フィルムノワール/黒色影片

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (571ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103775072

感想・レビュー・書評

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  •  『THE WRONG GOODBYE  ロング・グッドバイ』(2004)以来、じつに10年ぶりに刊行された「二村(ふたむら)永爾シリーズ」の新作。600ページ近い大作だ。

     『リンゴォ・キッドの休日』(1978)、『真夜中へもう一歩』(1985)、『THE WRONG GOODBYE  ロング・グッドバイ』につづく第4作。短くて数年、長いと10数年も次作を待たされる、なんとも気長なシリーズなのだ。

     神奈川県警の刑事・二村永爾を主人公に、横浜を舞台にしたハードボイルド・ミステリ――というのがこのシリーズだったのだが、本作では二村は刑事を辞めており、県警の嘱託として捜査を手伝う形で登場する。しかも、舞台は序盤とラストこそ横浜だが、あとは大部分が香港だ。

    《神奈川県警の嘱託・二村永爾は、1本の映画フィルムの行方を追い、香港へ飛んだ。ある殺し屋がモデルとなった映画だった。この幻の作品を巡って、次々と発生する殺人事件。そして二村の前に現われた気高き女優と、謎の映画プロデューサー。日本、中国、香港、複雑な過去と現在が交錯する。日活百年記念、宍戸錠も実名で登場!》

     ……というのが、版元による紹介。見てのとおり、日本と香港の映画界が主な舞台。日本の小説家きってのシネフィル(映画狂)である矢作が、二村シリーズで初めて映画愛を全開にした作品なのだ。

     シネフィルというより、矢作は元々映画が作りたくて、シナリオのつもりで作品を書き始めたのだという。
     それを読んだ友人が「これはどう見てもシナリオじゃない。小説だ」と言い、『ミステリマガジン』の編集長を紹介されて作家デビューに至ったとか。

     作家デビュー後も、Vシネマながら2本の長編映画(『神様のピンチヒッター』と『ザ・ギャンブラー』)を監督しているし、日活アクション映画のグラフィティ『AGAIN/アゲイン』も作った。

     日本には映画監督から作家に転身した高橋治の例もあるが、そういう例外を除けば、文壇最強のシネフィルといえよう。
     そんな矢作が書いた、映画好きのためのハードボイルド・ミステリが本作なのだ。

     新潮社のPR誌『波』に、矢作と宍戸錠の刊行記念対談が掲載されていた。
     それによると、この作品は、かつての『AGAIN/アゲイン』では予算の都合でできなかったことを、紙上で実現しようとした「リベンジみたいなもの」だという。

    《つまり、日活映画の名場面と名台詞を使い、それらを全部並べて、ひとつの小説をつくる、という作品。映画ではやりきれないものが、小説ならばできるだろう、と。》

     なるほど。そう言われてみるとよくわかる。
     日活アクションではヤマを踏んだ主人公が「身をかわす」先は香港と相場が決まっていたし、本作には随所に日活アクションへのオマージュが埋め込まれている。
     本人として登場する宍戸錠のほか、重要なキャラとして渡哲也も登場(こちらは本人ではなく、彼が日活アクションで演じたヒーロー・杉浦五郎が蘇った形で)するのだ。

     矢作がかつて原作を書いた劇画『ハード・オン』(平野仁・画/これも傑作)も、日活アクションのパロディのような作品だった。今回はそれを小説の形でやったわけだ。

     遊び心満載の作品であり、映画好き、とくに日活アクション好きならニヤリとするくすぐりが山盛りだ。
     全編「わかる奴にだけわかればいい」というスタンスで書かれており、親切な説明は一切なし。ストーリーも錯綜し、人間関係も複雑で、わかりやすさとはほど遠い作品になっている。

     それでもいいのだ。これは一回読んで「あー面白かった」と読み捨てられるべき作品ではなく、チャンドラーの諸作のようにディテールをくり返し玩味すべき小説なのだから……。

     私は二村シリーズでは『THE WRONG GOODBYE  ロング・グッドバイ』がいちばん好きだが、本作もなかなかのもの。
     矢作自身が「今まで書いたなかでもっとも探偵小説らしいものになってます」と(前掲の対談で)言うとおり、絵に描いたようなハードボイルド探偵小説のスタイルの中に、洒脱な遊びがぎっしり詰め込まれた好編である。

     映画愛に満ちた、メモしておきたいようなセリフや一節も多い。たとえば――。

    《「買収されない男と売春しない女は、この世に存在しないからね。ただ人によって値段が違うだけだ」
    「誰の台詞だ?」
    「俺の台詞さ。俺が、いつか作る映画の」》

    《香港の夜を発明したやつにアカデミー賞をやらなければいけない。》

    《「どれほどバカな夢でも、夢は捨てちゃいけないんです。百万本の映画が百万回繰り返し教えている。映画のいいところは、そこだけだ。何しろ、人生は夢と同じものからできてるそうだから」》

     江口寿史のカバーイラストもいい感じだ(江口はこれまでにも、『真夜中へもう一歩』の単行本や、矢作の『さまよう薔薇のように』のカバーイラストを手がけている)。

  •  決して齢を取らない刑事、二村永爾の十年ぶりのシリーズ作品。『リンゴオ・キッドの休日』が、永爾の休暇中の物語であったことを思えば、本作では既に退職した刑事で現在は嘱託の犯罪被害者相談員という奇妙で無責任な設定とも思えるところも今更不思議なことでもあるまい。そもそも刑事のようで刑事ではないフリーな気ままぶりを発揮するからこそこの矢作小説の中でしか生きてゆけそうにない二村永爾なのだろう。

     この極めて特異なるキャラクターは、本書ではなんと元上司の県警捜査一課長のお墨付きをもらいながら、その課長の紹介で訪問した元女優の依頼を受ける。香港での人探しの命を受けた途端に、相模原南署管内のプロの殺し屋による銃撃事件をつきつけられる。さらに自分も殺し屋と出くわす場面に、と次々と矢作活劇は、往年のパワーとエネルギーはそのままに年甲斐もなく幕を開けてゆく。

     作中ずっと、本当にしつこいくらい、二村得意のへらず口には必ずと言っていいくらい、映画への愛情と遊び心がそこかしこに込められている。そもそもが映画監督志望で日活に入社したほどの矢作が、映画からどれだけ影響を受けて、そしてどれほどこだわっているのかがわかるような、まるで廃刊になった映画評論誌の志を小説という形で自分なりに継いでみよう、とでも言わんばかりの郷愁と愛着に満ちた作品になっているのである。

     凄腕の殺し屋や、香港中を走りまわる主人公を取り巻く闇の世界と、活劇と冒険に満ちた世界構築は凄まじいものがあるとは言え、やはり全体が矢作の分身のような価値観を持つ主人公二村永爾の名を借りて、今はもうなくなってしまった古くて良き映画の世界を題材に遊び抜いた楽しい小説に他ならない。

     矢作が何かと憧れの眼を向けてきたエースの錠がゲスト出演して、貫録と気配と奥行とで空気を張りつめさせた相応のシーンを作り出すあたりは、矢作という作家の遊び心の真骨頂と言っていい。

     満州映画に関する記述で、満映の社長であった甘粕正彦にまで言及しており、船戸与一の『満州国演義』で満映の果たした役割をふと思い返したが、映画が政治や戦争に使われることもあれば、赤狩りに対抗したハリウッドの名作群に代表されるように、映画が政治の監視人としての役割を果たし、あくまで庶民の側のものであり続ける自由への希求をこそ、矢作のこだわるところの古臭くも基本的な正義と言えるのかもしれない。

     何よりも楽しそうに小説で遊んでゆく矢作の姿を見ていると、小説と言う長く苦しい創作活動までも童心に帰って夢中になっているように思え、その天才ぶりがぼくには、やはりどこまでも頼もしい作家なのである。

  • 十年ぶりの二村永爾の帰還である。『THE WRONG GOODBYE』の一件で神奈川県警を辞めた二村は再雇用プログラムの一環で嘱託となり、被害者支援対策室で詐欺被害者の愚痴を聞く毎日。そんな二村に、映画女優の桐郷映子のところに行くように命じたのは元上司で捜査一課長の小峰だった。父で映画監督だった桐郷寅人が香港で撮った幻のフィルムを買いにいったはずの男が帰らない。捜してほしい、というのが依頼の内容だ。

    本業に戻った二村は殺人を目撃した老女の家に出向く途中、対象者を尾行する男を見つけ後を追う。男は二村の制止をきかず一人の男を銃で撃って逃走した。現認しながら犯人を取り逃がした二村に、小峰は香港へ飛ぶよう命じる。支援対象者は吉林省長春出身、父親は満映で働いていた。映子の父の寅人も元満映、二つの事件はつながっていると見るのが筋だろう。

    帯に「日活映画100年記念」とある。タイアップというのか、今回は映画ネタが満載で、二村がこんなに映画に詳しかったのか、と首を傾げてしまった。のっけから、日活時代に桐郷寅人の撮った映画タイトルに“地獄へ10秒”というのが登場する。トリュフォーが絶賛し、ゴダール映画の登場人物が映画の中で褒めちぎっているという代物だ。もちろん、そんな映画は実在しない。アルドリッチの戦争映画『地獄へ秒読み』の原題「TEN SECONDS TO HELL<地獄へ10秒>」の引用である。

    宍戸錠が実名で登場し、エースのジョー役で香港映画に出演するなどというサービス満点の設定は、日活への配慮なのだろうが、それだけではない。宍戸の代名詞である「エースのジョー」だが、殺し屋役は三作しかないのだ。なんでも香港には同じ綽名を持った本物の殺し屋がいたらしく、クレームがついたというのがその理由。桐郷寅人が撮った幻のフィルムとは実録物で、香港のエースのジョーを描いたものだった。

    本編は香港を舞台にしたハードボイルド小説。横浜、中華街の近くで育った二村が中華街の親玉、ノワール色溢れる香港を縦横無尽に走り回る。黒社会のボスや、映画のスポンサーといった湯水のように金を使う男たちを相手に、幻の映画に隠された秘密を奪い合う。そのフィルムには何が映っていたのか、というのが謎だ。その謎を追う二村の行く先々に死体が転がりだす。幻の映画というのが、ヒッチコックの言うマクガフィン。それ自体に意味はなく、話を先に進める契機となるもののことだ。

    サービスといえば、香港を舞台にしたル・カレの『スクールボーイ閣下』に出ているジェリー・ウェスタビーまで登場するのには驚いた。なんと「サーカス」の一語までおまけつきだ。空を飛べなかった頃のクリストファー・ウォーケンだとか、メルヴィル以後のフィルム・ノワールはクソだ、とか映画ファンにはたまらない科白が続出の今回の作品、チャンドラーの『大いなる眠り』を思わせるジャングルのような温室まで登場させている。どうせ遊ぶのだったら徹底的にやろうと思ったのか、映画のみならず、スパイ小説やハードボイルド小説といった、エンタテインメント色の強い読み物好きには堪えられない趣向になっている。

    車に拳銃、英領の名残りを残す香港ならではの料理、酒、葉巻、といくつになってもこういうものが好きな男たちにはたまらない薀蓄の総ざらい。ここしばらくハードボイルド小説から遠のいていた鬱憤を晴らすつもりか、或はまた、卒業したつもりでいたハードボイルド小説を書くことに対する開き直りなのか、二村はいつになく饒舌。宍戸錠とのやりとりも含め、ファン・サービスに徹している。本場の中華料理を楽しみに香港に渡った二村がなかなか中華料理にありつけないという、焦らしもまた、お約束ながら、読者を最後まで引きつけて離さない。複雑に入り組んだプロットは、旧満州国、八路軍、毛沢東などにより、時代の刻印を押されながら、日本と中国の二つの国を渡り歩く運命を負わされた人々の苦渋の人生を照射する。

    相変わらず、センチメンタルで、簡単なことでは女に手を出さない、近頃稀なダーティーでないヒーロー像だが、舞台を香港という魔都に取ったことで、スマホで小峰と連絡は取りながらも、日本の湿った空気から解放された二村永爾が、のびのびと動き回るところは好印象。前作『ロング・グッドバイ』は相手役に不満が残ったが、今回は男性陣に魅力的な人物が用意されていて満足した。美人女優が三人も登場するのだが、心に残るほどのヒロインとは言い難い。二村の相手をするに相応しい年齢ではなかったのかもしれない。まだまだやれそうな二村永爾。次回の登場まで、今度は何年待たされるのだろうか。

  • とても複雑に絡まったストーリーで、読了後の今も細部を掌握できていない。相関図を起こしながら読むべきだった。だとしても、著者の文章から想起させる人々の情念や、開発地区の裏通りに残された横浜の愁いを帯びた臭気や、香港の喧騒や、フィルムへのノスタルジーが、、、心にしんと沁みてくる。本来ハードボイルドは苦手なはずの私が、なぜかこの著者の作品には寄り添ってしまう。ちょっと斜に構えた反骨、クールになりきれないあたたかな心根は否応なしに女心をくすぐる。(男心をもかもしれない)。しかし、ストーリーを追いきれていないので要再読。

  • 文学

  • 大船ヒグラシ文庫で購入。二村永爾ものでいえば、日の当たる大通り→ロング・グッドバイの系譜に連なる作品かな。

  • 映画の話が全編に散りばめられています。ハードボイルドでした。

  • ギャグパロディぎりぎりのハードボイルドすぎる会話の連続でファンを泣かせ、随所に出てくる古今東西の名作映画にまつわるトリビアルな記述が映画好きの心をくすぐる。宍戸錠本人を登場させ、その出演作における役柄そのものの台詞を語らせるのもこれまたぎりぎり感が強い趣向。それらが読者の意識をほとんどさらってしまい、ミステリとしては見事な失敗作。ただし、そんなことは著者にとって予め計算済みだろうから再読の必要があるのかもしれない。

  • 日活のアクション映画、香港映画の世界が好きな読者なら、ぴたっとハマる面白さなんだと思うけど、私はあんまりそちらの方向が得意ではないので....^^;

  • 二村という元刑事が探偵役のこの作品はシリーズらしいが初めて読む。が、単純にハードボイルド作品として面白い。

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著者プロフィール

1950年、神奈川県横浜市生まれ。漫画家などを経て、1972年『抱きしめたい』で小説家デビュー。「アゲイン」「ザ・ギャンブラー」では映画監督を務めた、『あ・じゃ・ぱん!』でBunkamuraドゥマゴ文学賞、『ららら科學の子』で三島由紀夫賞、『ロング・グッドバイ』でマルタの鷹協会・ファルコン賞を受賞。

「2022年 『サムライ・ノングラータ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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