- Amazon.co.jp ・本 (390ページ)
- / ISBN・EAN: 9784104056033
作品紹介・あらすじ
太平洋戦争の本当の"戦犯"は誰なのか?彼らは何のために戦争を始めたのか?「伝えられている歴史があまりにも事実と違う」-戦後、日本海軍中枢のエリート、約40人が密かに集まり、語り合っていた内容が400時間分ものテープに残されていた。その告白をもとに、遺族、関係者への徹底した取材を行い、明らかになった驚愕の昭和秘史。
感想・レビュー・書評
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「陸軍は暴力犯。海軍は知能犯。いずれも国あるを忘れていた」――。衝撃的な言葉がひかれた帯に目が吸い寄せられ、思わず買ってしまった。
かつて大本営に参与していた海軍上層部の参謀たちが、戦後400回にわたってひそかに重ねていたという「反省会」のテープ。まるでミステリ小説のようだが、テープから見えてきたものは意外な事実というより、あまりに見覚えのあるこの国の姿である。
海軍は強硬路線に突き進む陸軍に引きずられて、やれば負けるとわかっていた対米戦を始めてしまったという支配的な言説は、戦後処理において海軍を免責することにつながってきた。しかし実態はどうだったのか。陸軍によるクーデターの危険がささやかれていたとはいえ、海軍もまた主戦論を唱えたことに変わりはない。その背景には、これまで戦争準備を唱えて予算を獲得してきたのに、今さら戦えないとはいえない、そんなことをすれば陸軍に主導権を握られてしまうという組織防衛の利害があったというのだ。
さらに、皇族である伏見宮を軍令部総長に据えることで、省の下に置かれていた軍令部の権限を強化させた「謀略」、そして日本の政府と民衆を開戦に導くためのシナリオともいえる報告書をまとめた陸海軍エリートたちによる第一委員会といった驚くべき事実が、元参謀たちの口から明らかにされている。
特に愕然としたのは、フランス領インドシナへの侵攻について「アメリカがあんなに怒るとは思わなかった。そこまではいいとなんとなく思っていた」という発言だ。陸海軍のエリート中のエリートたちは、完全に世界の情勢を読み誤っていた。彼らの根拠なき確信によってもたらされた破滅の深刻さと、反省の弁の耐えられない軽さとの距離はまさにショッキングだが、大局を見ない組織的利害の優先、外部からの批判の欠如はそのままに、指導者たちにとって都合の悪い情報は破局にいたるまで国民の目から隠され続けたのだった。
この歴史的事実ひとつとっても、特定秘密保護法などというものがいかに恐るべき帰結をもたらしうるかは明らかではないか。しかしまさに、こうした指導者と組織の在り方を徹底的に追及しなかったがゆえに、同じ体質をもったまま今日の日本社会が継続してしまっていることを、痛いほどに思い知らされる。
本書を執筆したNHKのスタッフたちもくりかえし、これは自身も組織の内部で直面する今日的課題だと書いている。そのNHKは今や安倍人事によって大本営発表機関となり果てようとするありさまだ。このような状況下で一人ひとりはどこまで闘えるのか。そのとき忘れてはならないのは、外の目だろう。真摯に歴史に向き合っているディレクターたちでさえ、対米戦の反省はあってもそれ以前のアジア侵略・植民地支配については十分に視野に入ってきていないようなのは気になるところだ。だが第5章で描かれている中国のサンソウ島事件、元いた住民たちが虐殺されてしまった後に、沖縄の移民たちを入植させたという顛末ほど、歴史の恐ろしさを示すエピソードはない。無人と聞かされた島の畑に転がる人骨に、空白にされた歴史を知って、震えて泣いた人たち。私たちは空白の恐怖まで引き受けながら歴史と直面できるのか。そして空白をつくりだそうとする政治に立ち向かえるか。たいへんな努力の詰まった本書に感謝しつつ、その一歩先まで考えなければならない政治状況に今立っていることを、秘密保護法成立後の今、あらためて感じている。 -
戦後、日本帝国海軍の幹部たちが秘かに集まって座談会を開いていた。日本はどうして戦争をし、なぜ敗けたのか?を語り合っていたという。それを記録した400時間分ものテープが残されていた。その告白をもとに遺族・関係者に取材したNHKディレクターたちの記録。
力作である。
帝国海軍がどのように開戦を決断し、なぜ自分たちは負けたのか。率直に語られる海軍幹部の証言は第一級の歴史資料だろう。
開戦・特攻・戦犯の内容で構成されている。
正直知らないことが多かった。
海軍軍令部の権力が拡大した背景には宮家の伏見宮博恭王の存在があった。伏見宮が軍令部の長となったことでその威光ゆえに誰も逆らえなくなり軍令部の力が強まったと。
開戦シナリオを描いた第一委員会や戦争を煽った政治将校石川信吾元少将の存在など興味深い記述も。
それよりも驚くのは海軍が戦争決意を迫った理由が予算獲得のためだということ。軍人であってもヒト、モノ、カネを取れる人が出世する。(これはいまの官僚と同じ)予算を獲得するには、軍事衝突の危機を煽ること。予算獲得に夢中になるあまり、本来の役割である作戦立案がおざなりになり何事も場当たり的な対応で戦略を欠く結果となった。。作戦実行の決め手となったのは軍事目的からでなく海軍内部の人事関係だったという件なんか読むと海軍善玉論など神話でしかないことがわかる。
読んでて悲しくなるのが特攻作戦。戦域が拡大しつつも戦況が行き詰っていたことが特攻作戦を生み出す背景の一つであった。特攻を誰が、なぜ考え出したのか?をディレクターたちは丹念にテープを聴き取り、取材し調査していく。
その過程で軍令部第一部長・中澤佑中将。その部下・源田実元大佐。そして軍令部第二部(兵器化開発)部長・黒島亀人元少将(黒島少将は連合艦隊司令長官・山本五十六の下で作戦を立案した参謀だった)など特攻作戦に関わりがあった海軍幹部たちの名が登場する。特攻作戦は現場の指揮官や兵士たちの熱意によって考案されたのではなく軍組織の指令と関与が深くあったことを取材者たちは突き止めている。
本書は決して特攻作戦の犯人探しや厳しい戦争責任追及のトーンでは書かれていない。が、今後戦争責任を考える際に参照すべき人物たちの名であることは間違いないだろう。
そして敗戦後、戦犯裁判対策に苦心する海軍の様子は悲しいの一言。
証言が矛盾しないように組織ぐるみで口裏合わせと証拠隠滅していた実態。
潜水艦事件(潜水艦が連合国の商船を攻撃していた犯罪行為、軍中央は関与否定)やスラバヤ事件(インドネシアのスラバヤで発生した捕虜の処刑。軍司令部からの命令があったが、現場で指揮した篠原大佐が独断で行ったものとされ、大佐ひとりが死刑となった事件)など組織を守るために行われた非道な事例に言葉を失った。東京裁判で死刑判決を受けた海軍幹部はゼロ。だが、BC級戦犯として処刑された海軍将兵は200名にのぼる。
明らかにされていなかった昭和海軍の歴史を発掘するとともに現代に通じる教訓をも引き出している。おそらく本書の貫くテーマは「組織と個人」だろう。開戦において、特攻を考案した経緯で、戦犯処理における過程で、「組織と個人」の問題が浮き彫りにされる。それは現在の企業社会にも通じることだ。
間違いであるとわかっても止めることができないやましき沈黙。
空気に呑まれること。やめる勇気と決断力のなさ。組織内のセクショナリズム。トップの人間に戦略がない。あるのは保身と無責任。危機の際は組織は防衛意識が強くなる。そして責任を負い、犠牲を払うのは現場にいる人たち。僕は本書を組織論の視点から読んだが、取材ディレクターたちも「組織と個人」というテーマを浮き彫りにする形で番組を制作していることがわかる。ほんと身につまされる内容なんだよね・・・。
ただ複数の取材ディレクターがそれぞれの章を書いているので記述内容に重複部分があり読みにくいところがある。そもそも日本帝国海軍の歴史についての内容なのか、それを取材したNHKディレクターたちの取材記録なのか、視点とテーマをもっと絞って欲しかった。いいたいことは分かるんだけれどももっとコンパクトにまとめられたのでは?
この点を曖昧なまま書き進められた印象があり残念だ。 -
戦争
軍事 -
戦後、当時の海軍メンバーにより開催された反省会のテープを通して戦時に日本海軍がどのような考えを持ち、どのように意思決定がなされていったのかを明らかにしていく書。テレビ放送は見ていないが、明らかにテレビとは違って細かな記述がおおく、それだけに本の厚みもある。
結論から言うと、「あの時の空気に抗えなかった」等と戦犯たちが証言していたことは知っていたので、改めてうんざりすることになった。
意思決定の過程は非常に「雑」であったし、上層部が現場指揮官に責任を押し付けて天皇、そして自分たちを守るという(上層部は否定しても、まず有責であることは間違いない)、吐き気すら覚える展開だった。
そして、回天の説明箇所は驚愕だった。そんな兵器を今後作らないように、誰も乗ることのないように、犠牲の上に作られた社会に暮らす僕たちが、反省を次の時代に生かしていかないといけない。 -
対米戦を名目に予算を獲得していたので開戦に反対できなかったこと。回天も神風も特攻は現場の熱意が契機で個々人の志願が建前だったが、実際は中央の構想があったこと。インド洋での潜水艦による連合国商船攻撃と非戦闘員殺害やスラバヤでの捕虜・住民殺害は、中央や上級司令部の指示があったことは東京裁判の過程で旧海軍の人間により組織的に隠匿され、特に後者では現地でっ命令を下した参謀一人が責を負ったこと。中国三灶島での海軍飛行場建設のための住民の立ち退きや殺害(推定)。「陸軍は暴力犯、海軍は知能犯、いずれも陸海軍あるを知って国あるを忘れていた、敗戦の責任は五分五分」という東京裁判日本弁護団の言葉。
軍令部中心に焦点が当たっているが、海軍省や艦隊司令部の責もあったのかもしれない。いずれにせよ、「海軍善玉論」や特攻の美化を否定するに十分である。また、特攻に関しては実際に命じられた又は直接命じた、すなわち現場により近かった士官たちの方が、直接の責任を否定する旧高級参謀たちに対し怒りを持っていることも分かる。
旧海軍高級士官たちの「海軍反省会」は、開催当時は秘匿されていたが、録音や資料の保存は認識されていたと思しきことから、参加者たちは将来はその内容が世に出ることを多少なりとも予想していたのかもしれない。テープの半分を保管していた存命の参加者は、当初は即断で公開を拒否していたが、後には暗黙で許している。
番組制作者たちの取材努力には敬意を払う一方で、個人の立場や信条よりも取材成果や絵になる映像を追う「テレビ屋」的なあり方が多少鼻につかなくもない。しかし、つい取材成果のみを負いがちになることや海軍幹部の糾弾のみに終わらせてはならないこと、現代にも共通する組織の問題であることを制作者たち自身も述べているので、反感を感じず読むことができた。 -
「日本海軍400時間の証言」
最近本屋に行ったときに文庫本になっていたのを見つけて、買ったまま積読になっていたのを思い出して読み出した。高いハードカバーを買っておいて損したと思いながら。
この本のタイトルの番組はだいぶ前にNHKスペシャルで放送していたが見逃してしまった。
本は番組制作後作られ、担当したプロデューサーやディレクターたちがそれぞれの担当分を主に書くような構成でできている。
主題は太平洋戦争がどのように始まったのか、その経緯から現代に生かせる教訓は何かという視点に立ち、戦争を始め指揮した側の内情を中心に書かれている。
取材の始まったきっかけは海軍反省会という、元海軍士官たちの戦争を振り返っての反省会の録音テープが見つかったことからスタートしている。いわば戦争を始めた張本人たちの証言が元になっている。
反省会は1980年から1991年まで131回にわたってほぼ毎月開かれていた。そして、始まったのも海軍トップにいた元上官たちが亡くなった後に始まっているというのが興味深い。上官がいるところでは面と向かって意見が言えない軍隊ならではの上下関係があることがよくわかる。
本書の内容は番組にしたがって、開戦、特攻、そして戦犯裁判である。
知らないことも多かったし、番組スタッフの苦労や思いも書かれていて読み応えがあった。事実を残そうとして奮闘した人たちの思いが伝わる。
本の入稿、校了の時に東日本大震災が起きエピローグでの以下の言葉が重い。
「最悪の事態を予想せず、楽観的な予測に基づき、作戦を立案する。最前線に無理を強い、幹部は責任を取らない。外交努力、説明責任を果たすことを怠り、諸外国から孤立する。真実を国民に公表せず、現場を軽視し、ひいては国民の命を危険に晒す・・・・・。」
戦争当時と同じことが原発事故で起こっているではないか。
過去の話ではなく今起こっている組織の話ではないのか。
戦後70年という節目にたまたま読んだこともあるが、考えさせられる、考え続けねばならない問題であると感じた。
番組は見逃したがNHKオンデマンドにあるようなので改めて番組も見てみたい。 -
これ、放送見ました。で、てっきりその放送を文字化したようなものかと思ったら、どちらかというと製作裏話みたいな感じ。それはそれで興味深かったけど。しかし放送を見たときも思ったけれど、これが反省会なのねぇ。いろいろあったけれど、結局は自分たちは悪くないもん、悪いのは時勢だとか陸軍との関係とか、あるいはもう死んでしまった人とか、とにかく今ここにいる自分たちと海軍という組織そのものは悪くなかったんだよって言いたいんじゃん、と。東京裁判もいろいろ言われるけれど、でももしこの裁判がなかったら、(内容に偏り等はあるかもしれないけれど)目に見える形であの戦争を振り返るようなことはしなかったような気がする。組織の上位者なのに責任はとらないとか総括しないとか、そういうことって未だにあるもんね。