大使とその妻 (下)

  • 新潮社 (2024年9月26日発売)
4.21
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  • 本 ・本 (344ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784104077052

作品紹介・あらすじ

大使夫妻はなぜ軽井沢追分から姿を消したのか。12年ぶり、待望の新作長篇小説。2020年、翻訳者のケヴィンは軽井沢の小さな山荘から、人けのない隣家を見やっていた。親しい隣人だった元外交官夫妻は、前年から姿を消したままだった。能を舞い、嫋やかに着物を着こなす夫人・貴子。ケヴィンはその数奇な半生を、日本語で書き残そうと決意する。失われた「日本」への切ない思慕が溢れる新作長篇。

感想・レビュー・書評

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  • 続けて下巻。ゆっくりと話が進んでいった上巻に比べ、下巻の大部分は隣人である元大使の妻(貴子)のブラジルでの生い立ちが綴られ、軽井沢から姿を消した夫妻のその後も判明する。

    日系移民2世の母と1世の父の間に生まれた日系ブラジル人の貴子。この時点で本書はブラジル日系移民がテーマのひとつなのだと気づく。
    奴隷制廃止により農業分野での労働力が不足していたブラジルへ、当時人口急増の問題を抱えていた日本政府が移住を奨励。数年の出稼ぎのつもりで移住した移民1世は、思い描いていたものとは異なる過酷な環境での生活を強いられた。ブラジルはその後、移民に対し言語統制などをはじめとした同化政策まで行うようになる。貴子の実の父も、育ての両親も、移民1世で日本に対する強い愛郷心、自分の子(2世)に対する日本文化の継承など、日本人としてのアイデンティティーを支えに生きたくなるのも頷ける。

    「かくして貴子はコロニアに同化できなくなっただけでなく、ふつうの日本人にも、いや、ふつうの人間にも同化できない特異な存在への変化を遂げる道を歩み始めたのであった」という記述が印象的だった。外務省を定年退職した篠田氏と、50代で初めて日本に来た貴子は京都でパニック障害を起こしてしまう。夫亡き後とりあえず日本で生きていくことを選択した貴子。繊細さと芯の強さを持ち合わせた貴子が配偶者の国だが自分の祖国ではない日本で今後どのように生きていくのか、ケヴィンという友人の存在や情熱を傾けた伝統芸能がどの程度支えになるだろうか、軽井沢の家があれば大丈夫なのだろうか。2国をまたぐアイデンティティーの揺らぎと、どちらの国に住むのが良いのかという問題はなかなか根深い気がした。

  • 上巻では記述している、日本に精通したアメリカ人ケヴィンのこと、出会った軽井沢の隣人夫婦の不思議な雰囲気を知った。
    こちらの下巻では大使の妻、貴子の生い立ち、この親、その育ての親、教育者(?)の来歴が詳しく夫からの説明という形で記述してある。そして現在、コロナ禍の中で行方不明かと思われた夫婦のその後が明かされる。

    深い、悲しい世界の歴史の中で翻弄された人々や、外国に住む日本人の立場や立ち位置、ハイソサエティーの暮らしの窮屈さなどこれまで知らなかった様々な、人たちの(人種問題、多様性も含め)生き方、生きづらさも改めて納得する。

    幅広く奥深い内容で上下巻たっぷり学びを得た気がして人に勧めたい本となりました。

  • ああ、読み終わってしまった・・・
    12年ぶりの水村美苗小説、じっくり味わう積りが
    やっぱり最後は、一気読みになる。仕方ないね。

    周一・貴子、「大使とその妻」が軽井沢を去った後、
    隣人ケヴィンの手記として小説は進む。
    下巻では、貴子の父の生い立ちから始まり、少女時代、
    周一との運命的な出会いが描かれる。
    そして、軽井沢の最後の夏・「祝祭の夏」も。
    時代はコロナ禍の直前。

    ネタバレになるので、私が知らなかった重い歴史は
    ここでは触れない。
    でも、この歴史が、小説の柱でもある。
    それが貴子を作っているのだから。

    正直、結末は見えていた。
    わかっていたのに、ついにそのことが小説に出てきたときは号泣。
    結末だけを言うなら想像通りだ。
    けれど、その描き方、ディテールと言えば良いのだろうか。
    そこが素晴らしい。
    水村美苗ならではの美しさであり、「たしなみ」ではないだろうか。


    わたしはケヴィンや貴子と同世代。
    (ただし、小説の時代はコロナ禍なので、今の私より数年分若い)
    この年齢になったからこそ本作を味わえたような気もしている。

    大好きな「本格小説」も軽井沢を舞台にした小説だったけれど、
    ここまで情景の美しさが描かれていたかしら?

    最後になるが、「枕草子」「源氏物語」「百人一首」「方丈記」など、
    古典作品が随所に引用されている。
    それがまた軽井沢を、そしてその片隅に生きる人々の心の機微を示し
    たまらなく美しい。

    12年、水村小説を待った甲斐がある。
    (途中で、もうお書きにならないのだろうと、あきらめていたけれど!)

  • 水村美苗のどの作品も端正な日本語文章を楽しめたので、これも期待して読み始めた。上巻は面白くぐんぐん読んだのだれれど、下巻では読むスピードがだいぶ落ちたのはどういうわけか
    。失われていく日本らしさなのか、ブラジル移民のことか、焦点もくっきりせず、コロナ禍と絡める必然性も私にはよくわからなかった。貴子という人も夢の中の人のようで、魅力が伝わりきれず。読後感も凡庸で、どうも私にはあまり合わなかったようだ。

  • 上下巻読了。
    水村さんのファンなので、全作読んでいる(寡作なので自慢ではない)。久々の小説で大いに期待して読んだ。私はだいたい大いに期待して読むと失望するのが普通で(『百年の孤独』など人類史上の傑作は期待以上だったが)、この作品は、若い頃や若い人が読んだら、『本格小説』ほど面白くなかったと思ったかもしれない。
    しかし、年を取って読むと、じわじわと心にしみるものがある。
    まず、希望の物語だということ。若い人が希望と言った時には、ただ明るさしかないが、年を重ねた人の希望というのは、不幸や絶望を乗り越えた果ての小さな明かりのようなものである。棄民としての移民、戦争、貧しさ、疫病を生き抜いたということは、たくさんの大切な人を失ったということである。そんな長い人生の中でどう生きるかというのは、個人の信条や性格だけでなく、時代や場所によっても変わってくる。貴子の父の人生はまさに翻弄されて幸福になるチャンスを掴めなかったと言える。しかし不幸の中にも幸福はある(byケストナー)。貴子の存在はまさに幸福そのものだったし、八重と安二郎との出会いもそうだろう。この本の主要人物の全員にそれがある。悲哀の中にも喜びがあり、影があるからこそ明るさの価値がわかる。そこを丁寧に描いていると思う。
    それから、日本の文化への思い。水村さん自身が思春期からアメリカで過ごし、「ちゃんとした日本人でありたい」と思い、その芯になったのが日本文化だと思う。この本でも日本に宗教はないが文化はあると何度も書かれている。生きるためになくてはならない存在、自分を律したり、導いたり、引き上げたり、希望を与えたりしてくれる存在として、日本人には文化があるのだという矜持を水村さん自身が持っている。日本に生まれ育った日本人はその重要性に気づいていないという歯噛みする思いもあると思う。そこをお説教的に書くのではなく、小説の中で美しく尊く描くことで、読者に気づいてほしいと強く願ったのではないか。そしてその思いは、通じた。私には。
    そして、寂寥。変わらぬものはなく、全ては失われる。それは景色とか若さとか命だけではない。強かった思いも変質していく。ケヴィンの早世した兄への思いもそう。そして、その寂寥が悪いとは決して言えないのである。そこも、若い頃にはわからなかったことだと思う。最近サリンジャーを読み返したが、シーモアに対してきょうだいは年を取ってからそれを感じただろう。しかしその思いを、サリンジャーは描いただろうか。(全作読んでないのでわからない。)キリアンがシーモアに似ているのでそう思った。年を取ったからこそ書けることがある。(もちろん若いからこそ書けることもあり、どちらが上ということはない。)

    ブラジルに移民した人が読んでも違和感を抱かないよう、徹底的に調べ上げ、しかし調べ上げたことは感じさせないように細心の注意を払って書いていると思う。他の点でもいかに自然に流れるかを考えつつも、ディテールは疎かにしない。
    誠に上質な小説だと思う。読んで良かった。

  • それぞれの国で、生きて、どちらかを下にみてはいけない。小さな知識で話す言葉は、ときに人を傷つける。

  • 久しぶりに美しい日本語、美しい日本の文章を読んだ気がする。日本から遠く遠く離れた地で、日本を恋焦がれながら生きた人々。天の原ふりさけみれば。月の描写があまりに切ない。彼女の人生だけでなく、描かれないままの数知れない人々の人生に思いを馳せずにはいられない。知らずにきた歴史と自らが進行形で経験している歴史が交錯して、あまりに雅であまりにリアルで、いにしえといまが組み紐のように織りなすあはれなる世界観に惹き込まれ続けた作品だった。

  • うつくしくて静謐な筆致の中に不穏さが見え隠れして、夫妻とケヴィンは一体どうなっていくの…?とドキドキの上巻に続く下巻。「夫人」と出会ってからの貴子の半生が語られていく。
    面白かった。ブラジルの日本人移民のことなんて考えたこともなかった。
    でも、読み終わって気付いたんだけど、私、貴子があんまり好きじゃないのかも。なんでだろう、結局は周りの人を振り回して平気な(またはそれに気づいてない)人みたいな気がしてしまって。

  • 下巻は、貴子の、そして「おばそま」の半生が入れ子のように、薄紙を剥がすように明かされ、ブラジル移民の痛切な生き様を知る。私たちは日本に何をしてしまったのだろう。今も容赦なくその美と本質を壊し続けて。最後の数ページで声を上げて泣いた。失われたものの尊さと、かすかな希望に向かって。

  • 僕にとっては『本格小説』以来、著者にとっても12年ぶりの長編小説ということだが、いったいどれだけの構想期間があればこれだけ綿密で複層的な物語が出来上がるのだろうとただただ舌を巻くしかなかった。「失われた日本」を求めるケヴィンと貴子の、魂の交流の物語。

    「お願いだから、幸せになるんだ。」
    満月の公園での父との場面。僕はもうただ爆涙するしかなかったのだが、貴子にも悲しかった父との記憶として影を落とし続ける。この出来事が後にも大きな意味を持つのだが、この運命的な仕掛けが時を超えて蜜のように溶け出す瞬間、まさに読書の醍醐味だと思う。

    貴子にとっての父がそうであるように、語り手であるケヴィンにとっては、兄の不在が彼の孤独を浮き彫りにさせている。「失われた日本」を求める彼の文化プロジェクトは、もう戻らない何かに手を伸ばすことが彼の人生の主題にも思われて物哀しい。

    "cry for the moon"という言葉を思い出す。ないものねだりを意味する慣用句だそうだ。暗闇にうかぶ煌々とした光、決して届かないと分かっていても、いやもしかしたら分かっているから、月は美しいのかもしれない。

    100年近い時を超えていくつもの物語が重なり響き合う、おそらくそのすべての主人公に「失われた日本」を誰よりも求める著者の人格を垣間見る。遠く、つながりの定義が難しいが確かに存在する家族と故郷。見果てぬ過去より連綿と受け継がれてきた伝統文化に対する敬意。人間にしか書けない、小説という媒体に対する期待と責任。はあ、大好きです。栞紐を挟むたびに溜息しか出ない幸福な読書体験だった。(やっぱり書ききれない)

    本格小説もそうだったけど主人公が貴子に出会うまでが長く、静かに始まるので慣れない人にはしんどいかもだけど、たくさんの「日本人」に読んでほしい珠玉の傑作。

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著者プロフィール

水村美苗(みずむら・みなえ)
東京生まれ。12歳で渡米。イェール大学卒、仏文専攻。同大学院修了後、帰国。のち、プリンストン大学などで日本近代文学を教える。1990年『續明暗』を刊行し芸術選奨新人賞、95年に『私小説from left to right』で野間文芸新人賞、2002年『本格小説』で読売文学賞、08年『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』で小林秀雄賞、12年『母の遺産―新聞小説』で大佛次郎賞を受賞。

「2022年 『日本語で書くということ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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