精子提供: 父親を知らない子どもたち

著者 :
  • 新潮社
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感想 : 16
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  • Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784104388035

作品紹介・あらすじ

「福音」なのか、「冒涜」なのか-AID(非配偶者間人工授精)を選択した家族、医師、精子提供者らに丹念に取材。決断までの夫と妻それぞれの葛藤、生まれた子に事実を告げる困難、そして"秘密"を知った時の子どもたちの衝撃。家族にとって最も重要なものとは何か、そして「科学技術」がもたらす幸福とは何かを問う力作ルポルタージュ。

感想・レビュー・書評

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  • 申し訳ないけど、AID児の立場に立って考えることができなかった。両親が子を望んで、でも生殖能力がないならそうするしかないじゃない。
    精子提供者の情報を知ってしまったら、それこそ遺産相続とかトラブルの元になると思う。
    両親が子に話すかはその家庭の考え方次第だけど、私は匿名であるべきだと思う。

  • 子供が生まれるというのは当たり前のことではないし、色々な家族の形がある、と気付いた。
    長期に渡る丁寧な取材が素晴らしい。
    これまで知らなかった世界ばかりで、自分だったらどうするだろうと考える機会になった。

  • 土屋隆夫の有名作品でよく使われるモチーフだけど、現実では果たして…。

    AIDとは無精子症など男性不妊に対する生殖医療の手段で、非配偶者の精子を使った人工授精のこと。そうして生まれた子供が主に成人後自らの出自を知り、現行制度では生物学上の父親について知るすべがないため苦悩する姿から、男性不妊に起因する不妊に苦悩する夫婦や、精子を提供した元慶應医大生から、不妊治療を諦めた夫婦、養子縁組制度(5人も!)を選んだ夫婦、医学界でも様々な現状の問題に奔走する方々へのレポがバランス良く章ごとにまとめられている。

    これ、良く書けているノンフィクション(ルポタージュ)だと思うけど、作者が既婚子持ちの女性ということで、「他人事間」が気になった。鼻につくとまでは言いませんが。書き手の中立性は大事だけど、もっと熱い筆致でもいい。星一個減点です。

    男性が書き手だったら書き方や読後感が随分違っていたような気がする。私が男だからかも知れないが。もう少し書き手の怒りや個人的意見や提言や主張が前に出てもいいんじゃない? 

    それにしても、AIDを始めた慶應大学病院や以降の他の病院のやり方はひどいな。不妊に悩む夫婦にしろその子供へのメンタルケアにしろ。慶應系医療従事者へもっときついツッコミが聞きたかった。

    読んでいて腹立たしいのが、法整備が余りにも杜撰なこと。少子化対策が話題になって久しいのに。この本が出た後で国会審議や医学界では「出自を知る権利」への対策は進んだのだろうか? 

    海外ではちゃんと父親が誰か開示請求が出来るようになった国もあるらしい。日本国内でももっとこの本の中で苦悩する人々へのケアが論議されるべきだろう。

    最後の方では家族の在り方や子供を持つこととは何かへと話が大きくなって行く。ここら辺の書き方はあっさり。

    女性不妊に比べ男性不妊は研究が進んでいないそうだが、女性不妊症についても自分は知らないなあと思わされた。私が独身のせいもあるが。最近は「ブライダルチェック」という言葉も知られて来たけど、結婚前に男女共に不妊症でないか調べることは大切なことなのですね。

    この本と合わせて、ちょっと違った観点からか書かれた小堀善友さんの『泌尿器科医が教える - オトコの「性」活習慣病 (中公新書ラクレ)』もオススメです。もっと男性側の苦悩が生々しくもユーモラスに書かれてます。

  • 8月新着

  • 他人からの精子提供による生殖医療を題材にしたノンフィクション。
    テーマは良いし色んな立場でかかわる人たちに話を聞いて書こうとしていることは評価できる。
    しかし見方があまりにも単純。
    それぞれが自分の経験やイメージだけで語る感情がそのまま書かれているのみで考察が薄っぺらい。
    同じ状況に置かれた人への配慮や敬意が感じられないのがとても嫌だ。

    生殖医療は、ずっと密室の中で行われてきた。
    この密室をつくる圧力が、知らせないことこそが幸せ、「普通」の家庭をすることこそが誠実であると、家族を沈黙の中に沈ませてきた。
    近年、生殖医療で生まれた子供が発言しはじめて、ようやく社会は気づき始める。
    最大の当事者である子供を無視して、生殖医療が進められてきたことに。

    読み始めてしばらくの間、猛烈な嫌悪に襲われた。
    安全圏からああだこうだ言っているように見えた著者の書き方がまず嫌。
    な、つもりだったけど題材になっている人たちへの嫌悪を著者に転嫁してた。

    「苦しい立場の人を安易に叩いてはいけない」というのが私の中の絶対的な倫理としてある。
    しかし私の倫理は同時に「本能」や「血を残すため」に「子供を道具に使う親」を嫌悪する。
    だからそういう言葉を吐いちゃう親がものすごく嫌なんだけど批判するのも抵抗があって著者のせいにしたかも。

    親がメインの部分ではそんな葛藤にさいなまれていたけれど、精子提供者の言葉を見たらストンと落ちた。
    これは親だとか不妊だとかそれ以前に、単純にその人か嫌いだってだけでいいんだ。
    余裕のない状況だから醜さがあらわになってしまうってのはあるにしても。

    この本に出てくる精子提供者は、少なくとも私基準ではただのクズだ。
    自分のしたことの結果を考えず、できた子供の人生なんてまったく眼中にない、出しただけだから責任はないと思いこんでいる。
    だけど、このクズっぷりは別に提供者だからじゃない。この人だからだ。(以前海外ドキュメンタリーでみた別の提供者、多分この本にも事例としてでてくる人はまともだった)
    シャーレに出すか膣に出すかの違いだけで、責任感のないクズはどこにでもいる。
    セックスした女に責められれば「面倒なことになった」くらいは考えるけれど、匿名性に守られた精子提供では反省の機会がないってだけだ。

    他の部分も同じで、親の人もAIDでつくられた家庭も研究者もみんな、個々に欠点をもっているだけだ。
    土台がしっかりした家は嵐が来ても耐えられる。嵐から守ってくれる。
    土台がぐだぐだな家は風が吹けば倒れるし倒れれば中身を押しつぶす。
    「普通」とみなされない家族構成はそれ自体が「異常事態」だから、土台のまっとうさが問われる。
    この本の中にある関係性は『カミングアウトレターズ』http://booklog.jp/users/nijiirokatatumuri/archives/1/4811807251のちょうど逆なんだ。


    だから、「AIDだから」不具合があらわれるかのような書き方が気になる。
    見えた部分だけを取り上げて、それがすべてであるかのように書くのは危険だ。
    夫婦仲が冷え切っていた、ペットのように可愛がられた、親が向き合おうとしない...
    そんな不具合は、AIDだからじゃなくてその夫婦がしっかり向き合えないからだ。これはただの機能不全家族。
    不登校でも摂食障害でも借金でも病気でも、なにがしか問題が起こったらその夫婦はきっと同じように耐えられない。


    家族の中のAIDだけでなく、社会の中のAIDも同じように一方的に描かれる。
    たとえば「親のエゴ」を語る時、「法律婚をした異性夫婦の自然妊娠」以外のケースばかりがエゴを問われる。

    卵子や精子に希望をきくわけにはいかないから、子供なんて産むのも産まないのも親のエゴだ。
    問われるべきはそのエゴをどれだけ背負えるか。
    なのに「特別な形」(たとえば同性カップル、事実婚、不妊、独身者、遺伝病)の親だけが産むことの倫理を問われる。
    「誰が」「何を」エゴとみなすのかを掘り下げて考えてから書いてほしい。

    医療者らの話にもツッコミが足りない。
    コウノトリの領域はあると言いながら、不妊治療のゴールは妊娠ではなく“心身ともに健康な赤ちゃん”を授かることだと言っちゃう医師だとか。
    生殖医療にかかわる人が「子供は親を選んで生まれてくる」と言っているのもぞっとした。
    不妊カップルを相手にしてきてなんでそのセリフを吐けるのか。
    生殖機能と人間性が無関係だってことをわきまえるのは職務上必要最低限の倫理だろうに。

    木村利人は「いのちの問題というのは、自分が黙っていると、医療側に都合の良いように操作されてしまう。あるいは意図的に操作された社会の価値観や考え方に沿って、政治の専門家と称する人たちにいのちを操作されてしまう。しかし、そういう操作の本質を見抜き、自分のいのちは自分で決めることが重要なのです。(p169)と言う。
    でもその前のページでは同性同士で親になることが子供に理解できるのか、どこまで許されるのかとか書いてる。
    思いっきり操作されてんじゃん。
    根拠があるならまだしも同性カップルの子供を調べた研究結果を踏まえたものじゃない。当事者に話を聞いたことだってないだろう。
    これはただの社会の価値観や考え方に沿ったイメージにすぎない。


    親も関係者も子供もみんな安易に本能だのエゴだの倫理だのいいすぎ。
    子供は「AIDはやだ。ソースは俺!」でもいいけど、著者や医療者は根拠を示さなきゃだめだろう。
    イメージだけで黙らされてきたことを告発する本なのに、イメージだけで書かれているのはいかがなものか。

  • 第三者からの精子提供を受けて生まれてくる子供たち。そしてその事実を隠される。
    今まで不妊治療の大変さが大きく取り沙汰されていたけれど、様々な生殖補助医療によって生まれてくる子供たちとその子供たちが抱える問題については殆ど触れられる事は無かったと思う。
    自分の遺伝子の半分が誰のものか分からないという事実を知って、困惑する気持ちが分かる気がする。
    家族という集合体を作り出す方法が複雑になっている現実を、どうやって把握してゆくのか。法的な手段が全く追いついていない状態で放置されている事が怖ろしい。

  • 去年、たしか新聞の書評でみかけて、読んでみたいと思っていた本が、空いていたので借りてきて読む。これを読んだちょっと後に、民間で「卵子提供」の団体ができるとかどうとかいう報道があって(*)、何をどう考えたらいいのか、ほんまに頭が混乱する。

    時代もあるのだろうけれど、壺井栄の『雑居家族』なんかを読んでも、育てられる人が子どもを引き取って育てるとか、子どものできへん人がもらい子をして育てるというのは、ふつうにあったんやなと思う。なにより、私の祖母は、結婚してからなかなか子どもができず「もらい子をしよう」と決めていたところに、母がぽこっとできたのだという。

    祖母が死んだ葬式のときに、ふと見た叔父さんの耳が、祖母の耳とそっくりで、(こういうのが血なんかなあ)と思いもしたが、一方で、やはり私のなかには、スゴイ不妊治療の話を聞くたびに(そこまでして血のつながった子がほしいものなのか?)という気持ちがあるのだった。

    この『精子提供』の本は、AID(非配偶者間人工授精)によって生まれた子どもたちがずっと秘匿されてきた「遺伝上の父」のことを知りたい探し求める話、その子の両親である夫婦がAIDを受けるに至った経緯、なぜ精子提供者の情報は隠すべきことになったのか、、、といった話が主に書かれている。

    その部分の話は、子どもの取り違え事件から「血」の関係と「育て」の関係を問うた『ねじれた絆』を思いだしたりもして、半分でも「血」がつながっているということは、親子にとって、そして夫婦にとって、どういう意味があるんかなーと考えながら読んだ。

    私が一番印象に残ったのは、8章の、里親になって子どもを育て、家族をつくることを選んだ人の話。

    不妊の原因が自分にあると分かった夫は、養い親になることを選んだ気持ちをこう語る。
    ▼「AIDを受ければ、私は血がつながらなくても、女房の身体に宿る子どもが生まれたかもしれない。でも、それは二人とも考えなかった。何よりも夫婦が同じ思いで子どもを育てることが大切だったから…」(p.197)

    児童相談所に里親登録して、「こんな子がいるんですが」と連絡があったとき、二人は本人に会うことなく、里親になろうと決めた。
    ▼「僕らは子どもにいっさい条件をつけないと話していたんです。我が子を授かったとしても、その子がどういう状況で生まれてくるのか、障害があるのかどうかもわからない。ただ、いずれは養子として迎えたいので、血縁の人と縁が切れる子どもをお願いしたのです」(p.186)

    子どもを迎えるのに条件をつけない、というのは、理想論なのかもしれない。「こんな子がほしい」と望むのは、どこか自分に近いものを求める気持ちなのかとも思うし、親のエゴなのかとも思う(サンデルの本に出てきた、不妊カップルの話を思いだす)。

    少なくとも、「子どもを迎える」のに、いまはかなり意識して"条件をつけない"と考えなければ、「こんなふうに、あんなふうに」という親のヨクボウのようなものは際限ないことになりかねないんやなと思った。その背後には、「思うようにできる」と錯覚しかねない技術がある。その技術は、ほんまに使ってええのか?と、私はやっぱり考えてしまう。 

    (1/5了)

    *卵子提供登録支援団体 http://od-net.jp/

  • 最近不妊に関する情報をTVでよく見るので、その延長上で興味を持った。読んでみてとても驚いたのは、この精子提供は実はかなり以前から行われているものであり、最新の不妊治療とは全く別物だったと言うこと。
    進化し続ける様々な治療法については個人的にはあまり賛成はしない。それらを考える時、あくまでも親としての目線でしか物事をとらえていなかったように思う。言いも悪いも、親となるかどうかの問題。けれどこの本はそれらの手段で生まれた子供の本音を訴えている。自分では選べない出生の事情。望まれて生まれてきたはずなのに、背負うものが大きすぎる現実。さはり、命は天からの授かりものとして自然に任せたいと思う。
    どうしても子供が欲しいと思っている人達、厳しいかもしれないけれど決断する前にぜひこれを読んでから決断してほしいと思う。

  • AID(非配偶者間人工授精)で産まれた子供、AIDを選んだ夫婦、医師、精子提供者など様々な人の視点から書かれたルポルタージュ。日本は養子の文化が海外ほど盛んでなく、「血の繋がり」が重要視されるだけに考えさせられる内容でした。

    ある人にとっては良い選択肢でも、ある人にとっては最悪の選択肢。一概に良い悪いを決められない、とても難しい問題だと感じました。

    あと死ぬ時ってすでに色々議論(安楽死とか脳死とか)になっているけど、現代は産まれる時から既に色々複雑なのだなと改めて感じました。

  • 資料ID: W0169647
    分類記号: 495.48||U 96
    配架場所: 本館1F電動書架C

    私は、この本で「AID」という言葉を初めて知りました。

    親や医療現場だけでなく、
    生まれてくる子どもの立場を
    考えなくてはいけない。
    そういう視点が欠けていたのだと、
    今更ながらに感じた本です。

    生命倫理・生殖医療などに興味がある方は、ぜひ。(Y)

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著者プロフィール

ノンフィクションライター。1964 年新潟県生まれ。学習院大学文学部卒業後、出版社で女性誌などの編集者を経て、独立。人物ルポルタージュを主に、スポーツ、教育、事件取材等を手がける。『アエラ』の「現代の肖像」で「末盛千枝子」を執筆。著書に『私は走る―女子マラソンに賭けた夢』『音羽「お受験」殺人』『精子提供 父親を知らない子どもたち』(いずれも新潮社)など。

「2013年 『一冊の本をあなたに』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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