この人の閾

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (209ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103982029

作品紹介・あらすじ

芥川賞受賞作。

感想・レビュー・書評

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  •  芥川賞選評も含めて「特に何も起こらない」という言葉で語られることが多いように思うが、反抗という意味ではないにしても「そうか?」と思うのは、いろいろと巻き起こっている気がするからだ。そもそも何も起こらないとは何かということを考えてみると、丁度この本に収録されている「夏の終わりの林の中」において、動物も植物も無い世界についての夢想がある。以下その箇所を引く。

    "動物も植物もなくてただ海がある。風が吹いていれば波がたち、岩にぶつかる波の音もする。静かに繰り返す波の音もする。ぼくにはこっちの方が想像しやすかった。しかしひろ子の言う賑やかさとはほど遠い。小さな波が波打ち際に近いところで一つおこり、静かにひいていく。水はしばらくひいていき、やっと次の波がくる。"

    動物も植物も無い世界においても、たとえばこのように現象は起こり、そのあらわれとしての音は鳴るのである。ふまえ、あらためて「この人の閾」について考えてみても、実にさまざまなことが起きている。登場人物たちは読者の印象よりも立ち現れ、去行き、場面が変遷し、時間は経過している。他人である真紀さんとぼくは言葉をかわしながら、それが単なるコミュニケーションに収束するのではなくむしろ言葉の端々から縦横無尽なイマジネーションと考察が広がっていく。

     ではなぜそしてそういう小説が「何も起こらない」という印象を抱かせるのだろうか。
     不思議な言い方になるが、この小説においては時間/シーン/出来事の省略が少ないからではないかとわたしは思う。
    たとえば「桃太郎」を例に取れば、物語の中にある展開において桃太郎でもジジババでも家来の動物たちでもいいが、彼ら登場人物についての描写もしくは彼らの過ごす時間というものへの言及はほぼ皆無だろう。描写を極力省略し(どんぶらこどんぶらこと川を流れる桃くらいじゃないか?)、ダイジェスト的にかいつまんで話される「桃太郎」をしかし、「何も起こらない」と見做す人はいないだろう。
     「この人の閾」が、保坂和志の入念な観察と描写によって極端に密度の濃いある一定の時間を描いたことで、逆説的に何も起こらないとされるのは面白い現象であるとわたしは思う。それは現実への既視感とは異なる。むしろ、わたしたちがわたしたちの目にし耳にする現実をいかに無自覚に省略し概略しているかということが、少なくともわたしが保坂和志の小説を読むときに気付かされる大きな点なのだが、どうか。

  • この作品芥川賞受賞作品だったのか―
    もちろんそんなことも知らずに手に取ったけど
    本当にびっくりするほど
    なんてことのないことを書いています。

    で、結末も特に何も起きるわけではないです。
    ある種起承転結が欠如していると
    言ってもいい、邪道とも取れる作品でしょう。

    だからはっきりとした「何か」
    を求める人には向かない作品です。
    だけれども何でもないことを
    読ませる力には驚かされるばかりです。

  • なんとも…。
    純文学アレルギーになりそうだった。

  • 芥川賞受賞作らしいが、本当に何も起こらない日常生活を淡々と書いており、読んでいていらいらしてくる。こちらにこうしたものを味わう余裕がないのだ、ということなのかも知れないのだけれど。それだけ「物語」を求めているということなのか。草むしりしてビール飲みました、猫が死んでました、でははいそうですか、としか思えないのだ。

  • この人の閾 大学時代の先輩との再開 小田原
    東京画 玉川上水での一人暮らし その風景

    くせのある長いセンテンスが、
    やりすぎ一歩手前で踏みとどまり、
    余韻をつなぎ続けていく。
    感覚的で生活に即した作風に取り込まれて、
    自身の中の風景が掘り起こされた。

    以下、タイクツ。
    夏の終わりの林の中 目黒の自然教育園にて
    夢のあと 鎌倉散歩

  • この作品に限らず
    作者が描く物語の世界には
    何も起こらない。

    作中に、事件と呼べるような事象は、
    その予感すらどこにも見当たらない。

    世の中を動かすような大した出来事など
    僕達の身の回りには一切起こらないが、
    それでも僕達は
    目に映る日常のささやかな変化に対し何かを考え、
    誰かと交わした言葉に対し、思索する。
    無為ではあっても、
    そこに退屈や無意味は存在しない。

    同じようにこの作品には退屈の気配する
    感じることがない。

    誰かがただ考えること
    誰かがただ言葉を交わすことは
    大変興味深いことなのだ。

    「考えること」
    「誰かと言葉を交わすこと」が
    小田原や東京の誰もが目にしていたはずの
    町並みを舞台に、
    精緻に描かれる。

    舞台と人がしっかり描かれていれば、
    もうそれだけで十分物語となりうることを
    確認させてくれる作品。

  • この人の閾だけ読んだ。好きか嫌いか、面白いか面白くないか、でいえば、嫌い面白くない、だけど、

  • 前から読みたかった著者の短編集。「なーんだ特別コーナーにあったのか・・」でやっと借りれた。

  • 随分まどろっこしい読み物だなぁと。
    ひとつひとつの事象に観念論を持ち出して来てアーヤコーヤって有り得ん話だな。それ故、小説として成り立ってるわけか。芥川賞受賞作ってこんなんばっかやね。

  • 表題作の他、東京画・夏のおわりの林の中・夢のあと。

     <B>「遊びにおいでよ」――
     時は静かに流れ、“日常”は輝いている!

     芥川賞受賞作</B>          (帯より)


    はっきり言って、よくわからなかった。
    文章は――特に『東京画』において――メリハリがなく冗長に思えるし、内容も、≪描かれている≫というよりは≪書かれている≫だけだという気がする。
    私とは相性がよくなかったようだ。

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著者プロフィール

1956年、山梨県に生まれる。小説家。早稲田大学政経学部卒業。1990年『プレーンソング』でデビュー。1993年『草の上の朝食』で野間文芸新人賞、1995年『この人の閾(いき)』で芥川賞、1997年『季節の記憶』で平林たい子文学賞、谷崎潤一郎賞、2018年『ハレルヤ』所収の「こことよそ」で川端康成文学賞を受賞。主な著書に、『生きる歓び』『カンバセイション・ピース』『書きあぐねている人のための小説入門』『小説の自由』『小説の誕生』ほか。

「2022年 『DEATHか裸(ら)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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