- 新潮社 (2018年11月30日発売)
本棚登録 : 198人
感想 : 20件
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
Amazon.co.jp ・本 (568ページ) / ISBN・EAN: 9784104444090
作品紹介・あらすじ
戦後日本を代表する思想家の93年の歩み。幼少期から半世紀にわたって行動をともにした著者による、初めての本格的かつ決定的評伝。後藤新平を祖父に、鶴見祐輔を父に生まれた鶴見俊輔。不良化の末、渡米してハーヴァードに入学。日米交換船で帰国して敗戦を迎える。その後の50年にわたる「思想の科学」の発行、「ベ平連」の活動、「もうろく」を生きる方法まで。あらゆる文献を繙き、著者自身の体験にも照らしつつ、稀代の哲学者の歩みと思想に迫る。
みんなの感想まとめ
戦後日本の思想家の歩みを深く掘り下げた評伝は、彼の生涯と思想の軌跡を通じて、時代の変遷を鮮やかに描き出しています。著者の緻密な取材によって、鶴見俊輔の多様な人間関係や学問的な活動が明らかになり、彼がど...
感想・レビュー・書評
-
鶴見俊輔という人が書く書物に出会ったのは1994年ごろだったのではないか。工科系の大学で学生時代を過ごしていたその頃、ほぼ直感だけで飛び込んだ学際的コースの課程において出会った「戦後日本の大衆文化史―1945‐1980年」というその書物は、有効な脳みその使い方をまだ良くわかっていない学生たちのためにいわゆる文系の教授陣が選択する読んどけ書物の一冊として目の前に現れた。
その後何年かが過ぎそれを読んでいた当時の自身の想像力を超えるような格好で海外生活が始まり、気がついてみるとその本がまた手元にあった。きっと最初から持ってきていたわけではなくどこかのタイミングで実家から持ち出していたのだろう、一度再読をした記憶がうっすらある程度で、その過程において著者が北米で生活をしたことがある人だったということを改めて認識をしていたように記憶する。
そんな背景を帯びつつ今年になってKindleのある生活が始まったとき、その選択肢のひとつとして飛び込んできたのが本書だった。出版は2年前とそう昔のことではない。没後三年を経て上梓されたということも読み進めているうちに知ることに至った。少し時間をかけて読み切ることになったその間、ふつふつと湧いてきた感情はまたしても自分はこうした先人の事についてその本質を知るのが遅すぎた…ということだった。鶴見夫妻が晩年を京都で過ごしていたという下りを読むに至ってその感情はさらに溢れ出す。つまりは自身がその著者による活字を追うだけのことにひぃひぃ言っていた頃、彼らはほんのすぐそばにいたということなのだ。もちろん当時の自分が彼に会えたからといって何かを感じ取れたかとうい保証はなにもない。むしろきっとできなかったはずだ。今となって確証をともなって言えることは、自分自身の感性のアンテナは常に磨いておかねばならないということ。
まずはせっかく手元にあるその出会いの書に手を伸ばすことから始めてみようと思う。ちょっと骨の折れるであろうアンテナの錆落とし作業の一環として。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
戦後日本社会について、この人を抜きに考えることはできない。そう思える人が、たくさんいるだろう。しかし、三人に絞るならば、この人は外せない。そいうひとり、鶴見俊輔の評伝を書くのは勇気のいる仕事だったと思うが、傑作だと思う。ブログに書きました。
https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/201906250000/
https://www.freeml.com/bl/12798349/1075551/ -
鶴見さん自身が語らなかったことがいくつも著者黒川さんの元で明らかになったように思う。黒川さんじゃなければ書けない作品だと思う。
-
戦中・戦後から60年・70年安保闘争やベトナム反戦の時代、日本には数多くの偉大な学者や知識人が存在した、鶴見俊輔はその中でも圧倒的で特異な存在であったと思う。
その人たち各々の思想や行動などが鶴見俊輔との関係の軌跡を通して時系列に網羅されている。
俊輔の華麗な閨閥・父祐輔との関係、ハーバート大学時代・学問と人脈、戦争体験、プラグマテイズム、ライシャワー・ノーマン・都留重人・丸山真男・桑原武夫・竹内好等々俊輔とのやり取りが克明に記録されている。
「思想の科学」を46年の創刊から途中休刊をはさんで96年に終刊する50年間の取り組みは、彼が哲学や学問を通して、価値ある人生をまっとうするための主軸であった。彼の思考・研究を踏まえた仲間たちとの議論や運動、そして自身の執筆や多くの人達からの投稿文の選別・編集等出版活動への取り組みの濃密さは出色である。いろいろな課題に感応し受容する包摂力も目を見張る。
恵まれた出自への反発・そこからの自立という意識が「転向」問題へ関心を導く必然性についてはもっと分析されてもよかったか。安保闘争や「ベ平連」運動、特に米兵脱走援助の直接行動など反政府反米の活動は当局との軋轢を考える読み手をハラハラさせる。少年時代の不良生活やハーバート大学時代の勉学への熱中と優秀性からは想像もできない帰国後のダイナミックな活動の行動人生であった。
ノーマンが自殺することになった都留との接点について、海軍勤務時の捕虜虐殺や慰安婦との遭遇体験、「思想の科学」事務員の清水三枝子との関係、安保闘争やベ平連活動での他の識者との異同等々日頃思っていた疑問がクリアーになった。彼がテーマとした転向問題や京大でのルソー研究についてはその著作を一度読んでみたい。
作者の鶴見への思いの深さと誠実さが文体に滲み出て浩瀚で秀逸な評伝であり存分にあの時代に浸らせてくれた。
-
優等生的な、卒のない評伝だと思う。小説的な仕掛けにも満ちており(例えば、重大な事件が起こったその日の天気まで克明に書き記すなど)、読みやすいが侮りがたし。鶴見俊輔という思想家はこうして読んでみると、確かに不良少年時代を経てハーバードで学び、日本で『思想の科学』を立ち上げるなど八面六臂の活躍(?)をした人だがその足取りを支えた彼の「主義」は(「ジキルとハイド」的な二重人格性を帯びていた、とは書かれているが)一本筋が通っていたことがわかる。彼にしか歩めない人生を彼なりの不器用さと真摯さを以て歩んだと言うべきか
-
一面的にならない。
盲信しない。
軍国主義への反省を、思想と著作で体現する。
リカルトランシス
どうしようもない人間 -
京都パヨクの源流をみた。侘助、ほんやら洞と言った同志社大学近くの喫茶店が出てくるのが懐かしい。
-
289.1||Ts
-
鶴見さんの著書
・思想の落し穴
https://yasu-san.hatenadiary.org/entry/20161231/1483063874
・言い残しておくこと(2009.12)
http://www.sakuhinsha.com/philosophy/22704.html
http://www.groupsure.net/post_item.php?type=books&page=180517ZouhoHaiboku
・鶴見俊輔コレクション
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309411743/
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309411743/ -
今、自分の本棚に鶴見俊輔の本は一冊も無い。これまで折に触れ求めたものの、いつの間にか、姿を消している。
それだけに、この本の鶴見俊輔の挫けなさには、あらためて読み返したい思いを強くさせられた。
言葉になりにくいものを、深く考えていく。そんな哲学の姿勢を。 -
外祖父・後藤新平の大きな屋敷で育った生い立ち。父・祐輔の野望から伊藤博文の若かりし日の俊輔を名付けた!俊輔と和子が大家族の中でも母とともに重要な位置を占めていたという。俊輔の正常中学時代の悪ガキぶりはすごい。上位8割が上へ進めるのに、彼は下から6番目の成績だった。そして中学中退のまま米国・ハーヴァード大学に入学したというから恐ろしい天才である。日本語さえ十分でなかった俊輔が米国で勉強した日々は壮絶だっただろう。天才少女の模範生・姉・和子が俊輔の前ではくすんでしまったように感じる。10代での悪行の限り、そして鬱、自殺未遂、精神病(統合失調症の疑い)の日々は全くの驚きである。海軍としての参戦、安保闘争、ベ平連と、俊輔の存在の大きさを改めて感じる。「思想の科学」50年は俊輔が中心だったのだ。都留重人、武田清子、神谷美恵子、桑原武夫、飯沼二郎…その他、実に多彩な人たちとの交流が楽しい。61歳のヘレンケラーとも直接話したことがあったのは、時代を考えると驚き。ヘレンに「春の海」を聴かせたいとして、振動音で感じてもらった!俊輔と妻・横山貞子がお互いに「汝」と呼い合うことにしていたというのも楽しい話。
-
大佛次郎賞で注目!
あらゆる文献を紐解き、著者自身の体験にも照らしつつ、稀代の哲学者の歩みと思想に迫る一冊。 -
けっこうな分量だが、引き込まれた。
鶴見俊輔本人だけでなく、
祖父の後藤新平や、先輩格の
都留重人、桑原武夫など
腹の据わった、時代の向き合い方が
カッコいい。
ベ平連の内幕なども興味深い。
幼少の頃から、鶴見と接していた
著者の視点もユニーク。 -
鶴見さんというと、お姉さんが鶴見和子、いとこに鶴見良行さんがいるということは知っていたが、祖父が後藤新平というのは忘れていた。父親は鶴見祐輔。この人のことは知らなかったが、ごく短い期間大臣にもなっている。まあ、政治家だ。どちらにしても、俊輔さんは血筋のいい家庭に育って、アメリカと戦争が起こったときもアメリカにいたくらいだ(かれはハーバードに留学し、哲学の論文を書いている途中でつかまり、最後は留置所で書き上げた)。ただ、かれは若いときは、けっこう放蕩息子であったようで、万引きはするは女遊びをするはで、父親の祐輔は俊輔の身を固めさせるため早々と結婚させようとさえしている。かれ自身も、鬱を三度も患っている。その原因の一つは母親との確執にあったようだが、それについて本書はあまり語っていない。本書の著者は、俊輔が京大にいたころの仲間、京都ベ平連の事務局長をした北沢恒彦の息子なのである。
俊輔さんは、なんといっても雑誌「思想の科学」に長く携わり、その考えを世間に広めた人だ(ぼくは知っていたが読んだことはない)。その顔からして親しみやすかったのか、かれの周りには大勢の人が集まってきた。それは一般大衆でもあるし、都留重人、丸山真男、武谷三男、武田清子、竹内好、久野収といった錚々たるメンバーでもあった。それはある意味戦後の思潮を形成してきた人々の集まりでもあった。俊輔は京大人文研、東工大、同社大などに就職するが、東工大、同志社は政治的な事件、たとえば安保闘争とかの関わりで辞めている。地位に執着しなかったのは、出身のよさとも関係があるのだろうか。かれはアカデミックの人だけでもなく、市井の人たちとも交友を結び、政治運動をした。その最大のものはベトナムへ平和をという「ベ平連」の運動であった。ここで小田実ともつながる。
俊輔さんは成長したあとは女性とかかわりを持たないようにしていたようだが(それでもデマはたてられた)、安保闘争の中で横山貞子と結婚してみんなをびっくりさせている。
俊輔さんは「転向」の問題、『高野長英』の評伝などを書いていて、なにが専門かと思っていたら、哲学が基礎にあったようだ。哲学が基礎にあると人間はいろんなことができるのだろうか。桑原武夫という人はやはり面白い人だ。俊輔を京大に呼ぶのに、周りが反対した。すると、かれはアメリカの学術代表団が来たときに俊輔に通訳をやらせ関係者をぎゃふんと言わせたそうだ。アメリカにいたんだからうまいのは当たり前だと思うが、それを利用して採用人事をやるところは桑原さんらしい。
著者プロフィール
黒川創の作品
