りつけるというより、目の前にあるホットケーキのような太股に線を引くようにカッターナイフを走らせただけだった。(197p)
今朝、14歳の少年が小さな女の子をカッターで切りつけたというニュースを見た。「誰でもいいから殺すつもりだった」と言っているらしい。この「あせ」という短編とのつながりは一切ない。けど、この近未来を描いているような不思議な短編集は、今朝のニュースを見たあと「つながっている」と思った。
読む前は、リード文を読んで近未来の監視国家を描いた小説かと予想していたが、違っていた。近未来ではない、もっと広く、そして深刻な「現代」の「傷ついた人たち」を描いていた。
全ての短編に通じているのは、何故か日常の中に変なロボットが存在している「らしい」ということが描かれていることだけだ。それは、大抵は一つの回答のない問題を解くための「1本の補助線」である。いじめにしても、社会福祉にしても、運命にしても、それはいつもそれ「らしい」けど、よくわからないものだ。
カッターの少年のホントの「心」はわからない。けれども、チカダのようなお父さんが居れば良いな、と思った。
2019年11月14日読了 -
木皿泉の短編集。初読みの作家さん。
非常に不思議な雰囲気を持っている小説だった。ライトSFファンタジーという括りになるのだろうか。
本書の背景としては、人間や動物にそっくりなアンドロイド(AIロボット)が人知れず世の中に忍び込んでおり、人間の生活を監視しているというお話だ。
一つ一つな話がハートフルで、心がふんわりと温かくなる感じである。
AIロボットが監視しているなどというとジョージ・オーウェルの名著『1984』のようなディストピア社会をイメージしてしまうが、この小説で描かれる世界はもっとごく普通の「AIロボットなどあくまでも都市伝説だろ」と一笑されてしまうような現代世界に近い社会である。
そんな普通の暮らしのなかで、
いじめを助けてくれた同級生が実はアンドロイドではなかったのか?
今、目の前を横切った猫は実はAIロボットだったのではないのか?
と、後になって考えてみれば「もしかしたら」と考えてしまうようなごくごく弱い違和感というか、不思議な感覚が得られるのである。
『SFハートフル短編集』などというジャンルまだないのかもしれないけれど、気がつかない間にちょっとした時間旅行をしてしまったかのような、少し得した気分になれる小説だった。-
kazzu008さん
こんにちは。
いいね!有難う御座います。
【レビュー番外】
野伏間の治助 北町奉行所捕物控 シリーズの8作...kazzu008さん
こんにちは。
いいね!有難う御座います。
【レビュー番外】
野伏間の治助 北町奉行所捕物控 シリーズの8作目です。
長谷川卓さんの本は、「戻り舟同心」シリーズの新装版が出てから読み始めたのかな?
はっきりは覚えていませんが、新刊が出たら読んでいます。
読んでいて面白いです。
中でも一番は、「嶽神」の上下巻です。
真田忍者、伊賀忍者は出て来るは、そして武田家の遺金をめぐって壮烈な戦いです。
是非読んでみてください。
やま
2019/12/10
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木皿泉(きざら・いずみ)さんは、ご夫婦。
つまり2人で1人のペンネームで書かれている。
まるで『北斗と南〜♪』のようである。
それはさておき。
この作品は、ちょっと都市伝説風、『世にも奇妙な物語』に出てきそうな短編集である。
カゲロボと巷の人がウワサする、人間そっくりのロボットが、人々の生活を密かに監視しているという。
毛穴までリアルで、本物の人間と到底見分けがつかないらしいカゲロボ。
いじめが原因で転校した生徒がいると、裏にカゲロボが関わっていたらしい(どっちの意味で⁉︎)…などなど。
短編それぞれのタイトルは、全て人間の体に関する言葉で構成されている。
最初の二編、「はだ」「あし」の登場人物が時を経て、最後の三編「あせ」「かげ」「きず」に登場する。
以下、印象に残ったフレーズ。
「オレとお前はぜんぜん違うけれど、起きてるときは違うことをしてしまうんだけど、でも、寝てるときは、たぶん、同じ夢をみてるんだよ。オレもお前も。おなじなんだよ、みんな」
135p『こえ』より中学生ツチヤの言葉。このツチヤがちょっと乱暴者で誤解されやすいのだが、憎めないいいヤツ。
「人が惨めなやつだと思っても、私がそう思わないかぎり傷つかない。傷つくのは、自分自身が惨めだと思ったときだけ」「自分を傷つけられるのは、自分だけよ」
246p『きず』より小説家の神山聖子の言葉。
彼女が話す空豆の話は、自己を否定的な見方しか出来ない人に希望をくれる。「生きることは、誰かの傷を縫うことの繰り返し」というフレーズも心に響いた。
余談だが、先日「野ブタをプロデュース」の再放送を子どもと観ていたら、終わりのテロップで、脚本:木皿泉と出ていた。
お二人は脚本も書かれるのか〜!と思ったら、本の経歴にも書いてあった。2020.5.8 -
SFのような現実離れした短編集
タイトルの『 カゲロボ 』って何のこと?
人間そっくりのロボットが職場とか学校とかに入りこみ、そこで虐待やイジメがないか監視するというものらしい。そんな行為があった時はカゲロボに内蔵されたカメラに記録され、それは証拠としてケーサツに提出されるとあるが、
私は、 「 カゲロボ 」というのは、それぞれ人間の心の奥底にある人間としての最後の砦・・良心なのではないかと思った
だから、誰の側にもいつもカゲロボは、寄り添っているのだと思う
最後の短編『 キズ 』の中にある空豆の黒いスジの件がおもしろかった
一緒に旅していた炭とワラが橋の下に落ちたのを笑いすぎて、お腹が破れてしまった
それを旅人に黒い糸で縫ってもらったのが、あの黒いスジ
「もしかしたらさ、空豆は自分のことを惨めだって思ったんじゃ
ないかな。だから人の不幸をお腹がよじれるぐらい笑ったんだ
よ」
「でも、旅人に救ってもらったんだよ。破れたところを縫っても
らったってことは、もう一度、やり直せってことなのよ 」
植物のない砂漠にも、遠い国から風に吹かれてやってきた、いろんな植物の種が埋まっている
そこへ雨雲がやってきて、雨を降らすと、砂漠の中にいた種が一斉に芽を出し、花を咲かせ、花畑になる
取り上げている題材は、イジメや老い・終末医療など暗いものばかり、その中にロボットやアンドロイドが登場するものだから、はじめは意味不明だったが、どの話も最後は、主人公が希望を持って、前へ歩き出すので救われ、世の中まんざら捨てたもんじゃないよなと思えてくる
私にも神様としかいいようのないものが、ずっと寄り添ってくれて、見守ってくれていると思えるような本だった -
とても他人様にはいえないような経験をした主人公たちが、カゲロボが存在していることで、傷ついた心を一針、縫い合わせてもらえる物語。
見なかったことにしたいじめ、切り落とした猫の足、耄碌してしまったような自分、ありえない官能、嫉妬、そんなものがねたねたとしているから、読み心地は私には不快だった。でも文章からは、作者が、どうしようもない傷にひとつひとつ羽の刺繍をしようと思ってるのかなっていうのが感じ取れる。
読む人次第の本かもしれないなと思う。
この本を読んで、救われる気持ちになる人もいると思うし、かえってヤスリで削られる人もいると思う。毒にも薬にも。だから名作なのかもしれない。私には、ちょっと違ったかな。 -
ロボットが人間でないからといって、「かけがえのなさ」を補填することは出来ない。
と書きながら、思い出したのはドラえもんだった。
便利な道具を出してくれる猫型のロボットは、のび太くん達にとって替えの効かない存在になる。
便利さよりも、道具よりも、自分自身が楽になるアレコレよりも、いつしかその存在の方に意味が生まれてくる。
クラスメイトがカゲロボかもしれない。
悪事を見つめて、警察に突き出してしまう、そんなロボットに生徒たちは恐怖し、壊してしまうことを画策する。
けれど一方で、犯罪を起こす可能性だけをインプットされ、相手が傷付き打ち拉がれていくすべてを見つめている、そんなロボットに、救われたような思いを抱いたりもする。
傷付けることも、機能が止まってしまうことも、〝生きているようで〟あればあるほど、躊躇してしまう。
でも、じゃあ、まるで生き物らしくないロボットだったら、人間とはかけ離れた姿形をしている機械だったら、私たちは本当に躊躇なく壊してしまえるのだろうか。
本のあらすじから離れていくようで、「あし」と「あせ」のチカダに結び付いていくようにも思う。
「自分の命令したことが、本当になるというのは耐えがたいことだった。」
手を振り上げた側にとっての世界が、どうであるか、なんだろう。
誰かを傷付けるニュースを見る度に、人間であることを考えてしまう。
著者プロフィール
木皿泉の作品






きょうは、快晴です。
体に気を付けていい日にしたいと思います。
やま
きょうは、快晴です。
体に気を付けていい日にしたいと思います。
やま