騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (544ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103534334

感想・レビュー・書評

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  • 抽象的な物事がなにを指しているかわからないままだけど、すごく好みだった
    村上春樹の作品の中でかなり好きかも

    秋川笙子とまりえの美しい二人を、「クリスマスと新年がいつも連れ立ってやってくるみたい」と形容したのが心に残った。

  • まさに村上春樹だと感じた作品だ。
    読み終わったあと形容し難い幸福感が押し寄せてきて、やはり自分は村上春樹が書く話が好きだと痛感させられた。

    まず、この本を読むにあたって、自分の中の「普通」を無くして読み始めなければならない。
    騎士団長殺しだけでなく、村上春樹の本の中には普通ではないことが山のように、そして当たり前に出てくる。その普通でないことを理解しようとして読むべきではない。書かれていることをそのままに受け止めることが大切だ。


    第一部では免色に対しては好感を持っていた。
    だが、物語が進むにつれて不信感や恐怖心を抱くようになった。
    それがどこから来たのかはわからないが、まりえから見た免色についての章を読んで、免色がどれほど完璧な人で、心の奥底にどれほど深いものを抱えてるのかが明白になったところで恐怖心を感じたのだと思う。

    本文中には、クローゼット前に立っていたのは免色ではないと買いてあったが、私はまりえの母を失った時の免色なのではないかなと思った。
    言い表すのが難しいが、まりえの母がまだ存在していた時の免色と亡くした後の免色はまったくの別人であって、免色にとって神殿化しているまりえの母の部屋に入る時は、別人の免色になっているのではないかと思った。


    イデアやメタファーという言葉が多く出てきたので何度も言葉の意味を調べたがいまいちよく理解できなかった。
    イデアについてはなんとなく理解しているような気もするが、メタファーについては調べれば調べるほどわからなくなった。

    大人になってから再読すると理解できるかもしれない。



    ユズについては不思議だなと思った。
    一時期は主人公のことを拒絶し、一緒に暮らしていたことを無かったことにし、さも他人かのような振る舞いを見せていたのに、主人公がユズに連絡しようと決心したら何事もなかったかのように夫婦関係を再開させた。
    ユズについては理解できなかったが、そこに主人公は惹かれたのだろうなと思った。


    村上春樹が書く女性は、一貫して似たような雰囲気を持っている。全ての作品を読んだわけではないが、今まで読んだ作品に出てきた女性たちは全員とても魅力的だ。まりえはとても魅力的な女性だと思った。
    13歳にしてあれほどの思考力を持っているのは羨ましい。

  • 母親を早くに亡くした中学生まりえ。

    まりえの父親である可能性がある免色。

    そして、妹を少年時代に亡くした画家の主人公。

    雨田具彦邸の屋根裏部屋で見つかった絵画「騎士団長殺し」を軸に、奇想天外な物語が静かに進んでいく。

    小田原の静かなはずの邸宅のそばで見つかった「穴」。

    摩訶不思議な展開に、抗うどころか心地よく魅せらせていく。


    子どもの頃に慣れ親しんだ童話の世界のように。

    仏典に説かれた時空を超えた説話のように。

    物語に寄り添い、共に時を過ごす中で、これまで気が付かなかったものに気が付くことが出来る。

    昨日の自分より今日の自分。
    今日の自分より明日の自分。

    先の見えない洞窟のなかにいるような苦難にあっても、それを乗り越える術は、自分自身の中にある。

    全ての出来事には意味がある。

    目の前に見えていても、見えていなくても、繋がっている。

    自身の中にあるレジリエンスを引き出す文化芸術の力。

    春樹ワールドから帰ってきたら、少しだけ、何かが前に進んでいた。

    #村上春樹
    #騎士団長殺し
    #レジリエンス

  • 数年ぶりに村上春樹作品を読んだ。
    相変わらず、ウイスキーと車とセックスがよく出てくるなぁという懐かさしさと共に、
    次の展開が気になり3日間で2部までの4冊を読破してしまうほど、面白かった。

    イデアである騎士団長の「あらない」という独特な言い回しに対する考察が興味深かった。
    ・「ある」の未然形であえて個性をつけた?
    ・「ある世界」と「ない世界」 
     ┗『目に見えないものが存在しないとは限らない』『二重メタファー』
    といったテーマを表現している?など。
    こういった細かい言葉尻の表現を、海外へ作品を輸出する際、どうやって翻訳しているのだろうか。

    さて、次は「街とその不確かな壁」へ。しばらくはどっぷりと村上ワールドに浸ろう。

  • 最後まで面白かった。
    いつか、白いフォレスターの男と顔無しの船頭の肖像画を完成させることができるのだろうか。できたときに何があるのかと想像すると楽しい。
    時間が味方をするという考えと、全てを知る必要はないという考えがとても良いなと思いました。また読みたいね。

  • 2022年11月24日読了。美しい少女まりえの肖像画を描き始めた「わたし」は、周囲の人々の思惑に流されるうち奇妙な世界に旅立つことになり…。おいしい朝食を作ってセックスして女性の胸の形にこだわったりしているうちになんだかんだ奇妙な住人に導かれて穴の底の地底世界に降りて脱出を目指すことになる、と「めっちゃいつものハルキ小説やないかい!!」と叫びたくなる。要は「いつも通り・期待通りおもしろい」ということでとにかくつるつると読まされる村上小説。いろいろほのめかされる登場人物の秘密めいた情報や伏線はあまり回収されず「??」を頭に浮かべたまま読み進むことになるが、まあ人生とはそういうもの、なのかもしれない…。

  • 前編のゆったりとした日常からは想像出来ないような、物語はスピーディーにかつ不思議な雰囲気をおびていく。秋山まりえが免色の実の娘であるかもしれない。まりえの肖像画を描くことになった主人公は、13歳の不思議な少女まりえとの接点を持つようになる。森に空いた不思議な穴、騎士団長、顔長...などなどこの世のものではないイデアやメタファーとの出会いが、主人公を2つの世界に迷い込ませ、まりえを救い現実世界に戻るため、主人公はメタファーの世界を進むことになる。細い洞窟の穴を這うように抜けると、そこは雑木林の穴の中だった。不思議な鈴をその穴から見つけて以来、2つの世界を繋げる環を開いてしまった。
    一連の騒動を終えて、柚との関係は元の夫婦に戻った。そこには娘もいる。物語は上手くいったように終わったが、前編のはじめに顔のない男がペンギンのお守りを持って現れている。環は閉じられ、2つの世界は交わることがなくなったように思われたが、顔のない男が自分の肖像画を描くように(以前メタファーの世界で主人公を助ける代わりに肖像画を描くと約束していた)、自分の周りの人を護りたくば肖像画を描くように言ってきたので、物語はまだ見えないところで続いているのではないだろうか。この時顔のない男の肖像画を描くことが出来なかった主人公が、今後どのような展開を迎えるのかは私たちの想像の中で補うしかない。

  • 一巡目での感想。
    (村上春樹氏の作品は、何度も読み返す度にまた違うものが見えてきて、新たな気付きや、新たな解釈が生まれるので)
    ストーリー展開や結末が分かっていても、再びページを開いてしまうとそこから読み返してしまう。読み返すと止まらなくなる。これは村上作品全てに共通する普遍。
    気に入った音楽を飽きることなく何度も聴きかえすように。

    村上作品は、文章を追うだけでしっかり体感できる。自分の心の中で描かれた情景が揺るぐことない映像として記憶される。
    ピンクのスーツを着たふくよかな女性の後ろ姿だったり(世界の終わり)、イルカホテルに棲む羊男だったり(ダンスダンスダンス)。
    村上作品だけは、何十年も前に読んだ本でも記憶を映像として呼び起こすことができるのは、この「心の情景」が描けている稀有な作家だからだと思う。

    ●心の情景

    まるで女性器のような雑木林の祠の穴。
    屋根裏に棲みついたみみずく。
    「騎士団長殺し」「白いスバルフォレスターの男」「未完成のまりえの肖像画」が置かれたアトリエ。
    谷の向こう側のまるで要塞のような免色さんの白い豪邸。
    会話の合間に眺めた、窓にうちつけられた雨の雫。

    ●「性」「生」「死」

    「性」「生」「死」は、村上作品で一貫して重要になってくる要素。
    なかなか消化できないそれらの問題を、全てをまるごと享受して生きていく。

    今回は「井戸」ではなく「穴」。
    それは、茂みにひっそり隠れた「まるで女性器のよう」で更に「異次元に繋がっている」ことから、子宮を連想する。
    無から有に変わる場所(命が有形化され、魂が宿る場所)、無風だけど水がある(羊水)。
    別次元に迷い込んだ子宮(もしくは狭くて真っ暗な卵管なのか産道)を潜り抜けて再びこの世に生まれ落ちた時、私はもう一度生まれ変わり、ユズに会う決心をする。
    そして、実質的な我が子ではないけれど、ユズの身籠った子供は、自分にとってかけがえのない子だと揺るぎない確信を得る。

    ●「イデア=顕れる」

    ここで顕れたイデアは、内なる自分。
    「罪悪感」「怒り」「内なる悪」「邪悪なる父」の仮の姿、可視化。
    大切なものを奪われ、どこにぶつけたらいいのか分からない怒りのようなもの。
    表立って出ることなく、心の中だけに留められた怒りのような感情を、ただやり過ごして生きてしまった、未消化のままのもう一人の自分。
    昇華しきれてない感情があるものだけに見えるイデア。

    雨田具彦にとって、愛する女性を殺された怒りと、自分だけ助かった裏切りと罪悪感(騎士団長殺し)。
    私にとって、幼いコミを奪われた病魔と何もできなかった罪悪感、ユズが浮気して突然去っていった怒りとそれに向き合えない罪悪感(白いスバルフォレスターの男)。
    秋川まりえにとっては、母の命を奪ったスズメバチへの怒り、心を通わせられない父親への憤り。笙子への罪悪感。(免色家の謎の男)

    私が騎士団長を殺したことで、雨田具彦のイデアは救われる。
    そして、穴の中に入り、コミを失った現実としっかりと向き合う。
    まりえは免色家で、スズメバチや謎の男と対峙する。
    喪われたはずの愛する存在は、完全に失われたわけではなく、今も尚、自分を救ってくれている。

    ●「あらない」(「在る」と「無い」)

    騎士団長の口癖「あらない」には、「在る」と「無い」を両方含んだ「ない」である。
    「在る世界」と「無い世界」で判断しがちだけれど、実は「無くなった」ものは、完全に「無」になったのではなく、「在りながらして無い」のだ。

    ●「顔なが=メタファー=遷る」

    顔ながは、時空や次元を超えた目撃者(冷静に判断できるもの)で、二つの世界の蓋を開ける者。
    屋根裏を覗いた私そのものが、雨田具彦にとっての顔なが。

    ●「顔なし=二つの世界の橋渡し」

    現実の世界(生・肉体)と非現実の世界(死・魂)の橋渡し的存在。
    橋渡しが可能になるアイテムが顔なし次第で都度変わる。(鈴、ペンギンのお守り、完成した肖像画)

    免色渉=顔なし。
    免色渉の肖像画を完成させたから、ふたつの世界を行き来することができた。

    私は冒頭のプロローグで、顔なしの肖像画を描こうとしていることから、何らかの理由で再び向こうの世界に行こうとしているのかもしれない。

    ●穴の中の世界

    穴の中の世界は、子宮の中で命が芽生えることと似通っているように感じた。
    有形が無形になり、無形が有形になる、「在る」と「無い」が通り道となる場所。

    逆らえない運命のようなもの。
    水があれば飲まずにいられないような(羊水)
    川を渡るしか選択肢がないような(三途の川)
    細い穴を潜り抜けるしか道がないような(産道)

    ●二重メタファー=免色渉?

    「1つの精神が同時に相反する2つの信条を持ち、その両方を受け入れることができる能力のこと。あなたの中にありながら、あなたにとっての正しい思いをつかまえて、次々に貪り食べてしまうもの。そのように肥え太っていくもの。それが二重メタファー。それはあなたの内側にある深い暗闇に、昔からずっと住まっているものなの」

    物事には相反する表と裏があり、それがセットでひとつである。日が当たれば必ず影ができる。どちらか一方だけを無くすことはできないけれど、場合によっては影に覆い尽くされてしまうことはある。

    目に見える現実世界の出来事だけでなく、別の世界(想像の世界)も信じてもいい。しかし、免色のように想像の世界に現実まで貪られてしまっては元も子もない。

    現実世界と想像世界を上手に行き来できる柔軟さ、不確かなものを信じる力も大事、でもその信念は時に行きすぎると盲目的になり現実を脅かすものにもなりかねない。

    真実の顕れであるイデア(揺らぎのない真実)観念よりも、メタファー(揺らぎの余地のある可能性)不確かな現実を信じる免色渉は、「まりえが自分の子どもかもしれない」という不確かな可能性を拠り所にするために、半ば強引に豪邸を買い取ったり、笙子を手中に納めたりする。
    人間誰しもが、自分の正しさ(信仰)を追求するあまり、結果的に悪をもたらしてしまうことがある。

    ●最後のユズのくだり

    「私が生きているのはもちろん私の人生であるわけだけど、でもそこで起こることのほとんどすべては、私とは関係のない場所で勝手に決められて、勝手に進められているのかもしれないって。
    つまり、私はこうして自由意志みたいなものを持って生きているようだけれど、結局のところ私自身は大事なことは何ひとつ選んでいないのかもしれない。
    そして私が妊娠してしまったのも、そういうひとつの顕れじゃないかって考えたの。
    こういうのって、よくある運命論みたいに聞こえるかもしれないけど、でも本当にそう感じたの。
    とても率直に、とてもひしひしと。そして思ったの。
    こうなったのなら、何があっても私一人で子供を産んで育ててみようって。
    そして私にこれから何が起こるのかを見届けてみようって。
    それがすごく大事なことであるように思えた」

    これは、私が18歳の時に日記に綴った言葉とほぼ一緒。
    私は免色渉やユズのように、完璧主義で徹底している。
    避妊だってぬかりなく、計画外の妊娠なんて絶対に在りえないはずの条件で、妊娠してしまった。
    そして、私はユズと同じように「産もう」って決心した。
    結局産めなかったし、その後も流産を繰り返し、結果的に子宝に恵まれたなかったけれど。
    それでも、あの時思ったこの感情や出来事は、私にとって「あらない」なのかもしれない。
    現実には「無い」けれど、今でもしっかりと「在る」。
    私の人生の核となっている。

  • ねじまき鳥のクロニクルと同じ要素がいくつか。井戸と類似した存在の穴(入口出口がないのに通り抜けられる)はその最たる例だ。物語が推進力をもち、物語そのものが望む方へと筆を走らせると、その人の中では同じような場面へと帰着するのだろうか?計り知れない境地。この作品は、登場人物の会話が特に秀でている。会話の中から新たな価値観や物語を進める符丁のようなものが生まれる。それは常に、インフォメーションギャップのあるコミュニケーションだから、他愛もない会話でも目が離せない。東北大震災の出し方が、村上春樹の人間性を物語っている。というより、主人公の一人称からして、それ以外の出し方は考えられない。さり気なくて、慎ましい思慮に富んでいて、それでいて事実をズバッと指摘する端的さを含んでいる。一瞬一瞬を切り取りながら、その雰囲気を楽しむ作品だと感じた。

  • 第2部に入って「スバルフォレスターの男」を描き、免色の依頼により「秋川まりえの肖像画」をそして、自分のために「穴」に係る風景画を並行して描く。前者の絵は肖像画と言いながら抽象的な画風、そして後者はスーパーリアリズム。対照的な絵だけれどもいずれも完成度は高い。そして、いずれの絵も完成あるいは完成に近づいたところで事件が起こる。ちょっと遅すぎないかなと思わなくはないけど、いずれにせよ事件、秋川まりえが失踪した。村上春樹さんの本を読んでいると、クラッシック音楽を聴きたくなるし、ウイスキーを飲みたくなる。凄い力だな。今日は久しぶりに会社の帰りにジャックダニエルを買ってきて、水割りで1杯だけ飲んだ。正直あまり美味しいと思わなかったけど・・・完全に村上ワールドに入り込んでしまいました。読み進めるのがもったいない気もするし、早く読み終わらないと気持ちが集中できない気もする。本当に凄い作家だと思う。
    そして、読了してやっぱり村上春樹ワールドっていうのはとても独特で、ストーリーだけを語るとそれほど面白い感じでもないし、推理小説にあるような、なるほどと思わせるトリックがある訳でもないのだけど、とにかくグイグイと読むものを惹きつける魅力があります。時間があればずっと読んでいたくなるような小説。それに登場人物がとても魅力的で、彼が作品の中でウイスキーを飲めば、ウイスキーを飲みたくなるし、クラッカーを食べれば、クラッカーを食べたくなる。ジャガーやプジョーという車も面白い。
    さて、肝心の作品。騎士団長を殺したことで主人公には何が起こったのか。この小説には、柚(元奥さん)、小径(妹)、秋川まりえ(絵画教室の生徒であり、絵のモデルにもなってもらった少女)という鍵を握る3人の女性がいて、3人には共通点があって、騎士団長を殺したことでその関係性に変化があったのは事実なんだと思うけど、それが何を意味するのか。ちょっと理解しきれなかった。それでも、満足させてしまうのが村上春樹小説の凄さなのかな。

著者プロフィール

1949年京都府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。79年『風の歌を聴け』で「群像新人文学賞」を受賞し、デビュー。82年『羊をめぐる冒険』で、「野間文芸新人賞」受賞する。87年に刊行した『ノルウェイの森』が、累計1000万部超えのベストセラーとなる。海外でも高く評価され、06年「フランツ・カフカ賞」、09年「エルサレム賞」、11年「カタルーニャ国際賞」等を受賞する。その他長編作に、『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』、短編小説集に、『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』『一人称単数』、訳書に、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『フラニーとズーイ』『ティファニーで朝食を』『バット・ビューティフル』等がある。

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