- Amazon.co.jp ・本 (168ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103529712
感想・レビュー・書評
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刻々と迫る修論、という恐ろしさと呆気なさはよくわかる。線の前で、ゆらゆらと泳いでいても、線は規則正しく迫ってくる。基本的にはキチンと線を跨いできた人生だけど、スレスレになるときの、無駄に眩しい朝の気分の悪さは、よくよくわかる。
本気で構造主義、ポスト構造主義やるか。。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「アメリカ紀行」でも感じたことだが、場面が突然に、違和感なく自然に切り替わる。
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修士論文を書きながら,発展場で相手を探しながら,自分とは何かという理由を求めて足掻いている.構造主義からデリダ,ドゥルーズといった哲学が物語の展開の中でわかりやすく述べられていて,東洋哲学の先生の人柄お話とともに面白かった.ただ不思議なのは親が自己破産するくらい追い詰められているのに,アルバイトもせず東京で車も持ち広いマンションに住んでいること.ありえないでしょ.
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修士論文のデッドラインが迫る中、街を回遊するゲイの大学院生。
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ぐるぐる廻る流れのなかにいる。それは私もおんなじだ。ぐるぐる流れてタイミングを測り、逃し見失い、再び流れに身を委ねてそれでもなお不安を抱えたまんままたぐるぐると廻り、逃し、ため息をついてなお、真実に目を向けることもなくただ流れに戻る。くりかえす。哲学はよくわからない。ゲイではないしLTBGでもない。それでも性欲にまみれた青春はあったし、その苦悩もわかる。ちいさな世界で悩みもがいている姿は誰しも同じなのかも。
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哲学ってつかめそうでつかめない。
静止してるようで流動的な事象を、言語にしているようなものなのかと思った。
壮子の鯉の話で、主観/客観の説明は面白かった。
「動きすぎてはいけない」はこうして生まれていくの? -
期待していなかったが思いのほか引き込まれた。
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修論の締め切りが文字通りのデッドラインで、そこに至るまで、語り手は永久に(または、「普通の男性」よりはかなり遅い速度でしか)逃走線の引かれることのない人生を送っていた、そのことに気がついた、ということなのだろうと思う。
ドゥルーズや荘子の思想と、語り手自らのゲイであるという在り方を重ねて、論文を執筆する過程と自分自身への問いとを同じ時系列で表現しているのは面白い。また、著者は初の小説ということだが、構成も単線的ではなく、語り手の生活を多層的に描いていると感じた。
ただ、極めて個人的な感想になるけれど、大学院生を何の経済的不安もなくやれていてそのことに自覚的でなく(最終局面でとうとう父親の会社の倒産という現実に直面するけれど)、それで自分が男性なのか女性なのかというのも何だか非常に贅沢な悩みだなと思ってしまう。それはつまり、自分自身のあり方を問うている時に、その切実さに共感することが難しかったのかもしれない(ただもちろん同性愛者の人にとってはそうでないかもしれない)。