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Amazon.co.jp ・本 (208ページ) / ISBN・EAN: 9784103985075
感想・レビュー・書評
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授業でサワリだけ聞いたような・・、よしなし事を聞いてもあの当時では興味も理解もできなかっただろう。
いつの時代でも諦観する人はいる。酒井流の分析もまた味わいあり。しかし兼好ってうっとうしいうるさ型だったのね。
兼好が鎌倉、金沢文庫に来訪していたのは、知らなかった。
あの称名寺の浄土式庭園に佇んだかと思うと感慨深い。(すばらしいところです。往時の方々が考えた浄土が見えました。特に雨のい日がいい)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
堅苦しくなくて面白い。清少納言と兼好法師の対談があったり、巻末には兼好ゆかりの地を巡る旅行記があったり。
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随筆界の2大巨頭、清少納言と兼好法師の霊(?)による対談が、面白い。
『枕草子』と『徒然草』の似ているところ、異なるところをあぶりだしていく。
同じくエッセイストの筆者からは、現代の感覚との違いも。
遠い昔の文章ではなく、身近に感じられる。
「徒然事件簿」の小ネタも楽しい。 -
『徒然草』の解説書とでも言うべき一冊。
よほど兼好に心酔したのでなければ、これを読んでおけば古典の知識としては充分、原文も現代語訳も読まなくて良いのでは?と思った。
同じ随筆文学として清少納言の『枕草子』と比較し、吉田兼好を清少納言と対談させてたりなど、趣向としてはなかなか凝っていて面白い。
『枕草子』や『源氏物語』についても同様の著作があるようなので、そのうち読んでみようと思う。 -
なるほど、鎌倉時代のブログだと思えばしっくりくる。
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古典再発見!学校の授業も、このくらい明け透け物を言う兼好のキャラクターを前提に、話を説いてくれたら面白かったはずだよ。
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「枕草子」に続く酒井順子の古典解説。「枕草子REMIX」を読んで枕草子とはこんなに面白いものだったのか、学生の時に気づいていたらもっと楽しい古典の授業の時間を過ごすことができたのにと思ったものだ。酒井独特の今風の視点で読む古典は面白い。「枕草子」にしても「徒然草」にしても何百年もたってもいつの時代でも人間の(日本人の)感情、考えというものはそれほど変わりがないということがわかる。ただ、価値観というものはかなり変わるのだろう。兼好の時代、特に兼好自身は慎み深いことがいいことだという風に考えていたようだ。しかし、酒井も指摘しているように現代は自己主張し、自分を表現していかなくては職にもありつけない。アメリカ的思考、価値観が席巻している。少し前までの「奥ゆかしいこと」「慎み」というものはある意味消滅しかけているのかもしれない。
作品ばかりでなく吉田兼好という人物にも言及している。酒井も書いているがエッセイとは自慢話をひけらかすことだということ。自慢ばかりではなく、失敗談、なさけないこともマイナスの自慢だという。これは現代のブログ、ツイッター、facebookにつながる。兼好も慎み深いことがいいといいながら「こんなことを言う私ってすごいでしょ」と内心は思っているのだという。なるほどだと思った。兼好はこういう側面もあったということが面白い。 -
徒然草を知らない私に、面白く部分的だけかいつまんで現代的にニュアンスを教えてくれた感覚。初心者によかった。これだけでは徒然草は全部分からないけど、吉田兼好の考えがすこし読み取れた。
令和の今も、鎌倉の時代と変わらない、そうだよな、と思わせられる考えがあって面白い。
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吉田兼好が、徒然草のなかで、老人は老人らしく!田舎者は田舎者らしく!など身の程や分を弁えろとやたら言ってるのは、
時代的(鎌倉時代末期)に鎌倉武士が力を持って貴族の真似事をして、後醍醐天皇周辺では朝廷に権力を取り戻すべく武張った空気が横溢していたから。それを嫌悪した…なるほど!
徒然草は自慢を忌み嫌うけど、徒然草自体が自慢の書…だよね
うん、吉田兼好って、今生きてたらTwitterやらnoteやらやってただろうな
清少納言との対談もクスッと面白かった -
酒井さんによる古典の解釈本は分かりやすいし、目のつけどころが面白い。兼好法師と清少納言の架空の対談によって、『徒然草』と『枕草子』の対比がよく割るし、それぞれの理解も深まって、良い構成。『枕草子REMIX』も読んでみたくなった。
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日本の古典も西洋の文化も、私にとっては似たようなものです。
言葉がわからないし、その時代の意識・価値観といったものが実感として味わえない、そしてその文化は高貴な人たちものであって、おそらく自分がその時代にその場所にいても縁がなかったのではないかと思う。
だからこそ、あこがれ、知りたくてたまらないのですが。
この本を読み、平成のエッセイスト酒井順子さんのおかげで、鎌倉のエッセイスト兼好法師による『徒然草』の理解がものすごく深まりました。
ときどき平安のエッセイスト清少納言女史にも登場していただいて兼好法師と対談されます。
一部抜粋。
兼好法師「平安文学を私なんかが読むと、『優雅でいいなぁ』っていうか、『ノンキでいいなぁ』っていうか、そういうことを思うわけですね」
清少納言「でもあなた、宮仕えしている時、武士にいじめられて嫌になったっていうわけじゃないんでしょ?」
兼好法師「そりゃそうですけど。でも落ち目の朝廷の中にいて、元々の家がさほどの名門でもないからあんまり出世も望めない中で、外の世界では武士たちがオラオラ言いながら派手なことやっているのを見ると、鉄鋼会社とか造船会社とか、その手のクラシックな会社のサラリーマンが『すっかり時流に遅れたみたいだな、俺って』と思いながらIT長者を指くわえて見てるみたいな、そんな気分になってきてねぇ」
とか、
「心にうつりゆくよしなし事」を「そこはかとなく」書きつけていった兼好の心理が、TwitterやFacebookといったSNSに思いを吐露せずにはいられない今時の人々の心理と、私には重なって見えてくるのでした。
と、酒井順子さん。
とてもとても遠いところにあった徒然草と兼好法師さんに親しみがわきますね。
そして、最後に徒然旅。
これ、びっくり。
だって、横浜市の金沢区栄区と鎌倉市を訪れているんだもの!
この時期に、私がこの本を読んだ、意外なめぐりあい。奇跡としが言えません。 -
「徒然草」を全て読んだことがある人は少ないと思う。改めて読むには「古典」というハードルが高い。「徒然草」を通じて、兼好法師はこんなことを言いたかったのでは、こんなふうに考えていたのではと紹介してくれているのがこの本だ。また「枕草子」と比較して、言葉の意味の違い、時代の違い、男女で相違があることが面白く書かれている。
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大変わかりやすい徒然草解説です。
学校で習ったときは、坊さんが書いた枯れた随筆くらいに思っていましたが、それほど「あるある」とか「わかるわかる」と共感して読んだ覚えもありません。
でも酒井順子の書く吉田兼好みたいな人は、この先絶滅するかもしれませんが、今ならまだかろうじて周囲に見つけることができます。
「オレがオレが」と前に出てくる人が嫌い。
成金趣味でごてごて飾り立てたり、多く持っていることで安心するような人が嫌い。
年寄りが若者にこびているのが嫌い。
田舎者が嫌い。
無関係なことに頭を突っ込みたがる人が嫌い。
お坊さん=仏様にお仕えする人=包容力がハンパない人
というイメージがありましたが、兼好さんはもうかなりの偏屈ジジイです。
その偏屈が、なぜ現在に至るまで読まれ続けているのかと言えば、兼好が書いていることって少数派の意見のようですが、実は多くの人も心の中で思っていることだからなのではないかと思います。
先に、学校で習ったときは共感しなかったと書きましたが、今回は共感しまくりです。
もちろん時代が違いますから、階級社会に疑いを持つこともなく暴言を吐く兼好に賛同はしませんが、自己アピールなんてしなくても周囲にその才能を認められ、センスのいいものを少しばかり持つ品の良さを保ち、己の分を弁え、一本筋の通った生活をしたいと少なくとも私は思います。
でも、そんな生き方している人ってそうそういないでしょ。
アピールしなかったらそもそも見つけてもらえないし、センスに自信がないし物欲には限りがないし、己の分がどの程度かわからないし、筋の通った生活をしようにも世の中が煩雑すぎます。
だから出家しなされ、と兼好は言いますが、だからそれが無理なんだってば。
兼好の主張を理解はできますが、実行はできない。
そんな人ばかりが世の中に溢れていたら、そりゃあ、兼好も偏屈になりますわね。
人里離れた山奥に庵を結んでいるのに知人が訪ねてくるのは、うるさいなあ。
人里離れた山奥に庵を結んでいるのに知人が訪ねてきてくれるのはありがたいなあ。
人里離れた山奥に庵を結んでいるけど、今日みたいな日は誰か来てくれないかなあ。
人を拒んでいるようで、案外とさびしがり屋のところもあったりして、ラブリー偏屈ジジイです。
が、書いていることは過激です。
「人間、やっぱり容姿でしょう」(生まれも含む)
「男が持つべきでないもの、それは妻」
「死んだ後に財産を残すような奴は、バカだね」
「貪るばかりで仏道へ進まないものは、畜生と同じ!」
「過去の逢瀬をしのぶ時間っていうのが、恋の真髄じゃない?」
こんな感じで酒井順子が兼好法師を訳してくれます。
そして、もう一人。
「枕草子」を書いた清少納言が時々出てきて、平安時代と中世の違いを語ってくれます。
兼好法師と清少納言の夢の対談。
偏屈ジジイの吉田兼好より、清少納言の方が懐が深いというか、世の中のあれこれを楽しむ達人のように思われます。
これは時代のせいなのか、男女の差なのか、個人差なのかはわかりませんが。
ああ、個人の差というのは確かにありそうです。
自分の生きてきた世を、悲しい出来事辛い時期があったことも含めて、清少納言は肯定しているように思いますが、吉田兼好はとにかく来世の幸せのために現世を生きているようなところがあります。
そんなことを考えながら、もう一度原典に当たるのもいいかもしれません。
おまけに「枕草子」も読みたくなります。
大百十六段
「寺院の名や、その他色々なものに名をつける時、昔の人は少しも趣向をこらそうとせず、ただありのままに、簡単につけていた。この頃のネーミングというのは、やたらと凝って考えて、才覚をひけらかそうとしているようで、いやったらしいものだ。人の名にしても、珍しい文字を使ったりするのは益のないこと。何においても、浅学の人というのは、珍しい事を求め、異説を好むものなのだなぁ……」
懐古趣味の鬼、吉田兼好の面目躍如の文章ですが、きらきらネームを思い浮かべて爆笑してしまった。
きらきらネームの種は、こんな昔に蒔かれていたのだなあ。 -
現代語にするだけで枕草子も身近な人に感じられるからフシギ。春はあけぼの~が夜遊び後だったとは!そしてその時間まで人を寄せ付ける枕草子は魅力ある人だったのしょう。
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「おれおれ、おれってなんかオーレ!」
鎌倉時代を代表する古典文学『徒然草』を自らもエッセイストである著者が読み解く。近著『枕草子RIMIX』から清少納言も参戦して、三つ巴の(?)エッセイスト談義が展開。
兼好法師が「心にうつりゆくよしなし事」を綴った心境は
現代のツイッターやフェイスブックに
思いを吐露する人々の心理に似ているとする酒井さん。
俗世を捨てた出家の身でありながら
その心に浮かぶことは十二分に世間に読まれることを意識したものであり
そこに「おれの存在」がしっかりアピールされていることを見逃さない。
〈「俺って都会人だから」
「自慢しない俺ってすごいだろう?」
「俺って渋い考え方してるだろ?」
「こんなに教養豊かな自分」
「こんなに人間関係のツボを心得ている自分」
「こんなに来世のことをしっかり考えている自分」
「自分はこんなに正しく真実のみを見て、正しいことを書いているというのに、
世間のやつらはバカばっかり!」〉
徒然草には
「大根の恩返し」とか
「栗しか食べない女」とか
「だからそれがどうした?」な話も入っているのだが
そういう話をさりげなく入れていることも含めて
兼好の徒然草は「おれ自慢」の文学なのだ。
そもそもエッセイとは自慢話をひけらかすこと、だという。
酒井さんは徒然草を語るこのエッセイもまた
「私はこんな風に一味違った観点から徒然草を読んでいてよ。どう?」
という自慢であると言い切る。
人間は基本的に自分LOVEなのだと思うけれど
自分自慢ってしたいと思っても実際することは憚られるじゃないか、普通。
まあ、おれ自慢も数百年ごしならもはや潔いってことで。 -
徒然草を、ちゃんと読んだことがなくても楽しめる。訳本ではなく、今のメディアとからめて解釈しているのが面白い。
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12/10/27 徒然草の新しい読み方。男の著者のように小難しくなく新鮮。
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酒井順子さんの徒然草の面白解説本風エッセイ。新幹線や飛行機での時間つぶしにはぴったりの本。古文でつれづれなるままにひぐらし、、、、の部分だけかじって全編を読んでる人はまずいないとおもうのでなかなか興味深く読めるはず。
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「徒然草」の著者である吉田兼好について、「負け犬の遠吠え」で有名なエッセイストの酒井順子さんが、同業者(?)の立場から言いたい放題、という本。エッセイ(随筆)を書くような人間に共通するメンタリティが赤裸々に記述されている。どうやら私も人種的に彼らの仲間みたいで、いろいろ共感できる点が多かった。他にも、清少納言と吉田兼好による「エッセイスト巨頭会談」が挿入されていたりして、読んでいて飽きない。
以下は、酒井評による吉田兼好の性向を抜粋したもの。
・未来より過去、新しいものより古いもの、生きている人より死んでいる人が好き。
・進歩なんて不要。
・無常が好き。
・奥ゆかしさが好き。
・他人や世間と接触して心を乱されたくない。
・新しい刺激を受けることがストレスになる。
・自分の意見を先人に語らせる。(聖徳太子曰く「・・・」、のように)
・みんな身の程をわきまえろよ。
まとめると、世の無常を深く納得した上で、それでも安定・不変の状態を希求してしまう二面性を兼ね備えていたのが吉田兼好という人物だったのである。
著者プロフィール
酒井順子の作品
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