1Q84 BOOK 3

著者 :
  • 新潮社
3.73
  • (1241)
  • (1991)
  • (1577)
  • (397)
  • (96)
本棚登録 : 15912
レビュー : 1719
  • Amazon.co.jp ・本 (602ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103534259

作品紹介・あらすじ

そこは世界にただひとつの完結した場所だった。どこまでも孤立しながら、孤独に染まることのない場所だった。

感想・レビュー・書評

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  • はぁー、長編面白かった。読んだ自分に拍手!
    読みごたえがありました。こんだけ長いのに
    飽きることのない文章
    さすが村上さん。空気みたいな文章が癖になります。

    すんごくロマンチックで良かった♪清々しい♪

    たとえ虎の姿が反転している第三の世界にたどり着いていたとしても
    青豆と天吾、ふたりの愛さえあれば
    なんでも乗り越えてゆけるでしょう。
    愛があれば何でもできる。
    (なんか書いててちょっと痛いけど、自分も昔はそう信じていた、信じて疑わなかった)
    青豆と天吾がやっと出会うシーンは涙がはらはらと出てしまいました。
    言葉を交わさずともつうじる二人が美しく…感動しました。


    私の読解力が低いせいで、腑に落ちない点が何点もあり
    あぁ、あれはどうなったなの?これはどうなるの?
    これはどういうことなの?と思うけどまた最初から読む気力はない。

    いつか二人の子供、目線でもう一作品ぜひお願いします!!

    たったこれだけの登場人物で世界がこんなに壮大で
    スケールの大きい作品になるのは、村上さんならではですね。

    あくが強いキャラだけど、個人的に好きだった牛河さん
    あとタマルさん(筋金入りのゲイさんですが)脇役が個性的でした。

    ドアを執拗にノックし続ける、NHK集金人(天吾の父の魂)は
    ヒトが避けることができない“死の意識の集合体”みたいな
    ものだったんだろうね…ちょっとこの場面は怖かったです。

    近いうちにまた借りて3巻一気読みしたいな~と思います。

  • 等閑にうんざり。または、パチンコやバラエティ番組との相似          

     一気に読める。洒落た会話に、視覚的な情景描写、ブランド名や性的な事柄も遍在し、暴力や醜悪さの露出もあり、手軽に「文学的な気分」を楽しめる。チャンドラーの洒落た会話、アーヴィングの露悪的な人物描写、その他翻訳小説の影響らしき文が垣間見え、パチンコのリーチ予告のような快感もある。BOOK1、2の読後に「で?」と思った気分は解消しない。あのノルウェイの森の頃から、もう四半世紀。それなりに笑わせてくれるが、風刺も機知も無く、顔見知り同士のお決まり冗句しかないバラエティ番組を、延々と見続けているような気分だ。
     一九八〇年代に読書好きもしくは単に本屋に通う者にとって、村上春樹は看過しえない事件だった。英米文学の書棚には一九八一年から彼の訳書が増殖しつつあったし、一九八七年には、どうやっても、赤と緑の商業的に合理的な装丁のあの本からは逃れようが無かった。チャンドラーはともかく、フィッツジェラルドとアーヴィングに関しては、村上春樹訳のおかげで、出会えたかもしれない恩はある。

    「どうもありがとう。村上春樹先生」

     とはいえ、説教であれ、教養主義、自然主義であれ、報道的な観点であれ、経済小説でも、はたまたポルノ小説だったなら尚更、物語は何かを伝える意図を含むべき、と考えると、彼の作品は全く評価できない。相変わらず何も関与していないことは徹底の度合いを増している。その上、性行為の無い妊娠、電話越しでの煙草アレルギー、日本が舞台なのに、皆が英米文学の古典から引用することなど、言っている振りがもっと巧緻になったことは悪質ですらある。。
     積極的に性交しないが結局は女性に求められる男性を格好良くみせる癖も相変わらずなら、NHK集金人や麻薬に関するふざけた姿勢は不愉快だった。プロフェッショナルと記された人物が、仕事中に致命的なくらい饒舌に語り、想い出に浸る場面も多い。そして、流行を散りばめ仄めかしつつ、明確な価値観は示さない。言い訳をしながら行為が積み重ねられる。「いははや」、「やれやれ」、「仕方ない」、「もちろん」。
     何も肯定も否定もしない。彼が好んでいるだろう翻訳対象の作品は饒舌だった。たかだか200年の歴史しか無いアメリカの上流階級に無邪気に憧れたフィッツジェラルドですら、もう少し、世の中に関与した。『金持ちは善だ。僕もそうなりたい』、と。生前に恵まれなかった彼と違い、経済的にも名誉としても恵まれている村上春樹には、最早、富と名声の維持が、主たる関心事項で、そのために小説を発表しているのだろうか。そう穿ちたくなる。何も言わないなら、サリンジャーのように黙っていることはできないのだろうか。
      作中、NHKの集金人が、しつこくしかも不適切に料金回収に訪れる。「村上春樹」自体が、そのような存在だ。本屋で図書館で、僕が病的な読書好きであることを知る他人との他愛無いやり取りにおいて、彼は執拗に扉を叩き続ける。
     繰り返すが、文章は分かり易く、筋立ても魅力的、暇つぶしのネタとしてはよくできている。ただ、再読することもないし、人に勧めることも無い。非常に刹那的で他の刹那的な娯楽同様、恐らく常習性があり、パチンコやTVのバラエティ番組を時間の無駄とするなら、これもそうだと思われる程度に、内容が無い。
     しかし、きっと新刊は手にするだろう。行きつけの書店で、図書館で、TV、新聞で、嫌になる程、見せつけられ、したり顔で語られるなら、手垢が付く前に自分で試すしかない。誰か発明してくれないものだろうか、彼にサヨナラを言う方法を。

    2010/07/06、誤字脱字修正

     等閑にうんざり。または、パチンコやバラエティ番組との相似          

      一気に読める。洒落た会話に、視覚的な情景描写、ブランド名や性的な事柄も遍在し、暴力や醜悪さの露出もあり、手軽に楽しめる。チャンドラーの洒落た会話、アーヴィングの露悪的な人物描写、その他翻訳小説の影響らしき文が垣間見え、パチンコのリーチ予告のような快感がある。BOOK1、2の読後に「で?」と思った気分は解消しない。あのノルウェイの森の頃から、もう四半世紀。それなりに笑わせてくれるが、風刺も機知も無く、顔見知りのお決まり冗句しかないバラエティ番組を延々と見続けているような気分だ。
     一九八〇年代に読書好きもしくは単に本屋に通う者にとって、村上春樹は看過しえない事件だった。英米文学の書棚には一九八一年から彼の訳書が増殖しつつあったし、一九八七年にはどうやっても赤と緑の商業的に合理的な装丁のあの本からは逃れようが無かった。チャンドラーはともかく、フィッツジェラルドとアーヴィングに関しては、村上春樹訳のおかげで、出会えた恩はある。「どうもありがとう。村上春樹先生」

     とはいえ、説教であれ、教養主義、自然主義であれ、報道的な観点であれ、経済小説でも、はたまたポルノ小説だったならなおさら、物語は何かを伝える意図を含むべき、と考えると、彼の作品は全く評価できない。相変わらず何も関与していないことは徹底されている。いや、性行為の無い妊娠、電話越しでの煙草アレルギー、日本が舞台なのに、皆が英米文学の古典から引用することなど、言っている振りがもっと巧緻になった。
     積極的に性交しないが結局は女性に求められる男性を格好良くみせる癖も相変わらずなら、NHK集金人や麻薬に関するふざけた姿勢は不愉快だ。プロフェッショナルと記された人物が仕事中に致命的に饒舌で想い出に浸る場面も多い。また、流行を散りばめ仄めかしつつ、明確な価値観が無い。言い訳をしながら行為が積み重ねられる。「いはやはや」、「やれやら」、「仕方ない」、「もちろん」。
     何も肯定も否定もしない。彼が好んでいるだろう翻訳対象の作品は饒舌だった。たかだか200年の歴史しか無いアメリカの上流階級に無邪気に憧れたフィッツジェラルドですら、もう少し、世の中に関与した。金持ちは善だ。僕もそうなりたい、と。生前に恵まれなかった彼と違い、経済的にも名誉としても恵まれている村上春樹には、富と名声の維持が、主たる関心事項で、そのために小説を発表しているのだろうか。何も言わないなら、サリンジャーのように黙っていることはできないのだろうか。
      作中、NHKの集金人が、しつこくしかも不適切に料金回収に訪れる。「村上春樹」自体が、そのような存在だ。本屋で図書館で、僕が病的な読書好きであることを知る他愛無いやり取りにおいて、彼は執拗に扉を叩き続ける。
     繰り返すが、文章は分かり易く、筋立ても魅力的、暇つぶしのネタとしてはよくできている。ただ、再読することもないし、人に勧めることも無い。非常に刹那的で他の刹那的な娯楽同様、恐らく常習性があり、パチンコやTVのバラエティ番組を時間の無駄とするなら、これもそうだと思われる程度には内容が無いからだ。
     しかし、きっと新刊は手にするだろう。行きつけの書店で、図書館で、TV、新聞で、嫌になる程、見せつけられ、したり顔で語られるなら、手垢が付く前に自分で試すしかない。誰か発明してくれないものだろうか、彼にサヨナラを言う方法を。

    2010/05/04、読了。杉並図書館から借用。

  • 3巻だけが青豆 天吾 牛河3人のストーリーテラーのスタイルで進行する。捩れた1Q84年から多分1984年に無事移動できたようだ 多分。さて今夜の月は私にはいくつ見えるのでしょうか?笑

  • やっと読み終わった。長かった~。
    でもこれを読んでいる期間はその時間だけいつも別空間にいた気がした。
    最後まで「好き」という感情はわかなかったけれど、本当に面白かった。
    天吾や青豆、そして「小さきもの」が幸せに暮らせますように。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「そして「小さきもの」が幸せに暮らせますように」
      そう思わずには居られませんよね。
      ところで、norigami112さんは「BOOK4」あると思いますか?
      2012/09/07
    • norigami112さん
      nyancomaruさんはどう思いますか?
      私は「BOOK4」は読者それぞれが描くのかなぁと思いました。
      面白かったけれど、読むのに体力がいったので、4まで読めないかも~という弱気がそう思わせるのか(笑)
      2012/09/08
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「読者それぞれが描くのかなぁと」
      きっと編集者が村上春樹を、読者の想像を超えたモノになるんでしょ?とか言って焚き付けてるに違い有りません。。。
      2012/09/12
  •  著者である村上春樹氏が、小説を書き始めてからオウム事件を経て何がどう変わっていったか、それをパラフレーズして物語とした作品であると確信した。

     Book2の最後で「罪を犯した青豆」を自決させケジメをつけたはずが死んではいなかったというBook3。それ故に牛川が天吾と青豆を邂逅させるために動き回り、最後は死んでしまうことになった。この天吾も青豆も、そして牛川も村上春樹の分身であるように思われる。

     この物語は「オウム」を想起させるが、「さきがけ」のリーダーが麻原なのではない。Book2までの青豆にこそ思考停止状態で死刑に相当する罪を犯した林泰男の姿がアナロジーとして透けて見える。さらにオウム・サリン事件の被害者にインタビューを行い「アンダーグラウンド」を著し、続いて加害者である信者側を取材して「約束された場所で」を記した村上春樹の、自身の正義感・善悪の観念が揺らいだ姿が重なりはしないか。でも、罪は裁かれなくてはならない。

     Book3において青豆は生きていた。そして「新たな生命」を宿した。真実を追究していた牛川はタマルに殺された。この意味するところは、・・・・・書いてしまうと「NHKの集金人」が煩くドアを外から叩いてしまうことになる。

     それでも、この「1Q84」という物語の「根っこ」が、フカエリの「空気さなぎ」と10歳の時に「天吾と青豆が手を握り合ったこと」にあることは記しておきたい。

     「空気さなぎ」の中で少女が罰を受けることとなったのは「盲目の山羊」の世話を怠り死なせてしまったから。この「盲目の山羊」は、中原中也が「山羊の歌・盲目の秋」という詩に託した想いの象徴だ。

     ・・・・書きすぎてしまいました。もうこれ以上ドアを外から煩く叩くことはヤメにします。

  • とりあえず読み終わりました。主人公ふたりはよしとして、その他の登場人物がどうなったのか、よくわからないままで・・・。

    これってBOOK4がでるのかしら? それとも後は勝手に想像してねってことかしら。

    文章の表現は綺麗だし、良かったと思います。

  • 牛河から始まる・・・・ストーリー。
    ちょっと意外である。
    牛河が どんな役割をするのか、
    楽しみである。

    したたかさ というものを 文字でとらえることは 難しい。
    でも 牛河 が中心人物になるのは
    ムラカミハルキの世界でも めずらしい。

    いやな奴の 象徴である 牛河が、
    どんな風に絡んでいくのか?

    リトルピープル、ふかえり、そして 教団。
    いくつかのキーワードは かわっていないが。

    青豆は いじらしく 天吾を 待ち続けるのである。
    なぜ 天吾なのか?
    生きようとしていた希望が 天吾。
    それをわからないがゆえに 感情とは 飛躍するものである。

    天吾にあえば 何がわかるというのか?

    天吾は 意識を失って確実に死に向かっている父親に 
    向き合っている。
    一方通行としての コミュニケーション。
    何も言わないから 向き合えるのかもしれない。
    父親とは そういう存在である。

    窓の外から聞こえる 波の音が 
    こんな風に描写されると、
    なにか 自然のたくましさが 伝わってくる。

    エヌエッチケーの集金人が 牛河的でもある。
    なぜしつこく付きまとうのか?
    それが 天吾によって 解き明かされる。
    なるほどそういう仕掛けですか。
    うまいですね。

    そして 天吾は 父親と 和解をする。
    このことが 今回の重要なテーマなのだろう。
    ムラカミハルキにとって 父親との和解を
    あえて持ち出したのは おとしまえ としての
    語りだった。

    でも なにか 重要なものが 
    スポイルされているような気もする。
    つまり 父親との距離感は 相変わらずちじまっていない。
    そして なぜ 父親に対して 不信感を持ったのか?
    そのことが エヌエッチケーの集金人だったという
    ことに矮小化されすぎている。
    これだけ いわれるとNHKも迷惑だろうね。

    安達クミは 適度の距離感があって
    めずらしく 抑制している。
    ムラカミハルキも あたりかまわず 
    セックスするだけではないようだ。
    据え膳食わぬは 男の恥みたいなところがあったのに。

    怒りが消えて、子供が宿る。
    雷鳴の夜につながる。
    おなかが 少しづつ膨らんでいく。
    希望も同じように。

    月は 二つなのか 一つなのか。
    紛れ込んだ世界にあったものは
    二人を結びつける ためにあるような。
    二つの月は 一つになった。
    めでたしめでたし・・・・ということか。

  • 2012/08/30 読み終えるのが惜しい物語は久しぶり。携帯とネットが普及してたらずいぶん違う展開になるんだろう。

  • 青豆はどこまでもかっこいい女の人だった。今日日なかなか、小学生の時の恋を愛に変換して、大人になっても大事に持っていられる人ってそうそういないよ。お話ではあるけど。

    妊娠したのがちょっとうーんという感じだけど(しかも一種の処女受胎だし)でも結果的に、ちゃんと天呉とめぐり合えて1Q84を脱出できたというのは、もう本当にこんなすっきり二人が幸せになっちゃっていいのかなって疑うくらいいいラストでした。

  • 再読終了!!(^^)
    村上春樹作品のなかでは、とてもストーリーが明確に感じるし、謎の回収も一通り行われていてわかりやすい。
    「ダンス・ダンス・ダンス」とかで書かれている学校などのシステムに対する嫌悪感がややオブラートに包まれた印象。
    性と暴力がいくらか後退して、愛が前面にでている。

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