- Amazon.co.jp ・本 (251ページ)
- / ISBN・EAN: 9784104372034
感想・レビュー・書評
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中3の女子が面白いから読んでみてよというので、読むことに。今の中学生ってこんなのが面白いのかと思いつつ読み始めるが、いつまでたっても話に入り込めない。電車で読んでいてもすぐに眠くなるし、ダラダラと時間がかかってやっと読了。
カメラマンを目指していたが諦めて今はカメラ売り場で正社員として働いている永野均は、成り行きで携帯電話を盗んだ。そしてそれを使ってオレオレ詐欺をはたらいて、100万を携帯電話の持ち主の大樹の母親から振り込ませる。
でも、気づいたら俺、均は母親にとって大樹になっていた。そして、自分の永野の実家に行くと別の永野均がいて、母親は自分のことが分からなかった。それがきっかけで俺は別の俺の均と大学生の俺に出会い、自分故に分かり合える3人で楽しく過ごす。でもやがてそこら中に俺がいて、俺の嫌な部分を別の俺に見せられる。
やがて、俺ばかりで埋め尽くされてお互いに削除しし合うようになる。
大人のせいか、この話の意味とかいろいろ考えてしまう。
自分を受け入れられない、自分を信じられない、だから、人も信じられないのかとか。でも、結局分からない。意味はないのかも。
最後に殺し合わなくなるところは、人類が誕生して社会を最初に作った人たちのようだ。
表紙は不気味で面白い絵が使われている。この本の内容にぴったり。
不思議で不気味で、だるい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
あるところで『安部公房が好きな人」にオススメです』という紹介文を目にして読んでみました。
確かにね。
しかし悩ましい作品です。読了しても整理がつかず、他の人がどう感じたのかネットで検索してみました。そうしたらこれもバラバラですね。色んな人が色んな受け止め方をしている。
"俺"の周りの人間が次々に"俺"に変わり、"俺"は他の"俺"になり、記憶でさえ混線する。増殖し続け"俺"だらけになった果てに"俺"同士の殺し合いが始まる。と言うのが粗筋。なにせ主人公の永野均が檜山大樹と言う別人に変わり、会社の同僚達おろか自分の記憶さえすり替わって行く。一方では別の永野均が現れ、さらにまた別の永野均を名乗る学生が出てきて・・・・。書けば書くほど読んでる人には判んなくなる(笑)。
安部さんがその作品の中で、名刺に自己を奪われたり、マスクをかぶることで人格が変わったり、コンピューター上に自己の複製を作ったりして「人間の存在の不確かさ」をテーマにしたように、この小説も他者との混和による「アイデンティティの崩壊」を描いて居て、そういう意味ではよく似ています。星野さん自身が影響を受けた作家の一人に安部さんの名前を挙げてますし。ただ、安部さんが何処か内面に深く沈み込んでいくような物語なのに対し、この作品はやや外向的で毒々しくスラップスティック感があります。
でもそれだけでは無く別の要素もありそうな気がします(これが頭の整理がつかない原因)。
では、それが(何せ世の中が"俺"だらけになる物語なので)「画一化・均質化する大衆批判」かといえば、どうもそれについての批判や分析的なものは見られず、突っ込んでいません。むしろその先にある「同族嫌悪(=自分の嫌な部分を他者に見出し、激しく攻撃する)」なのかなと思えます。実際、物語の前半では3人の"俺達"が仲間意識で強く結びつくのですが、次第に嫌な部分を見つけ、"俺達だらけ"の中で無意味な殺し合いが始まり、終盤ではカニバリズムまで出てきちゃう、相当なものです。
ただ、それについては割にシンプルかつ直接的に原因や結論が書かれていて、ならばこれほどの長編では無く、短編から中編でも十分だったのではないかと思ってしまいます。エンディングに描かかれるディストピアからの脱出もやや安直な気もします。
しかし、この小説、映画化されてるんですね。そりゃ無茶でしょう。誰が誰なのか混然とし、頭がグチャクチャになり、しばしば前を読み返さざるを得ないような話ですから、映像化したらさらに混乱。それともスラップスティック・コメディ化したのかな。
色々書きましたが、他に無い不思議な面白さを持った話で、最後まで緊張感を持ったまま読ませて貰いました。 -
久しぶりの星野智幸。
オーエ賞の受賞やら、ジャニタレ主演の映画化やらで自然と敬遠してしまっていたが、そんな必要なかった。とても面白かった。
星野智幸作品に通底するテーマは「人の不安とは、安らぎとは」というものだと勝手に認識しているのですが、「ロンリー・ハーツ・キラー」で「他者(象徴)に依拠し過ぎること」が描かれたのに対し、本作で描かれたのは「自己に依拠し過ぎること」でした。
結果、生まれる懐疑心と同調圧力によるカタストロフィは2作品とも、自死と他死が区別がつかない形で描かれます。
というわけで、終わりはいつもの星野節、という感じではあるのですが、本作の魅力は序盤から中盤の「周囲が『俺』である」というわけのわからなさをいかに描いているかに尽きると思いました。読んでて気持ちいいような悪いような酩酊を覚えた本は、ホント久しぶり。
読み終わって1週間ほど経ちますが、まだちょっと具合悪いです。 -
201808
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後半の話が飛躍し過ぎのような気がする。
違う世界に飛ぶなら、冊子を分けて第二部にして欲しかった。
と言うか、入れ違いの話だけでも十分に面白い物語に仕上げられたはずなのが勿体無いと思われる -
何度発狂しそうになったか、、、笑
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え~い、くだらん。それでも前半は、自我やら個性やらについて「俺」なりに考えをめぐらしてみたりもした。「俺」はれっきとした「俺」なんだけど、無限の先祖の遺伝子が集積しているからして、無限の「俺」の寄せ集めなのか。でもって誕生後も、数えきれぬ他人との関わり、直に接するだけでなく様々なメディアを通して無限の人々の感性に影響を受けているのだから、やはり無限の「俺」の寄せ集めなのか。などとまあ、それなりに「俺」について考察しつつもあった。されど後半は何ぞや。まことにもってくだらん。終章のタイトルが『復活』とあるので、淡い期待を抱いて読み進めたが、けしからん。誰が書いて、誰が本にして、誰が薦めたのだ。きっと先祖で繋がってる「俺」か。選書して読了したのは紛う方なき「俺」だ。
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前半は空想ミステリー、後半はただのオカルト、う~む・・・ちょっとだけ残念!
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現実にはありえない話だが、現実にも充分にありえる話。ひさしぶりに衝撃的な作品に出会ったという感じ。
小説としての出来不出来というよりもこの作品の世界観がグサグサと心臓に突き刺さるような感覚だった。