死と生きる 獄中哲学対話

  • 新潮社 (1999年2月18日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (232ページ) / ISBN・EAN: 9784104001040

感想・レビュー・書評

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  • 殺人犯と哲学者の“蘇死”対話《赤松正雄の読書録ブログ》

     かつて衝撃を受けた映画『渚にて』(核の恐怖を描く)や『日本沈没』(大地震の恐怖を描く)が現実性を持って思い起こされるなか、もどかしさだけが募る一週間が経った。

     今月初めだったろうか、都内に住む友人から頂いたメールで薦められた池田晶子、陸田真志『死と生きる』を読んだ。獄中哲学対話と副題にある。既に病死と獄死をしている二人が今から13年程も前に交わした文通。出版されてから12年は経ている。並外れた哲学者としての池田晶子さんの振舞いや発信力―それを遠い空の花火のようにしか見てこなかった自分をひたすらに恥じる。凶悪極まりない殺人犯がソクラテスの毒杯を仰いでの死に目覚めた。その思考過程に哲学者が深い「愛」で人間存在の根底に只ならぬ影響を与える。

     およそ日常的でない奇跡のような対話が展開され、息を飲み目を瞠りつつ引き込まれる。〈死は不幸なことではない。万人にやってくる必然であり、本当に不幸なのは、生きているうちに自己を考えず、知らず、ただただ金や食い物や、ヤルだけの恋愛だけを自分の幸せと思って、ただ生きて死ぬことだ〉と語る殺人犯。それに対して哲学者は「現代日本に最も必要なのが、まさにこの言葉なのです」と言い、「人々は、ただ生きるために命を大切にしている、善く生きるために命を大切にするのではなく」と返す―哲学とは何かの核心がこうしたやりとりに含まれているに違いない。

     「善く生きて、死ぬ」とは何かと、苦闘した我が遠い日々。理想としてのプラトンの哲人国家、哲人政治家像をにらみながら、現実には仏教者としての私的な生き方を選択した。やがてそれは庶民政治家としての公的な生きざまとの合体に発展した。あれから40有余年の歳月が経つ。それなりの達成感といまだ道半ばの思いとがない混ぜになって今我が胸を去来する。

  • 一気に読みきった。
    言葉の怒涛と応酬は常軌をあからさまに逸脱している。

    哲学者・池田晶子と死刑囚・陸田 真志の手紙のやり取りが書籍になったもの。

    拘置所のなかで、哲学的思索を続ける陸田氏。
    思索は時に、思索事態の普遍化を誘発し、その延長線上に殺人の許容へ至る場合がある。
    なぜなら、死それ自体は不幸ではない、とすることができるから。

    池田氏はそれを断罪する。
    殺人犯であり死刑囚である陸田にしか書けない思索がある、
    たどり着けない真理があると。

    人を殺すということはどういうことか、その考えを書けと。
    ドストエフスキーのような天才が「罪と罰」で想像で描いた、
    その殺人という行為を実行に移した殺人犯・死刑囚にしか書けない、
    そこを考えて表現せよと、愛をもって糾弾する。

    圧巻の書籍。

    • kashikurayoshimiさん
      書の核心をこれほど端的に凝縮しているのに驚きました。感動の表現もすばらしいです。
      僕が「新潮45」での連載を知ったのは、谷中墓地の真ん中に...
      書の核心をこれほど端的に凝縮しているのに驚きました。感動の表現もすばらしいです。
      僕が「新潮45」での連載を知ったのは、谷中墓地の真ん中にある交番でふと手にした警察広報誌に載っていた池田さん自身の連載紹介記事でした。池田さんの尋常でない決意がその文章の中にありました。
      2011/04/15
  • 2回目。「私は自分を死刑囚だと思おう」と考えていたら本の中に「人は皆死刑囚」と出てきて、それから「いや違う」となって考えを深めて行ったところが心に残った。

  • 池田晶子氏と陸田真志 死刑囚の往復書簡をまとめた一冊。
    陸田真志という人物も犯した罪も全く知らなかった。
    罪状だけを見れば、短絡的な凶悪犯というイメージが湧くと思う。
    その実、その通りといえばその通りなのだが、彼は自らの死と向き合う中で、池田氏と言葉を交わす中で、真に考え、問うということがどのようなものなのかを本書の中に遺していると私は感じた。
    安っぽい懺悔録、回顧録とは一線を画している。
    死刑囚という現代社会では最も俗悪とされる人間が真理に近づいていくように感じる様が綴られていた。
    逆にそこまで堕ちなければ善く生きようとは思えなかったのではないのだろうか。

    属柄属性にとらわれ、何を言っているかより、誰が言っているかが重要視される昨今、少なくとも彼の言葉は私には届いた。
    このようなことを書くと犯罪者賛美のように曲解する方がいると思うが、真摯な言葉は受け止めるに値する。罪を犯したら正しいことを言ってはいけないなんてことはない。
    一方、驕りや感情の昂ぶりを感じる文面もあるが、池田氏に喝破され冷静さを取り戻しているところに、しっかりとした理性がある人間なのだなと感じた。
    彼が語る「観念」と「行為」については深く頷けるものがあった。
    人が人を殺せないのは、心理でも倫理でもなく、「理性という本能だ」という言葉は、私自身の体験からも納得がいった。

  • 著者と陸田死刑囚との半年間の往復書簡。調べてみると、死刑が確定してから、著者の方が腎臓癌で先に亡くなっていた。
    陸田死刑囚によって事件時の心境などが明晰に自己分析されていて興味深い。死を目前にして突然様々な事を深く悟るということがあるのだ。
    この書簡には少ししか触れられていないが、父親との関係は良好では無かったようだ。小学生のとき殺してやろうと思った事があるそうで、何か虐待を受けていたのではないだろうか。
    刑が執行されるまで10年、何を思って生きたのだろうか。死刑を恐れている人では無かったが、迷惑をかけるとしたら、執行する刑務官であるという認識には共感する。
    彼は双子の弟だったらしいが、双子の兄は全く性格が違い、倫理観の強い人らしい。同じDNAを持ち、同じ環境で育ちながら、何故そうなったのか?不思議である。

  • もしかしたら、自分が生きる上で一番影響を受けた本かもしれない。
    何度読み返したか。

    この本の発行日が1999年2月18日。

    池田晶子が2007年2月23日に腎臓ガンのため46歳で亡くなり、
    翌年、陸田真志が2008年6月17日に死刑が執行されている。
    池田に勧められて上告して、
    2005年10月17日の最高裁の判決からわずか3年足らずで執行、
    というのは他に比べるとものすごく早いんだよな。
    あくまでも想像なんだけど、これはきっと
    本人がすみやかな執行を望んだからではないかと思っている。

  • 【要約】


    【ノート】

  • 印象に残った文章は以下。

    1)未徹在、悟後の修行が大事

     1.気づくことは実は易しく、それを「保つ」もしくは「為す」ことの方が、よほど難しい。
               ↓
      「わかった」そのことを絶対としてのその質を、この人生において生きること、生き通すことの如何に困難であるとか。

     2.「悟後の修行」が大事

     ・人は一度わかったことを忘れます。

     ・意識的に、自覚的に努めない限り、わかったことを忘れてしまうのです。

    2)哲学は素質

     ・万人に哲学が可能なわけではありません。あれは素質です。

    3)次世代へ

     ・真理を認識し、生み出すのに不適当な人間は、自己の肉体を超えて、次世代に求めようとして、子孫つまり子供を生もう、残そうとするのではないか。そう魂が求めているのではないかとも思える。
     
     

  • 毒にも薬にもなるとはこの本のことを指すのでは。

  • 【読前メモ】小池一夫氏が神戸の少年Aの自伝出版を批判しているTwitterの中で薦めていたいっさつ。
    小池一夫 @koikekazuo
    哲学者と死刑囚の往復書簡というかたちの対話。この本は、一読の価値あり。哲学者の池田晶子さンは、死刑囚よりも早く癌で亡くなり、死刑囚の陸田は宮崎勤と同じ日に刑が執行された。「善く生きる」とはどういうことなのかを考えさせられる一冊。

  • 池田さんのもので以前から気になっていたので。
    こんなに熱い池田さんは初めて。
    ひとりの人間の考えるという可能性。池田さんは教えたわけではない。陸田氏自らが気付いたから成せたこと。彼が善く生きようとしたからそれはことばになった。
    本当に言霊とは言いえたことばだと思う。彼のことばに触れるうちに、自分の中に孤独なひとりの死刑囚の存在が感じられて、思わず抱きしめたくなった。そんなことで孤独が癒されるわけではないけれど、それでも、気付かせてくれてありがとう、そう伝えたい。
    自由、死刑、罪・罰、死と生…あなたの考えは不滅です。今ここにしっかりと存在しています。
    池田さんの「書く」ということの苦労もまた、感じられた。ただ善く生きるということはありえない。それはただ生きていることに変わりない。すべての人が善く生きられるとき、そこに気付かせることができる時、善く生きられる。いつどこでも、誰に対しても伝えられぬようなものは、真理ではない。
    「書く」ということはなんと重く大変な営みだろうか。
    「ことば」をもってしまった人間の運命。思わず、筆を置きたくなってしまうけれど、それは真理が許さない。だからどうしても池田さんも陸田氏もこんなにも熱くなってしまう。ほんとうに愛にあふれた人たちだなと。これが愛かと、気付かされてしまった。
    孤と孤はどういうわけか出会ってしまう。徳孤ならず。必ず隣あり。ご縁の不思議。

  • 死刑囚との公開往復書簡集。死刑囚が限られた時間の中で「考える」という試みがかなりお、おもしろかったです。人を殺そうという気持ちがどこで行為に変化するのか、その本人自身の分析が興味深かったです。

  • (1999.04.09読了)(1999.02.22購入)
    (「MARC」データベースより)
    この世で「善く生きる」とは? 息詰まる言葉のドラマが始まった。死刑判決を受けたSMクラブ経営者殺人犯人と気鋭の女性哲学者による、懊悩する魂の遍歴の果てからの往復書簡。

    著者 池田晶子 イケダ・アキコ
    1960年東京生まれ。
    慶応大学文学部哲学科卒業。
    哲学するとはどういうことかを日常の言葉で語る「哲学エッセイ」を確立した。
    2007年2月23日、死去。

  • 2011.10
    死とともに生きる 獄中哲学対話
    良いと善いとは違う
    生きている間は絶対に知り得ない自己の死は存在し得ないし、存在しない死があることによって、在るとされる、生は在るも無いもない。
    今、本当にあるのは、思う自分をあると思う考えだ。そして、その考え自体にある全ての存在への判断基準は、在るも無いもない生によってはあり得なく、それ自体として正、否、がああり、それは生まれたのでもないのだから死にもしない。
    それが、イデアだ。
    それはだれにとっても同じでしかない。正しいという考えから導かれるのは正しいであり、正しくないから導きかれる考えは、誰にとってもいつの時代でも、どの場所においても正しくないであり、それは皆同じだ。
    西田幾多郎の絶対矛盾的自己同一
    絶対に矛盾する、今、この瞬間の自己への認識である生と自己そのものなどの同一性
    一切衆生悉有仏性
    あるものは思えるし、あるものはある。無いものは思えないし、無いものはない。仏性とは思いそのものだ。考がイデア、仏だ。それが真実だ。それを気付くことが解脱だ。
    神の国の見出し イエス 自分の中にあるイデア、義を見出すことだ。
    それがプラトンの言った理想国の発見だ。
    弟子達はそれを死後の世界と考えてしまった。イエスのとった宗教という手段も、わからないなら信じさせよう。形だけでも良く生きるだろうというあきらめから始めた。
    全ての人間の欲望を否定しようとしたトルストイもそれが個我の欲求に他ならず、その矛盾を抱えたまま結局個我を否定しきれなかった。
    良いと善いとの混同
    世は騙り
    ソクラテスアクター説
    誰かと語り合うといいながら、実際には自分自身としか語っていない、それ以外には語ることはできない。
    善く生きるということは善く死ぬということではない。努力をつづけていくこと。

  • 池田晶子氏と睦田死刑囚との往復書簡をまとめた本である。
    獄中で池田氏の本を読み、死と生、有と無について哲学的な考えに目覚めた睦田死刑囚の一通の手紙から往復書簡が始まる。
    途中、往復書簡を続けるために控訴を提案したりとかなり劇的な展開を見せつつも、言葉での本気のやり取りは迫力がある。
    ただ、睦田死刑囚が「親の資格」について語っている内容については、池田氏も好評価を与えていたが、私には納得ができない。
    親とは親になって初めて親になるのであって、子供が生まれる前から親になっている人はいない。
    子が生まれ一から親になっていくのだから、親の資格という定義自体が存在し得ないと思う。
    ラストに殺人という一線を越えた本人しか語れない「なぜ殺人をやったのか」という問いに対する睦田死刑囚の返信は期待外れであった感がある。
    この一線は言葉で表現するのは不可能なのだろうか?
    本文中ににもでてくるが、『罪と罰』のラスコーリニコフの心理描写の秀逸さを改めて感じた。
    読んでいて損はない一冊である。

  • 『新潮45』に連載されているのを知ったのは、谷中墓地の五重塔跡横にある交番。ふと手にした警察の広報誌に池田さんの手記があり、睦田さんとの関わりと連載開始が触れられていました。出会いも不思議ですが、この書による新しいつながりも出来続けています。
    「ようやく私と対等に語り合える相手が現れた」と語る池田さん。しかもその相手は獄中の未決殺人犯。十数年後には二人ともこの世に存在しないことを知っている自分にとって、この書簡交換は二人にとって人生で最も濃密で幸せな時間であったと感じるし、自分に同じ時間が訪れるのだろうかとわが身を振り返ってしまう。

  • 池田氏と陸田氏の熱い対話…一気に読んでしまった。

  • こんなに刺激的な本は滅多にない。覚悟を持った二人の対話は突き抜けてる。こんなセンスはどこから来るんだろう。極限的状況を経験したためか、生まれ持った魂の資質なのか?二人とももう既にいないことがまた感慨深い。

  • 死刑囚と著者が文通というカタチで対話をしていく。
    その軌跡をつづった話。

  • 宮崎勤と同日に死刑執行された陸田真志。
    調子に乗ってきた陸田氏が池田氏に叱られるのには笑った。
    いい本。

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著者プロフィール

1960年東京生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科卒業。文筆家。専門用語による「哲学」ではなく、考えるとはどういうことかを日常の言葉で語る「哲学エッセイ」を確立して多くの読者を得る。とくに若い人々に、本質を考えることの切実さと面白さ、存在の謎としての生死の大切さを語り続けた。著書多数。2007年2月23日没。

「2022年 『言葉を生きる 考えるってどういうこと?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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