- Amazon.co.jp ・本 (402ページ)
- / ISBN・EAN: 9784104260089
作品紹介・あらすじ
"悪魔"とは誰か?"離脱者"とは?止まらない殺人の連鎖。ついに容疑者は逮捕されるが、取り調べの最中、事件は予想外の展開を迎える。明かされる真相。東京を襲ったテロの嵐!"決して赦されない罪"を通じて現代人の孤独な生を見つめる感動の大作。衝撃的結末は。
感想・レビュー・書評
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死んでしまうと自分自身の存在はなくなる。当たり前のことではあるが、読み進めていくほど、「死」と自身の「存在」の関係性について、今まで自分は美化しているだけではないかという気持ちに陥ってしまった。
主人公である沢野崇の弟・良介のバラバラ遺体が京都の三条大橋で発見された。良介の妻・佳枝の思い込みから崇が容疑者として警察に拘留、逮捕される。崇を犯人と断定し躍起になって犯人に仕立てようとするその取り調べには警察の卑劣さを感じ、実際にもこんなものなのかもしれないと考えてしまう。
鳥取の中学生・北崎友哉が、同級生を殺害し、自首してきたことから、崇の疑いは晴れるものの、崇の取調べ中に父親は自殺し、母親は良介の骨壷を腹に抱いたまま精神的に病んでしまう。
良介殺害の主犯で悪魔と名乗ってい篠原は、クリスマスイブにお台場のフジテレビで自爆自殺をする。そして、最後には主人公・崇までも投身自殺をしてしまう。
本作でいったい何人が亡くなり、その存在が消えてしまったのか。
事件の発端となった日記の公開。ネット上この日記が、篠原の目に留まり、良介との対面を実現する。デジタル化の進歩による犯罪だ。本作の中でも篠崎が良介を殺害する際に「かつて、アメリカのとある犯罪者は言った。『私は、システムが作り出したものだ。が、システムが決して予期しなかったものだ。』この状況はまさに、システム・エラーだ。お前は今、稚拙なプログラムによって引き起こされた、この社会のバグに絡め取られている。システムの解決されるべき重大問題の発生、というわけだ。」と殺害DVDで叫んでいる。そして、篠崎は自らを「悪魔」、「離脱者」と呼び、社会のセキュリティ・システムエラーを演出する。この演出により、ネット上では容易に同調する共感者を集めることができるため、全国での類似する犯罪を増加させることになる。
そんな彼らの犯罪への行動はある種、宗教的信仰のもとでの結束を感じる。
また、崇と良介の不安が上、下巻通じて描写されており、兄弟の歪みが、自己の存在と現世の歪みを感じる。
最後まで、冷静で現実的であると思われた崇も、その歪みに耐えることが出来なくなり、自らの命と存在を、終わらせてしまう。家族の残虐な死によりこの家族の幸福が完全に「決壊」してしまう。
本作は、異常者の行動や心情を読み解いていくため、心が折れそうになるが、そうならないための心の持ち方も学ぶことができる。
上巻で壬生がきっと良介殺害の犯人だと思っていたが、全く外れ、単に非常識極まりない画家というだけであった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
なんとも救いようがない気分になりました。当然、フィクションでありながら、同じような悪魔の仕業としか思えないような事件を目にする度に、このような犯罪が増え続けることに歯止めはかけられないのだろうかと思いました。
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救いのないラストであることは間違いない。
上巻、下巻ともにページの端が黒く塗りつぶされた本のデザインが表しているように列車の人身事故(これも飛び込み?)に始まり、兄の崇がホームで飛び込み自殺をする瞬間に物語は終わるという終始暗い色調に彩られている。
とりわけ弟の良介を悪魔に惨殺され、鬱病の父に自殺され、言葉の無力感/全能感からやがて現実感を失い、白い浜辺で精神的に完全に失調をきたす崇の在り様は寂寞とした哀愁を読む者の胸に残す。
その余韻が消えぬうちに、ホームに到着した電車に飛び込み、その瞬間の描写で幕を閉じる。
どう目を凝らしても救いはない、真っ暗な終わり方である。
白い砂浜で幻覚をみる崇の光景やこの刹那的なラスト、とても印象的で個人的に好きではあるが。
「崇」という名前もまさに(「崇」は「言葉に祟られている」が由来じゃないかと推測)、その暗い運命を体現しているかのよう。
でも、だから読者は作者のその後の「ドーン」という作品も読むべきだと思う。
平野作品が追求している「多面的な自己」というテーマも、「ドーン」では”分人主義”という形でより深く明確に結実しているし、「ドーン」の主人公も懊悩し、崇と同じように電車に飛び込もうとした過去を持っている。
が、そこでは終わらず、妻と手を取り合い、再生を果たす。
そんな主人公の名前は明日の人と書いて明日人(職業のアストロノーツともかかってる?)。
つまるところ、「決壊」単体で見れば、確かに救いはないけれど、平野の作品群の一部として、全体像を見渡せば希望が見出せるんじゃないか、と。
両作品を二度づつ読み終えた今日、そんな風にも思える。 -
なかなか読み進められず、時間がかかりました。
なんというか、難しすぎて読みずらかったです。
幸福にならないと。という、幸福の宗教というか、義務感というか、そういうものに汚染されているから悪魔が生まれたらしいです。(よく分からないのですが……)
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読むの遅い私が、一気に読めてしまった!
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読後の疲労感がすごい、虚しさしか残らない
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救いがない後味。筆者は遅くともこの著書のころからインターネットやメールで変わった社会に違和感を強く感じていたことがわかる。そのような要素含め息苦しい現代の日本で生きる不健全さはもう共通理解であるかのよう。読んでいるだけで精神が消耗する作品。
なんでもよく出来る知性的な主人公、と、とても高い思考力の筆者が重なる。頭良すぎるのも苦しいよね。
ごく最後の方で崇が届ける黒いバッグに、義父が見覚えがあるという記載、どういうことかとても気になるのだけど、再読する気力はなく、謎解きどこかでしているHP等ご存知の方いらしたら教えて下さい。 -
とても重いテーマだった。自分の愛する人や家族を他人の手によって奪われたとき、「赦す」ことができるだろうか…。「赦す」ことは、加害者のためではなく、被害者家族の永遠に続く地獄のような日々を終わらせるためにあるのだ、と。平野啓一郎さんのキリスト教的思考や死刑廃止を願うわけが少し分かった気がした。が、分かる ことと自分の中で腑に落ちて理解できることは違う。崇も最後はあんなことに…。報われない。
「なぜ人を殺してはいけないのか」という質問に答えたコメンテーターのやり方は乱暴だが、質問した中学生も自分事として考えられたであろう。 -
後半は怒涛の展開で時間も忘れて読んだ。
自分の中の自分との対峙、罪への向き合い方、被害者と加害者の救済……など盛り沢山で疲れたけど面白い☺ -
あまり書評において著者の批判はしたくないが、私は彼を小説家として認めたくはない。
芸術を気取っているだけ。本を読んでここまで不快になるのは初めてだ。(日蝕も読んだがこの本棚には絶対に入れたくはない)
SNSや彼の政治的イデオロギーなど含めてすべてが鼻につく。