- Amazon.co.jp ・本 (396ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103784050
感想・レビュー・書評
-
道化は誰だったのかなと、そんなことを思った。
優や息子たちとの関係、選挙の行方、榮の忠実な秘書についてなどが語られる。
とくに保田と竹岡について発言するシーンが好きだ。
最後の説破の場面に涙が溢れた。
抽象的になってしまうが、ゆっくりと染み入るような、それでいて切り裂かれるような寂しさがある。
私にとって、とても好きな系統の本だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
普門庵で息子・彰之と向き合う福澤栄。取り巻きが駆けつける中、話題は秘書の自死そして重森知事に対して出馬を表明する優へと進み、栄の政治家生命の落日を伝えます。
青森県だけがフィクションの世界に置かれた小説ですが、そこには確実に真実があります。 -
ようやく読み終わった、というのが正直な感想。
1980年6月の王・福澤榮の絶頂期と子・彰之の静かな闘いがひたひた綴られた上巻は、長い前奏だったのか。
下巻は、1983年、1986年と続く。
下巻の白眉は、この1983年11月19日、榮の地元青森での政治資金パーティーである。
むつ小川原の原燃開発をめぐり錯綜する様々な欲望を引き合いに出して、榮は滔々と政治を語る。通産省と科学技術庁という二頭立ての馬車の上に原子力委員会という空虚な御者を乗せて、原子力という巨大な国策が動いて、地元を巻き込む。
あてのないエネルギー政策の行き着く先は、地元に暗い未来と開発途中で投げ出された不毛の地しか無いにも関わらず、政治家は日々湧出する「チンジョウ」の対処に明け暮れる。
入れ替わり立ち替わり榮の目の前を現れ、握手をし、立ち去っていく顔たちを通して、1980年代という時代を形作った空気が語られていく。もう少し正確に言えば、1980年代に行き着いた昭和という時代の雰囲気がその一節に凝縮されている。
そして、3年後の1986年11月に長男の裏切りと懐刀であった娘婿の自殺という事態を迎えて、狂乱した王によって王国は一気に瓦解する。1986年は政局であり、一気に加速するフィナーレである。
「これはいったい何の物語だ?」と問われれば、「リア王だ」としか答えようがない。
高邁な目標を持ち、確固たる信念を抱きつつも、己の眼前に広がる現実問題に対しては、地道な手段によって前に進むしかない政治家たる父王・榮と仏家たる子・彰之の対話だと括っても釈然としない。
あるいは、昭和のとりわけ戦後という空前の国土開発の時代を通してできあがってきた「政治」、そしてそれは利権という縁を方々に結んで成立する。その対極として、己一人で禅を組み、俗世との縁という縁を断ち切ってなお諸仏と結ばれる保証のない「宗教」が配置される。
そして、縁という縁を結びきれなかった政治家と縁という縁を絶ちきれなかった仏家、その父子の物語とも言えるだろうか。
いずれにせよ、この作品はおよそ巷間に平積みされる「小説」とは次元の異なる傑作である。これほどまでの気迫と堂々たる筆致で、「政治」を語り尽くした文学が他にあるのだろうか。 -
今の生活に、今以上の新しい技術や新しいなにかが必要かと問われれば、私は「これで十分です。」と答えるだろう。一体、どれくらいの日本人が、今、現在以上の生活の便利さ、快適さを求めているのだろうか?結局、政治というものは、国民から徴集した税金をどう国民に公平に分配するかに尽きるような気がする。地域に利益誘導された多額の税金は、各家庭に分配されるのではなく、一体どこに消えて行ってしまうのだろうか。一度日本も、経済を成長させるのではなく、経済の現状維持のみを目標にして、税金分配を考えてみてはどうだろうかと、ふと思ってしまう。「言ったもん勝ち」と言われる、勝ち負けをいかに少なくできるかが、政治の力だと思うのです。金銭では測れないものに、投資する方が大切ではないでしょうか。こんなことを書いてしまう、私も年をとりました。
-
仏教やお寺さんの話しも政治の話しも分かんないんだよ〜だから何なんだよ〜なんて思いながら読んでいたけれど、最後になってスコーンと目の前が晴れた。ああ、だから「新リア王」なのか、と。
-
崩壊。