神器 下 軍艦「橿原」殺人事件

  • 新潮社 (2009年1月23日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (416ページ) / ISBN・EAN: 9784103912033

感想・レビュー・書評

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  • 殺人事件については一応の解決はあるけど、もはやそれどころではない事態になっている。

    軍艦「橿原」は、多数の一塊となった観念が国や組織を動かしていくイメージそのものに思えた。

    苦痛を避ければ、その分の苦痛が未来に先送りされる…という装置の発想にはちょっと考えさせられるな。

    しっちゃかめっちゃかだったけど、読後のこの切なさは何だろう。

  • 奇妙な小説。あらすじも何も知らずに、この作品を読み始めて真っ先に感じたのは、その感覚。
    奥泉光といえば、実験的な文体でエンターテイメント性の高い小説を書く手だれの作家という位置づけだろうか。
    読者が小説に抱くイメージを巧みにはぐらかしながら、精緻な作品世界を作る手法が個人的には好きだ。

    で、この「神器」である。

    時は太平洋戦争末期。現実の日本とは少しずれた架空の世界が舞台になっている。

    探偵小説好きの語り手・石目は軍艦「橿原」に着任する。謎に包まれたその任務と、軍艦で立て続けに起きた殺人事件

    上巻ではさまざまな謎が提示され、下巻ではその謎が現代と過去(小説中の時制で行くと、現在と未来)を行き来するなかで解き明かされていくという内容だ。

    とくに下巻。太平洋戦争の中で、国のためとして絶望的な環境で戦い、死んでいった人々の無念な様が描かれる部分が印象的だ。

    戦争で傷つき人生をぼろぼろにされてしまう兵士たちの様が、小説の中で読む者の感情の中に響いてくる。

    例えば亡霊(?)となった根木少尉と福金という水兵の会話

    福金 死んだ人たちはどこへ行ったんですかね?
    根木 少なくともヤスクニには帰っていない。きっと帰ってこられないんだろう。
    福金 何故です?
    根木 負けた国のヤスクニにどうして帰ってこられる? 彼らは勝った国のヤスクニに帰ってくる積もりだったんだからな。実際、ヤスクニには勝った戦で亡くなった英霊しか祀られていない。日清、日露、然り、戊辰戦争だってヤスクニに祀られているのは官軍側の将兵だけだ。負けた連中は入れてもらえない。負けた戦で死んだ英霊はヤスクニへは入れないのさ。というか、負けた戦で死んだものは英霊にはなれない。実際、靖国神社へ行ってみて、おれは直感した。あそこは死体の入っていない棺だ。蜘蛛の巣だらけで、鼠だけがやたら走り回る、がらんとした棺にすぎない。
    福金 だったら、みんな、どこに居るんです?
    根木 まだ戦地にいるんだろう。彼らは―
     飢えに苛まれつつ棒杭みたいになった脚を動かし、
     湿熱のジャングルで自分の血を吸った蛭を食っている。
     マラリア、赤痢、熱帯潰瘍―
     あらゆる病原虫菌の巣窟になった軀を熱帯スコールに打たせては、
     壕の暗がりで身動きできぬまま糞便にまみれ、深夜になると、
     傷口に湧いた蛆がきしきしと一斉に鳴声をあげるのを聞く。
     群がる蠅のせいで水瓜の種で造った人形のようになり、
     丸太さながら膨らんだ壊疽の脚を虚無の眼で眺めている。
     重油で真っ黒に汚れた軀で冷たい海を漂い、
     無明の海底にあって、足りない酸素を求め、瀕死の鯉さながら口をぱくぱくさせる。
     真っ赤な叫びを口から迸らせて飛行機の操縦桿にしがみつき、
     万歳、万歳と、繰り返し唱えながら、
     満身に思う存分機銃弾を浴びている。
     飛来した爆裂弾が手足を四散させれば、
     どことも知れぬ原野や路傍で白い骨をさらしている。
     それでもなお彼らは戦場にいる。
     戦地にいまだとどまっている。絶望的な状況のなかで。
     なお戦い続けている。果てしのない苦痛のなかで。
     手榴弾一つを抱えて己の死すべき場所を探して歩くことが戦うことだとすれば。
     餓死寸前の軀を異国の草叢に横たえることが戦うことだとすれば。
     暗い海底で魚の餌になることが戦うことだとすれば―

    (下巻、p75~76)

     戦場で、無念の死を遂げていった人々の姿を、ここまで具体的に、そして文学的な表現として描い記述を読むのはつらい。でもこれはあくまでも文字だ。実際には、この文字からは読め取れない、痛みや苦悩や絶望や悲しみや無念さを抱えて死んでいった膨大な人々が存在した。戦地の兵士だけではない、民間人も含めて。

     特定の国の名前を上げ、危機感をあおる勇ましい言論の徒たちの脳内の戦争像は、きっときれいでヒーロー映画のようなものなのだろう。そんなイメージを持っている人に読んでほしい描写。でもそんな人たちは、こんな本は手に取らないだろうなあ。

     無残な戦場の描写をもう一つ

     事実、熱帯雨林には大勢の日本兵がいた。最初に福金鼠が見たのは水辺で動く少数だけで、気付いてみれば、樹林の奥には無数といってよい数の日本兵がいるのだった。彼らのほとんどは湿った地面に踞り、あるいは横たわったまま動かない。大半は死んでいるらしく、瓦斯風船みたいに膨らんだ死骸や、骸骨に蝋紙を貼り付けたようになった死骸もある。そうして生者死者の別なく真っ黒に蠅がたかっているのだ。
     「行くぞ」福金鼠が号令すると、毛抜け鼠は声が聞こえなかったように、鉄管に巻いた尻尾を硬くしていった。
     「なんで、あんなに死んでるわけ? なんかあったわけ?」
     「戦争で死んだに決まっている」
     「戦争って、こういう風なわけ? なんか違うっしょ。なんであんなに死んでるわけ?」
     「彼らは飢えて死んだ。飢えて病気になったんだろう」
     「なんで飢えるわけ? なんで飢えなきゃなんないわけ。ここって、もしかしてアフリカ? あれってアフリカの子供たち?
     なぜ彼らは飢えなければならぬのか?なぜ飢えた挙句に朽ち果てねばならぬのか。その問いが頭を過ぎれば、福金鼠の腹中に鬱勃とした怒りの熱塊が湧き上がった。この世界には、人を人とも思わずに殴りつけ、踏みつけ、殺す連中があるのだ。鼠を駆除するみたいに殺し、実験動物と同じ扱いをしたあげく、そこらへ平然と放り投げる連中があるのだ!

       (下巻、p149)
     

     現代の、社会の下層に生きている若者が、なぜか物語の途中から登場するが、この若者は物語のラストで、もっとも説得力のある言葉を発する。それはとにかく生きるということ、偽物でもなんでも生き抜こうという決意が大切だということ。「悠久の大義に殉じた」あるいは「殉じることを強要された」人々への問いかけだ。

     ラストはやや急ぎすぎの感じもあったけど、とにかく面白く読めた作品でした。
     
     小説の持つ可能性。読むこと、書くことの意味。さまざまな思念を誘う小説。

     そのうえ、一級のエンタテインメントになっているところがスゴイ!

  • 上巻レビューの続きです。
    やっぱりタイトルは偽りであって、「殺人事件」といってもミステリー物ではなかったですよ。
    時に昭和二十年、皇国の存亡を賭けた密命を帯びる軍艦「橿原」の航海はますます狂気じみたものになっていく。艦長の公開切腹やら、催眠術のように思想伝染する狂信的な一党の躍進やら、そして極秘裏に格納されている●●が発する七色電波を浴びたものが●●になってしまうとか、ポリネシア洋上にある「本当の日本人の故郷」を目指す壮大な計画など、次から次へとびっくりエピソードのたたみ掛け、いったい物語はどこへ向かうのかという気になるが、ついに最期の時が訪れる…
    さて、では果たしてこの戦記ファンタジーは一体何を描こうとしているのかといえば、ことさらSFや神秘オカルトの味付けで誇張しているものの、きっとイデオロギーが過熱していく渦中で、一人の人間が個ではなく、集団の一部に溶けあってしまうことの寓話なのだ。
    対して、我らが主人公・石目上水兵の斜に構えたモノの見方、狂気に汚染されていく状況をドライに客観視するスタンスは気持ち良く、物語のラストシーンは個人的にとても清々しく感じた。同じ(?)戦艦モノとはいえ『男たちの大和』みたいなものとは真逆の精神で書かれているので、間違ってもあれを見て泣いた人とかは、コレを読むのは止めておきなさい。とだけ言っておきたい。
    そもそも、この本を手に取ってみたのは朝日新聞での斎藤美奈子の書評コーナーがきっかけだった。斎藤先生のおススメは結構自分には、どストライク。それにしてもロンギヌスの槍だの、球体をした超空間だの、某エヴァンゲリオンの香りのするのは気のせいか?

  • ●読了しました。
    軍艦「橿原」で発見された不可解な死者とは?
    「橿原」に乗り込んできた黒装束の男たちとは!?
    そして「橿原」に課せられた謎の使命とは!!?
    あとはネズミとかネズミとかネズミとか人間鼠とか!
    異常な緊張感と閉塞状況の下で次々に死者が増え、奥の院ではソドムとゴモラの如き痴態が繰り広げられる中、艦内の一兵卒に至るまで急速に狂気へと染まりゆく・・・・・!

    ●・・・・・・・・・って。タイトルに完全にだまされましたな・・・(´Д`;)
    『鳥類学者のファンタジア』的なものを期待したら『浪漫的な行軍の記録』の方向だったような。
    読了後下巻の作品紹介を見たら、「日本人論や戦争論が展開される純文学長編」となっていましたが、ええまあそんな内容です。最後の方はなんだか戯曲調。コロスもあるよ!
    石目青年視点の文体は、やっぱり変なユーモアがにじみ出ています。よい。
    左翼的文化人みたいな人にすすめるのは読みが甘すぎるだろうか・・・・・。

  • 戦記小説・ミステリー・幻想奇譚から戯曲・俳諧まで様々なスタイルに則り、抒情的で格調すら帯びた「美文」から「なんかヤバくね」まで多様な語り口から描かれるのは、戦争。
    戦争と日本。虚構と歴史。ナショナリズムと物語。死者と言葉。これら重厚な主題が重層的に語られ戦争が戦争と現代が問い直されていく。単純な修正や盲目的な反省とは別の仕方で戦争と現代を問い直すために、一読だけでは分かりかねた本書を何度でも読み返したい。

  • すさまじい力技

  •  軍隊ミステリーの傑作。上下巻を一気に読み終えてしまった。
     1945年4月、「大和」が沖縄に向けて片道特攻に赴いたその時期に、真の「高天原」=ムー大陸を目指す妖しい天皇カルトが日本海軍の巡洋艦をハイジャック、単艦南太平洋を目指していく――。小栗虫太郎にかぶれたミステリー作家志望の上等水兵・石目鋭二を狂言まわしにしながら明らかになっていく「謎」とは、男たちが「恋闕」し、聖と性とが妖しく交わるカルトとしての天皇制の物語に他ならない。
     この作品が描いたカルト「皇祖神霊教」は確かに天皇制のニセモノだが、それでは現在の天皇家がニセモノではない保証がどこにあるのかと考えたとき、この作の問題性が浮かび上がる。軍艦「橿原」の中央に巣くった「奥の院」が艦全体を狂わせていくという物語の構図は、まさに近代天皇制の物語そのものであり、「皇祖神霊教」は、天皇を戴く「神の国」ニッポンの根幹をごく散文的に記述したものに他ならない。つまりこの作品は、裏返された「英霊の声」としてある。あっけらかんと天皇制を棄て去ることができなかった「ニッポンジン」には、未だにその神国思想の残滓が亡霊のように漂っている。

  • 2020/11/27購入
    2020/12/27読了

  • R2/2/13

  • 2016/09/27-10/18

  • 978-4-10-391203-3 412p 2009・1・25 ?

  • だんだん狂ってきてわけがわからなくなっていくような作品だがおもしろかった。

  • 虚と実が入り混じる奥泉ワールド。
    語り手や時点、表現形式が複雑に交錯し、読者は落ち着かない気分を強いられる。
    小説的試みはいろいろされているが、物語を引っ張る軸は余り強く感じられず、読了感は整理しづらいものであった。
    戯曲形式をとっていないところも含め、全体として一種戯曲を見ているかのような感じも受けることがしばしばあった。

  • 上下巻とも、試練でした。

  • 太平洋戦争を通じて日本人の精神性を描くのが主題か。 そういう意味では「浪漫的〜」に続く作品だ。 「座りの悪い」話なのはいつものことだが、それにしても難解。 (構成が「白鯨」のオマージュらしい。わからん) そして文章の密度は過去最大級。 終盤のSF的展開にニヤリとするし(ロンギヌスw)、 毛抜け鼠の存在は奥泉にしか出せない「語り」のマジックだ。 まぁビギナーにはすすめにくい、奥泉プロパー向け作品だろう。

  • 橿原などを舞台とした作品です。

  • 2011年6月14日読み始め 2011年6月18日読了
    上巻はコメディタッチでしたが、下巻では橿原の目的が段々と明かされていき、死者もごろごろ出るわ、過去と未来が行き交い幻想的な部分も多くなってます。とらえどころのない作風なんで、読む人によっては怒りそう…。
    自分も???って感じでしたが、一応筋は通ってると思いました。ただミステリ的ではなく、SF的には。
    「白鯨」をモチーフにしているらしく、読んどきゃよかったです。
    作品のテーマとして、太平洋戦争時の(狂気も含む)日本人と、現代の日本人の乖離を描きつつ、基本的なところは同じなんじゃないの、今の日本は過去のことをさっぱりと忘れてしまってるけど、そりゃおかしいんじゃないの、みたいなこと…なのかなと思いました。
    最後の主人公とネズミは、ちょっと泣けます。

  • 軍艦「橿原」には、「神器」がひそかに持ち込まれていた―。大量発生した鼠、そして極秘任務の真偽を巡って錯乱する兵士達を運んで航行を続ける「橿原」の艦底で、時空を超え、民族を超えたスケールの日本人論、戦争論が展開される。記念碑的純文学長編。

  • (上)を読んだので続けて読んだが、やっぱりよくわからんかった。

  • 群像2009年6月号書評より

    新潮2009年4月号書評より

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著者プロフィール

作家、近畿大学教授

「2011年 『私と世界、世界の私』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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