1Q84 BOOK 3

著者 :
  • 新潮社
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感想 : 1890
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  • Amazon.co.jp ・本 (602ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103534259

作品紹介・あらすじ

そこは世界にただひとつの完結した場所だった。どこまでも孤立しながら、孤独に染まることのない場所だった。

感想・レビュー・書評

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  • 牛河の登場によって、ぎゅっと2人の距離が縮まる。
    どんどんスピーディになり、物語が加速するイメージ。
    良くわからない部分もあるが、こういう世界観好き。
    本物はどこにあるのか。
    愛って良いですよね。

  • 1Q84の第3巻。
    季節は秋になり、冬の気配がする。
    第2巻までは青豆と天吾の章が交互に描かれていたが、第3巻ではそこに牛河の章が入ってくる。
    物語は収束していく。登場人物の輪は徐々に狭まっていく。
    ある種のハッピーエンドで終わっていて少しほっとする。
    ふかえりはどうなったのかとか、戎野先生はどうなったのかとか、気になることは色々あるが、とりあえず結末は来た。

    イサク=ディネーセンの「アフリカの日々」が引用されていて嬉しかった。

    まだ買っておいて読んでいない(または途中で読みやめた)村上春樹の本が何冊かあるので、この際だから読んでしまおうと思う。

  • 壮大なラヴの物語や。

    青豆と天吾のハッピーエンドでよろしかったです。

    分からないものは分からないままに後ろに置いてきたし、良かったです。

    好き。

  • 等閑にうんざり。または、パチンコやバラエティ番組との相似          

     一気に読める。洒落た会話に、視覚的な情景描写、ブランド名や性的な事柄も遍在し、暴力や醜悪さの露出もあり、手軽に「文学的な気分」を楽しめる。チャンドラーの洒落た会話、アーヴィングの露悪的な人物描写、その他翻訳小説の影響らしき文が垣間見え、パチンコのリーチ予告のような快感もある。BOOK1、2の読後に「で?」と思った気分は解消しない。あのノルウェイの森の頃から、もう四半世紀。それなりに笑わせてくれるが、風刺も機知も無く、顔見知り同士のお決まり冗句しかないバラエティ番組を、延々と見続けているような気分だ。
     一九八〇年代に読書好きもしくは単に本屋に通う者にとって、村上春樹は看過しえない事件だった。英米文学の書棚には一九八一年から彼の訳書が増殖しつつあったし、一九八七年には、どうやっても、赤と緑の商業的に合理的な装丁のあの本からは逃れようが無かった。チャンドラーはともかく、フィッツジェラルドとアーヴィングに関しては、村上春樹訳のおかげで、出会えたかもしれない恩はある。

    「どうもありがとう。村上春樹先生」

     とはいえ、説教であれ、教養主義、自然主義であれ、報道的な観点であれ、経済小説でも、はたまたポルノ小説だったなら尚更、物語は何かを伝える意図を含むべき、と考えると、彼の作品は全く評価できない。相変わらず何も関与していないことは徹底の度合いを増している。その上、性行為の無い妊娠、電話越しでの煙草アレルギー、日本が舞台なのに、皆が英米文学の古典から引用することなど、言っている振りがもっと巧緻になったことは悪質ですらある。。
     積極的に性交しないが結局は女性に求められる男性を格好良くみせる癖も相変わらずなら、NHK集金人や麻薬に関するふざけた姿勢は不愉快だった。プロフェッショナルと記された人物が、仕事中に致命的なくらい饒舌に語り、想い出に浸る場面も多い。そして、流行を散りばめ仄めかしつつ、明確な価値観は示さない。言い訳をしながら行為が積み重ねられる。「いははや」、「やれやれ」、「仕方ない」、「もちろん」。
     何も肯定も否定もしない。彼が好んでいるだろう翻訳対象の作品は饒舌だった。たかだか200年の歴史しか無いアメリカの上流階級に無邪気に憧れたフィッツジェラルドですら、もう少し、世の中に関与した。『金持ちは善だ。僕もそうなりたい』、と。生前に恵まれなかった彼と違い、経済的にも名誉としても恵まれている村上春樹には、最早、富と名声の維持が、主たる関心事項で、そのために小説を発表しているのだろうか。そう穿ちたくなる。何も言わないなら、サリンジャーのように黙っていることはできないのだろうか。
      作中、NHKの集金人が、しつこくしかも不適切に料金回収に訪れる。「村上春樹」自体が、そのような存在だ。本屋で図書館で、僕が病的な読書好きであることを知る他人との他愛無いやり取りにおいて、彼は執拗に扉を叩き続ける。
     繰り返すが、文章は分かり易く、筋立ても魅力的、暇つぶしのネタとしてはよくできている。ただ、再読することもないし、人に勧めることも無い。非常に刹那的で他の刹那的な娯楽同様、恐らく常習性があり、パチンコやTVのバラエティ番組を時間の無駄とするなら、これもそうだと思われる程度に、内容が無い。
     しかし、きっと新刊は手にするだろう。行きつけの書店で、図書館で、TV、新聞で、嫌になる程、見せつけられ、したり顔で語られるなら、手垢が付く前に自分で試すしかない。誰か発明してくれないものだろうか、彼にサヨナラを言う方法を。

    2010/07/06、誤字脱字修正

     等閑にうんざり。または、パチンコやバラエティ番組との相似          

      一気に読める。洒落た会話に、視覚的な情景描写、ブランド名や性的な事柄も遍在し、暴力や醜悪さの露出もあり、手軽に楽しめる。チャンドラーの洒落た会話、アーヴィングの露悪的な人物描写、その他翻訳小説の影響らしき文が垣間見え、パチンコのリーチ予告のような快感がある。BOOK1、2の読後に「で?」と思った気分は解消しない。あのノルウェイの森の頃から、もう四半世紀。それなりに笑わせてくれるが、風刺も機知も無く、顔見知りのお決まり冗句しかないバラエティ番組を延々と見続けているような気分だ。
     一九八〇年代に読書好きもしくは単に本屋に通う者にとって、村上春樹は看過しえない事件だった。英米文学の書棚には一九八一年から彼の訳書が増殖しつつあったし、一九八七年にはどうやっても赤と緑の商業的に合理的な装丁のあの本からは逃れようが無かった。チャンドラーはともかく、フィッツジェラルドとアーヴィングに関しては、村上春樹訳のおかげで、出会えた恩はある。「どうもありがとう。村上春樹先生」

     とはいえ、説教であれ、教養主義、自然主義であれ、報道的な観点であれ、経済小説でも、はたまたポルノ小説だったならなおさら、物語は何かを伝える意図を含むべき、と考えると、彼の作品は全く評価できない。相変わらず何も関与していないことは徹底されている。いや、性行為の無い妊娠、電話越しでの煙草アレルギー、日本が舞台なのに、皆が英米文学の古典から引用することなど、言っている振りがもっと巧緻になった。
     積極的に性交しないが結局は女性に求められる男性を格好良くみせる癖も相変わらずなら、NHK集金人や麻薬に関するふざけた姿勢は不愉快だ。プロフェッショナルと記された人物が仕事中に致命的に饒舌で想い出に浸る場面も多い。また、流行を散りばめ仄めかしつつ、明確な価値観が無い。言い訳をしながら行為が積み重ねられる。「いはやはや」、「やれやら」、「仕方ない」、「もちろん」。
     何も肯定も否定もしない。彼が好んでいるだろう翻訳対象の作品は饒舌だった。たかだか200年の歴史しか無いアメリカの上流階級に無邪気に憧れたフィッツジェラルドですら、もう少し、世の中に関与した。金持ちは善だ。僕もそうなりたい、と。生前に恵まれなかった彼と違い、経済的にも名誉としても恵まれている村上春樹には、富と名声の維持が、主たる関心事項で、そのために小説を発表しているのだろうか。何も言わないなら、サリンジャーのように黙っていることはできないのだろうか。
      作中、NHKの集金人が、しつこくしかも不適切に料金回収に訪れる。「村上春樹」自体が、そのような存在だ。本屋で図書館で、僕が病的な読書好きであることを知る他愛無いやり取りにおいて、彼は執拗に扉を叩き続ける。
     繰り返すが、文章は分かり易く、筋立ても魅力的、暇つぶしのネタとしてはよくできている。ただ、再読することもないし、人に勧めることも無い。非常に刹那的で他の刹那的な娯楽同様、恐らく常習性があり、パチンコやTVのバラエティ番組を時間の無駄とするなら、これもそうだと思われる程度には内容が無いからだ。
     しかし、きっと新刊は手にするだろう。行きつけの書店で、図書館で、TV、新聞で、嫌になる程、見せつけられ、したり顔で語られるなら、手垢が付く前に自分で試すしかない。誰か発明してくれないものだろうか、彼にサヨナラを言う方法を。

    2010/05/04、読了。杉並図書館から借用。

  • 単純にこの世界観が好き

  • 『説明しなくてはそれがわからないというのは、
    どれだけ説明してもわからんということだ。』

    何度も繰り返されるこの言い回し
    自分の作品はそういうものだと言っているようにも思える

    確かに彼の作品を読んでいる時は楽しくて
    (でも長くて読み終えるとほっとする)
    感想らしきものも浮かばず そして忘れる
    (なにも心に残らない)
    ただ楽しかった~
    (別の世界に行ってた~)
    という余韻だけが残るので 
    また他の作品も読んでみたいなと思ったりする

    一か所だけ気になったところ
    3巻の真ん中で青豆と天吾がニアミスするところ

    ここでいくつかの「もし」が我々の頭に浮かぶ

    我々って?作者と私たち読者?
    なんだか妙な気分になった

  • BOOK3はあんまり評判が良くないと聞いていたのだが、これはこれで面白かった。
    青豆と天吾が出会うまでは引っ張り過ぎとは思いつつも、いつ出会えるのかという期待が高まっていて、出会えたときはちゃんとカタルシスを感じた。
    それとBOOK3は何よりも牛河が良かった。
    牛河の出自が語られる章は非常に良かったし、牛河がタマルによって退場させられるところも村上春樹らしいダークな面が感じられて良かった。
    終わってみると村上春樹の長編作品の中ではかなり上位に位置する作品かもしれないな、と感じた。

  • 読了。滑り台、高速道路の非常階段のくだりは、『わたしは真悟』の名シーンを思い出した。

    長い作品だし、そこかしこに良い場面や表現があるから、どうしても終盤にかけて期待感は高まる。回収する、しないはそれほど問題ではないし、投げっぱなしやとっ散らかしは気にならないが、終わり方、着地のし方が長い物語を支えきれていない感じ、膨らんだ期待感のやり場のなさは否めない。

  • 2で終わってたらすごい作品だったと思います。
    3とってつけたような展開で終わり方もおざなりな感じがします。
    2で終わる予定だったと聞いて納得しました。
    それを踏まえて読むと、読者への皮肉も感じられてそこは面白かったです。

  • 最後は?ハッピーエンドだけど。これでいいのか。

  • ジョージオーウェルは未来のことを書き
    村上春樹は過去のことを書いたというのは
    こういうことだったのかと、はっとした

    看板の顔が反転していて、どこか狂ったこの世界でも
    強く生きていこうというメッセージが素敵だった

  • ノルウェイの森やダンスダンスダンスみたいに何度も戻ってきたいと思うような作品ではなかったと思う。
    でも、早く読み進めたいと思った。あと、青豆と天吾の生い立ちや孤独は不条理で、でもどこかしら共感できるものもあった。

    BOOK3より、「空気さなぎ」とはなにかをふかえりを通してだんだん理解していく過程のBOOK1,2が私は好きだと思った。

    月にはなにかしら惹かれるものがある。
    It is only a paper moon

    私たちが虚構と現実を判断する要素は一体何なのだろう。
    どの要素で、これが現実だと判断できているのだろう。

  • (Mixiより, 2010年)
    ようやく読み終わりました。非常に長い作品なので、1巻から3巻まで読んだ中で色んな驚きを感じ、たくさんのことを考えたはず、、なのですが、それすらも既に自分に消化されてしまっているようで、なんか言葉になりません。

    些細なことから言うと、”春樹作品”というパッケージングから、ちょこちょこはみ出した部分。たとえば牛河が「天ぷらそば」を食べたり。天吾がカラオケで1曲歌ったり。こういう描写を避けてこそ村上春樹作品独特の「デタッチメント性」が際立っていた初期の作品に馴染んだ者として、とんでもなく新鮮でした。今回の作品は非常にわかりやすく、開けっぴろげで、一直線。「海辺のカフカ」の森にしろ「ねじまき鳥クロニクル」の井戸にしろ、理解し難い展開故の神秘性と頭がくらくらするようなメタファーの嵐に包まれていた。今回の1Q84世界はそれが愛おしくような感覚をも抱かせる。二人の感情を繋げる場所・人物もわかりやすく配置され、ひとつひとつが人生を象徴しているように見える。そして村上春樹の書く文章も、これが究極とは思わないけれど、今までのどの作品よりも素晴らしい。どこまでもわかりやすく、自然に染み込んできて、まるで自分が喋っているかのように流れる言葉の連なり。わかりやすいゆえにストーリーの不可解さも孕んでいるとは思うのですが・・・(僕は「数学者」の思考について色々思う所がありました)今回の物語の推進力はともかく「恋」。自分の中の感情を解決するというストイックさではなく、ただただ一心に永遠の恋人を探す旅。そう考えると、細かい指摘は必要ないように思えます。この世界に浮かぶ二つの月は、二人が揃ったとき一つになる。小さい月が天吾、大きい月が青豆かな。

  • 報酬は労働に対するものであり、結果に対するものではありませんの闇会社の言葉が印象的でした

  • 3巻だけが青豆 天吾 牛河3人のストーリーテラーのスタイルで進行する。捩れた1Q84年から多分1984年に無事移動できたようだ 多分。さて今夜の月は私にはいくつ見えるのでしょうか?笑

  • 読み終えた瞬間「え?これで終わりなん?」と
    正直イラっとしました。
    でも愛する村上作品なので何か意味があるはず
    と考え続け・・・
    初恋の話という点でノルウェイの森とちょっとだけ似ているという事に気がつきました。
    過去を思い出している年齢も同じく30代。

    ノルウェイの森では男性が初恋を思い出すという感じでしたが、今回はお互いに思い合います。
    男女ともに初恋の人の事は忘れがたいものなんだなぁと
    自分の思い出も含め再度確認させられたような気持ちです。

    でも初恋の人と会うといってもお互いに月日が経っていてもうあの頃の二人ではない。
    残念ながら、年をとっていて外見も違うし清らかな身体でもない

    それでも、やっぱりあの頃のあの人に
    もう一度会いたいとなると
    非現実の世界が必要になってくるのかな?
    それがあの1Q84の世界なのかなぁ?

    でも人生はやり直しができないから楽しいんだよね。
    だから小説の中でもふたりは再会できなかったのかもしれないな。

    そしてお互いの思い出の中に生き続けるのかも。
    綺麗な体で美しい花の中で眠っていた彼女
    あれは青春の思い出の象徴のような気がします。

  • やっと読み終わった。長かった~。
    でもこれを読んでいる期間はその時間だけいつも別空間にいた気がした。
    最後まで「好き」という感情はわかなかったけれど、本当に面白かった。
    天吾や青豆、そして「小さきもの」が幸せに暮らせますように。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「そして「小さきもの」が幸せに暮らせますように」
      そう思わずには居られませんよね。
      ところで、norigami112さんは「BOOK4」ある...
      「そして「小さきもの」が幸せに暮らせますように」
      そう思わずには居られませんよね。
      ところで、norigami112さんは「BOOK4」あると思いますか?
      2012/09/07
    • norigami112さん
      nyancomaruさんはどう思いますか?
      私は「BOOK4」は読者それぞれが描くのかなぁと思いました。
      面白かったけれど、読むのに体力がい...
      nyancomaruさんはどう思いますか?
      私は「BOOK4」は読者それぞれが描くのかなぁと思いました。
      面白かったけれど、読むのに体力がいったので、4まで読めないかも~という弱気がそう思わせるのか(笑)
      2012/09/08
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「読者それぞれが描くのかなぁと」
      きっと編集者が村上春樹を、読者の想像を超えたモノになるんでしょ?とか言って焚き付けてるに違い有りません。。...
      「読者それぞれが描くのかなぁと」
      きっと編集者が村上春樹を、読者の想像を超えたモノになるんでしょ?とか言って焚き付けてるに違い有りません。。。
      2012/09/12
  • これからはどうなるかわからないが、
    現時点ではhappy!
    良かった。

  • 村上ワールド
    空白、空気さなぎ
    これが何を示すのか曖昧模糊として読了した今もまだはっきりとは解釈できていないが、空白が生じるとそこにひとは何かを埋めたがる。ひとが明確にそうしようとしなくても別世界的な何かが否応なく何かを埋める。それにひとびとは疑心暗鬼を感じ世界が崩壊に向かう。理解し合うことの難しさ、大衆が平等であることを保つことの難しさを感じた。ミニマムな世界で均衡を保ち、lunaticにもinsaneにも傾かないようにしたい。その上でメタフォリカルなものを尊重することは難しいいことだが、理解し合えるひと達と時間を共有したい。どうしようもならない世界なら、出口を見つけて大切なひとの手を握って逃げ出してもいいんだ。

  • 村上春樹の長編小説。普段住んでいる1984年とは別の世界、1Q84年に入り込んでしまった青豆と天悟は、マザとドウタの関係性として巡り合うべくストーリーは動き出す。空気さなぎ、二つに増えた月、ゴムの木、ふかえり、処女懐胎などの非日常的な要素と、お互いに小学生の頃の思い出を追い求め、抱いていた純粋な愛という普遍の要素が上手く絡み合い、一気に読ませる魅力があった。年齢を重ねて様々な異性関係を積んでも、本当の意味で愛することができなかったというのは、現代の希薄な人間関係による一般的な悩みの一つかもしれない。この作品を読んで、大人として生活することの心地よさと、純愛を思い返して素直にそこに想いを寄せることの愛しさを感じることができた。都会の文化的な生活の美しさを感じるとともに、得体の知れない、説明のつかないような不思議なことを日常の中に求める気持ちにさせてくれた。


  • “1Q84”、“猫の町”からの脱出成功!

    目次を読んだ時点で、「青豆と天吾」の章があったから、どんなかたちであるからわからないけど、2人は出会えるんだろうな、と思いながら読み進めたので、前の2巻ほどは、ハラハラは少なめ。

    今回から、追う側の牛河さん目線が追加されることによって、時間が前後したり、同じシーンを違う人の視点から見れたりする。

    後半、牛河さんが殺されたあとにも牛河さんの章があった。牛河さんの死体目線だった。

    ラストを楽しむタイプの小説もあれば、読んでいる間を楽しむタイプの小説もあって、わたしは最近後者が好きになってきた。
    いままで読んできた感じだと、村上春樹は後者の作品が多い気がする。

    話し相手に浸透するまで、次の言葉を発しないところが好き。

    『1984』読む!

  • 長い物語だった 牛河の回はくどいなあと思いながら読んでたが、よくよく考えるとそれが昔の中央林間の生活と相反する今の生活を分かりやすく表現してたなあと

  • 青豆と天吾、そしてBOOK3からは牛河の視点からも語られた小説。
    Book1と2は次が気になって仕方なかったが、最終巻は終わりが見えてきて、収束させに行っている感じがして、前までの疾走感は感じなかった。
    ただ、その失速を考慮しても面白い作品だったのには変わりは無い。

    初めての村上春樹作品で、1Q84は挫折した人が多いらしかったので不安だったが、問題なく読了出来たので、村上春樹の他の作品も読んでみたいなと思った。

  • 月を見るたび、月の数を確認するようになった。
    タクシーで流れてた音楽を聴いてみたくなった。
    話の内容はあまり憶えてない
    だけど、何か影響されてるのかな……

  • とても変わった小説だった。いろいろな要素が詰め込まれていて、はたしてそれを「小説」と呼んでいいものかどうかもよくわからないが、一つの「物語」であったことはまちがいない。村上春樹があらためて稀代のストーリテラーであることを実感させられた。

  • 不思議な世界だけど、自分もそんな世界に入ったことがあるような気になる

  • ・ちょっと謎がまだ解けてないと思う

    ・全巻2009~2010の発刊か、そんなに昔ではなかった、少なくとも私がもう小学生のころ。
    実際、平成初期に書かれたものと思っていた

  • 最後まで一気に読んだ!
    これで終わり?!ってなって
    もっと続きを読みたくなるような本でした。

  • "1Q84"という、存在しない世界をどこまでも美しく、魅力的に描いた作品。
    この世界にはまだ多くの謎があり、明らかにならないことも多く残される。
    そんな、常識もない、1984年と似た世界で、だからこそ出会えた2人。それだけで充分、語ること無し。

  • 賛否あるようですが、個人的には面白かったです。

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著者プロフィール

1949年京都府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。79年『風の歌を聴け』で「群像新人文学賞」を受賞し、デビュー。82年『羊をめぐる冒険』で、「野間文芸新人賞」受賞する。87年に刊行した『ノルウェイの森』が、累計1000万部超えのベストセラーとなる。海外でも高く評価され、06年「フランツ・カフカ賞」、09年「エルサレム賞」、11年「カタルーニャ国際賞」等を受賞する。その他長編作に、『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』、短編小説集に、『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』『一人称単数』、訳書に、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『フラニーとズーイ』『ティファニーで朝食を』『バット・ビューティフル』等がある。

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