- Amazon.co.jp ・本 (475ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103784043
作品紹介・あらすじ
55年体制を生きた政治家の王は80年代半ば、老いて王国を出た。代議士の父と禅僧の息子の、魂の対決。
感想・レビュー・書評
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今までやっと「晴子情歌」まで読んでいる高村薫の小説なのですが、そのあと「新リア王」「太陽を曳く馬」を上梓し、去年「冷血」を刊行したと聞いていました。これらが「びみょーに」繋がっている事を知っている私は去年末にやっと続きを読む決心をしたのでした。
多田和博装幀の表紙は、全ての高村薫の単行本の中でも最高傑作だと思う。もうこれ以外には〈リア王〉のイメージを作れないほどのインパクトがあった。闇の中から浮かび上がる皺だらけの老人。老いさらばえて、世の中から棄てられているかの様に見えるが、眼光だけは真っ直ぐ私を見て衰えてはいない。元の絵は、レンブラントの「金の鎖をつけた老人」である。
言っただろう、敵に足元をすくわれる屈辱も敗北感も、この腹の炉に放り込んで燃やせばエネルギーに変わるのだ、と。そのいつもの仕組み通り、私はこの七十四歳の心身に俄然力が満ちてくるのを感じ、何よりもそのことが私を陶然とさせた。忙しく回転する頭やふつふつする臓腑の一つ一つが嬉しく頼もしい、この感覚は若い君にはわかるまい。朝からもう何段の階段を上がったり下がったりしたか覚えてもいない、いい加減膝の骨にきていたはずの疲労もまるで感じない、この一瞬一瞬のなんという軽快さ!裏切りも策謀も仕掛けられるうちが花というが、あらためて我が身を振り返るまでもなく、この福澤榮は青森一区の、いや青森の、老いぼれてもなお〈王〉だったということだー!(167p)
(内容紹介)
保守王国の崩壊を予見した壮大な政治小説、3年の歳月をかけてここに誕生!
父と子。その間に立ちはだかる壁はかくも高く険しいものなのか――。近代日本の「終わりの始まり」が露見した永田町と、周回遅れで核がらみの地域振興に手を出した青森。政治一家・福澤王国の内部で起こった造反劇は、雪降りしきる最果ての庵で、父から息子へと静かに、しかし決然と語り出される。『晴子情歌』に続く大作長編小説。
内容(「BOOK」データベースより)
55年体制を生きた政治家の王は80年代半ば、老いて王国を出た。代議士の父と禅僧の息子の、魂の対決。
代議士と禅僧。水と油の様な2人はしかし、因縁のある父子でもある。生涯で唯一2人は数日間を共に過ごし、水と油の様なお互いの人生を語り始める。そこは、高村薫、問答体の小説と言えども、いやだからこそかもしれないが、その描写は細に入り微に入り精緻を極めるだろう。
そこで浮かび上がるのは、禅問答の様な会話から明日の政局を判断する代議士の半日であり、世間と隔絶した永平寺の一日であり、利権と票の動きのみが最大の関心事になる自民党政治の世界であり、青森の辺境で福澤王国を築いた政治家一族の確執であり、詰まるところ「ある日本の姿」なのだろうと思う。
青森と言えば、原発立国でもある。「自民党政治の終わりの始まり」を描いたと言われるこの小説を現代に読む意義は何か。それをこれから見極めて行きたい。そしてできる事ならば、今年中に新作「冷血」まで辿りつきたい。
2013年1月23日読了と詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
寺を訪ねる場面から飲み込まれていたと思う。
とても印象的な出会いだった。
読むのが辛かった。
しかし読み進めていけば、辛さを感じることなく、むしろ本当に語りかけてくるようで、ぞっとする。
丁度、珍しく雪が降ったからかもしれない。
本当に、その世界を覗いているような気分になる。
親子が対峙する様子は、美しく、寂しいと思った。
榮と彰之はどうなるのだろう。 -
感想は下巻
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(2004.10.31読了)(新聞連載)
日本経済新聞・朝刊2003.03.01-2004.10.31連載
新聞連載中に挿絵画家の盗作事件と、長すぎる連載のために連載中止となり、続きは、「新潮」に発表して完結。新聞連載の文しか読んでいません。
内容紹介(amazon)
保守王国の崩壊を予見した壮大な政治小説、3年の歳月をかけてここに誕生!
父と子。その間に立ちはだかる壁はかくも高く険しいものなのか――。近代日本の「終わりの始まり」が露見した永田町と、周回遅れで核がらみの地域振興に手を出した青森。政治一家・福澤王国の内部で起こった造反劇は、雪降りしきる最果ての庵で、父から息子へと静かに、しかし決然と語り出される。『晴子情歌』に続く大作長編小説。 -
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晴子情歌の続編。父、榮の永田町にかかわるストーリーと、息子、彰之の禅僧としてのストーリーが雪の筒木坂は普門庵で交互に語られる。両者をつなぐのはそれぞれの家族、血縁の物語。
いよいよ高村節は地の文から登場人物の台詞にまで侵食して、全編に渡ってネチネチ、クドクドと語られていく。しかし、それを単なるくどくどしい語りにとどめない何がしかの重厚さ、迫力がある。政治の世界、禅寺の世界それぞれに対する綿密な取材がそれを支えているのだろう。 -
再読。
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『太陽を曳く馬』を読んだ後で久々の再読。老齢となった代議士・福澤栄が筒木坂の寺を訪ねて、息子・彰之と会い、1980年代の青森と国の政治が赤裸々に語られ、一方で永平寺での修行から木造の小寺・普門庵を受け継ぐことになった由来が明らかになる2日間が描かれます。
これほどまでに饒舌に、それも核心にふれないまま語り続ける運命の親子は、どこまで往くのでしょう。