太陽を曳く馬〈上〉

著者 :
  • 新潮社
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本棚登録 : 706
レビュー : 100
  • Amazon.co.jp ・本 (403ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103784067

作品紹介・あらすじ

福澤彰之の息子・秋道は画家になり、赤い色面一つに行き着いて人を殺した。一方、一人の僧侶が謎の死を遂げ、合田雄一郎は21世紀の理由なき生死の淵に立つ。-人はなぜ描き、なぜ殺すのか。9.11の夜、合田雄一郎の彷徨が始まる。

感想・レビュー・書評

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  •  前作『晴子情歌』『新リア王』に続く福澤家サーガとでも呼ぶべき昭和史の完結編は思いも寄らぬ形で登場した。前作のラストシーンは、福澤榮のもとに合田と名乗る刑事から電話がかかるところで終ってゆく。三部作の終章は、高村小説のシリーズ主人公である合田が、この物語を引き受けてゆく。

     そのことはとても妙だ。合田シリーズそのものは、ミステリという純然たる娯楽小説である。一方で福沢家サーガは誰がどう読んでも娯楽小説とは言い難く、高村という作家が純文学のリーグに敢えてチャレンジしてとても意図的に内容を娯楽小説から遠ざけようとして書き進めてきた別の世界であるように思われる。

     リーグの違うジャンルを跨ぐというあまり犯されることのない暗黙のルールという壁を、高村はこともなく崩し去る。合田はこんな人間であったのか、というところにまで迷わせられるほどに、一介の刑事が純文学的思索者になり切ってしまう。

     そもそも純文学に片足を突っ込みながら娯楽小説を書いてきた高村は、『マークスの山』で純然たるミステリを書いたかと思うと、『照柿』ではドストエフスキーを意図したかのような純文学殺人小説に近いそれを書いてしまう。合田は、文藝ジャンルの彼岸を行き来する存在であるらしい。まさに高村の影武者のような。

     本書では冒頭に三通りに敷かれたレールが紹介される。福澤彰之が開いた<永劫寺サンガ>という禅の会で行われる夜座から発作により脱け出した癲癇もちの青年がトラックに撥ねられ死亡した事件が一つ。福澤彰之の絵描きの息子が発作を起こし同居の女性と隣家の青年を玄翁で殴り殺した事件が一つ。さらに世界貿易センタービルに勤めていた合田の離縁した妻がテロに巻き込まれて死んだという個人的事件が一つ。

     メイン・ストーリーは永劫寺サンガの事故を追うという、非常に地味な展開で、その死んだ青年がオウムの渋谷に出入りしていた形跡があるために、発作を起こして死んだ理由、あるいは鍵の掛けられていた門が誰により開放されていたのか、等の推理小説にもならないくらいに小さな事件を合田は追いかける。現に警察本部の上長からは他に多くの事件があるのに何をこだわっているのかと最後の最後まで訝しがられる。

     でも合田の行動はひたすら福沢家サーガを追いかけ、永劫寺サンガに深入りしてゆき、事件は恐ろしく脳内分泌的な抽象で語られる。宗教論議に加え、<私>と<私>を否定する何ものか、という高村お得意の人間の多重性、不安定性といったところに非常に文理両サイドからの論理で迫る。この作品のどこにも娯楽小説の影はもはやない。

     僧侶たちの個性的な宗教観に加え、合田のほうが抱えている、秋道という殺人者の追憶、さらに世界貿易センタービルから降り落ちていった人間たちのニュース映像がもたらす、失墜のインパクト。そうした幻想と知覚と論理とが時間を越え、地上を飛翔し、脳裏を刺激し合う電機反応などとともに、語られ得ないものの表現の極北へとペンが向う。

     夢魔との長い日々を過ごした感覚で本を閉じた。昭和を語るのみならず、最後には存在を語ろうとし、神仏を語ろうとし、人間の意識を、細胞が渡す遺伝子の内容物を語ろうとし、それのどれもが虚無との対決のように思える一冊であった。

     合田は無事、日頃の実在的な警察という職務のこちら岸へと帰還することができるのだろうか?

  • まず、装丁が素晴らしい。
    苦戦しつつ、とにかく下巻へ。
    高村薫氏にはとにかく唸らせられる。

  • こりゃあとてつもなく重たい本ですな。
    というか、この本は身内が買って読んだと思わしき本を
    強奪して読んだのですが(笑)

    これは実に深い、重い、
    そして二人のある人間に関しては
    ちょっと人事ではないのです。
    まあ、私の持病に近いのが1つありましたので。
    あ…と思いました。

    そして宗教というのは
    本当に異質だなぁ。
    最後に出てくる二人の僧侶のどこか
    遠まわしな悪意にぎょっとしたり。

  • いよいよ高村薫の高村薫化がいちじるしく進行しているとの感を強めた。もはやストーリーだのプロットだのはどこかに飛んでいってしまっている。延々と続く仏教談義。登場人物みんながみんな独特の高村節でしゃべてくれるし。ドストエフスキー的と言えばそうなのだが、小説よりも舞台作品、戯曲を読んでいると思うべきか。

    それでも描写の手堅さ、リアルに物語世界を描き出すのは相変わらず。内容の割には引き込まれた。

    最後が筒木坂の海岸の風景で終わるので『晴子情歌』を引っ張り出してみたら、すっかり忘れていたが、その冒頭シーンにも雲水たちが登場していた。

    次はこの人はどんなのを書くのやら。

  • <u><b>語るべきか、語らぬべきか</b></u>

    <span style="color:#cc9966;">福澤彰之の息子・秋道は画家になり、赤い色面一つに行き着いて人を殺した。一方、一人の僧侶が謎の死を遂げ、合田雄一郎は21世紀の理由なき生死の淵に立つ。―人はなぜ描き、なぜ殺すのか。9.11の夜、合田雄一郎の彷徨が始まる。</span>

    頭の中がごちゃごちゃで整理できそうにないので…、できないまま考えたことをメモみたいに残しておきます。(メモというには長いけれど)
    [more]

    <b>○高村薫と村上春樹</b>
     春樹が新作出す(1Q84)を出すということで、この夏はそれで頭がいっぱいで完全に忘れていた。ずっと待っていたはずの高村女史の新作を!

     福澤シリーズ(と銘打ってもいいのか?)第三弾。もとい合田シリーズ第四弾。お帰り、雄一郎!年をとっても、昇進しても合田雄一郎は合田雄一郎だなぁと。水色の格子模様の幼稚園児のような弁当箱を開くどこぞの検事もしかり。そして、相変わらず貴代子さんの扱いが酷い。初っぱなから、ぶっ飛んだ。そんな展開かよと。

     まぁ、そんなことはどうでもいいんですが(よくないか?)、私の好きな作家の二人(高村薫、村上春樹)が、小説を書く上での問題意識をどちらも”オウム後の世界”に持ってきているというのは、なんだか感慨深い。私は両方好きだから感慨深く感じるけど、片一方を好きな人は片方を批判しているなぁ。特に春樹はアンチが多いしね。”ちゃらちゃらしたこと書きやがって”なんていう書評も見たけれど、春樹はその後の世界そのものを淡々と描き出しており、高村は問題意識を明確に出してきているだけで本質には同じものを書こうとしているように感じる。
     また、どうも刊行時期が重なったせいか『1Q84』と『太陽を曳く馬』を比べがちだけれども、高村の『太陽を曳く馬』に近いものは、春樹で言うと『約束された場所で―underground 2』じゃないかなぁ、と個人的には考えている。両作品のキーワードは「語りを手に入れたオウム」。

    <blockquote>しかもまあ、誰もかれもほとんどオウムの笑顔ですよ、あれは。見事に誰一人苦悩していない。(P365)</blockquote>
     『約束された場所で〜』の感想にも書いたんだけれど、オウムの本質は”世界が全て語ることができるものだ”という認識そのものじゃないかな。春樹の『約束された場所で〜』『1Q84』でも考えさせられたんだけど、やはりこの本で考えたのは「語るべきか、語らぬべきか」という問題である。
    高村女史もそのことに関して意識的に考えているようには思える。
    <blockquote>もとはと言えば、作文をするな、無理に辻褄を合わせるな、わからないことはわからないで通せと現場に指示したのは雄一郎であったから…(P158)あのとき自分たちが直面していたのは、警察の名誉の問題などではなく、一つの事件をどこまで言語かできるかという究極の課題だったのではないだろうか。</blockquote>

     結局、「太陽を曳く馬」の主要なテーマに宗教を選ばねばならなかった理由もこの辺りにあるんじゃないかな。
    サンガの事務の田辺の言葉
    <blockquote>そもそも仏は〈なぜか〉と問うて立ち上がる世界ではない反面、正道を子々孫々に正確に伝えてゆくものは言葉しかないというのも事実でございましょう。
    その間で誰しも引き裂かれるのでございますよ、禅家の皆さんは。そこで一歩踏み出してあえて言葉を発するか、踏みとどまって黙するかの違いでございましょうか。p344</blockquote>

    <blockquote><div class="mm-small" style="margin-bottom:0px;"><div class="mm-image" style="float:left;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167502046/konnoe-22/ref=nosim" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41K057W2YJL._SL75_.jpg" alt="約束された場所で―underground 2 (文春文庫)" title="約束された場所で―underground 2 (文春文庫)" width="52" height="75" border="0" /></a></div><div class="mm-content" style="float:left;margin-left:10px;line-height:120%"><div class="mm-title" style="line-height:120%"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167502046/konnoe-22/ref=nosim" target="_blank">約束された場所で―underground 2 (文春文庫)</a></div><div class="mm-detail" style="margin-top:10px;">村上 春樹 / 文芸春秋 ( 2001-07 ) /<img src="http://images-jp.amazon.com/images/G/09/x-locale/common/customer-reviews/stars-4-0.gif" border="0" alt="アマゾンおすすめ度" style="vertical-align:middle;" /><div style="margin:7px 0px"><a href="http://mediamarker.net/u/konnoe/?asin=4167502046" target="_blank">konnoeのバインダーで詳細を見る</a></div><div style="text-align:right;font-size:7pt;font-family:verdana"><a href="http://mediamarker.net/" target="_blank">MediaMarker</a></div></div></div><div style="clear:left"></div></div></blockquote>



    <b>○秋道の描写</b>
     『マークスの山』のマークスの描写も圧倒されるものがあったけど、今回の秋道の描写はさらにすごかった。マークスの場合はまだ理解の範疇が届く人間として描写されており、マークスが犯罪に至った経緯もわかったんだけれども、秋道の場合〈完全に理解が及ばない他人〉を描ききっているように感じる。言い換えてみれば〈他人からの語りを拒絶する存在〉というかね。ここでも”語りの可能性”の問題がでてくるわけだ。

    <b>○部下</b>
     偏屈上司をもった吉岡くんが可愛くて仕方がない。吉岡くんのことを俺とは世代が違う別の何かといいながら、完全に遠ざける雄一郎も可愛い。「そら、出た。また係長の作り笑い。」という吉岡の白けた眼を気にする雄一郎。いやいや、あんた自分の若い頃の、林に対して所作にそっくりじゃないか…!部下は大事にしろよ。森のように逃げられないといいね、雄一郎。
    <blockquote>一方吉岡は、自分もゲーム世代のくせに、種族が違うとでも言いたげな冷酷な眼をしたままで、どうかしたか?と声をかけると。生理的にだめという単純明快な返事だった。
    そうか、伝統仏教の装置さえ享楽の対象になりうる現代の脳たちの、この薄明るい妄想と熱中の回路にも、生理という個別のハードルだけはあるのかと驚き、なんと反動的なことだと
    少し可笑しくなった。p320</blockquote>

    <b>○文中でのキーワード</b>
    ・「おまえは」という作者が前面に出た語り口って今まであったけ?
    ・「空がある」という表現。雄一郎は始終その手の妄想にとりつかれるわけだけれど、ここに出てくる「落ちる」表現は、村上春樹の『スプートニク〜』や池澤夏樹『スティルライフ』で感じた、ふっと自分が宇宙空間にいるような、頭の中が飛んでいってしまう、そんな感じににているんじゃないかと…。春樹や池澤に比べればもっと暗い感じはするけれど。

    <blockquote><div class="mm-small" style="margin-bottom:0px;"><div class="mm-image" style="float:left;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4122018595/konnoe-22/ref=nosim" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51ve--L3aUL._SL75_.jpg" alt="スティル・ライフ" title="スティル・ライフ" width="52" height="75" border="0" /></a></div><div class="mm-content" style="float:left;margin-left:10px;line-height:120%"><div class="mm-title" style="line-height:120%"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4122018595/konnoe-22/ref=nosim" target="_blank">スティル・ライフ</a></div><div class="mm-detail" style="margin-top:10px;">池澤 夏樹 / 中央公論社 ( 1991-12 ) /<img src="http://images-jp.amazon.com/images/G/09/x-locale/common/customer-reviews/stars-4-5.gif" border="0" alt="アマゾンおすすめ度" style="vertical-align:middle;" /><div style="margin:7px 0px"><a href="http://mediamarker.net/u/konnoe/?asin=4122018595" target="_blank">konnoeのバインダーで詳細を見る</a></div><div style="text-align:right;font-size:7pt;font-family:verdana"><a href="http://mediamarker.net/" target="_blank">MediaMarker</a></div></div></div><div style="clear:left"></div></div></blockquote>
    <blockquote><div class="mm-small" style="margin-bottom:0px;"><div class="mm-image" style="float:left;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062731290/konnoe-22/ref=nosim" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/412MWA2EPHL._SL75_.jpg" alt="スプートニクの恋人" title="スプートニクの恋人" width="53" height="75" border="0" /></a></div><div class="mm-content" style="float:left;margin-left:10px;line-height:120%"><div class="mm-title" style="line-height:120%"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062731290/konnoe-22/ref=nosim" target="_blank">スプートニクの恋人</a></div><div class="mm-detail" style="margin-top:10px;">村上 春樹 / 講談社 ( 2001-04 ) /<img src="http://images-jp.amazon.com/images/G/09/x-locale/common/customer-reviews/stars-4-0.gif" border="0" alt="アマゾンおすすめ度" style="vertical-align:middle;" /><div style="margin:7px 0px"><a href="http://mediamarker.net/u/konnoe/?asin=4062731290" target="_blank">konnoeのバインダーで詳細を見る</a></div><div style="text-align:right;font-size:7pt;font-family:verdana"><a href="http://mediamarker.net/" target="_blank">MediaMarker</a></div></div></div><div style="clear:left"></div></div></blockquote>

    <b>○現代美術の描写について</b>
    まぁ、とにかく現代美術についての言及の部分は相変わらず高村薫だなぁと思った。脳みそをフル回転しても理解できない。脳みそを吐きそうになったよ。


    cf,太陽を曳く馬の地上絵、父と息子の手紙のやりとり 晴子・淳三P193

  • 頭がくらくらするような会話が続く。しかし引き込まれる。

  • 9.11の同時多発テロ、オウム真理教事件といった現実の事件と、抽象画を巡る芸術論、新興宗教の教義を巡る宗教論といった複雑なテーマに、「マークスの山」、「照柿」の合田雄一郎が愚直にも執拗にも「何故?」と問いかけながら取り組んでいく。読後にすっきりするような解は提示されないが読み応えはあり、読後感がずっしり残る。宗教における真理、芸術における究極の表現といった、辿り着かないことを知りながら求め続けることを止められない何かについて、深く考えさせられる作品。

  • 高村薫の晴子三部作の最終章に着手。出家した福澤彰之と殺人を犯す息子・秋道、そして捜査を通じて二人とサンガの闇に踏みこんでいく合田雄一郎、上巻を読んでもまったく先が読めない展開だけに、下巻に注目です。

  • 濃密な描写悪くないが、犯罪もの。保留

  • いかんいかんと思いつつ、父の手紙&坊さんの発言を超斜め読み。
    しかし、3部作の1、2より集中できるのは、「事件」の解明という興味があるだろうからだが、結局解明する事件ではないという気もしながら下巻へ!

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著者プロフィール

高村 薫(たかむら かおる)
1953年大阪市東住吉区生まれ、現在大阪府吹田市在住。国際基督教大学教養学部人文学科(フランス文学専攻)卒業。外資系商社の勤務を経て、作家活動に入る。
1990年『黄金を抱いて翔べ』で日本推理サスペンス大賞、1993年『マークスの山』で直木三十五賞、1998年『レディ・ジョーカー』で毎日出版文化賞、2016年刊行の『土の記』では大佛次郎賞、野間文芸賞、毎日芸術賞をそれぞれ受賞し、新たな代表作となった。
『レディ・ジョーカー』を境として、重厚な社会派ミステリーから純文学に転向。織田作之助賞選考委員を務める。

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