- Amazon.co.jp ・本 (168ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103529712
作品紹介・あらすじ
もったいない。バカじゃないのか。抱かれればいいのに。いい男に。珊瑚礁のまわりで群れをなす魚のように、導きあう男たちが夜の底をクルーズする――。ゲイであること、思考すること、生きること。修士論文のデッドラインが迫るなか、動物になることと女性になることの線上で悩み、哲学と格闘しつつ日々を送る「僕」。気鋭の哲学者による魂を揺さぶるデビュー小説。
感想・レビュー・書評
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ところどころ、難解な小説だった。と感じるのは、自分に哲学の素養がないからかもしれない。
この小説は哲学を専攻するゲイの大学院生を主人公とする。
院生としての生活と、ゲイとしてのプライベートの生活。両者が交互に描かれる。
ゲイとしてのパートの描写はかなり直球だった。冒頭からいきなりハッテン場が登場。男に欲情するシーンはオブラートなんて一切なく描かれる。
主人公の存在はどこか希薄。実名が明かされることはなく、○○くんと表記される。また、主人公のセリフは独白のように「」なしで書かれることが多々あった。
その「非実在」が儚さを感じさせた。
しかし主人公はマイノリティの在り方について、哲学者ドゥルーズの研究を通じて、道を見出そうとする。
それはきっとこの言葉の通り。
「ゲイであること、思考すること、生きること――。」(帯コメントより)
少数派としての人生の意味を見出そうとする、その姿勢には強い共感を持った。
けれど、あの結末はどういう意味を持つのだろう。
彼は負けたのだろうか。
再び、帯コメントを引用。
「もったいない。バカじゃないのか。抱かれればいいのに、いい男に。」
先述のコメントとは対極のような言葉だ。果たして、どちらが正しいのだろう。どちらが幸福なのだろう。
主人公は「ゲイとして思考する」道を外れ「いい男に抱かれる」道を歩み始めたのだろうか。そう考えると「動物になる」というのが伏線だったような気もしてくる。
あの結末に関して考えを巡らせてみたものの、うまく答えが出ない。なるほど、千葉雅也。なるほど、野間文芸新人賞。
悪く言えば、理解できずにもやもやが残る。よく言えば熟考する余地がある。
哲学に通じた読者は、この小説をどう読むのかが気になる。そして、ゲイではない読者の感想も読んでみたい。
(総評は以上。各論やメモ書きについては、以下の書評ブログに書きました。よかったらどうぞ)
https://www.everyday-book-reviews.com/entry/%E6%80%9D%E8%80%83%E3%81%A8%E5%BF%AB%E6%A5%BD_%E3%83%87%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3_%E5%8D%83%E8%91%89%E9%9B%85%E4%B9%9F詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
哲学者が小説?とちょっと結びつかなかったが、「タナトスのラーメンーきじょっぱいということ」の短文を読み、おぉ、とうなってしまった。いよいよ読んでみようか、となり読んでみた。
僕は哲学専攻で修士課程に進んだ。当然論文を書かねばならないのだが、その容易には進まない執筆過程と、自身の性的生活が交互に語られ、回想で故郷のことなどがはさまれる。
語られる言葉、文体、点、丸のつけかた、段落、行間、これらが独特の空間を醸し出す。その中で泳ぐ僕。その回りの友人たち。指導教官の徳永先生がいい。打ち上げで、先生はどんな音楽を聴くんですか? と聞くと、「大滝詠一ですかねえ。ナイアガラですね」という。設定は2001年だ。
僕の性的指向について、率直に語るところがいい。院の生活もその指向も知りえない世界だが、そこにいる僕になにか朴訥さを感じてしまう。「僕は男として男を欲望し」「僕は、自分には欠けている”普通の男性性”に憧れていた。」それが哲学的思考にからませて記される。
僕はどこまで著者自身なのか、出身地を知っているだけに、具体的な地名は記されないが、父母との会話や帰省する場面などで、妙なリアル感を感じてしまった。
初出「新潮」2019年9月号
2019.11.25発行 -
物語とは哲学なのだ。回遊、円を描きながらぐるぐると周る、その描く線そのものがデッドラインということか。生々しい描写と繊細な心情が折り重なって紡がれる。
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めちゃくちゃ好きになった。
このワケわかんないこととわかることの同居してる感じが押し寄せてきて、あれもこれも中途半端なワタシがこのままではいかんと思えたかも。
叫びたくなる。
たとえば人を好きになる気持ちもちゃんと考えないと。ぼんやりと好きでもいいけど、なんでぼんやりとでもその人を好きなのかとか、そういうこと。
千葉雅也氏の小説じゃないものも読んでみたい。 -
読む手がとまらなかった。
ゲイの話?と思ったけどそんな単純じゃなくて、人生のデッドラインの話。単純に大学院生という身の主人公。
お面白かった。本カフェで読むにぴったり -
修論のデッドラインに追われるゲイの院生が語り手。論文のテーマを決めかね、欲望する相手を探して回遊する。
意外だったのは友人関係や家族関係、地元とのつながりを健全に維持していること。本人の性格としては破滅的でないのに修論はまとまらず破綻していく、それがヒリヒリした。
円環からほどけるためには、自身こそが線になりデッドラインとなる。欲望のまなざしが自分に返ってくる、というのは、なんだか相対性理論のようでもあるなと思った。 -
ドゥールズで修士論文を書く東大院生。友達の映画制作を手伝ったり、優雅な(東京で家賃の高い部屋に住んで、外車に乗って、バイトもせず、趣味と勉強に打ち込める環境は優雅だと思う。)学生生活。論文に取り組む姿勢は真摯で、ゲイである己を投影しながら苦悶する。そこに生々しいハッテン場の様子が描かれているのが、今までにない感じ。
学生生活の部分は青春小説的であるのだが、ハッテン場は恋人を探すところと言うより欲望を処理するためのところであるため、その描写には荒んだ印象を受ける。このコントラストがもっと溶け合っていくようだったら、良かったんだけど。
哲学で論文を書くというのは、かなり文章の力が必要で、それをこなせる人は小説を書く上でもアドバンテージがあるだろう。もう少し書きなれたらもっといいものが書けるんじゃないかと、偉そうで申し訳ないけど、そう思う。まだ、小説としては巧みでないという感じだった。 -
哲学やってる院生の人がゲイで
修論執筆のかたわら映画の撮影を手伝ったり
ハッテン場に出入りしてセックス三昧の毎日を送るなどしているうち
学問でつまづき
また親が商売につまづいたりして
将来の不安とまともに向き合うことになるのだが
そこで、円環のように繰り返されていると思っていた毎日が
一本の線にほどけてしまう感覚を得ることになり
人生設計の必要性に目覚める
といった感じの話なんだけど
あくまで哲学はそのための手段にすぎなくて
そこにマイノリティの被害者意識を「反道徳」として加えたならば
まあろくなもんにはならないだろうなあ、と思う
主人公の体験談としてはなかなか読ませるが
そこで開陳される荘子やスピノザのアカデミックな解釈は
受け入れ難いものだった
キリスト教会と自然科学の対立を前提に置かず
近代の西洋哲学をこねくり回すことに
意味はないんじゃなかろうか -
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